中編4
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煙のエピソード

私が中学生の頃ですので、ずいぶん昔の話ですが、これは祖父の兄、大伯父のエピソードです。

祖父と大伯父は仲良く卓を囲み、すき焼きを食べながら、お酒を飲んでいました。私は祖母の手伝いをしていましたので、当時の大伯父の話をよく憶えています。

死んだおふくろがタバコ屋は絶対やめちゃダメだってうるせえから、今でもやってるけどさ…… 

あれ、儲からねえんだよ。…… ボケ防止でやってるだけさ。

でもよ…… こうやって酒とタバコやりながらすき焼きなんぞ食ってるとさ、リョウゾウさんのこと思い出しちゃうよ……

お前も憶えてるだろ? はす向かいに住んでた、リョウゾウさん……

俺とリョウゾウさんはさ、うちでこうやってよく飲んだもんだよ。

飲み過ぎてよ、リョウゾウさんよく一泊して帰ったもんだ。自分ち目の前なのによ。 ハハハ……

あの人はよ、食わねえ人だったなあ。酒とタバコばっか飲んでよ……

リョウゾウさん、とにかく肉は絶対食わねえんだ…… 

戦地のことは絶対に言わなかったけどよ、

シベリア抑留の帰還兵だったから、きっとひどい目にあったんだろ……

肉食わねえどころか、見るのもやだって言ってたの思い出すよ……

その点俺なんかまだよかった方だよ。ゼロ戦の整備やってただろ、戦地には行ってねえからな。まだついてた方だよ……

おれだってよ、今じゃこうしてタバコやめられねえけど、好きで吸い始めたわけじゃねえんだな……

軍隊じゃ、ひまな時ボウッとつっ立ってたりしたら、殴られんだよ。

『なに、ぼんやり立っとるか!』

怒鳴られたかと思えば、バシッ!平手打ち…… ビンタだよ。

俺なんかしょっちゅうやられてよ、左耳、今でも年中セミ鳴いてらあ……

殴られんのやだからよ、タバコでも飲むしかねえんだ。

それからよ、こうやってスパスパやるようになったの。 ハハハ……

でもよ、リョウゾウさんいい人だったなあ…… おとなしくてさ、俺ばっかしゃべってたよ。でもやさしい人だった…… 

せっかく生き残ったのに、病気には勝てなかったよ…… 肺がんだったから。

俺もそのうちそうなるかもなあ……

俺んちはよ、儲からねえ店だったから、夜遅くまで店開けてたんだ。

まだ、販売機なんてない時代だよ。リョウゾウさんがさ、いっつも閉店間際にエコーってタバコ買いにくるんだよ。こんばんわぁ…… って。

で、いつもごめんね…… って、ボソッと言って帰って行くわけさ。なんとなくそれがおかしくてさぁ、おふくろとよく笑ってたよ。ハハハ……

リョウゾウさんが具合悪くなってからはよ、さすがに吸ってなかったんじゃねえかな…… 

夜買いにこなくなったから……

夏になるとさぁ、今みてえにクーラーなんてねえから、毎晩暑くて夜中に目さめちゃってよ、俺よく夕涼みしてたんだよ……

そしたらさ、タバコの煙が漂ってるわけだよ。俺、これから吸おうってとこだよ…… 誰もいねえのに。

ま、寝ぼけてんのかななんて思ったよ……

そしたらよ、次の日もまた次の日も、煙が漂ってたんだ…… 真夜中にだよ。

でもよ、今から思えば、あれやっぱリョウゾウさんだったんだ……

リョウゾウさんちのよ、玄関の格子戸がスウッと開いてよ…… 誰かが入って行くの、俺見たんだよ。あれ、リョウゾウさんだったよ。黒っぽい影みたいだったけど……

朝おふくろにそのこと言ったらよ、リョウゾウさんずっと入院中だってこと、お前だって知ってるだろ、このトボケが!って、怒られちまったよ。

それから、すぐだったよ…… リョウゾウさん逝っちゃったの。

ありゃ、不思議だった……

私は普段から口数の少ない祖父と大伯父の話を聞いては、相づちをうっていましたが、思わず大伯父に、

「リョウゾウさんの幽霊だったのかもね……」

と言ってしまいました。祖父も、

「兄貴に最期のあいさつにきたんだろうよ…… 」

と微笑みながら言いました。

大叔父は、

ゆ、ゆうれい……!? バッカヤロウ!幽霊なんていねえんだよ。そんなもんはなぁ、この世にいねえよ……

と大声で言っては、あくびをしながら仰向けに寝転びました。

そして、

ありゃあ不思議だった。リョウゾウさんだよ…… ともう一度呟くと、天井にタバコの煙をふわっと吐きました。

なんか、大伯父から煙に巻かれたような気がしましたが、大伯父が真夏の深夜に見たタバコの煙もこんなだったのかなと思いました。

おとなしい祖父は今も元気ですが、十年前にやはり肺がんで亡くなった大伯父の仏壇参りには、必ずタバコを一本吸って、それをお供えしています。

今でも家族が集まる度に、このエピソードが話題にのぼり、皆で大伯父を偲んでいます。

大伯父の遺影はいつも微笑んでいます。

怖い話投稿:ホラーテラー 望さん  

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