中編6
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二十歳のA

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Aの体験した話だ。

Aは2006年4月に立命館大学に入学し、陸上部に入部した。高校の校庭に比べ遥かに広く、器具の揃った陸上部の運動場にAの心は躍った。

Aは陸上部の監督の勧めを受け、槍投げを始めた。

「高校時代は室伏広治に憧れて、砲丸投げをしていたけれど思うような結果は出ませんでした。室伏広治に憧れる一方、友人とてりやきマックバーガーを食べたり、カラオケ館に入り浸る生活をしていたせいもあると思います。槍投げは砲丸投げよりも僕に向いていたようで、新たな競技への挑戦は良い刺激になりました。”夢中”になり、競技に取り組みました――」

2006年度の間は、Aは同年代の陸上部の男子学生の平均程度の槍投げの飛距離を記録することしか出来なかった。

一年間基礎体力作りを行い、槍投げの基本フォームを体に染み込ませた成果は翌年から徐々に結果に反映された。

2007年、2008年は全国大会に出場。

全国の壁は厚く、表彰台に上ることは出来なかったがいずれの大会もその時点の自己最高記録の飛距離を記録した。2008年秋。Aは陸上部を引退。以後の大学生活は就職活動と卒業研究に専念し、Aは2010年3月に無事卒業式を迎えた。

「”大企業病”に罹っていたせいか、ぎりぎりまで就職が決まらなくて――。ただ、卒業式前までには何とか内定を貰うことが出来ました。なのでその頃は、東京行きの準備と入社前研修のことしか頭に在りませんでした」

東京のIT企業に就職し、約一年が経過した2011年3月。

東日本大震災が発生した。

Aは勤める会社が入居するビルで、震度5強の揺れを体感した。

「体感した揺れが震度5だと分かったのは後のことで。ビルの構造のためか、揺れはより強いものに感じられました。ロッカーの上の荷物や資料類が床に落ち、プラスチックのケースは割れ、デスクトップPCのモニターはがたがたと揺れ――。窓の向こうの看板はいまにも留め具が外れ、道路を走る自動車の上に落ちそうでした。僕は自分がビルの避難経路も地震のときにとるべき行動もまるで理解していないことに気付きました。その時、僕は誇張ではなく”命の危険”を感じました」

2011年5月。Aは一ヶ月程続いていた体調不良と食欲の減退に悩まされていた。

「その頃は食事が喉を通りませんでした。ウイダーinゼリーを飲み、毎日をやり過ごして。一度、スーパー・マーケットで買った寿司を無理やり食べました。しかし、一時間も経たないうちにそれらは全て吐き出してしまいました」

同時期、叔母がこの世を去った。

Aは体調不良と親族の葬儀を理由に、ゴールデン・ウィーク中の震災ボランティアへの参加を断念した。

2011年8月。Aは夏季休暇と有給休暇を利用し、震災ボランティアに参加を決め、宮城県女川町に向かった。

「震災から五ヶ月が過ぎ、果たしてボランティアがするべき仕事など残っているのかと薄っすら考えていました。その考えはすぐに大きな間違いだったと気付きました」

目立つ瓦礫の撤去はそれなりに進んではいたが、半壊した家の解体作業や泥の除去、行方不明者の捜索などはまるで進んでいなかった。

また被災者のメンタル・サポートや夏の衛生環境の劣悪さへの対応も進んでおらず、更には秋以降の気温の低下やボランティア人員の減少も懸念された。

「どれだけ人数が居ても足りないぐらい、仕事はあるという感じでした」

Aは現地のボランティア団体の責任者より泥かきの仕事を任命された。

また仕事内容に関わらず、遺体や行方不明者、仮設住宅の住民より捜索依頼が出ている物品等を発見した場合にはすぐに責任者に報告を上げるように命じられた。

ボランティアには全国各地の大学生、大学院生のほか、四十代以上の企業の幹部や経営者も参加していた。

特にAは都内で貿易関連の会社を経営する五十代の男性に気に入られた。

「『君のような若い男性がうちの会社に居たら心強い』と名刺を渡されました。『東京に戻ったら必ず名刺に書かれた番号に電話を掛けるように』と念を押されて」

ボランティアに参加し、五日が経過した日の昼の休憩時間中、目眩を感じたAは他の参加者から離れた場所の岩に腰掛けた。

「就職してからまるで運動をしていなかったので・・・・・・。情けない話ですが、正直に言って体力の衰えを感じました」

足元に土が盛り上がった箇所があり、Aは靴の裏で目立つ小石や泥の塊を崩した。

土に汚れた白い塊が見えた。

Aは白い塊の正体が気になり、軍手をはめた手で周辺を掘った。

「それはナイフにより刻まれた兎のぬいぐるみでした。兎の身体には無数のナイフの切れ目がありました。兎は一体や二体では無く、数十体分埋められていて――」

兎のぬいぐるみの内の一体が飛び出した眼球を回転させ、Aの顔を見つめた。

兎のぬいぐるみの黒目は収縮と拡大を繰り返した。

眼球の運動を眺めていると、Aは”その場に居て、切り刻まれた兎のぬいぐるみを見ていること”への妙な罪悪感を感じた。

Aは「ああ!」と、頭を掻き毟った。

声に気付いた数人はAの居る方向に視線を向けたが、それ以上Aのことを気に留める様子はなかった。

”このぬいぐるみは事情があり、ここに埋められていたのかもしれない”と考え、Aはナイフで刻まれ、綿の露出した兎のぬいぐるみに元通り土を掛けた。

「そのように自分を納得させなくては、それ以上その場に居ることは出来ませんでした」

とAは語る。

*

その日の夜は満月だった。

Aは炊き出しの味噌汁を飲みながら、海を眺めていた。

「波はとても穏やかでした。その静けさから”津波の猛威”を想像することは、とても難しいことのように思えました。また放射性物質による自然環境の汚染も・・・・・・」

近くの建物の中からテレビの音声が漏れ聞こえる。震災復興支援を目的とする音楽番組にいきものがかりが出演し、歌声を披露しているようだった。

海岸に目を向けると、一人の男性の姿が目に映った。

それは”二十歳のA”だった。

”二十歳のA”は立命館大学陸上部のユニフォームに引き締まった身体を包み、槍を手にしていた。

月の光に”二十歳のA”の肌は蒼白く光った。

「ドッペルゲンガーか、幻覚か。そのようなことは”どうでもいい”と感じました。”二十歳の自分”はもはや別人のようで。自分は年を取った。ただ、そう感じました」

”二十歳のA”は満月に対面し、海岸を駆け出した。

”二十歳のA”は槍投げの基本フォームを構え、鍛え上げられた右腕が夜空に向け、槍を放った。

「槍は鈍色に輝きました。槍は夜空を一直線に駆け、先端部は火花を放ちました。火花は勢いを増し、やがて槍から緑色の光が零れ――。槍は美しい月を背景に開く、音の無い花火へと変貌しました」

花火の明るさを目にしていると、Aの目頭からは涙が流れた。

何故か”自分は何をしているのだろう”と思ってしまって・・・・・・。

華やかな花火の下、槍を放った”二十歳のA”は消耗し切ったように歩くと、海岸の端の砂山に倒れ込んだ。

「その倒れ込み方は異様で。まるで卒倒した老人のようでした。それに倒れる直前、一瞬見えた”二十歳の自分”の右腕は――。槍を放ったばかりの人間のものとは思えない程痩せ衰えていました。まるでとても細い流木のように」

Aが砂山へと駆け寄ると、”二十歳のA”の姿はもうそこには無かった。

Aは”二十歳のA”が倒れ込んだ砂山の砂を手で掬った。

手の平の中、星砂が光った。

2011年8月下旬。震災ボランティアを終えたAは東京に戻り、仕事に復帰した。

「一度、名刺を貰った貿易関連の会社の社長に連絡をしました。しかし、”経営環境の変化”を理由に採用には繋がらず、転職は叶いませんでした」

Aは休むことなく仕事を続け、2012年初頭には上司より新規事業案件の責任者に任命された。

「仕事が忙しいというのは有難いことだと、いまでは感じています」

とAは照れ臭そうに語った。

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