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長編8
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Y & i

今日は、今まで出身小学校の違う人には誰にも話したことの無い話をしようと思う。

 この話をすることは、本当に固く禁じられてきた。

 新聞記者や野次馬は当然、小学校の違う友達にも話してはいけなかったし、同じ小学校の友達の間でもできるだけ口にしないように言われていた。

実際、事件の日から1ヶ月も経つと、本当に誰も話題にしなくなった。少なくとも俺は、忘れたのではなく、意図的に避けてきた。家族にも詳しい経緯は話したことが無い。

 あのころは、その言葉を聞くだけでも背中に冷や汗が滲み、心臓の音が聞こえるようだった。

 でも、あれからもう13年が経った。もう、時効かなと思う。

 そろそろ俺もあのことを洗いざらい吐き出して、終わりにしたいと思った。忘れることができるのなら、忘れたい。

 小学校、中学校の頃の友達の顔はもうほとんど忘れてしまったし、名前も両手で数えるぐらいしか覚えていない。

それでも、

あの子の顔は、今でも忘れられない。

俺は、あの場所にいた5人のうちの1人だったから。

そして、ついこの間、俺はその最後の1人になってしまった。

あいつらはもういない。

あの子も、もういない。

どこから話したらいいだろうか。やっぱり、始まりから話すべきだろうか。

話は約60年前にさかのぼる。俺の祖父は、第二次世界大戦でソ連に行った。そして日本の敗戦後、約6年にわたり捕虜として抑留されていた。今でいうタジキスタンのあたりだという。

その抑留のあいだ、祖父の小隊は大陸の内陸部を移動しながら工事や炭鉱労働などをさせられていた。帰国できるかどうかさえ分からないまま、仲間は栄養失調や疫病で1人2人と減ってゆく。次は自分の番なのか。明日をも知れぬ日々が続く。

その移動のシベリアの列車の中で、祖父は自分の行く末を案じて、ちょっとした「占い」をしていたのだという。

3本の箸ぐらいの長さの棒を組んで立て、上に空き缶を被せる。それはちょうどレトロな火星探査機のような具合になる。

その缶の上に軽く手のひらを乗せ、訊くのだという。

「・・・お答えください、アキラ(祖父の弟の名)は無事でいるでしょうか?無事ならば、1回、そうでないならば2回、お答えください」

 すると、3本の棒のうち1本が2度カタリと動き、答えたのだという。

 

この占いが外れたことはたった1度しかなかったと言っていた。だが、祖父はこの占いを日本に帰ってからも試してみたが、当たり外れどころか棒が動くことは1度も無かったらしい。

曰く、「本当に切羽詰まった時しかできない」。

 たった1度外れた質問というのは、祖父の一番下の弟、アキラおじさん(祖父とはかなり年が離れていたので、うちではこう呼んでいた)が生きていたことだった。アキラおじさんは特攻隊に所属していて、出動命令が下る直前に、広島と長崎に原子爆弾が落とされ、中止になったそうだ。

 

 この占いの名は、「コックリさん」という。昭和後期に一世を風靡した「こっくりさん」とは少し違う(と思う。というのも、俺は普通の「こっくりさん」は、やるのを見たことも無い)。

 

 俺がこの話を祖父から聞いたのは小学4年生の時だった。

ある程度大人向けの本が読めるようになって、家にあった祖父の自費出版本を読み、祖父に確かめたのだ。「私達の昭和史」というその本は、戦中、そして祖父がソ連に抑留されたことから、強制収容所の仲間の名簿を靴底に隠して持ち帰り、その後数十年にわたって交流会を開催してきたまでの記録だ。その中に、このエピソードがあった。

祖父は「試しても無駄だ」と言っていたが、もちろん俺はやってみないと気が済まなかった。

放課後の教室で親友3人にこの話をしたら、今すぐやってみようということになって、校庭からポッカコーヒーの空き缶を拾ってきて、給食用の割り箸で、「コックリさん」を組もうとした。しかし、やってみれば分かるのだが棒を3本組んで固定するのは至難の技で、真ん中を止めなければいけない。仕方なく輪ゴムで止めてみたが、それでは棒の足が動くはずが無かった。祖父の時代は空き缶の口はまるまる空いていたから、棒に被せて固定することができたのだ。俺はそれに気がついて、教室に口の広い筒のようなものが無いか探し始めた。

そこに、1人の女の子が入ってきた。Yだった。

実は、俺は今でも、小学校・中学校・高校、もしかしたら大学でも、(試験の成績がいいという意味ではなく)一番頭が良い人間だったのではないかと思っているが、Yは俺と同じくらい才能のある子供だった。しかも結構かわいかったので、多分そのころ少し俺は好きだったのだろうと思う。

Yは割り箸の上に空き缶を乗せたものを囲んで座っている俺の親友3人と俺を見て、明らかに訝しげだったが、小学生の女の子というのは占いが好きなものである。コックリさんだというと、急にテンションが上がって、一緒に箸の上に乗せるものを探し出した。

教室には適当な物が結局見つからなかったので、誰かが明日空き缶を持ってくると言ったが、Yは気が済まなかったらしく、教室内にある担任の先生の机からペン立てを取ってきて、中身を教卓の上にあけた。

「ほら、これでできるよ」(というようなことを言ったと思う)

俺たちはYの変な行動力に呆れながら、椅子に座りなおした。3本の箸を捩じるように立ててペン立てを乗せると、上手く固定できた。

そして、その上に軽く手を乗せて、まず俺が質問を言うことにした。

「コックリさん、コックリさん、明日は晴れますか?(その日は金曜で、俺と親友たちは釣りに行く予定だった)晴れか曇りなら1回、雨なら2回、答えて下さい」

 箸は動かなかった。Yが持ってきたペン立ては小さな素焼きの植木鉢のようなもので、重そうだった。俺は動かないに決まってると思った。

するとYが、じゃああたしがやるといった。

俺は箸が動くわけはないと思っていたから、Yをちょっとびっくりさせてやろうと思って、箸の組み方を直すとか言って、割り箸の角の所がペン立てにちょうど当たるようにした。少し力がかかれば箸がずれてガタッと鳴るようにしたのだ。

Yが手を乗せてもうまい具合に箸はまだずれなくて、そのままYは質問を口にした。

何を彼女が訊いたのかは覚えていない。しかし、Yが言い終わって3秒ぐらいした時、ちょうど何かの加減で箸がずれて、ガタリと鳴った。それは受け取りようによっては「上がった箸が戻ったとき」の様に思えたのだろう、Yはものすごく動揺したようだった。

もちろん親友3人も俄然色めきだち、かわるがわる試してみたが、当然箸は動かなかった。俺はYが本気にしているのが何だか悪いことをしたような気になって、もう一度Yに試すように言ってみた。これで動かなければ、Yもただの偶然だったと思えるだろうと考えたのだと思う。

しかしそこからがおかしかった。

もう一度Yがペン立てに手を乗せて質問をすると、今度は本当に箸が動いたのだ。

始めは地震の前触れの様に小刻みに、次第に震えは大きくなり、1本の箸の足が5ミリぐらい持ち上がった。

それからYは軽い躁状態(今思えば)の様になり、続けて幾つも質問をした。そしてその度に、箸の足は1度2度持ち上がり、「はい」か「いいえ」の答えを示した。

俺たちは一言も言わず、薄気味の悪さと好奇心とでその場に張り付けられたようになり、Yが質問を続けるのをただ見守っていた。

後で何度も何度も同じことを訊かれたから、それから先のことははっきり覚えている。

いくつかの質問をした後に、Yは、「この中で一番先に死ぬのは誰でしょうか。Cなら1回、L(俺)なら2回、Nなら3回、Oなら4回、あたしなら5回、お答え下さい」と訊いたのだ。

箸は動いた。

ゆっくりと、1回、2回。5秒ほどして、もう1回。

そのときYがどんな顔をしていたかは分からない。俺たちは全員、箸の足に視線が釘付けだった。どのくらいか分からないが、多分1分ぐらいそのままだった。

と、ペン立ての上に乗せていたYの手が、机の上にボタリと落ちて、バランスを崩したペン立ては箸ごと倒れ、机の上を転がった。そして床に落ちて砕けた。

その音でやっと、俺たちは何かが起こったことに気がついた。

Yは椅子の背もたれに体を完全に預け、のど元を俺たちに向けていた。顔から血の気が完全に引いて黄色くなり、口は半開きで、眼球は裏返っているようだった。

親友3人を残して俺は職員室に教師を呼びに行った。電気が消えた午後4時ごろの薄暗い廊下を走る、あの感覚は2度と味わいたくないと思う。泥の中を走るように力が床に伝わらず、膝が折れて転びそうになりながら走った。職員室で担任を見つけた時には、(今思えば)走ったのはたった数十メートルのはずなのに、膝から崩れ落ちそうで、吐いた息が吸えないほど息が切れていた。

Yはすぐに隣の市の大きい病院に運ばれた。Yの両親から後(1週間後ぐらいだと思う)で聞いた話では、そのまま一度も意識を取り戻さなかったそうだ。

俺たち4人は教師と警察官に5回ぐらい同じ話をさせられ、おそらく話の内容に食い違いが無かったからだろう、Yは占いをしているあいだに突然気を失った、ということで事件は片付けられることになった。

真似をする子供が出ないよう、他の人には俺たち5人は教室でトランプをして遊んでいたと言うように指示されたが、CかNかOなのか、それとも喋ったのは他の誰かなのか、「コックリさん」でYが倒れたという噂はすぐに学校中に広がってしまった。しかし、すぐに忘れられてしまったことからすると、試してみても何も起こらなかったのだと思う。

中学の時、Nはトラックにはねられて死んだ。正確には、軽トラにはねられて自転車ごとドブ川に落ち、溺れ死んだ。

3年前、CとOは一緒の車に乗っていて、自損事故で両方死んだ。そのころには大学に進んで東京に行った俺と地元にいる彼らは付き合いが全く無くなっていたので、事故の詳しい状況は知らない。葬式にも行っていない。

そしてこの間、あれからずっと植物状態だったYが死んだと、母から聞いた。

あんな事が無かったら、Yは今どうしているだろう。

Yは、もうどこにもいない。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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