■シリーズ1 2 3 4 5 6 7 8 9
Fさんの膝元に突っ伏したお坊さん、涙声でさらにこう叫んだ。
「すまなかった!どうか許しておくれ、あつし君!!」
(あつし・・・お兄さん・・・あつし、って名前なんですね・・・?)
お坊さんの後ろ頭を見ながら呆然としていたFさんは、なんとなく心の中で聞いてみた。多分、自分に憑いているであろう小世さんのお兄さんに。
直後、Fさんは耳元で確かに聞いたという。
「小世を、ありがとう」
と。
同時にFさんの胸が熱くなる。感謝の気持ちで満たされる。溢れるようなその思いは全て、目の前のお坊さんに注がれた。
Fさんの胸の奥から、その声は発せられた。
「ご住職、顔をお上げ下さい」
お坊さん、その声が聞こえたのか、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げFさんを見、驚いたように目を開く。しかしそれは瞬時にして歓喜に満ちた表情に変わった。
(俺じゃなく、お兄さんを見てるんだな)Fさんは、自分が妙に落ち着いているのが不思議でならなかった。
胸一杯に広がるお兄さんの思い。Fさんは両目を閉じ、その思いに逆らわず、逆に浸ってみる事にした。
小世さんのお兄さんが、どのような思いで再びこの寺を訪れたのか、手に取るようにわかった。
お兄さんは知っていたのだ。お坊さんがこの7年間、1日も欠かさず滝に打たれ、時には倒れるまで絶食し、2人の無事を、み仏のご加護を、祈念し続けてきた事を。
その思いはお兄さんに届いていた。
周りは真っ暗、首を吊ったまま息もできない、指1本動かせない、聞こえるのは妹の「お兄ちゃん、助けて」という泣き声ばかり。助けたくてもどうする事もできない。
そんな絶望の真っ只中、かすかではあるが、自分たちの事を一心不乱に祈る、お坊さんの声が耳に届く。そしてその声は、あまりの苦しみから生ずる憎しみを和らげ、地獄の底に墜ちるのを引き留めてくれた。
「ありがとうございました」お兄さんはそのひと言を言いたいが為に、今日、このお坊さんに会いに来たのだ。
お坊さんには、お兄さんの思いが全て伝わったようだった。しきりに「ありがとう」を繰り返している。
(あ・・・)Fさんの中からお兄さんの気配がすっと消えた。なんとなく、出て行ったのがわかった。見えるわけではないのでお坊さんに尋ねてみる。
お坊さんは上を見上げたまま泣いていた。それが答えであるかのように。
お兄さんとの別れから後、泣いたり叫んだり、異常なくらい感情の起伏が激しかったこのお坊さん、まるで人が変わったかのように穏やかになった。言葉遣いまでまるで違う。
「お兄さんが死んでしまって、たったひとり残された小世さん、さぞ怖かったでしょうね」
Fさんは、自分がその立場だったらと想像してぞっとした。
お坊さん深く頷いて言う。「修行を重ねた私ですら、ひと目で逃げ腰になったくらいですからね」
「お兄さんが死んだのは、小世さんがいくつの時なんですか?」
「小世ちゃんが、この寺に来た2年後、って言ってましたから多分14の時・・・」
「よく施設送りになりませんでしたね」
「アパートの大家さんが、親代わりになってたそうですが・・・・ああ、あなたに渡さなければいけない物があります」
お坊さんが大きな茶色の封筒から通帳と印鑑を取り出した。
「実家の土地やお屋敷を処分した際出来たお金の残りらしいんですが、あなたにあげて欲しい、とあの娘に頼まれまして」
(え?)
「心から感謝してますよ。あなたがいなかったら、狭い部屋でひとり淋しく死んでいただろう、と」
(・・・・・・)
「人相があまり良くないから、解約は私がして下さい、とも頼まれました」
お坊さんはそう言うと少し笑った。
「いざとなったら、私があなたの無実を証明してあげますから、お受け取り下さい」
冗談を言いながらも、お坊さん、今度は笑わなかった。Fさんも笑えない。2人は再び哀しみに沈んだ。
「小世さんたち、何で紹介されたお寺に行かなかったんですかね」
「気になってましたから、それは一番最初に聞きました。驚きました。電車に乗ろうとしたら、中で巨大な蛇が口を開けて待ち構えていたと」
「・・・・・・凄い悪霊ですね」
「小世ちゃんと抱き合っていろいろ話しました。あの娘、幼少の頃から霊感が強くて、怖ろしい思いを何度もしてきたらしいんですが・・・父を殺し、母も殺し、そして兄までも死に追いやった悪霊を、当然のように憎み、呪いました。私に聞くまでもなく、自分の家に大元の原因がある事を知っていたようですが、それでも、自分に非があるとは全く思わなかった」
(・・・・)
「しかし、次々にふりかかってくる禍(わざわい)の中に、虐げられた数多くの人間の、怒り、苦しみ、嘆きを垣間見るようになり、ついに気付いてしまったのです」
(・・・・・・)
「あの娘は愕然としたらしい・・・自分と血の繋がった者たちのあまりにも忌まわしい所業に」
「一体、どんな酷い事をしたんですか?」
「私は見た・・・おぞましいその光景を。女、子供関係なし、阿鼻叫喚とはまさにあの事。正直、怨霊の方がよっぽどまともだと思ったくらいです」
(!)
「おそらく小世ちゃんもその地獄絵図を見たんでしょう。それまでは、いくら先祖が昔、悪い行いをしたとしても、父も母も兄も、とても良い人達だった。なんで責められる事があろうか、と考えていた。しかしあの娘の気持ちは少しずつ変わっていきます」
(・・・・・・)
「あの娘はやめたんです。憎むのをやめ、呪うのをやめ、怨霊の言い分を理解し、全て受け入れよう、と覚悟を決めたんです」
(!)
「許したんです、怨霊も、呪いも、なにもかも・・・・・・耐えて耐えて耐え抜いて、詫びて詫びて詫び抜いたんです、あの歳で、しかもたった1人で・・・・・」
「・・・・・・悪霊はもう、いないんですか?」
「小世ちゃんには驚かされます。あの怨霊から、どす黒い、怨念の塊だったあの怨霊から、情けの心を導き出したんですから」
(・・・・・・)
「私なんか、今の小世ちゃんの足元にも及びません。魂の輝きに年齢も性別も全く関係がない事を小世ちゃんは教えてくれました。怨霊は自ら身を隠したのです。あの娘が許した事で慈悲の念が生じたんです。まあ、今出て来てもあの娘には指1本触れられんでしょうが」
(?)
「本当はもう、小世ちゃんなんて、とても呼べません、生きながらにして菩薩におなりになった・・・」
「・・・ひとつお聞きしたい事があるんですけど・・・」
「どうぞ、何でもおっしゃって下さい」
「実は小世さんと、口を使わずに語り合えたような、不思議な体験をしたんですけど、そういう事って現実にあるものなんですか?」
「あります。霊感を持つ者同士ならよくある事です」
「じゃあ、あれはやっぱり妄想じゃなかったんですね・・・」
「あなた、気付いてないようですが、霊感ありますよ。努力次第では、かなりの期待ができそうです」
お坊さんは笑った。
「いや、そんなもの要りません。ただ・・・小世さんと、いや、小世さんが例え亡くなっても、時には話ができたらいいな、とは思いますが」
お坊さんは微笑んで、
「大丈夫です。あの人は恩を忘れるような人ではありません。話したい、と思われた直後には、あなたのそばにいる筈です。話し掛けてごらんなさい。何らかのかたちでお答えになると思いますよ」
(・・・・・・)
「あなたが体験したのは、魂と魂の会話とでも言いましょうか・・・説明が難しいのですが、例えば今、小世さんがお休みになってますね」
(?)
「その会話は、例えば相手が睡眠中でもできるのです」
(?)
「やってみましょうか?」
(・・・・・・)
お坊さんが目を閉じる。そしてほんの数秒後、凄い形相をしてお坊さんが立ち上がった!
「小世さんが苦しんどる!イタイ、イタイと大声で叫んどる!!」
2人は部屋を飛び出し離れに向かって走った。
(小世さん死ぬな!まだ、死んじゃ駄目だ!!ドライブしたいって言ってたろ!!)
彼女の部屋に飛び込んだFさんは、小世さんが普通に蒲団に座って微笑んでいるのを見てほっとした。
しかしお坊さんは違った。「小世ちゃん!痛いんだろ!わしにはわかる!何でそこまで我慢する!!」
確かに様子が変だ。身体中汗まみれだ。
「もう、悪霊は去った!知っとる筈じゃ!その痛みは呪いのせいでも悪霊のせいでもなんでもない!耐える必要なんかないんじゃ!痛みが酷い筈とは聞いていたが、これ程とは思わなんだ!!」
小世さんは硬直したように動かない。顔を濡らしているのは脂汗か。
「救急車を呼べ!○○病院を指定しろ!」
直後小世さんが叫んだ。
「いやー!!病院はいやー!!さよ、広い所で死ぬのー!!」
Fさんはお坊さんに声を掛けた。
「どうせ小世さん助からないんでしょ?」
お坊さん振り向きもしない。
「住職!クルマの鍵、借して下さい!!」
ようやくお坊さんが振り返る。
「はやく!!救急車なんか待ってられない!!」
住職は部屋を飛び出しクルマの鍵を持って帰って来た。
「免許は?」
「あります!!」
Fさん小世さんを抱えて立ち上がる。
(小世さん、なんて軽いんだ!!)
Fさん、小世さんを抱きかかえたまま走る!走る!!涙で視界がぼやけて何度ももつまづきそうになる。
(小世さん待ってな!でっけー空とひっれー海を見せてやっからよ!!)
助手席のシートを倒して、小世さんを載せる。
(軽い!軽すぎるよ小世さん!)
免許はないがFさんは、昔悪ぶってた時期があって、運転は得意中の得意だった。
黒のクラウンは猛スピードで寺の駐車場を飛び出した。海まで飛ばして1時間、(もってくれよー!)
30分程走ったところで助手席の小世さんが目を開けた。クルマを路肩に止めてその小さな顔を覗き込む。
「たかしさん・・・ここどこ?」
(名前覚えてくれてた!)
「今、ドライブ中!海に向かって疾走中!」
「たかしさんが運転してるの?」
「もちろん!!」
「免許は?」
「住職から借りた!」
小世さんが笑った。しかしその笑顔はすぐ涙で見えなくなる。
拭っても拭っても涙が溢れてくる。
(これじゃ運転なんかできやしない)
小世さんが目を閉じる。
突然、口も開いてないのに小世さんの声が胸に響く。「海だあ!広〜い!」
閉めきった車内に一陣の風が吹いた。
(小世さん逝っちゃったんだな・・・)
寂しくはあったが、悲しくはなかった。
苦しみから解放され、天に向かって羽ばたく、小世さんの姿が想像できたから。
Fさんはそこまで話すと、席を立った。
「おっさん、実を言うと俺まだ童貞なんすよね」
(?)
「一応あの世での結婚も視野に入れてるんすよ」
「でも作り話だろ、どうせ」
「おっさん、俺が元手もなしに会社起こせる人間だと思います?」
(・・・)Fさんは車の内装専門の会社を立ち上げて成功していた。
「でもその話からすると、その小世さんて人、もう神様みたいな存在になってない?どうせ相手にされないよ」
それを聞いたFさん、これ以上ない位の淋しい顔をした。 (完)
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話