短編2
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東日本大地震

3月11日の地震はとても恐いものだったのは皆同じだろう。私の実家は石巻市である。震災翌日、思いがけない人からの電話で母が無事だと知らされた。

女川にの会社に居たのは知っていたので、諦めていた矢先の連絡だったので号泣した。ただどこの避難所にいるからわからないという

仙台住みの私はガソリン入れる為に徹夜で7時間並び、朝8時すぎに家を出た。

通常1時間程で着く道のりは道路が寸断され回りに回って3時間かかった。

石巻の端から端までの避難所を探すこと、二日間かかりおかんを探し、会えた時は本当に嬉しく、何も望むことはないと本気で思いました。目は泣きすぎて未だに痛いです。

石巻はまさに地獄でした。

知っているはずの道は変わりはててしまい、知らない町のような、まさに映画を見てるような感覚になりました。

潰れた車からのガソリンを盗み、金目のモノを見つける為に皆、殺気づき、身を守るためバールを持ち歩いていました。避難所には物質はまだ届かず、皆、流れてくる食べ物や衣類を必死になり拾っています。

遺体の隣で。

子供を守りながら死んでいる親、老夫婦は紐でしっかりお互いが離れないように結びつけています。あり得ない高さに引っ掛かったままの遺体。警察、自衛隊の方に言っても、すぐ処理はできないとのことです。人命救助が優先される為、処理は後でとのことでした。

5日目あたりから、マスコミや自衛隊の方々も増え、目につく遺体は運ばれていきましたが、震災から3日間はまさに地獄絵図そのものでした。実家は倒壊することなく残っていたので一晩だけ泊まりましたが、電気も何もないので、家に人がいるかどうかは外からわからないので、何度も侵入されそうになり、怖い夜を過ごしました。

人間。本当に怖いと感じました。まだまだ話はありますので、機会があればまた投稿したいと思います。

下手くそで申し訳ありません。長文読んでいただきありがとうございました。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

Concrete
コメント怖い
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本当に怖かったでしょうね…お察しいたします。
私も同じような光景を見ました。
ほんと、あの時・・・真に恐ろしいのは「人間」と思い知らされた日でしたよね。

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