『やっぱり、生徒に生活アンケート取りたいわねぇ…』
私はひと気の無くなった学校の保健室で一人ごちた。
もう、若くない。無理は利かなくなっている。
ん〜っ!と軽く伸びをすると、窓の外、ここ旧校舎の向かいにある新校舎の方で何か光った気がした。渡り廊下で繋がった二つの校舎はコの字型に建っている。
『?』
改めて見るが、明るい室内が窓に映るばかりで、変わった様子はない。
私は、まとめた資料を片付け、帰り仕度を始める。気づけば、随分と遅くなってしまっていた。
ダダダダッ!
不意に足音と共に一人の女生徒がここ、保健室へ飛び込んできた。
『せ、先生!?先生!助けて!』
『まあったく!三年生が5人も揃って、肝試し?』
私は、額にタンコブを創った男子生徒にベシッっと冷え冷えシートを貼付けた。
『学校に忍びこんだ挙げ句に、頭を打って卒倒とは…一体何をやっていたの?』
顔をしかめて5人を眺め回す。これは厳しく言って聞かせねば。
遊びもほどほどにしないと、受験にも差し支える。
5人とも青ざめ震えている。しかし、その震えは私の叱責を恐れての物ではないようだ。
『きっ、きこ、聞こえたんです!』
先程、助けを求めて飛び込んできた女生徒が歯のねが合わない様子で言った。
『ほんとに、赤ちゃんの泣き声みたいなのが…』
『泣き声?』
私は女生徒の肩に手をかけ、ゆっくり語りかけた。
『落ち着きなさい。もう大丈夫。大丈夫だから。』
幼な児をあやす様に背中を軽くリズミカルに叩く。
『一体、何をしに理科室になんて行ったの?』
すると別の男子生徒が口を開いた。
『俺達、今年で卒業だし、この先勉強がきつくなる前に、みんなで何かやりたいって話んなって…』
『学校の七不思議の一つ、理科準備室の話を突き止めようって』
ともう一人の女生徒。ちなみに男子3人女子2人だ。
ふぅ。私は呆れた思いと少しホッとした思いをため息にして吐き出した。
忍びこんだ行為は感心できた事ではないが、不純な目的ではないようだ。しかし本当に肝試し(?)とは。
『理科室まで、忍びこんだんだけど、こいつが赤ちゃんの泣き声が聞こえるって言い出して、そしたらほんとに聞こえてきて。全員きいたんだよ!』
『先生!あの話は本当なの?理科準備室にいわくがある赤ちゃんのホルマリン漬けがあるって!』
『それが泣いてたの?』
『俺達、もしかして、やべえんじゃ…』
みんな不安だったのだろう、堰をきったように聞いてくる。まったく、心配になるなら、しなきゃいいのに。
私は、手を洗うと6つのカップにコーヒーとミルクをしこたま入れて、電気ポットからお湯を注ぐ。
全員にカップを配ると私も一口飲んだ。
仕方ない。あまり話たくもないが…
『ある、じゃないのよ。あった、なの。』
えっ?!
何の事か、すぐには頭が回らない様子の生徒達だが、私は言葉を続けた。
『別にいわくつきでも何でもない、学術研究の為の普通の…っていうのも変だけどホルマリン漬けよ。』
そう、それは単なる噂だった。理科準備室には地下室があり、そこに赤ん坊のホルマリン漬けがあるらしい、と。
『ある時ね、妊娠してしまった女生徒がいたの。
本人は産みたかったらしくて、隠してたのね。まわりが気づいた時は手遅れで、もう、おろせなかった。』
5人は黙って聞いている。真剣な顔だ。
『だんだん大きくなるお腹を抱えて、学校へ通っていたんですって。
でも、それが原因でひどいイジメにあったらしくて……』
『階段から、突き飛ばされて、流産したわ。』
女生徒は息を飲んだ。男子生徒も眉をひそめる。
『それから、その生徒は精神的におかしくなってしまったそうでね、学校には来なくなった。
でも、ある日…』
私は5人の顔を見回した。
『理科準備室の地下室のカギがこじ開けられて、中には、あの女生徒が噂のホルマリン漬けを抱いていて』
『これ…ちょうぅ〜だいぃ〜』
私はビブラートを聞かせて怖い声をだした。
5人は泣きそうな顔で固まっている。
私は小さく吹き出した。
『ま、これが本当のこの学校の怪談。どう間違っていわく付きのホルマリン漬けなんて七不思議が残ったのか知らないけど。
どちらにせよ、理科準備室にホルマリン漬けはもうないのよ。
女生徒と一緒に消えたって言われているわ。』
『じゃ、じゃあ、あの声は…』
まだ、不安げな声だがいくらか力が戻っている。
『おそらく、集団催眠みたいなもんね。空耳でしょう。だから、霊的な意味では、ヤバくはありません。』
がらら…不意に扉が開き、校長が顔をだした。
その場にいた全員がギョッとする。
『そうね、こんな時間に学校へ忍びこんだ、こちらの事実を心配した方がいいと、あたしは思いますよ。』
『校長〜…』
同年の私が言うのも何だが、ニコニコと穏やかなおばちゃん校長だ。
『厳重注意ですね。校長室へおいでなさいーと、いいたい所ですが、時間が時間ですので後日出頭していただきますよ。』
結局、生徒だけで帰すわけにもいかず、5人は親を呼び出され、こっぴどく叱られていた。
『あたなも、あんな怪談よくご存知で。』
生徒を全て見送り、校長が眉ねを寄せて言った。
『あたしは、あまり好きではありませんね。あの怪談。』
『すみません。生徒が随分怯えてたもので。無いってわからせるのと、お灸をすえるのにいいかと思って。私もここを卒業した従姉妹から聞いたんです。』
『そうですか。』
校長は黙って私から、カップを受けとった。
あたしは、臆病だった。
何もできなかったのだ。
イジメをわかっていながら。
そして何もしないという事はイジメと同じという事が…
気づいた時には、遅かった。あの子はひと気のない非常階段の下にお腹をかばうように倒れていた。
上からは逃げる足音。
あたしは急いで、人を呼びに行った。
理科教師に会ったのは、偶然だったのか、今も判らない。
『保健室の先生を呼ぶんだ』
あいつは、あたしにそう言った。保健室の先生が出張中なのをわかっていたハズなのにだ。
保健室は遠かった。出張中に気づいたあたしは途中で引き返し、見てしまった。
先程より酷く唸り、お腹を抱えて倒れるあの子を。
先程はなかった、足元に広がる血を。
冷たく見下ろす理科教師を。
おなか、蹴られた……?
背筋を冷たい汗が流れたのを覚えている。
それを確信したのは、しばらく経ってからだった。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話