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中編5
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牛の首

牛の首の本編です。

エピローグ(間違ってプロローグ)で紹介したお話は現在、最も有力な「牛の首」の説です。

しかしながら、この話を怖くしても限界があります。

そして話を聞いた者が「呪われる」までには無理があるのです。

ここから先にお話する内容は、日本人である皆さんには相当な不快感をもたらすかも知れません。

そしてこの話が事実であるのならば、我々はとっくに呪われた民族なのです。

現代人の我々にとって全てが隠された恥であり、忌むべき過去なのです。

その真実を知る。

それが「牛の首の話を聞くと呪われる」由縁なのかも知れません。

このお話をするにあたり、まずは「祟り神」の存在についてご説明したいと思います。

祟り神(たたりがみ)とは、厄病や災いの神様を総称して祟り神と呼びます。

本来ならば畏怖し忌避しなければならない神様ですが、祟り神が祀られている神社や地域では、手厚く祀り信仰することで強力な守護神として守ってくれる存在とされています。

簡単に言うと「そんな神、俺は信じない」という人には「災いと厄病」をもたらし、「心から信仰します」という人には強力な守護がつく。

今の時代なら「カルト宗教」的な信仰と呼ばれてもおかしくないものでした。

そんな祟り神の代表格が「スサノオ」と「八岐大蛇」です。

詳しく調べるとまだまだ居るそうなのですが、特に多いのが「スサノオ」です。

この説は確立されていませんが、神仏習合の土着信仰により「スサノオ」は「牛頭天皇」と同一であるとされ、主に農村などで盛んにこれに関係する社が作られていました。

明治維新の神仏分離によって、日本神話のスサノオを仏教信仰に組み込んだ牛頭天王は徹底的に弾圧されるまで、日本全国で存在していたそうです。

それでは本題に入ります。

牛頭天皇に関する最古のお話。

蘇民将来(そみんしょうらい 蘇民將來)

「昔、牛頭天王が老人に身をやつしてお忍びで旅に出た時、とある村に宿を求めた。このとき弟の巨丹将来は裕福なのに冷淡にあしらい、兄の蘇民将来は貧しいのにやさしく迎え入れてもてなした。そこで牛頭天王は正体を明かし、「近々この村に死の病が流行るがお前の一族は助ける」とのたまった。果たせるかな死の病が流行ったとき、巨丹の一族は全部死んでしまったのに、蘇民の一族は助かったという。」

簡単に説明すると、人間の身体を借りた旅の途中で、ある兄弟の家に「泊まらせてくれ」と言ったところ、弟は裕福なのに冷たく追い返し、兄は貧乏なのに粗末ながらもてなした。

そこでこの牛頭天皇は病を流行らせて、兄の一族は助け、弟の一族を皆殺しにしました。

本当にとんでもない神様です。

この牛頭天皇(スサノオ)。その名前の通り牛の様な頭をしていました。角が生えた夜叉のようだったという説もあります。

神様のお話はここで中断して、いよいよ過去に何が行われていたのか?

ここからはあくまで仮説ですので、そのつもりで読んでください。

特定の地域になるので、一応場所は伏せます。

近年、ある遺跡で牛や人骨が出土されました。

これは「雨乞い」の儀式で農耕において貴重な労働力である牛や馬を生贄として捧げていたものと考えられています。

日本書紀における皇極天皇元年記述などでも642年に牛馬を殺し、生贄として捧げる儀式があり、実際に6世紀末から7世紀にかけて考古学上の資料として牛馬の骨が発掘されています。

この事から考察するに、日本民族は「生贄を捧げる儀式」を行っていたと推測されるのです。

では、何の神様に捧げていたのでしょうか?

儀式の形態は様々ですが、明治以前に盛んだった「牛頭天皇」の土着信仰があった場所の近くで出土する事が多いのです。

もちろん文明的な生活を送っていた人はほんの一部であり、大都市と呼ばれる場所にいた人たちはこの儀式に関与していません。

問題は人口の大多数である農民がこの儀式を行っていた可能性が高いという事です。

ではどのような儀式が行われていたのか?

まず一つ目です。

明治初期になるまでは、医療制度が確立されていませんでした。

「病」は鬼の仕業と考えられ、「災い」のひとつだったのです。

牛の首 1で紹介しましたが、疫病などは「祟り神」つまりは牛頭天皇の怒りに触れたと考えられていたと考察できます。

そこで牛頭天皇に捧げる儀式として、人間の首を撥ね、頭に牛の首を乗せた人間を使った儀式が行われていた可能性があります。これは出土した骨の位置からの推測です。

二つ目は飢饉における儀式です。

これも「祟り神」が及ぼす「災厄」のひとつとして考えられていました。

「雨乞い」を捧げる対象は明確にされていませんが、「牛頭天皇」であると推測したならば、多くの符合点が見つかります。

最初の投稿で紹介した有名な牛の首が事実であると仮定するならば、「人間に牛の首を被せ食べる」という発想がなぜ生まれたのか?

それは元々そのような儀式を行い、飢餓の限界にあった為、ついでに「食べる」という行為が行われていたのではないでしょうか?

「罪悪感を減らす為」では根拠が薄い僕は思うのです。

最悪の可能性を考えると、儀式においても牛の首を被せた人間を食べていたかもしれません。

そして明治初期に行われた「牛頭天皇」の土着信仰への徹底的な弾圧行為。

これは「文明的な日本」にする為の「儀式の隠蔽」ではないでしょうか?

20世紀初頭にかけて失われた「牛の首」の話は、「呪われた行為」をしていた知られざる「日本人」のお話かもしれません。

あなたのご先祖様が「人の肉を食べる習慣」があったのなら…

それを知る事は「呪われる」と言っても過言ではないと思います。

今現在、僕はこの仮説を元に「牛の首」を創作中です。

もしよろしければアドバイスをお願いします。

怖い話投稿:ホラーテラー 見世永さん  

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