茹だるような蒸し暑い日の午後、私は墓参りへと出かけた。時期は盆。
本来ならば私は午前中に墓参りをするのだが、ここ連日の熱帯夜のせいでなかなか寝付けずに予定時刻よりも遥かに寝過ごしてしまっていた。
時計を見ると二時を過ぎようとしていた。
私の先祖が眠っている霊園は山の上にある。私はいそいそと車に掃除道具や仏花を載せると先祖の眠る地へと出発した。
霊園に着き、道具を持って先祖の墓へと向かう。道中では首にタオルを巻きながら墓の草むしりに精を出す人とすれ違う。私は軽く頭を下げてを挨拶をした。
私はお供え物が備えてある墓、綺麗な花を飾られた赤い涎掛けをした水子供養の地蔵の前を通る。
「一番遅いのは私かな・・・御先祖様に申し訳ないな」
私は墓に着く前に在る水道でバケツの中に水を入れる。
水を入れる最中に背後で数人の子供の無邪気な笑い声が聞こえた。
走り回っているのか、子供の声は遠くなったり近づいたりした。
「お墓で転ぶと霊が憑くから気をつけないと・・・て言っても意味が無いか」
水道からは勢いよく水が出る。私は撥ねた水飛沫に出来た小さい虹を見つめていた。
小さな草を毟り、墓石に付いた苔を洗い落とすと私は花を供える。
風が強くて蝋燭の火が幾度か消えかかる。
何とか蝋燭に火が付いている内に手を合わせることが出来た。
目を瞑ると聞こえるのは蝉の鳴き声とお墓参りの人々の声が聞こえた。そして、子供の声も。
目を開けると・・・白檀の線香の仄かな香りが鼻をくすぐる。
「また、彼岸に来ますね」
私は微笑みながらそう呟いた。
御墓参りを終えた私は掃除道具をまとめ、帰路の支度を終えると車へと足を向ける。
「そうだ、御堂の方にも顔を出すかな」
私は霊園入り口にある薬師如来象を祀っている小さな御堂へと立ち寄った。
「こんにちは」
「おや、〇〇さんとこの」お堂の中では初老の男性が笑いながら出迎えてくれた。「相変わらず、若いのにお墓参りに来るなんて感心じゃのう」
「いえいえ。寝過ごしてこんな時間に来たので感心されても事でもありませんよ」私は頭を掻いた。
「暑かったじゃろう。今、冷たい茶でも出してあげるから待ってなさい」
私は御堂の奥へと去っていく男性の背中を見終えると薬師如来に手を合わせた。
穏やかに微笑む薬師如来像を見ると心が落ち着いた。
しばらくすると男性は氷の入った緑茶をカランと音を立てながら二つ持ってきた。
「では、有難く頂戴致します」
私はそういうと御堂の入り口に腰をかけ、緑茶を口にする。
「それにしても・・・今日は騒ぎますね」私は咽喉を潤しながら霊園を眺める。
「ああ、水子の霊か?」
「ええ、水を汲んでいる最中も後ろで走り回っていました。でも、あれは子供か」
「ここ古い。かつて水子と呼ばれた子供の霊も眠っているからのう。君の母ちゃんにも昔に話したが、日が沈み出す正午過ぎは何時もの事で水子が騒ぎ出す。ましてや君は動物に憑かれ易い・・・水子も憑いて来るから気をつけないと」
「まあ、悪さをしなければ私は気にしないのですが」
「水子は悪さをするつもりは一切無いぞ」男性も緑茶に手を伸ばす「まあ、一部は悪い子もいるが、ここの子は薬師如来様の御加護で大人しくしているわい」
「そうでしたね」
「もし、悪さをしても子供のした事。無邪気・・・邪気がないのでは怒れんわ」
「でも、それ故に憑いて来られたら大変ですけどね」私は苦笑いをする「邪気が無いから反省しないし、幼すぎて仏の言葉もあまり通じませんし」
「そうだな・・・まあ、何かあったら来なさいよ」
「ええ、その時は遠慮なく来ます。ご馳走になりました」
私は氷だけになったグラスを置くと立ち上がった。
蝉が鳴く。短い地上での一生を謳歌する如く。
私は御堂を出ると車へと向かった。
あと半月で夏も終わる。
いつの間にか御墓参りに来ていた人は私だけになっており、一台の車だけが寂しく止められていた。
次に来るのは彼岸・・・真っ赤な曼珠沙華が咲き誇る季節。
私は異界とさえ感じる熱気の籠もった車のドアを開けた。
「さて、帰るとしますか」
後部座席に荷物を載せる。そして運転席に座ろうとした時だ。
不意に来ていたワイシャツの裾が引っ張られる。
木の枝にでも服を引っ掛けたかな、と私は思い振り向く。
だが、背後には小さな着物を着た三歳ぐらいの男の子が無邪気に微笑みながらワイシャツの裾を握っていた。
ああ、気を抜いたらこれか・・・
無邪気な微笑み・・・邪気の無い微笑み・・・
「お友達が向こうで待っているよ。それに私は何もできないからお帰り」
男の子は一瞬困った顔をしたが、再び無邪気にきゃきゃと笑う。
無邪気・・邪気が無い・・・故に恐ろしい。
私は車の鍵を再び掛ける。
「はぁ、薬師如来様に面倒を御願いするか」
私の溜息は蝉時雨に掻き消された。
怖い話投稿:ホラーテラー クックロビンさん
作者怖話