蒸し暑い夜であった。障子を開け放った座敷には五~六名の人影が蝋燭の明かりに照らされておぼろに見える。
座の中央には腰の曲がった老翁が一人静かに座っており、庭より聞こえる虫の音に耳を傾けている様だ。
「綺堂翁。そろそろ刻限かと・・。よろしくお願い致します。」
綺堂と呼ばれた老翁は 「では、今宵は『捜神記』より一話お話致しましょう。」
『青牛』 始まります。
秦の文公(始皇帝よりはるか以前の王)の二七年、宮殿造営の為の材木を調達するよう各地に命令を出した。
しかし、宮殿の梁(屋根を支える大きな木材)に使う大木が見当たらない。
困り果てた文公に近臣の一人が耳打ちした。「武都の故道という場所に『怒特の祠』という祠(ほこら)があり、その横には見事な梓の大木が御座います。大王の御意にかなう物かと存知ます。」
喜んだ文公は人を遣わせて木を伐るように命じた。しかし帰って来た使者が言うには、「近隣の住民は祠の祟りを恐れて木を伐る事が出来ません。代わりに兵卒を派遣されますように。」
奇異に感じた文公は試しに十名の兵を選び派遣した。
故道に着いた兵達はすぐに伐採に取り掛かり大きな幹に斧を振り下ろしたところ、にわかに雲がわきたち暴風雨となって作業が出来ない。
すると先ほど幹を伐った切り口が見る見る融合して元に戻る。この繰り返しで王命を全う出来ず、困った隊長は文公に復命して増員を申し出た。
神威を聞いた文公も執着心が出て三十名の壮士を新たに募って今度こそ必ず切り倒すように厳命した。
決死の覚悟の四十名は昼夜休まず斧を振り下ろす。しかし三日三晩の奮闘にも関わらず梓の大木は大地に屹立していた。
疲れ果てた兵達は宿舎へ帰るべく帰途に着いたが、疲労困憊の最後尾の一人がつまづいて足に怪我をしてしまった。
助けを求めたが誰一人立ち止まらない。仕方なく彼は祠に横たわり夜を過ごす事にした。疲れの為にすぐに眠りにつくと夜半に誰かが近づいてくる。
この人は不思議に姿が見えず声だけが聞こえる。どうやら梓の大木に話しかけているようだ。
「戦いは骨がおれるだろう?どうだ?」
『フン。なんという事もない。』 梓の大木から返事が返る。
「勇ましいが、文公がこれ以上に強情を続けたらどうする?」
『根競べをするまでよ。百の兵が来ても恐れる事もないわい。』
「しかし、文公が三百名を散らし髪にして赤い着物を着させ、紅い糸でこの樹を巻かせて斧を入れた傷に灰をまかれたら・・・御主はどうする?」
樹の中のモノは沈黙したままだった。怪我をした兵はその話を聞き覚えて朝になると早速、隊長に進言した。
隊長もこのままでは埒があかないので、恐る恐る文公に進言したところ、自ら大兵を率いて故道へと出向いてきた。
文公の指揮の下、三百の兵が先の方法で大木に斧を入れると半ばまで伐ることが出来た。すると梓の大木より大きな青い牛が飛び出し近くの澧水(ほうすい)という河に踊りこんだ。
これで目的を達し大木を切り倒すことが出来たが、青牛が度々、澧水より姿を現し近隣の村を襲いだしてしまった。
文公は自身のワガママもあった事を反省し、精兵をもって青牛を討たせた。しかし青牛は強く五百の兵でも勝てなかった。ある兵が吹飛ばされ散らし髪になったまま青牛に向かっていったところ青牛は恐れて水中に隠れてしまった。
これ以降、秦では『旄頭騎(ほうとうき)』という精鋭の兵を創設したという。
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綺堂翁は話し終えるとお茶をすすりながら蝋燭を吹き消した。
怖い話投稿:ホラーテラー マァくんさん
作者怖話