信心深い祖父から聞いた話である。
かつて、某神社には、樹齢数百年と噂される巨木があった。なぜか、木の幹には、夥(おびただ)しい数のお札が貼られていた。
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巨木のある場所に行くためには、普段、皆が通る参道とは別の鬱蒼とした林を通り抜け、更に急で険しい坂道を登らなければならなかった。
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噂によると、神社の関係者ですら、滅多に通らない場所なのだという。
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たしかに、当時、巨木から少し離れた場所に、「子(ね)の刻(こく)後は、ここより先にヒト決して立ち入るべからず」との警告が書かれた立て札が立っていた。
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だが、祖父の話によると、なぜ、立ち入ってはいけないのかについては、神社の関係者ですら、これといった明確な理由は、分からないとのことだった。
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こういった、立て札に掲げられる警告文には、教訓的かつ信仰的な理由からくるものが多い。
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とはいえ、子の刻の時間帯とは、「午前0時を間に挟んた前後2時間をさす」のであれば、そんな時間帯に神社を訪れようと思う人など滅多にいないはずだ。
わざわざ、そんな分かりきったことを立て札に書いて促す必然性があるのかどうか。
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疑問に思った祖父が、その話をした時、ある人から、二人の人物を紹介されたのだという。
「これは、墓場まで持っていこうと思っていたんですが。」
実直そうな初老の男性二人から聞いた話は、いささか信じがたい話ではあったが、
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当時、裁判所で副検事の職に就いていた祖父は、仕事上、未解決事件や迷宮入りになりそうな事件も相当数担当したことがあった。
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中には、この世の知識では、どうしても理解できないような事件事故もあると、常々話していたことを覚えている。
その一つが、この神社の立て札にまつわる話だったというのだ。
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ある日、屈強な若者三人が、好奇心から、子の刻(午前0時から前後2時間をいう。)に、例の立て札の前で待ち合わせをすることにした。
たわいのない「肝試し」のつもりだったらしい。
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男たち三人は、禁忌を破る つまり、「~するべからず」を敢えて犯してみることで、何か障りはあるのか、もし、何も起こらなかったとしても、それならそれで一笑に付すことができるから、と意気揚々としていた。
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ところが、約束の「子の刻」が過ぎたというのに、いつまで経っても あと一人がやって来ない。
「さてはやつめ。臆病風が吹いたか。」
「さしずめ、酔っ払って寝ちまったんだろうよ。」
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逸(はや)る気持ちを抑えられない二人は、未だ来ぬ一人を待たずに、立て札の脇を通り抜け林の中へと入っていった。
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さっきとは打って変わって、真夏にもかかわらず、氷室にはいったようなひんやりとした空気が纏わりつく。思わず、背筋がゾクリとした。
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・・・うぅうんんんんんんん
暗闇で姿は見えないが、数メートル先から、なにやら、ヒトの話し声が聞こえて来る。
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「さては、あいつ、遅れたふりをして、他のやつらと組んで先回りし、俺たちを脅かそうとしているのかも。」
「だよな。あいつのことだから。」
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「おい、〇〇。そこにいるのか。いたら返事しろ。」
ーオゥ オゥ イルトモ
二人は息を呑んだ。
先程の淡い期待と予想は、見事に外れた。
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数十メートル先から聞こえる声は、明らかにもう一人の仲間の男とは異なるものだったからだ。
重く低いトーン
話すというよりは、唸り声と呟きが交互に重なるような・・・不快かつ不気味なものだった。
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ざざざざざざ
数名、いや数匹の生き物が、こちらに身体の向きをかえたようだった。
男は、声をかけたことを後悔したが、既に後の祭りだった。
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ーソコニイルノカ・・・ダッテ
「バカ、おまえ、なにいってんだよ。」
男は、声をかけたことを後悔したが、既に後の祭りだった。
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―コンヤハ シュウカク オイシイ ゴチソウ アルヨ
「おい、なんていってんだ。意味わかんねぇ。教えてくれ。」
「う、う、うるせぇ。こっちが聞きてぇくらいだ。」
二人とも、声が震えている。
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ぎゃあああああああああ
その時、断末魔の叫び声が1分ほどあたりに響き、やがて、静かになった。
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なんてこった。
そう、あの叫び声は、まさしく・・・。
二人は、息を呑み、身を寄せ合った。
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血生臭い匂いがあたりに漂う。
びちょ びちょ びちょ
血しぶきが 樹木に飛び散る音に 耳を塞いだ。
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「次は、俺たちってことか。」
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二人のうち一人は、歯をガチガチ鳴らしながら、その場に立ちすくみ膠着している。
もう一人は、目に一杯の涙を浮かべ、ヒックヒックと嗚咽を繰り返しながら、小便を垂れ流し続けていた。
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暗闇の中から、この世のものではない何かが、ゆっくりと、しかし確実に、ボソボソと呟きながら獲物目掛けてやってくる。
ーゴチソウ ツイカ
―サツキノヤツハ ハイデオケ
ーアイヨ
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どうやら、化け物は、二体のようだった。
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がさがさがさがさがさがさ
草木をなぎ倒し、こちらにやってこようとするもの。
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べりべりべりべりべり
捕らえた獲物を捌き、加工するもの。
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ーハイダラ カラダニ クッツケロ
ーアイワカッタ
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べちゃべちゃべちゃ がりっがりっがりっ
―キノカワ モット ハガナクチャ
ずるり ぺたん ずるり ぺたん
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ずるり ぺたん ずるり ぺたん
―キノカワ モット ハガナクチャ
―タリナイ タリナイ モット モット
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「やばい、喰われる。」
「逃げろ。」
「だめだ。足が、動かねえ。」
いつしか、もう一人の男も、恐怖のあまり小便が止まらなくなっていた。
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ググググググ
ぐぇぐぇぐぇえええええ
「???」
小便を垂れ流していた二人の前で、化け物が、なぜか急に悶え苦しみ出した。
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「今だ逃げろ。」
二人は、我先に坂を転げ落ちるようにその場から走り去った。
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男たちは、汗と小便でびしょびしょになりながら、夜が明けるまで、ひたすら許しを請うたのだという。
「ごめんなさい。もうしません。」
「お願いです。堪忍してください。」
「死にたくないです。助けてください。」
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早朝、二人は、神社の前で身を寄せ合い震えていたところを無事保護された。
数ヶ月は、呆けた顔をし、心ここにあらずといった有様だったが、やがて、二人ともども正気に帰り、その後は、真っ当な人生を送ったとのことだった。
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待ち合わせに来なかったもう一人の男は、結局、消息不明のまま数年後葬式を出したらしい。
化け物に、喰われちまったんだろうとのことだった。
誰も、こんな話信じてはくれないだろうが、
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祖父の話では、件の巨木は、30年ほど前の大型台風の被害で倒木したとのことだった。
実際に目撃した人の話によると、巨木の樹皮は、人の皮膚そのものに見えたらしい。
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今となっては、検証のしようもないが、祖父に、この話をしてくれた男は、生前、肝試しに興じる若者たちを、『日没後は、神社に行くな。』『神様を侮るな』と、いつも真顔で戒めていたそうだ。
作者あんみつ姫
冗談じゃなく、神社や祠には、日没後は、近づかないほうがよろしいかと存じます。
掲示板から、本編にアップしました。