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ジャック・ヘンリー・アボット

短編2
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ジャック・ヘンリー・アボット

作家のノーマン・メイラーは『死刑執行人の歌』の執筆中に、ジャック・ヘンリー・アボットという35歳の囚人から一通の手紙を受け取った。

 アボットもまたゲイリー・ギルモアと同じような経歴の持ち主だった。12歳の時に初めてムショに送られて以来、23年のうちでシャバにいたのは5ケ月半だけだった。1966年には囚人仲間を刺殺して14年の刑に処されている。その服役中に彼は哲学書を始めとする様々な本を読み漁った。そして、メイラーがギルモアに関する著作を書いていることを知り、手紙を書き綴ったのである。

 メイラーはその文学的な表現に感銘し、出版社に紹介した。2人の往復書簡は『獣の腹の中で(In the Belly of the Beast)』のタイトルで出版されて、たちまちベストセラーとなった。

 私はこの本を読んだことはないが、伝え聞くところによれば、確かになかなか文学的である。例えば、刺殺した時のことを「命が刃物の先で震えている」と表現している。文才のない私などには出来ない表現である。

 しかし、だからといって彼の殺人が正当化されるわけはない。文学的な才能があるからといって、アボットが常習的な犯罪者であることには変わりない。この点をメイラーは看過していた。アボットを「現代アメリカにおける重要な文学者」と賞賛し、その口利きによって仮釈放させてしまったのである。

 つまり、メイラーは文学を重んじるあまりに社会の安全を犠牲にしてしまったのだ。シャバに放たれた獣はメイラーの助手としての職を得たが、やはり獣は獣、職業作家にはまったく向いていなかった。また、アボットは歯磨き粉を何処で買ったらいいのやら判らないほどの社会不適応者であることも次第に露呈していった。

 アボットが仮釈放されてから間もない1981年7月18日の深夜、ニューヨーク2番街でのことである。女子大生のファンを連れてレストランに入ったアボットは、便所を貸せ、いや貸せないでウェイターと口論になり、激昂した挙げ句にナイフを取り出すやウェイターの心臓に突き刺した。即死である。そして、連れに向って云った。

「ここを出よう。男を一人殺した」

 アボットが逮捕されたのは2ケ月後のことである。彼はルイジアナの油田で臨時雇いとして働き、身を隠していたのだ。

 15年以上の不定期刑を宣告されたアボットは再び檻の中に戻って行った。1987年に2册目の著作『マイ・リターン』を出版し、その収益を遺族への賠償に充てている。そして2002年2月10日、矯正施設の中で首を吊って自殺した。

 一方、メイラーは事件への関与を一切否定し、獣をシャバに放ったことへの批判に対して、このように反論して問題になった。

「文化にはリスクはつきものだ」

(Culture is worth a little risk.)

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