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「——ねぇ。今度の週末は久しぶりに遊園地にでも行かない?」
晩酌しながらダラダラとテレビ画面を見ていた俺に向けて、隣に座った美穂がつまらなそうに話しかけてくる。
(遊園地か……。混んでそうだし、面倒だな)
そんな事を思った俺は、酒のつまみにと美穂が用意してくれた枝豆を一莢《ひとさや》掴むと、自分の口へと運んだ。
元来、俺はアウトドア全般を好まない。
他者《ひと》との面倒な関わりを極力避けたいというのもあるが、単に、人混みが苦手だということも理由の一つだ。言ってしまえば、仕事以外の自由な時間は、全て自宅でゆっくりとしていたい。というのが本音だったりする。
そんな根っからのインドア派である俺の趣味といえば、自宅でのんびりとホラー映画を鑑賞することで、まさに今、晩酌をしながらその趣味の真っ最中である。
今日借りてきた映画は、どうやら失敗だったようだ。イマイチ盛り上がりに欠ける映像をボーッと眺めながら、再び枝豆に手を伸ばす。
俺に付き合わされる形で興味なさ気に画面を流し見ていた美穂は、そんな俺の顔を覗き込むと口を開いた。
「……ねぇ。聞いてる?」
不機嫌そうな声音にチラリと視線を向けてみれば、やはり不機嫌そうな顔をした美穂と視線がぶつかった。
(やばいな……。これは、そろそろキレられるかもしれない)
焦った俺は、一度わざとらしい咳払いをすると、崩しきっていた体制を少しだけ正した。
「遊園地じゃなくてさ、映画でも見にいかない?」
「いつも見てるじゃない。遊園地がいい」
俺の提案をあっさりと却下した美穂は、先程よりさらに不機嫌な表情をさせると頬を膨らませた。
本人としては怒りを表現しているのだろうが、その表情はなんとも可愛らしい。思わずクスリと声を漏らすと、キッと俺を睨み付ける美穂。そんな顔ですら、可愛く思える。
「それがさ、普通の映画とは違うんだって。前に話したことあるだろ? めちゃくちゃ面白いから」
最近のマイブームである、POV方式のホラー映画。少し前に流行った撮影方法で、今となっては決して珍しいわけではないのだが、俺が最近こんなにもハマっているのには、ちゃんとした理由《わけ》がある。
【実際の殺人映像】との触れ込みで上映された、一つの作品との運命的な出会いがあったからだ。
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自宅が一番落ち着くから。という理由で、趣味である映画鑑賞でさえ専《もっぱ》ら自宅で済ませてしまう俺が、その日映画館の前で足を止めたのは、今にして思えばほんの偶然だったのかもしれない。
何となく目に付いた。それだけだった。
歩道に面した壁に貼られた、一枚のポスター。それは、一面が黒一色でその中央に白い文字で【スナッフフィルム】と書かれただけの、とてもシンプルなものだった。
(なんだ、これ……?)
初めてそのポスターを目にした俺の感想は、そんなものだった。
ポスターを貼り出しているビルをよくよく見てみれば、どうやらここは映画館らしい。ということは、ここで上映中の作品なのだろうか?
「聞いたことないな……」
改めて目前にあるポスターを見つめた俺は、ポツリと小さく声を漏らした。
知らないタイトルはない。というぐらいに、大のホラー映画好きであると自負している俺は、その見慣れないタイトルに至極興味をそそられた。
勿論、【スナッフフィルム】という言葉の意味ぐらいは知っている。ホラー好きなら、誰しもが一度は聞いた事があるはずだ。
娯楽用途に流通させる目的で撮影された、実際の殺人映像。そんなものが本当に実在するのかは定かではないが、あったとして、こうして映画として流通しているなんて事はまずないだろう。
俺だって、はなからそんな期待はしていない。
(実際の殺人映像か……。きっと、POV方式だろうな)
最近では、フェイクドキュメンタリー作品も少なくはなく、POV方式で撮影された映画も珍しくはなくなった。
ただ単純に、俺は知らないタイトルに興味を惹かれただけだった。
(家に帰っても暇なだけだし、観てみるか……)
それは、ほんの気紛れだった。
人混みが苦手な俺は、いくら興味を惹かれたとはいえ、本来ならば映画館になど足を踏み入れることはしかっただろう。レンタルが開始されるのを待ってから、酒を片手に自宅でゆっくりと鑑賞すればいいのだ。
だが、目の前に建つ寂《さび》れた映画館が、そんな選択肢を薄れさせた。
きっと、観客など滅多に来ないのだろう。そう思う程に、目前にあるビルは荒廃して見えたのだ。
斯《か》くして、この【スナッフフィルム】を偶然にも観ることとなったのだが——。
初めに予想していた通りのPOV方式で撮影されたこの映画は、俺の想像を遥かに超えた臨場感で、極上のエンタメと刺激を与えてくれた。期待以上の出来にすっかりとハマってしまった俺は、これがシリーズものの三作品目だったと知ると、その足でレンタルショップへと急いだ。
だが、何件まわってみても見つからない【スナッフフィルム】。
後日、ネットで調べてみると、どうやら映画館での上映のみでレンタルはされていないらしかった。それどころか、かなりマイナーな作品らしく、上映されている映画館も限られているらしい。
この作品に出会えたこと自体が、奇跡だったのだ。
だが、いくらマイナーとはいっても、コアなファンとはどこにでも一定数存在するわけで。主に、ネットを中心にちょっとした話題にもなっていた。
【実際の殺人映像】との触れ込みで、毎回上映されるこの映画。それは、ファン達の間ではこれは紛れもなく本物の殺人映像なのだと。誰が言い始めたのか、誰が信じるのか……。
そんな噂が、まことしやかに囁かれていた。
それからというもの、新作が上映される度に足繁く映画館に通うようになったのだが、次の週末は丁度その新作が上映される日に当たる。正直なところ、好きでもない遊園地に行くよりも【スナッフフィルム】が観たい。
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目の前にいる美穂の様子を伺うと、その小さく愛らしい唇がゆっくりと動くのを見守った。
「ホラーとか、好きじゃないし!」
「そんなこと言わないでさ、たまには付き合ってくれよ……。お願いっ! この通り!」
諦めきれない俺は、尚も食い下がって懇願する。それには勿論ちゃんとした理由があって、それは、この【スナッフフィルム】の上映期間が毎回三日間の限定でしか上映されないからなのだ。
いくらマイナーな作品だからとはいえ、短すぎるのもどうかと思う。
(なんだって、こんなに短いんだ……)
生憎と次の週末は休日出勤で仕事に駆り出される為、貴重な休みは一日しかない。美穂の提案する遊園地に行くことになってしまうと、【スナッフフィルム】の新作を見逃してしまうことになるのだ。
「いつも付き合ってあげてるでしょ!? 今だって、観てるじゃないっ!」
「いやぁ……。あのさ、映画館には一緒に行ったことないよね? だから行こうよ……ね?」
「……もう、知らないっ!!」
ついに顔を背けてしまった美穂。どうやら、本気で怒らせてしまったようだ。
「ご、ごめんて……。あっ! じゃあ……、来週! 遊園地は来週行こう!?」
できれば遊園地になど行きたくはないが、こうなってしまったら仕方がない。美穂の機嫌をとる為に、俺は懸命に話しかける。
それでも、今週末に遊園地に行こうとはどうしても言い出せないあたり、自分で思う以上に相当あの【スナッフフィルム】にハマッてしまっているらしい。
その後、美穂の機嫌が直ったかといえば、どうにも怪しいものだったが……。きっと、明日になれば機嫌も良くなっているだろうと、都合よく考える。
なにせ、石のように動かないこの俺が、遊園地に行くと自ら約束をしたのだ。
美穂を家まで送り届けて再び自宅へと戻ってくると、来週の遊園地のことを考えて大きく溜息を吐く。
「……まぁ、これもスナッフフィルムの為だ。仕方ないか……」
一人、ポツリと呟くと、疲れた身体を休める為にそのままベッドへと倒れ込んだ。
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それから数日が経過し、いよいよ明日は遊園地に行く日だというのに、未だに美穂からの連絡がない。
すぐに機嫌は直るだろとうと見越していたのだが、その予想はまんまと裏切られてしまった。それだけ、怒っているのだろう。
そういえば、以前にも一度同じようなことがあった。
(あれは確か……)
美穂からの連絡にも応えず、自宅に籠ってホラー映画を三日三晩観続けた時。あの時は、随分と心配させてしまった。
兎に角一にも二にもホラー映画。なんていうのは昔からで、どうやら余程の事がない限りこればかりは変われないのかもしれない。
あの時も、怒った美穂は一週間も連絡をくれなかった。
そんな出来事を思い出しながら、明日は謝罪の意味も込めてとことん美穂に尽くしてあげようと、そんな風に考える。
【この間は本当にごめん。明日は、9時に迎えに行くから】
それだけ送信すると、携帯をポケットへとしまう。
側から見たら、彼女とホラー映画とどっちが大事なんだ! なんて言われてしまいそうだが……。そもそも、彼女と趣味を比較するなんて事自体がナンセンスだ。
趣味は趣味。美穂の事は何よりも大切だし、勿論愛している。
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「——あれ?」
不意に歩みを止めた俺は、小さな声をポツリと溢した。どうやら、美穂の事を考えていたら無意識に映画館の前へと来てしまったらしい。
【スナッフフィルム】はマイナーすぎる映画のせいか、ネットで上映スケジュールが公開されるなんてこともなければ、CMなんて洒落た宣伝すら一切行われない。そんな状況の中、新作の公開情報を得る方法といえば、この近辺で唯一【スナッフフィルム】を上映しているこの映画館へと直接足を運ぶ以外になかった。
そんな理由もあり、ここ最近では毎日のように映画館へと通って確認するのが日課となっていたのだが——。
それが、習慣となってしまったせいなのか。はたまた、ホラー映画への並々ならぬ執着心からだというのか。
確かに美穂の事を考えていたというのに、身体はこうして映画館へと向かってしまったようだ。その本能とも呼べる行動には、我ながら呆れてしまう。
(よもや、ここまでとは……)
そんなことを思いながら、チラリと視線を横に流す。
「……ん?」
驚きにも似た小さな声を漏らすと、目前の真新しいポスターに思わず目を凝らした。
ここ数日、連絡のない美穂の事を考えていた俺は、暫くこの映画館へは通っていなかった。それがなんというタイミングの良さか、丁度今日は、新作の公開日だったらしい。
俺は迷うことなくビルへと入って行くと、映画館へと続く扉を開いた。
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相変わらず観客など一人もいないこの映画館は、俺にとってはとても居心地が良く素晴らしい環境だった。
こんな状態で、経営状況は大丈夫なのだろうか? なんて心配も、少なからずあったりはするのだが。周りを気にすることもなく、一人独占して映画を観れる環境は、とにかく"最高"と表現して間違いないだろう。
まるで、自宅にある巨大シアタールームにでもいるかのようだ。
【これは、実際の殺人映像である】
そんないつも通りのオープニングを眺めながら、そんな事を思う。
「……おっ。今回も、女か……」
スクリーン上に映し出された後ろ姿の女性を見て、俺は前作の光景を思い返した。
(前回の女性は、ナイフでめった刺しだったなぁ……。今回は、どんな風に殺されるんだろう……)
そんなことを考えながらも、期待に胸を高鳴らせる。
暫くすると、異変に気付いたらしいスクリーン上の女性は、少しだけ歩くスピードを速めた。時々こちらを振り返るような素振りを見せながら、徐々に速くなってゆくその歩み。そんなスクリーン上の女性の姿を見つめながら、俺は小さくコクリと唾を飲み込んだ。——次の瞬間。
ついに耐えきれないとばかりに悲鳴を上げた女性は、一気にその場から駆け出した。それを追いかけているのであろう視点からの映像は大きく揺れて少し見えにくく、俺は目を凝らすとスクリーンに食い入った。
この、少し見えにくい映像こそがPOV方式の特徴の一つだとも言えるのだが……。それが寧《むし》ろ、最高の臨場感を生んでいると言っても過言ではないだろう。作り込まれた映画では、ここまでの臨場感は出せないのだ。
いささかチープすぎるとも言えるこの映像だが、それこそがリアリティ性を高める最高の演出となって、俺をこんなにも夢中にさせているのだ。
外灯の少ない暗い夜道を、必死に逃げ回っている女性。おそらく近くに住宅などないのであろうその場所は、外灯から離れると本当に真っ暗で、画面が乱れているせいもあってか、逃げ回る女性の姿はほとんど目視ができない。
だが……まぁ、それも仕方のないこと。
(その内、カメラが追いつけば嫌でも見えるしな……)
この映画を観る一番の目的でもある、殺害シーンさえちゃんと見れるのなら、それでいいのだ。
そんな事を考えながらも目の前の映像に夢中になっていると、未だ画面前方で必死に逃げ惑っている女性が、近くにある建物の中へと入っていった。
(……あれ? )
乱れる映像の中、所々に映るその建物に妙な既視感を覚える。その霞がかったモヤのようなものは、カメラが近付いたことでハッキリと姿を現し、それは確信へと変わった。
(あぁ……やっぱりそうだ。……へぇ、あそこで撮影したのか)
自分の知っている建物だったということもあってか、なんだかいつも以上に身近に感じる目の前の映像。
トクトクと高鳴る俺の心臓は、少しだけその鼓動を早めた。
廃ビルの中を必死に逃げ惑う女性。そんな女性の姿を追い掛けるカメラに時折チラリと映り込むのは、斧を持った男性のものらしき右腕。
転げながらも必死に逃げ惑う女性は、ついにその距離が縮まった事でハッキリと姿を現した。その刹那——。画面右側から、勢いよく振り下ろされた斧。
劇場内に響き渡る、女性の泣き叫ぶ声。
そんな緊迫した映像を前に、ドクドクと早鐘を打つ俺の心臓。その鼓動が、一際大きくドクンと跳ねた——その時。
俺の口から、ポツリと小さな声が漏れ出た。
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「……っ、え? み……ほ……?」
(なんで……、美穂が……?)
今、俺の目の前のスクリーンに映し出されている女性は、間違いなく美穂で……。この状況がうまく飲み込めない俺は、小さく口元を震わせた。
(……何で……っ。美穂が、映画になんて出てるんだ?)
そんな疑問と共に頭に浮かんできたのは、連絡のつかない携帯と、先程スクリーン上で見た見覚えのある建物。
そう——あれは、美穂の家からそう遠くない場所にある建物なのだ。
【これは、実際の殺人映像である】
毎回オープニングで流れる、そんな一文が頭を過ぎった。
「嘘……っ、だろ……?」
ネットでまことしやかに囁かれる、これは紛れもなく本物の殺人映像なのだという噂。そんな噂を思い出した俺は、スクリーン上に映し出される美穂の姿を見つめたまま、ガタガタと大きく震え始めた。
斬りつけられた背中は大きく切り裂かれ、ドロリとした赤黒い鮮血を流しながら泣き叫んでいる美穂。それでもなお、止まらない斧の動きはその小さな身体を次々と傷つけてゆく。
「やめ……って、くれ……っ」
俺の口から溢れ出た声は、酷く震えて情けないものだった。
スクリーンに映し出されているのは、血に塗れて泣き叫んでいる美穂の姿。そんな姿から、視線を逸らすことができない。
(お願いだから……っ。もう……っ、やめてくれ……)
深傷《ふかで》を負いながらも、必死に逃れようとする美穂の姿を見つめる俺は、その耐えがたい光景に顔を歪めると涙を流した。
(やめ、ろ……っ。やめろ……! ヤメロ!!!)
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「ヤメローーーーッッ!!!! 」
スクリーンに向かって絶叫した——その時。
力強く振り下ろされた斧は、美穂の頭に深くめりこんだ。
グニャリと歪んだ顔からは眼球が飛び出し、ヒクつく口元からは『ァ゛ガッ……ガッ……』と声にならない空気が漏れる。
俺は堪らず嘔吐すると、ドサリその場に崩れ落ちた。床についた吐瀉《としゃ》物まみれの手で、必死に上半身を支えながら床に向かって大きく泣き叫ぶ。
(嘘だ……っ。嘘だっ!! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……っっ!!!!!)
まるで今しがた目にした信じ難い光景を払拭するかのように、狂ったように頭を掻き毟《むし》る。そんな俺の頭上にフッと突然影が差し、それに気付いた俺はゆっくりと顔を上げた。
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突然できた影の正体であるその見知らぬ男は、カメラ片手に無言でこちらを見つめると口元に弧を描いた。
「…………え?」
俺の口から、小さくそんな声が溢れた——次の瞬間。
右手に持った斧は、俺の頭めがけて勢いよく振り下ろされた。
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「……っ、あ〜! 今回のも、凄く良かったねぇ!」
「うん、そうだね! 斧でグシャッとなるのなんて……本当に、本物みたいだったよねっ!」
「……あっ! そうそう。あの噂、知ってる?」
「噂…… ?」
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「実はね、この【スナッフフィルム】って映画。……本物の、殺人映像らしいよ」
作者邪神 白猫
【これは、実際の殺人映像です】
そんな触れ込みの映画があったとしたら——貴方は見ますか?