中編5
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これは、東京都に住むCさんの体験したお話。

その日、予定よりも早く仕事を切り上げられたCさんは、足早に家路へと急いだ。

一週間前、会社で受けた健康診断で内蔵が弱っていると指摘され、それ以降毎日の晩酌を奥さんに止められていたCさん。

が、そんな奥さんも昨日から近所の友人達と二泊三日の温泉旅行に出掛けている。

しかも一緒に留守番していた娘も、今日は大学の友達とカラオケに出掛けているため帰りは遅い。

そこで、Cさんはここぞとばかりに目当てのお酒とツマミを買って意気揚々と帰宅したというわけだ。

玄関を開け乱暴に靴を脱ぎ捨てると、ネクタイと背広をソファーに放り投げた。

冷蔵庫に向かい朝出勤する前に、予め冷やしておいたグラスに氷を入れると、そそくさと居間へと戻る。

ソファーに腰掛け買ってきたウィスキーを開けると、キンキンに冷えたグラスにトクトクと注ぎ込む。

ごくごくと喉を鳴らし、

「ぷはぁ、いやあ上手い!」

Cさんは思わず片手で膝を打ち冷えたグラスをかがげてみせた。

久々の晩酌と、誰にも邪魔されず家でのんびり好きなツマミで一杯、Cさんは酒に酔いしれながら束の間の至福の時を過ごしたのだった。

しばらくして酔いも回り、いつの間にかウトウトとしていたCさんの傍らで突如電子音が鳴り響いた。

─トゥルルルル。

「ん?誰だ?」

Cさんはグラスを置いた手でスマホを手に取ると、液晶画面に目を凝らす。

「A子か……」

スマホの画面には、Cさんの娘A子さんの名前が記されている。

画面の右上に目をスライドさせると、時刻は午後11持と表示されていた。

普段門限などは決めていないのだが、流石にこの時間は遅すぎる。

眠りこけていた自分も悪いのだが、ここは一つ小言の一言でも言ってやろうと、CさんはA子さんからの着信を取った。

「遅いじゃないか今何時だと思って」

「パパ?」

「えっ?」

CさんはA子さんの呼ぶ声に短く聞き返しながら、

思わず眉間にシワを寄せた。

それもそのはず、普段A子さんはCさんの事をパパとは呼ばないからだ。

「お、おいなんだ急にパパなんて呼んで、いつもは……あ、さてはお前酔ってるのか?」

自分も人の事は言えないが、娘が羽目を外し過ぎたのではないかと疑い、Cさんは語気を強めて言った。

「ママ」

「ママ?どういう意味だ?えっ?ひょ、ひょっとしてママがそこにいるのか!?」

思わず焦ったCさんはA子さんに聞き返す、しかしA子さんはその返答には答えず、

「パパ」

と、先程の言葉を繰り返す様に言った。

自分の勘違いにほっと胸を撫で下ろしつつ、A子さんが相当飲んでいるなと思ったCさんは電話口に向かって、

「いい加減にしろ!飲みすぎだぞ!」

と形だけでもと思い怒鳴りつけた。が、次の瞬間、

「パパパパパパパパ!」

スマホから響くA子さんのけたたましい声に、Cさんは思わず耳を背けた。

思いがけずびっくりしたCさんは、

「A子っ!」

と、スマホを耳に当て直し叱り付ける様にA子さんの名を呼び付けた。

しかし直ぐにスマホから、

「ママママママ!」

と先程と同じ様な調子でA子さんの声が鳴り響く。

流石に娘の様子が変だと感じたCさんは、これが本当に家の娘なのかと少し疑ってしまい、

「あ、あの……A、A子なのか?」

と、思わず神妙な面持ちで聞き返した。

すると次の瞬間、

「きゃははははは!!バレたバレた!ねえばれたぁ!?A子はねえ、食べた!食べたよぉ!お腹いっぱいだよぉぉ!」

紛れもなくA子さんの声だ。

だがそれ以前におかしい、有り得ない。

Cさんが家に戻った時、家には誰もいなかった。

今朝出かける時にA子が履いていた靴だって玄関には見当たらなかったのだ。

Cさんは酔いも一気に冷め、ほんのり赤く火照っていた顔も、むしろ血の気が引いたかのように青ざめていた。

手の平から握りしめたスマホがずるりと滑り落ち床に乾いた音を立て転がる。

口を鯉のようにパクパクさせ、おもむろに天井を見上げるCさん。

その先は二階にある娘の部屋。

そう、今しがた聞こえたあの甲高いA子さんと思われる声は、スマホからではなく娘の部屋から聞こえてきたのだ。

Cさんは口をあんぐりと開け、思わず目を見開き天井を凝視する。

─ガチャ。

突然、玄関の方からドアが開く音がした。

続いて、

「ただいま~」

玄関から響く聞き慣れた声に、思わずCさんはハッとして立ち上がり、声の方に向かって走り出した。

ドタドタと廊下を蹴り、転びそうになりながらも玄関に向かうと、

「な、何お父さん、ど、どうしたの?」

そこには出先用の服に着替え化粧をした娘のA子さんの姿があった。

A子さんは普段の様子と違った父を見て、思わず玄関で身じろぎつつ怪訝そうな顔でCさんの顔を見回している。

するとCさんはそんなA子さんに向かって、先程の奇っ怪な出来事について聞こうと矢継ぎ早に口を開いた。

「い、今の何だったんだ!?で、電話掛けただろ?お前酔っ払ってて……!」

そう言ったCさんに対し、今度はA子が

矢継ぎ早に口を開く。

「ちょ、ちょっと待ってよお父さん、酔っ払い?私お酒なんて飲んでないし、そもそもスマホ部屋に忘れて置いてっちゃったから電話なんてできないよ?」

「そ、そんな!?じゃ、じゃあさっきのは……」

思わずそう呟きながら、Cさんは二階へと続く階段先の暗がりに振り返った。

暗闇に目を凝らし何も無い空間を見つめたはずだった……。

だがCさんの意に反しそこには、のっぺりとした表情のない真っ白な顔が浮かび上がり、じっとこちらを見下ろしていた。

それと目が合った。

瞳はえぐり取られたかのように真っ黒で、

両目に深い闇を漂わせている。

その直後、Cさんの視界は暗転し意識は途絶えた。

翌日、目を覚ましたCさんは昨夜の出来事を再びA子さんに問い詰めたそうだが、気を失ったCさんをどうするかで大変だった、お母さんに電話して救急車を呼ぶか相談したけど、結局しばらくソファーに寝かせて起きなさいと言われ、居間のソファーまでお父さんを引きずって運んで大変だったと、散々愚痴を聞かされる羽目になったらしい。

白いのっぺりとした顔を見たかとA子に尋ねたが、そういうのやめてと、A子さんにたしなめられ、その話は打ち切られたそうだ。

結局あれがなんだったのか、そしてあれが言っていた、食べた、とは何をさしているのか、未だに何も分からずじまいらしい。

Cさんは酔っ払った自分が見た悪い夢だと言っていたが、それを確かめるすべはない。

ただ、Cさんに娘さんのことを尋ねると、たまに自分の事をパパと呼ぶようになったとか。

言った後にニヤリと笑うので、あの時の事を掘り返した、A子さんのイタズラだなとCさんは言っている……。

<終>

Concrete
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