始めての投稿ですので間違え文章や誤字、脱字はお許しください。
この話は私達が実際に経験した悲しくもあり、また温かい友情の話です。
怖い話では無いので一応、報告まで・・。
1983年 2月の中頃。
他のクラスにはまだ2時募集の受験生がいる中、私のクラスは高校進学、専門学校進学者は全員、合格を決めていました。
残るイベントは合唱コンクールと卒業式だけ。
自由曲の統計を学級委員の歌丸(あだ名)とアッコが全員の統計を取って、いくつかの候補を黒板に書き始めました。
【卒業写真】・荒井由実
【制服】・松田聖子
【約束】・渡辺徹
【YaYa】・サザンオールスターズ
話し合いの末、この4曲からの決戦投票。
結果は【YaYa】に決まり、その場でそれぞれのパートを選びました。
合唱コンクールと言ってもある程度の楽器はOK!
うちのクラスはピアノにかおちゃん、キーボードにアッコ、アコギに歌丸と晃、エレキに私といったメンバー。
時間が開けば各パートごとに集まって練習をしてました。
私達、楽器メンバーも一生懸命、指揮者に合わせられるよう必死でした!
合唱コンクール、前日。
体育館での最初で最後の合同練習。
各クラスの練習時間は30分間。すぐに通しでやりました。
すると音楽の先生から、
「高音のパートが弱いね。人数増やしてやったらどうかな?」
教室と体育館では全くもって音響が違い過ぎて・・。
指摘された点を変え、再度挑戦!
御指摘通り、変えて正解でした!
教室に帰って思った以上の出来に満足!
その時歌丸が、
「絶対に今は満足しちゃダメだ!明日は気を緩めないようにして、絶対に有終の美を飾るぞ!」
この歌丸。言う成れば松岡修造タイプ。熱いんです。しかし、とても天然です。
歌丸と言うあだ名も中1の始業式に茶髪で登校し、その場で坊主。
その顔を見た私が、
「お前、坊主にしたら桂 歌丸、そっくりだな!」
その日からのあだ名は歌丸。先生方からもそう呼ばれています。
結構、本人は気にいってます。
こんな歌丸ですが学校の人気者です!
陸上部の主将で中学校のハーフマラソンで当時の記録保持者、その上、生徒会長。
私達もこいつは大好きです。
合唱コンクール、当日。
私の家は学校の真ん前。
仲間は私の家に寄ってから登校します。
合図は舌打ち!
《タン、タン、タン、タン!》
下を見ると珍しく朝から歌丸。
私の部屋に来る成り、
「お前もアコギのパート、覚えておけ!なっ!」
「いつも一緒にやってんだから解ってんよ!」
「じゃあ、やって見せろ!」
そう言って歌丸は自分のギターをケースから出した時、
「あぁー!げっ弦が切れてるぅ!わりぃーが俺のギターを持って先に行ってて!ソッコー行って弦を取って来るんから!」
出た!歌丸の天然・・。
そうこうしている間に仲間が来て学校に向った。
教室に入るなり、朝の歌丸話に花を咲かせて皆で大笑いしていると、
キィーンコーンカーンコーン・・・。
始業のチャイムが鳴りました。
「歌丸、遅ぇーな!」
「先生も来ねぇーじゃん」
学級委員のアッコがドアを開けると同時に先生が来ました。
先生が教室に入ると、
「歌丸ねぇ・・・今日、ちょっと来れなくなった。
・・・だから・・・皆、気合い入れて、優勝しよう!」
先生が少しおかしかった。
みんなも感じていたと思うが誰一人、口に出さなかった。
すると先生が私を呼び、
「歌丸、お前の家に行って忘れ物・・・取りに帰ったんだって?・・・・・。
学校に来る途中・・・ダンプにひかれて・・・意識不明なの・・・。お前だけには、言っておいた方が良いと・・・思って!」
気を失いそうになったのを今でもはっきりと覚えています。
「気をしっかり!歌丸のパート、先生やるよ。」
私は歌丸のギターを持って、
「自分が・・・歌丸のトコ・・・やる!・・・大丈夫!自分、出来っから!」
すぐに音楽の先生に切れた弦を張ってもらい皆の所に戻りました。
心の中で無事を祈り、精神を集中しました。
みんなは感ずいているらしく、私を励ましてくれました。
二つやるの大変だけど、あんたなら出来る、とか一人一人が声をかけてくれました。
「さぁ!次はうちのクラスの番よ!」
担任が呼びに来ました。
申し訳ございませんが・・・続きます!
怖い話投稿:ホラーテラー 楓と雅のパパさん
作者怖話