長編9
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遺言

初心者なので、誤字、脱字あると思いますが、よろしくお願い致します。そして、怖くないこともこの場で謝っておきます。すみません。

これは、6年前の話です。

俺の祖父は、俺が高校二年生の時に亡くなりました。肝硬変で末期癌でした。実は、俺には若干、何かを予知する能力があるみたいです。

超能力は信じますが、幽霊は信じていませんでした。祖父の亡くなる二年前に、祖父とテレビを見ていたとき、ふと、祖父の顔を見た時でした。

出窓から溢れた夕日の黄金色が祖父の顔にかかり、後光を放っているように見えたのです。それを見た瞬間、

「もう少しで、祖父が死んでしまう。」

そんな言葉が、頭をよぎりました。祖父は俺の視線に気がつき、にっこりと笑いました。死を悟ったのが、祖父の笑顔だったということを、今思うと悲しいです。

祖父は死ぬ半年前まで元気でした。父方の祖父と祖母、父、母、姉、俺の6人家族でした。よく、父と祖母、祖父で小さな事で言い争い、喧嘩をしていました。

祖父は昔の人間を絵に書いたような人で、喧嘩っ早く、ピアス、ブリーチなどを嫌い、お酒が大好き。よく、姉がグレて髪を染め、ピアスを開ける姿を見て姉を怒りました。

これでも丸くなったと、父は言うので、かなりの頑固者で喧嘩好き、短気な人間だったみたいです。

そんな祖父でしたが、水彩画が上手でコーヒーも好き、孫の俺や姉には優しく、怒っても、すぐに話を切り替えて優しく接してくれた人でした。

かならず筋を通すそんな祖父が、俺は好きでした。

そんな祖父が、死んでしまいました。長く続く体調不良で大きな病院に行き、亡くなる半年前に病気が分かり、その後は、余命半年だということを祖父以外の家族全員に知らされました。

祖父にはただの体調不良でしばらく入院すれば治ると伝えていました。私は本当に心苦しく、できるならその事を伝えたかったです。

ある日、学校から帰り、見舞いに行きました。余命半年と聞かされてからは俺は見舞いには行けませんでした。どうしても、会ったら泣きそうになってしまいそうになったからです。祖父に嘘を通すつもりでした。

町内の病院だったので一人で病室に入り、一人で見舞いに行きました。

私は愕然としました。肝臓機能低下により、体は黄ばみ、眼球も黄色くなって、少し目が充血し、痩せ細り骨と皮の状態で窓の風景を見ていました。

俺は動揺を隠すため、軽く、「おじいちゃん、見舞いに来たよ!」と言うと、祖父は嬉しそうに笑い、今日、あった出来事を話しました。祖父の好きなポカリスエットを渡しました。

今日はAが体育の時にヘマをして負けた事、その後、友達みんなで弁当食べながらゲームの話や下らない話で盛り上がった事、Bがテストの順位をあげて俺が負けてしまった事、など。

最初は微笑みながら頷いていましたが、ふと、祖父の顔を見たら、祖父は真剣な顔で俺を見て、でも、悲しげな目をして言いました。

祖父「S(俺の名前。)、わしは、もうすぐ死ぬんだろう?」

俺「・・・・・・・・・。」

祖父「自分が死ぬ時期にいるくらい、分かるわい。あと、どれくらいだ。」

俺「・・・・・・・。」

祖父「・・・・・・・・。」

俺「2ヶ月・・・・・・・。」

俺は、うつむき、泣き出してしまった。言ってしまったのだ。絶対に秘密だと家族に念を押されていたのにも関わらず。

でも、祖父があまりにも、嘘の希望で延命されるのが気の毒だったから、口からこぼれてしまった。祖父はため息をして、俺に言った。

祖父「そうか、うん。」

俺「・・・・・・。」

祖父「本当の事、教えてくれて、ありがとうな、S。この事は、秘密だよ。」

止まらない涙で、声が出せなかった。俺はうなづき、病室から飛び出し、家に帰ってしまった。顔を会わせることは、どうしても出来なかったから。

それからは不安だった。死の恐怖で祖父が狂ってしまうのではないか、暴れるのではないか、嘘をついた家族に冷たくなるのではないか。不安でその日は、なかなか眠れなかった。

その後、祖父は家族が見舞いに来ても、嘘で「元気になったら、寿司を食おう。」などと言っても、笑っていた。かならず元気になるからな。家族に死ぬまで、そう、言い続けていた。

2ヶ月後、祖父は死んだ。棺桶に入った祖父の頬を撫でたとき、ゴツゴツした感触と祖父の匂いを、今でも忘れていない。

祖父は、最後まで、誰にも心配をかけず、自暴自棄にもならず、嘘をつき続けた家族を責めずに他界した。

俺は、本当に、自分の告白は正しかったのか、分からなくなった。ただ、自分の姿勢を崩さなかった祖父の強さを、本当に凄く思った。けして、俺では真似できない。そう、思ったんだ。

それから、俺は高校卒業後、東京に進学した。親に無理を言ったのを覚えてる。デザイナーになり、絶対にこの街で成功させてみせるなど、意気込んでいた。

今思うと恥ずかしいけど。でも、現実も社会も厳しかった。進学した専門は大学4年のカリキュラムをわずか2年で学ぶという凄まじいほどの速度で授業、課題が押し寄せた。

入学し、クラスの学生が半分卒業できれば普通という、シビアな学校だった。遊ぶ時間もない。寝る時間もない。課題が溜まり、ひたすら授業を受け、メモし、覚え、家ではテレビをつける習慣もなくなった。食事の時間さえ惜しかった。

そんな生活が続き、5ヶ月たったある日、憂鬱な気分が抜けなくなった。これくらいで負けてはいけない。そう思い、夏休みに突入しても、実家には一週間だけ地元に帰り、お盆の墓参りをしたら部屋に閉じ籠り勉強。

寮に戻ったらまた、勉強と課題に追われた。9ヶ月頃に、クラスの同級生から様子が変だと言われ、無視したが担任にまで言われてやむ終えず病院に行った。

診断は重度のうつ病。

そんな馬鹿な。病気になんてなるはずがない。それでも、凄まじいほどの鬱状態でも勉強をした。毎日、泣きながら。涙が止まらなかった。

ある日、俺は授業中に突然、学校から帰ってしまった。それから部屋に閉じ籠り、親に電話した。夢を諦めて地元に戻り、病気の療養をすると。すでにうつ状態は消えず、自殺願望は破裂しそうだった。

俺は、初めての挫折に泣いた。寮にいる間は本当に、泣きすぎて、涙が出なくなるくらい、泣いて、泣いて、泣き続けた。

医者にも、帰郷を勧められ、俺は地元に戻った。

夢を諦め、親に大きな借金を残し、病気になり、周りからは「ただの甘え」と笑われ現実に自分を責め続けた。

大きな病院にも入れられ、感情のコントロールができず、錯乱状態にもなり、暴れるので拘束され、薬を打たれて、落ち着く。そんな日々も続いたが一年後、退院した。

でも、自責の念、後悔、自殺願望は消えなかった。自宅療養を指示され、半年後、俺は大量の薬をのみ、自殺しようとした。きっかけは家族との喧嘩。ただそれだけだったが、全てに絶望し、落胆し、辛くて、悲しくて、申し訳なくて、薬を飲んだ。

今の薬で死ねないことを知らなかった(その時は自宅にネットもなく、噂で聞いた死に方を選んでしまった。)ので、これで死ねると確信し、もうろうとしながら眠りについた。もう、目覚めない。そう、確信しながら。

気がつくと、家の近所にある公園にいた。昔、幼い頃に祖父に連れられていった遊び場。いつも祖父の座っているベンチに、何と、祖父が座っていた。そうか、俺、死んだんだ。そう思い、ベンチに向かって、歩き出した。

すると祖父は立ち上がり、こちらに早足で向かってきた。俺の心は嬉しさで満ちていたのに、祖父の顔を見て、足を止めた。祖父は、今まで見せたことの無いような鬼の形相で、歩いてくる。

「おじい・・・・」

ゴスンッ!

祖父は、俺の顔を、ぶん殴った。

俺は地面に転がった。でも、痛くなかった。死ぬと痛みがないのだろうか。分からないが、殴られた瞬間、拳から、激しい怒り、負の感情を感じた。驚いて、殴られた頬に手をおきながら、祖父を見た。

まるで、怒りと悲しみが入り交じった、例えにくい表情だった。

俺「おじいちゃん・・・・。」

祖父「S!この馬鹿もんが!」

祖父は叫んだ。それと同時に、祖父の表情から涙が流れ始めた。起き上がった俺を、祖父は初めて抱き締めた。こんな事は今まで無かった。

祖父「S、良く聞け・・・・。駄目なんだよ、駄目なんだよ、ここに来ては駄目なんだ・・・・。」

祖父は泣いてひきつった声で俺に言った。それから祖父は、俺の両肩に手をおき、俺の目を見て言った。

祖父「誰も・・・・。お前の事をなぁ、恨んでる奴はいないんだよ・・・・。お前がここに来るのはあと50年後なんだよ。今、今・・・・。死んじゃあ、駄目なんだよ・・・・。お前を待ってる家族がいるんだよ。帰らなきゃ、駄目なんだよ・・・・。」

祖父は、ボロボロ泣いていた。泣いて、泣いて、泣き続けた。俺も、両目から涙が出てきた。

俺「でも、もう、駄目なんだよ、おじいちゃん、駄目なんだよ。俺、帰りたくないよ・・・・。死にたいんだよ。」

本当に情けないセリフを言ったと思う。どれだけこの言葉で、祖父を傷つけたのだろうか。今でも申し訳なく思う。

祖父「S、お前が生まれたときな、わしの孫はお前で4人目だった。可愛くてな、目に入れても痛くなかったくらいだ。だから分かる。お前はな、優しすぎるんだ。そして、臆病者なんだ。何も知らない人間なんだ。」

正直、こうやって、真っ正面で言われるのは辛かった。批判を受け入れる余裕など、心に無く、自分の弱さを受け入れず、目をそらしたから。そして、自責、鬱が強くなるから。

祖父「だがな、わしは知ってるぞ。お前は、本当に優しくて、強い人間だと。」

その言葉を聞いて、俺は驚いた。自分は弱く、生きている価値のない人間だと確信していたから。

祖父「辛いだろ?人生も、社会も、人間関係も。」

俺「・・・・・。」

祖父「でもな、お前は気がついていないだけだ。どれだけ、自分が強い人間かを。どれだけ家族に愛されているかを。どれだけ、お前の友達がお前の死に涙を流すかを。」

祖父の声が強くなる。

祖父「もう一度、戦ってみろ。もう一度。学ぶんだ。世の中を。いろんな事を。だからS、帰るんだ。」

俺「・・・・。」

祖父「わしはお前を信じてるぞ。だからS、お前は絶対に、一人じゃないんだ。おじいちゃん、見てるからな・・・・・・・。」

俺「おじいちゃん」

「ごめんね・・・・・・・・。」

「ウゲェェッ!!」

医者「もっと飲ませて!」

周りがとても騒がしかった。突然、目の前に青いバケツがあった。吐き気が押し寄せ、何度も吐き出す。吐き出したものは真っ黒の液体。墨液だった。

胃を洗浄している最中らしい。物凄い不快な感覚を感じながら、ずっと何度も何度も吐き出し、その後、また、意識がなくなった。

目を覚ますと、ベッドに縛られていた。母と祖母、父が俺を見ていた。

母「S!?よかった!あんたはね!助かったんだよ!」

母は泣きながら笑顔で言った。父も、祖母も、安心した顔でこちらを見ていた。胃の洗浄のあと、かなり抵抗したらしく、俺の両腕を拘束したらしい。

そして、気がついた。自分のいる病室に。そこは、最後に祖父が息を引き取った集中治療室。もちろん、他の部屋にも集中治療室はある。

だが、その部屋には特徴があって、祖父の居た集中治療室には、4つあるベッドの上に折り鶴がぶら下がっていた。しかも、祖父のベッドの上にあった緑の折り鶴が、偶然にもぶら下がっていた。

3年前、俺の今いるベッドで、祖父は息を引き取った。

俺は確信していた。祖父は、本当に俺が死のうとしていることを止めに来たのだと。偶然かもしれない。都合良く、俺が夢を見ただけかもしれない。

でも、祖父に抱き締めてもらったとき、確かに、祖父の匂いを夢なのに感じた。

祖父の夢を、俺は家族には話さなかった。茶化しやすい母もいるし、家族事態、幽霊や超能力を信じてはいなかったから。バカにされるのは辛かったし、否定されたくはなかったから。

あれから6年がたった。リハビリを繰り返し、今年、ようやく社会復帰をした。

正直、精神障害者を雇用するところはなかなかない。雇用したがらない現実もある。でも、祖父は学べと言った。祖父は生前、小学生の頃の俺に、

祖父「生きていることが、学び続けることなんだよ」

と、言ってくれたことを思い出した。病状は正直、うつや自殺願望は消えてはいない。社会も厳しい。まだ、薬がないと、生活できない。

でも、もし、本当に周りも、自分すら信じられなくなって、消えてしまいたくなっても死ぬことはないと思う。祖父に殴られた感触と、ずっと信じているという言葉だけで、俺には生きる意味が十分だから。その事を思い出せる俺は、まだ、生きてゆけると信じてる。

そう、信じ、学び、一人ではないことを思い起こすだけで、生きていきます。

こんな駄文をここまで読んでくださった方、本当に長くお付き合いいただき、ありがとうございました。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん    

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