今回は数え歌の女の子のことを書きます。
まだ学生だった三人の叔父たちと同居をしていた。
数年して、一番上の叔父は駒〇大学に奨学金で進学した。
次の叔父は、兄弟の学費と生活費を稼ぐためと遠洋の漁師になった。
末の叔父は、寮付きの料理学校へ進んだ。
家族会議するため久しぶりに叔父たちが揃った。
身よりの無い祖父の妹(大叔母)に、叔父たちの誰かを養子へ出すためだった。
大叔母は明治生まれの丙午で子を産まないからと二度、婚家から戻り、近所にある長屋で独り暮らしていた。
今なら考えられない離婚の理由だが明治時代ではよくあることだった。
養子へ行くのは、船乗りの二番目の叔父に決まり家を出た。
それから数ヶ月が経ち、朝方3時頃に誰かがたずねて来た物音がした。
気になって眠れないため、起きた。居間に行く途中の玄関に小さな女の子用の下駄が見えた。不審に思って見回すと、あの数え歌を教えてくれた女の子が背を向けて居間のフスマの前に正座をしていた。
わたしが近づいたら振り返って「迷っていたから連れてきたよ。」と、言って消えた。
茫然と立ち尽くしていると、フスマ越しに居間で話し声が聞こえた。祖父が「よう来たなあ。お茶っこ飲んで温まればいい。」と言っていた。
わたしはフスマを開けた、すると祖父が
「おう、菫。シン(二番目の叔父)が青い顔して、寒くて喉が乾いたって…お茶が飲みたいと家に来たんだ。あれ…?今そこに座っていたが…急にいなくなった…」と祖父は視線を落とした。
祖父と客用の湯のみ茶碗二つ並んだ卓袱台があるだけ。
その直後に家の黒電話が鳴った。
電話にでた祖父の顔色が変わり嫌な予感がした。
その電話は叔父の乗った船がオホーツク海で消えた、これからヘリコプターで捜索を始めるらしいと網元からの連絡だった。
警察からはソ連の拿捕かもしれないと連絡があった。しかし、公安や外務省は証拠をはっきり示せるものはない…と回答された。
行方不明になり七年後に死亡届けを出して、空の骨壺で船乗りの叔父の葬式をした。
この時に数え歌の女の子のことを祖母にうち明けた。すると祖母は泣きながら教えてくれた。
祖母が若い頃、初めてのお産で男の子が授かった。その子は弱く育ちが心配だった。土地の言い伝えで女の子の格好をさせると育つと聞いてそうした。数えで7つになる前に風邪が元で亡くなった。晴れ着と下駄を棺に入れた。
たぶん伯父にあたる子だと…思う。
怖い話投稿:ホラーテラー 菫さん
作者怖話