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死神~御後が宜しいようで~

長編17
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死神~御後が宜しいようで~

「御後が宜しいようで……」

今しがたまで、肩まで使っていた満足した余韻から、今度は奈落へと突き飛ばされたように冷めていく。

「下手くそ!辞めちまえ」

「引っ込め引っ込め!!」

いや、満足していたのは俺だけだ。

見ろこの冷え切った寄席。

客席は虫食いだらけ、これ見よがしに足を放り出していびきまでかいてる奴から、俺の落語なんかそっちのけで、別れ話をするカップルまでいやがる。

全部聞こえてるからな?ネットで晒してやろうか?等と頭の中での賜っていると、

──ドドンッ!ドンドンドンドンドン!!

追い出し太鼓の音が響く。

緞帳の影から前座の若いのがそそくさと現れ、終わったんなら早く帰れと言わんばかりに睨んできた。

せっつかれるようにして立ち上がると、若いのは座布団をひっくり返し湯呑みを片していく。

それを横目で見ながら、俺は後ろ手に頭を掻き楽屋へと戻ろうとした、その時

チラリと、客席で見慣れない男の姿が目に止まった。

有りふれた安物スーツ姿の男。

歳は三十代、いったい男の何が目を引いたのかと言うと……。

俺だ。俺の顔瓜二つ……。

いやいや待て待て待て、そんな分けないだろ。

もう一度目を凝らす……。

やはりどこからどう見ても俺だ。

ふわりとした癖毛も、ちょっとした猫背姿も、顔色の悪い幽鬼の様な表情も、全て瓜二つ……。

──ドンッ

前座の若いのが、邪魔くさそうに俺の肩にぶつかってきた。

睨み返すと無視して楽屋へと引っ込んでいく。

しまった。

客席に振り返ると、あの男が居ない。

どこだ?

館内をくまなく見回すと……。

居た。

館内上、出口の扉を推し開いている。

俺は思わずその男の後を追い掛けていた。

衝動的に、もう一度確認したいという強い意志が働き、気が付けば着物姿で館内を出て、入口の歩道にスリッパを履いたまま飛び出していた。

ハアハアと息を切らし呼吸を整えつつ辺りを見渡すと……いた、奴だ。

横断歩道の信号機前髪に、ヘッドホンを付けた女の隣に、奴は並んで立っていた。

後ろから歩み寄る、だが次の瞬間、

「えっ?嘘だろおい!?」

突然、奴は赤信号の横断歩道を渡り始めた。

もちろん車は走って来ている。

しかもつられる様にして隣にいた女も手元のスマホを見ながら横断歩道を渡り出したのだ。

必死に伸ばす手が虚しく空を切ったと同時に、

──ドンッ!!

重い肉の塊が弾き飛ばされる嫌な衝撃音と、けたたましいクラクションが夜空に響く。

悲鳴と怒声が響き渡る中、俺はヨレヨレとしながら事故現場へと目をやる。

湯水の如く溢れる血溜まりが、乾いたアスファルトを濡らしていく。

身体のあちこちがあらぬ方向へ折れ曲がり、とてもじゃないがこれ以上直視できない有様だった。

周りに人が集まり始め、救助に当たる者から野次馬も集まって来た。

奴は……?

男の姿がない。

女を轢いた車の運転手がおそらく警察だろうか、電話口で怒鳴るようにして現状を伝えているのが見えた。

「ああっ!?だから轢いたのは女の子だよ!若い女の子!一人?ああ一人だよ!早く来てくれ!!」

一人?いや、俺が見たのはあの男とこの女の子二人のはずだ。

なのに一人ってどういう事だ?

もう一度見渡すが、やはりあの男の姿はどこにも見当たらない。

思わず周りを見渡し、事故の目撃者を必死に探す。

居た。

「な、なああんた、あんた今の事故見てたよな!?い、今男も一緒に轢かれなかったか?」

事故が起こる直前、タクシーを拾おうと道路際に立っていた男だ。

一部始終を見ていたはず。

「お、男?何言ってんだ、轢かれたのは女の子だけだろ」

なんだ?どういう事だ?

皆あの男の姿が見えてなかったって言うのか?

何度も辺りを見渡し、あの男の姿を追ったが、やはり何処にもいない。

遠くでサイレンの音が聴こえてきた。

その音にハッとして現実に引き戻される。

見間違い……なのか?

釈然としないまま、俺は暫く呆然とその場で立ち尽くした。

次の日、俺は落語の師匠に会いに朝早くに出掛けていた。

正直昨夜の事を思い返すと外出は億劫でしか無かった。

だが落語の世界では何事も師匠の言う事は絶対だ。

気持ちがどうのだとか言ってる場合ではない。

最寄りの駅に付き、切符を購入しして改札口を抜ける。

通勤前のサラリーマンとすれ違う度に、昨日の男の影が頭を過る。

疲れてたんだろうな……。

頭を振り、溜息をつきながら階段を上って行くと、ホームに電車のサイレンが鳴り響いた。

少し早足で駆け上がり停車位置に並ぶ、不意に対面側のホームに変な違和感を感じた。

何故かは分からないが、妙に惹かれるような間隔。

思わず視線を向けると、そこには、

「あ、あいつ……!?」

対面のホームに、俺を嘲笑うかのように立ち尽くすスーツ姿の……俺。

奴だ。無違いない。

昨日の事故現場にいたはずの男。

まるで顔だけなら鏡を見ているかのようだ。

よく見ると、反対ホームにも電車が接近していた。

此方と向こうの電車はほぼ同じタイミング。

すると、やつの目の前に中年の背の低い小太りの男が、一人ふらりと現れた。

何か様子がおかしい。

足元が地に着いてないというか、何処かフラフラしている。

昨夜の事が頭の中でフラッシュバックする。

そんな……いや、まさか。

嫌な汗が額に滲む。

言い表し難い不安に、思わず吐き気を感じる。

ゴクリ、と喉が大きく鳴った、次の瞬間。

──ゴーッ!

軋むレール音、紛れるようにして響く歪な衝突音と、反対ホームから聴こえる悲鳴と叫び声。

ザワつくホーム。辺りが一気に慌ただしくなり、

「おい!男が線路に落ちたぞ!!」

「救急車!救急車!!」

「駅員さんこっち!こっちだよ!!」

そこら中に声が上がった。

電車の窓越しに、微かに反対ホームの光景が見て取れた。

人集りは丁度俺の目の前、さっき奴がいた場所。

もちろん奴の姿は見当たらず、あの小太りの男の姿もない。

あるのはスマホ片手に野次馬根性丸出しな奴らと、それを制ししようと慌てる駅員達。

そして漂う死臭……。

何だ、何なんだこれは……!?

何の冗談だ!?

気が付くと、俺はその場から駆け出していた。

吐きそうになる口元を必死に押さえ、無我夢中で……。

結局その日は師匠の家には行けなかった。

具合が悪いという適当な理由を付けて断ったが、散々嫌味を言われたのは言うまでもない。

その後、俺は旧友である小山を電話で宅飲みに誘った。

お互い久々という事もあり、小山は快く了承してくれた。

小山 冬雪(こやま とうせつ)。

歳は俺と同じで三十二。

俺と同じ落語家で二ツ目。

会も師匠も違うが、こいつとは何故か気心が知れる仲というか、何か悩みがあると、いの一番に相談できる友人でもある。

──ピンポーン

「ちいぃっす」

玄関の呼び鈴が鳴りドアを開けると、気の抜けた声で小山が部屋に上がり込んできた。

「久しぶりだな小山」

「おう、今日はどうしたよ、急に呼び出したりなんかして」

「いや、まあちょっとな……取り敢えず一杯やろうぜ、呑まないと話せない内容だからさ……」

「呑まないと?まあいいや、久々に付き合ってやんよ」

部屋の丸テーブルを囲み、まずはビールで乾杯、正直呑みたい気分ではなかったが、呑まないとやってられないというのが正直な気持ちだった。

「まあにわかには信じて貰えないだろうけど、本当に昨日今日で起こった話でさ……」

そこまで話して俺は飲み干したビールの缶を握りつぶし、ゴミ箱へと放り捨てた。

「まあ実際、ニュースにもなってたんだろ?だったら信じるしかねえよな。てかさ、何かそれって死神みたいだよな?」

「死神?」

「ああ、そのお前そっくりな奴がだよ。そいつが居る時に二人も死人が出たわけだし、そいつが現れたら死人が出る、みたいな?」

「確かに……」

「だろ?」

「死神か……」

「あっ酒切れた」

「まじか、どうする?」

「コンビニ行くのもいいけど、もし良かったら外で飲み直さね?お前もそんだけ嫌な事あったんならさ、外で気分転換もいいんじゃね?」

「外でか……まあ、たまにはいいか……」

確かに小山の言う事も一理あるかもしれない。

こんな荒唐無稽な話しをシラフで話すのは無理だし、何より部屋に引き篭っているのも、色々と気が滅入る。

「おっ、じゃあ行こうぜ。いつものとこでいいか?」

「ああ、任せるよ」

そう言って俺は上着を手に取り、小山と部屋を出た。

電話で呼んだタクシーに乗り込むと行き先を告げいつもの店に向かう。

俺が通う寄席の近くにあるBARで、店主は大の落語好き。

それが功を奏してか、まだ俺達が前座だった頃は、よく店主にただ酒をご馳走になったものだ。

以前はこうして小山と二人で呑みに行っていたが、お互い二ツ目に昇進してから忙しくなり、連絡もあまり取り合わなくなっていた。

まあただ単に昔みたいに落語に対しての興味や熱意が薄れたという、単純明快な理由もあるのだが、それも含めて、ある意味良い機会だったのかもしれない。

もちろん昨日今日と恐ろしい体験をして一人で居たくないのもあったが、またこうしてお互い気兼ねなく寝み明かすのも悪くは無い。

「なあ」

「ん?」

隣に座っていた小山が話しかけてきた。

「お前のさっきの話が本当ならさ、もしその死神が見えた時に、例えばだけど……」

「例えば?」

「例えば……近くに殺したい奴がいたら、その死神の所に連れて行けば殺せるとか……?」

「お前なあ……」

とんでもない事を言い出す小山に思わず顔をしかめて見せた。

「いや、例えばだよ例えば。お前だって殺してえって奴ぐらい、一人くらいいるだろ?」

「ま、まあ……」

例えば寄席で俺を貶すいつもの客共……と思わず言いそうになったがやめておいた。

「何かあれだな、落語の死神みてえな話だな」

「死神……あの死神にか?」

「ああ、何かこう死神を利用してさ、自分の都合のいい様に使ってそうで、実は最後には死神に使われてた、みたいな?」

「何だそりゃ」

小山の話に思わず苦笑いを零す。

落語の死神とは、幕末から明治に活躍した初代三遊亭圓朝が、グリム童話をベースにして作った古典落語の一つだ。

借金を苦に自殺しようとした男の前に現れた死神が、男に金儲けの方法を教える。

その方法とは、死にかけの人間の枕元には死神が立っており、立たれた人間は確実に死んでしまう。けれどもし死神が足元に立っていたら、アジャラカモクレン、テケレッツのパーという呪文を唱えると、死神が消えるというのだ。

これを利用し、男はヤブ医者となって足元に立つ死神だけを呪文で払い、金持ちの病人達から多額の報酬を手にした。

程なくして大金持ちになった男だが、毎日の豪遊三昧で直ぐに金を使い果たしてしまう。

男は更に金儲けのため死神を利用しようと企む。

が、そこを死神に付け込まれ、逆に男は自分の寿命を代わりに差し出す羽目になってしまう。

死神はそんな男に最後のチャンスを与え、消え掛けの男の蝋燭(寿命)を、新しい蝋燭に火を移し替えられたら命を助けてやると約束する。

が、消え掛けの寿命の男の身体は既に病に侵されており、風邪をひいていた男は火を移す瞬間にクシャミをしてしまう、そしてあっけなく蝋燭の火を消してしまうのだ。

それを見た死神は嘲笑い、男は息絶えるという、何とも後味の悪い話で終わる。

「似てるかあ?」

「いやあ何となくだよ何となく」

小山の話に軽い溜息をつきながら、窓から見えるネオン街を眺めていると、やがてタクシーは目的の場所へと俺たちを送り届けてくれた。

「どうも」

支払いを済ませ歩道をしばらく歩くと、乱雑した飲み屋の看板が建ち並ぶビルの前までやってきた。

このビルの五階に行き付けのBARがある。

エレベーターの前に立ち押しボタンを押すと、微かなモーター音が鳴りパネルランプが点滅し始める。

入口でエレベーターが降りてくるのを小山と二人で待っていた時だった。

「おっ、お前ひょっとして寄席の……」

突然、背後から酔っ払った中年の男に声を掛けられた。

振り向くと、明らかに酒焼けした様な顔の男達が数人、立っていた。

しかもあろう事か、その中で俺に声を掛けてきたのは、いつも寄席で俺が落語を披露している最中に、罵詈雑言を浴びせてくるあの客だった。

「あっ……どうも……」

嫌々ながらも会釈で返すと、

「なんだあ?一丁前にヒヨっ子がこんな所で遊び歩いてんのか?落語のお勉強はどうしたんだよ、ああ?おい、こいつよ俺が通ってる寄席で落語やってんだけどよ」

「へえ、兄ちゃん落語家さんかい?」

「あ、はい、まあ一応……」

「いやいや、こいつは落語家なんてもんじゃねえよ、下手くそもいいとこ!本当にこっちは金返せってレベルでよ!なあヒヨっ子!?」

思わず拳を握り、酔っ払った男を睨みつけた。

「おっ?なんだヒヨっ子。落語もまともにできない奴が俺の意見に何か不服でもあんのか?」

「おいおいもうやめとけって」

酔っ払いの男の仲間が間に入る様にして止めに入ってきた。

「何だよ!」

止められた男が思わず吠える。

もし止めに入られなかったら、俺は酒の勢いでこの男を殴っていたかもしれない。

頭に昇った血を覚ますように俺は首を横に振った。

流石にこいつらと同じ店で呑みたくはない。別の店に行こうと提案するため小山に振り返る、が、次の瞬間、俺の体は氷の彫刻の様に固まってしまった。

喚く酔っ払いの男とその仲間が押し問答をしているその背後に、俺の目線は釘付けになっていた。

奴だ。

もう一人の俺、いや死神……。

「おい……あ、あれってお前が家で話してた……!?」

「み、見えるのか小山……!?」

驚いた事に、小山には、酔っ払いの男達の背後に立つ死神の姿が見えるようだ。

「ほ、本当に瓜二つじゃねえか……」

「だろ……」

ゴクリと唾を飲み込み、背後にいる死神を見つめる。

今までの通りなら、ここで誰か……死ぬ。

「なあ……もしかしてお前の話通りなら、このエレベーター乗るのやばいんじゃないか……?」

小山が俺に聞こえるくらいの小声で言ってきた。

「多分……な」

「あのさ、落ち着いて聞けよ……さっき俺がタクシーで話したよな……死神使ってってやつ……このおっさん、お前もムカつくだろ?」

ドキリとした。

小山が何を言いたいのか、俺には直ぐに理解出来たからだ。

つまりこの男を、今エレベーターに載せれば……。

心臓が強く胸を打つ。

額に滲む脂汗が頬を伝ってポタリと地面に落ちる。

殺せる……のか?

俺は僅かに肩を震わせながら小山を見た。

小山はそんな俺に、ただ静かに一度だけ頷いて見せた。

こいつを……殺せる。

そう思った瞬間、

──チーン

エレベーターの扉が開く音がした。

俺と小山は扉から一歩下がり、男達に先に行けと手で促した。

「おっ、ちゃんとわきまえてんじゃねえかヒヨっ子。おい、行こうぜ」

男はそう言うとヘラヘラ笑いながら仲間達を引き連れ、エレベーターへと向かう 。

俺は男達を直視できなかった。

これは……これは殺人になるのか?

いや、そんなはずはない。

これは死神……そう死神の仕業だ。

俺は手を汚してなんかいない。

頭の中を黒い影がぐるぐると渦巻いてゆく。

やがて真っ暗になり静寂が訪れた。

瞬間、昨日今日と、俺の目の前で亡くなった女と男の姿が頭の中に浮かんだ。

何も出来ずに、ただ立ち尽くすだけだった自分は、この死神と何が違う?

何かできたはずのなのに、何もしなかった俺は、この死神と……何も変わらない……。

何も……。

「あ、ど、どうぞ……はは」

小山はそう言って半笑いを浮かべながら男達に道を譲った。

何も知らず次々にエレベーターへと乗り込む男達。

その後を、さも当然のようにもう一人の俺、死神が追っていく。

「ダメだ!!」

「あん?な、なんだ!?」

気が付くと俺は走り出し、エレベーターに乗り込もうとした酔っ払いの男の腕を掴んでいた。

「は、離しやがれ!!」

男が掴んだ俺の手を激しく振り払う。

その反動で俺の体が地面に倒れ込む。

が、それを後ろにいた小山が支えてくれた。

「馬鹿かお前!何やってんだ!?あんな奴らほっとけって!!」

「ほっとけって……できるわけないだろ!!」

俺は支えてくれていた小山を振りほどき、再度エレベーターへと乗り込むと、男の襟首を掴み、無理やり外へと投げ飛ばした。

「痛っ!!」

「てめえ仲間に何しやがる!」

倒れた男を見てエレベーターに載っていた仲間の男達も全員降りて来た。

そして俺の襟元を掴むなり。

──バキッ

激しい衝撃が顔面に走ると同時に俺の身体は壁際まで吹き飛ばされていた。

ズルズルと倒れ込む俺に対し、男達は更に容赦なく攻撃を加えてくる。

踏まれ、蹴られ、殴られ。

痛みに顔をしかめ、意識が揺らりと薄れ掛けた瞬間、

「おい、喧嘩だ!誰か警察!警察呼んでくれ!!」

知らない男の声が聞こえたと同時に、男達の手が止まった。

「や、やべえ逃げるぞ!」

慌てた男達の慌ただしい靴音が響き遠ざかってゆく。

ぐらつく頭を何とか上げ、エレベーターに視線を向ける。

すると、此方を見下ろすようにじっと見つめる死神と目が合った。

それは今まで見たこともないくらいの怒りの形相。

俺を睨み続ける死神。

エレベーターの扉がゆっくりと閉まる。

──鈍いモーター音が鳴り、五階のマークがついたパネルが明滅する。

そして五階で明滅するパネルの光が消えた瞬間、

──ドゴゴゴゴンッ!!

巨大な鉄の塊が空から降ってきたよう音と、それが地面に激突する凄まじい轟音が辺りに鳴り響いた。

ビルの周りは騒然とし悲鳴が飛び交う。

俺は目の前の歪にグシャリと潰れたエレベーターの扉を見ながら、地面に倒れ込んだ。

そして仰向けのまま天井を見上げ、消えゆく意識に身を任せつつ呟いた。

「へへ……ざ、ざまあ見やが……れ」

そこで、俺の意識は途絶えた。

「おい、おい」

「小や……ま?」

肩を揺すられる感触に目を覚まし、声の方を見ると、俺を見下ろすように小山の姿があった。

身体中に痛みが走り起き上がるのはあきらめ、仰向けのまま顔だけを動かし周りを確認した。

外……?

いや、星空は見えるがここは……。

「屋上……か」

「ああ……」

俺の問に小山が短く返事を返す。

横を向くとキラキラとした街のネオンが目に映った。

「何であいつら助けたんだ……?」

「あいつら……ああ、あれか……」

「お前んとこの寄席の常連客かなんかか?えらい言われようだったじゃねえか。あんなのいたら落語にも集中できねえだろ」

「まあな……毎日罵詈雑言浴びせられて、正直落語が嫌になったりもしたよ」

「だったら、あの時何で止めたんだよ……あのままあいつに、死神にやらせとけば上手くいってただろ……あんな奴死んだって、誰も悲しまねえ……」

「小山……?」

いつもの小山にしては様子が変だった。

そもそもさっきだって、普段の小山ならあんな事は言わない様な気がする。

もしかして、小山も何か嫌な事でもあったのだろうか?

「あんな奴ら死んじまえば……」

吐き捨てるように小山が言った。

俺は痛みを我慢しつつ体を起こし、小山に振り返り口を開いた。

「あいつらなんかどうだっていい、ただ……」

「ただ……何だよ?」

聞き返す小山に俺は答えた。

「俺は……俺は死神に何かなりたくない、ただそれだけだ」

そう言った瞬間、小山の表情に急な影が落ちた。

「小山……?」

「お前が……」

「えっ?」

小山の顔を覗き込みながら声を掛ける。

が、その時だった。

──ガシッ

「ぐっ!?こ、小や……ま!?」

小山の両手が突然俺の首に伸び、そのまま強い力で締めてきたのだ。

息ができない。

締め付ける小山の手に更に力が込められてきた。

「は、離しっ……!」

「お前が……!」

地の底から這い出でるような声。

誰だ……?もはや俺の知っている小山の声とは違う。

体から力が抜けて行く。

このままでは……死ぬ……。

霞んでゆく視界、その先に見える小山の顔は、もはや人の顔ではなかった。

皮膚は溶けだし、頬骨が突き出、眼底が浮き出している。

ド、髑髏……!?

「お前が死神になればよかったんだ!!」

その瞬間、再び俺の意識は暗い深淵の奥底へと落ちていった。

目を覚ますと、俺は病院のベッドで寝かされていた。

ビルの事故に駆けつけた消防隊員に、屋上で一人倒れていた所を発見されたと、後に来た警察に知らされた。

警察が言うには、事件当日、エレベーター前で喧嘩があったと複数の証言があり、俺と事故との関係を調べているという。

俺は友人の小山と呑みに行ったが、喧嘩の事は知らないと警察に伝えた。

酔っ払って気がついたら病院のベッドの上だったとシラを切った。

だが、後に俺の供述を元に裏をとった警察から、今度は信じられない事を聞かされるはめとなった。

小山 冬雪は、俺と会う二日前に、事故で亡くなっていた。

落語の稽古帰りに、轢き逃げにあったそうだ。

その後、警察に厳しい取り調べを受けたが、結局エレベーターの事故は配電盤の故障だという事が分かり、事故との関係性がないと判断した警察は、それ以上俺の事を調べる事は無かった。

退院した後、俺は小山の実家を訪ねた。

あいつがどれだけ落語が好きだったか、どれだけ俺の事を心配していたのか……小山の母親は泣きながら全部話してくれた。

あれから一ヶ月。

俺は今、寄席の楽屋にいた。

本番まで残り僅か。

ふと、部屋にある姿見に目をやった。

芝柄の羽織を着た俺が、じっと此方を見つめている。

あの時のもう一人の俺、あれは本当に死神だったのだろうか?

それとも、あの時屋上で小山が俺に言った、

『お前が死神になれば良かったんだ!』

あの言葉通りだったとすれば、小山が死神だったのか……今となっては分からない。

ただ、落語が好きでこれからも頑張っていこうとしていた小山からして見れば、今までの俺はどんな風に見えたのだろう。

生きているのか死んでいるのかも分からない。

目標も希望も忘れ、死んだ様に毎日を過ごす俺を、小山が生きていたら、何と言っただろうか。

そうだ思いながら、俺は首元に手をやった。

鏡を見ても分かる。

首にまとわりつく様にして残った手の形をした痣。

あの時、屋上での出来事は……。

「出番です……」

不意に声が聞こえ振り返ると、前座の若いのが中々出てこない俺を心配して、様子を見に来ていた。

流石に色々とあった俺に同情でもしているのか、前とは違いえらくよそよそしい。

それが少しおかしく見え、俺は思わず苦笑いを零す。

「はは、ああ、今行く……」

着物を払い楽屋を出る。

階段を登り舞台袖に上がると、俺の姿を見た太鼓持ちが、二番太鼓の音を叩く。

お多福来い来いとせっつく様にして。

俺は上手から舞台中央へと向かった。

座布団の上で立ち止まると、扇で裾を払って座り、深々と頭を下げる。

顔を上げると、まばゆい照明が俺を照らしつけた。

眩しい光に慣れ始め、客席にいつもの顔触れが確認できた。

あの時のエレベーター前で俺を殴った男、寝そべって放っから聞く気のない奴や、相変わらず不倫話に花を咲かせる男女。

それでもいつもよりは客は多い様に感じた。

なぜだろう。

いつもならここから一秒でも早く消えたいと願っていた。

なのに今は、一分一秒でもここに居たいと感じている俺がいる。

始まる前から投げ掛けられる罵声も、今は俺の耳には届いてこない。

頭に浮かぶ死のイメージ。

ユラユラと暗闇で揺れる髑髏が、俺に語り掛ける。

──儲け話を教えてやる……。

くだらねえ いつになりゃ終わる?

なんか死にてえ気持ちで ブラブラブラ

残念 手前じゃ所在ねえ

アジャラカモクレン テケレッツのパー

うぜえ じゃらくへたタコが

やってらんねえ与太吹き ブラブラブラ

悪銭 抱えどこへ行く

アジャラカモクレン テケレッツのパー

さあどこからどこまでやればいい

責め苦の果てに覗けるやつがいい

飛んで滑って泣いて喚いた顔が見たい

どうせ俺らの仲間入り

Yeah, yeah

プリーズ プリーズヘルプミー

ちっとこんがらがって 目が眩んだだけなんだわ

Yeah, yeah

プリーズ プリーズヘルプミー

そんなけったいなことばっか言わんで容赦したってや

ああ、火が消える

夜明けを待たず

ああ、面白くなるところだったのに……。

静まり返る客席。

唖然とするアホ面した観客を前に、おれは右手を差し出す。

掌に消え入りそうな焔が揺れる。

それを見て俺はニヤリと笑い、

「フッ……」

と、息を吹き掛けた。

─了─

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