長編12
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悪魔への願い事

夜もそろそろ明けようという頃、バーカウンターには一人の男が居り酒を飲み続けていた。

飲み続ける男は強かに酒を飲んでいたが、酔い潰れているという訳ではないらしい。

その証拠に飲み続ける男は、バーの上にそれが全財産であろう小銭の山を二つ作っていた。

飲み続ける男はバーテンダーに酒を注文する度に、幾らかの小銭を山の間で移動させる。

片方の山はまだ飲んでない分の金、もう片方は既に飲んでしまった分の金。

飲み続ける男にとって金とは、その二種類しかないようである。

深く沈鬱な面持ちでちびちびと深酒を続けていた飲み続ける男だったが、ふとその手が止まった。

ずっとショットグラスばかり見続けていたその視線をすぐ右横隣りの男に移した。

隣の男は全てが黒づくめであった。

背広、シャツ、ズボン、ネクタイ、靴など全てである。

しかし、服の袖などから見せる手首や首筋等の素肌はなんとなく死を連想させるほどに白く、服の色と対照的なそれは不穏なものを連想させるコントラストとなっている。

飲み続ける男は呆気にとられたように黒づくめの男を見つめている。

その様子から、どちらかと言えば黒づくめの男の風貌より、何時から黒づくめの男がそこに居たかに疑問を感じているようだった。

「ちょっと前から、失礼させてもらって、ここで飲ませてもらってますよ」

黒づくめの男はまるで飲み続ける男の心を見透かしたかのように語りかけた。

「はぁ」

飲み続ける男は短く答えると、無礼を顧みることもなく辺りを見回した。

店内に空いてるカウンター席、テーブル席は他にいくらでもある。

「ははは、そう邪険にしないでくださいよ。ちょっと貴方と話したくてここに座ったんですから」

黒づくめの男はそんな台詞とは裏腹に、全く笑ってない眼を飲み続ける男に向けた。

「失礼ですがそれが私にとっては迷惑なのです。私は誰かと話したくてここに来ているのではない。ただ酒を静かに飲みたいだけなんだ。ほっといていただけませんか?」

「ええ、分ってますよ。貴方はただここに酒を飲みに来ただけだ。」

黒づくめの男は自分のグラスをカウンターに置くと、飲み続ける男が作っている小銭の山を指差した。

「そして、その小銭分の酒を飲み切ったら『全て』を終わらそうとしていらっしゃる。違いますか?」

飲み続ける男は、バーテンダーに空になった自分のグラスに酒を注ぐようにジェスチャーをすると

「ええ、その通りです。だからお願いします、1人で静かに飲ませてもらいませんか?」

それを聞くと黒づくめの男は懐から財布を取りだし、紙幣を一枚抜き出した。

そして、飲み続ける男のもうだいぶ少なくなってきている小銭の山の下に滑り込ませる。

「まぁ、こっちで勝手に喋り続けるので聞いててもらえませんかね?」

「まぁ、聞くだけなら……」

あるところに不幸な男が居ました。

男は会社を経営していました。

設立当初は好景気だったこともあり経営は順調でしたが、事業拡大のため設備投資に乗り出した直後に世界的に不況の嵐が吹き荒れたのが男の不幸の始まりでした。

生産量の増大と生産コストの削減のために行った設備投資も物が売れなくなってしまっては意味ありません。

いくら安くそして多くの物を作れても、売れないのですから会社の収益にはなりません。

しかしそれでも設備投資のために融資してもらった資金は返して行かなくてはなりません。

当初、設備導入後に想定していた売上収支もかなりの下方修正を余儀なくされ、会社はもはや融資元に利子を返すだけの自転車操業となりました。

それでも再び景気が回復するのを男は根気よく待ち続けました、今ある設備がフル稼働するようになれば借金なんていくらでも返せると男は信じていたのです。

ところが景気はなかなか回復する事はなく、ついには最後の希望だったその設備も担保に取られてしまった時、男はついに絶望し、男はもう自分で自分の始末をつける覚悟しました。

そこで黒づくめの男はいったん話を区切ると、飲み続ける男の顔を覗き見た。

飲み続ける男は聞いているのか聞いていないのか、ただ自分のグラスを見つめながらグラスの中の氷を転がして遊んでいる。

「どうして私のことについて知ってるんですか?なんて野暮なことは聞きませんよ、これでも一応経営者ですからね。この辺ではちょっとは知られてますし、誰かに聞けばその程度の事は直ぐに調べがつく」

その飲み続ける男の様子に満足したのか、黒づくめの男は話の続きを始めた。

男には死ぬ前に、一度やってみたかったことがありました。

酒に溺れるという行為です。

人生苦しいことがあると酒に逃げる人が居るというのは聞いたことがあったのですが、自分ではまだやったことがありません。

どうせ全てのカタをつけるのであれば、多少小銭が余ろうとなんの意味もありません。

男は自分の残り少ない全財産を寿命と決め、それを全て酒に使いきったった時点で、この世に別れを告げようと決心しました。

そして、男が久しぶりに遊び歩いた末に、最後にたどり着いたのが場末の小さなバーです。

手持ちの金も少なくなり、あと2~3杯ほど飲んだらそれも尽きるという頃

男の前にグロテスクな姿をした悪魔が現れました。

そして悪魔は囁きます。

「お前の願いを3つ叶えてやろう。その代わり、俺はお前のその魂貰う」

そこで男は考えました。

仮にここで1つの願いを叶えてもらい、残りの二つを言わなかったらどうなるのだろう?

『……叶えてやろう。その代わり、……』

男は悪魔の言葉を頭の中で度復唱しました。

なるほど、願いを叶えるのが先だ、その代わりに魂を与えるのなら3つ目の願いさえ言わなきゃいいのだ。

男は一つ目の願いを言いました。

『一生遊んで暮らせるほどの金をくれ』

次の日から、革命が起ったかのように男の会社に注文の嵐が舞い込みました。

そして、あっという間に担保として抑えられていた設備を取り戻しました。

融資元もそんな不良債権の末に貰った、専門性の強い設備なんかより、金で返してもらった方が遥かに助かるのです。

会社が順調に回り始め収支がプラスに転じ、ある程度資金が溜まった頃、男は新規事業に手を出します。

それは当然のように大当たりし、更に収支のプラスに拍車をかけます。

その後男がやる新規事業は全て上手く行き、まるで世界中の富が自然と男の元に集まってくるように、金が溜まっていきます。

しかし、男の心が埋まる事は在りませんでした。

その理由も男は分っていました。

そこで男は考えます、三つの願いを言ってしまうと魂が取られてしまう。

しかし、今叶えてもらった願いは一つだ。あと一つは余裕がある。

『家族が欲しい』

それから数日後、男は美しく、聡明で、気立てのよい女性と運命的な出会いをします。

男とその女性の交際は順調に進み、やがて世間の誰もが憧れるような結婚式を二人は挙げます。

その後の男の人生も順調でした。

男の子と女の子、一人づつ子宝に恵まれ、彼らは健やかに立派な大人へと成長し、それぞれに人生の伴侶を見つけると親元を巣立ちました。

会社の方も特にこれ以上大きくする必要もなく、現状維持を目指す事を目標に経営しつつ、やがて成長した息子に事業を引き継ぎました。

その頃には孫も生まれ、二人の子供がたまに孫を連れて家に帰るのが男の大きな楽しみになっていました。

男は50代前半にしてリタイアし、余裕がある悠々自適な暮らしで男は残りの人生を彩りました。

それがどんなに楽しい人生でもやがて終わる時が来ます。

特に病気もしなかった男は、寿命ともいえるその末期に家族や人生に関わりのある人たちに囲まれました。

愛すべき妻、子供、孫、昔の苦しい時代を一緒に乗り越えた従業員。

皆、男のベッドを取り囲むように立ち並び、心配そうに男の末期を見守っています。

『死』間近にしてなんて安らぐ状況なのだろうと男は思いました。

しかし、男は忘れていたのです。

この幸せな最期が悪魔によってもたらされていたことを。

男はこの幸せに安らぐ状況の中でこの世を去りたいと願い、目を静かに瞑むりました。

その時です、男の妻がその手をしっかり握りその顔を男のすぐそばに近づけました。

「ねぇ、あなた?」

男は目を瞑ったまま答えます。

「なんだい?」

妻はもう一度、夫に呼びかけこう問います。

「ねぇ、あなた。最後のお願いはどうするの?」

男は急に何かの夢から覚めるような感覚に陥り、目を開けました。

そこにはまさに地獄のような光景が広がっていました。

自宅の自室のベッドに寝ていた筈なのに、そこは荒涼とした大地に代わり、荒れ果て崩れかけた土壁だけが空しくその周りを囲んでいます。

天井の代わりに男が見ることが出来るのは、まるでその男の最後を象徴するような暮れかけの太陽がもたらす、赤く紅く朱い、たなびく雲のコントラスト。

部屋の中は外から吹き込む嵐のような風により、埃や塵や砂が激しく中を舞っています。

自分の手を握っている筈の愛すべき妻はいつの日かバーで出会ったたグロテスクな悪魔にその姿を変え、そのすぐ横に居たはずの息子、娘もそのグロテスクな悪魔に似た二体の悪魔になり変わって笑っています。

自分のベッドの周りには、全く愛着の持てそうにない小悪魔が5~6体、楽しそうに踊り狂い、旧知の従業員はいつの日かの債権者に代わり、がなり立てるように男に向かって叫んでいます、おそらく債権の回収についてでしょう。

そのあまりにも死ぬ者を送り出すにしてはああまりにも不適切な状況の中、美しく愛すべき妻だった筈の女性が変わり果てた悪魔の姿で男に問いかけます。

「で、どうするのあなた?最後のお願いは?」

「で、男はどうしたんですか?」

それは飲み続ける男から、自然と口をついて出たように見えた。

黒づくめの男は嬉しそうな笑顔で、飲み続ける男の方に体ごと向きを変えると、それまで以上に饒舌にしゃべり始めた。

「男は全てを無かったことにしたかったんでしょうね。仮に二つ目の願いを無かったことにしたところで、男には虚無な人生が続くとしか思えなかったのでしょう。であるならいっその事……」

「三つ目の願いはなんだったんですか?」

飲み続ける男は先ほどより、強い口調で言った。

「男の願いは男がそのグロテスクな悪魔と会う前まで時間を戻してほしいというものでした」

飲み続ける男は手にしているグラスに残っている液体を全て飲み干した。

「……。」

「……。」

暫くの間、二人の間を沈黙が支配した。

キュッキュッとバーテンダーがグラスを拭く音だけが店内に響く

そんな沈黙を破ったのはやはり、飲み続ける男だった。

「つまり……その男というのが私だというのですね?」

「理解が早くて助かります。」

「で、あなたの要望は?」

「契約の履行です、あなたの魂を貰いに来ました」

「しかし、それは少しおかしくありませんか?」

「なにがです?」

「時間を戻せと言うのが男の最後の願いでしょう?」

「ええ」

「貴方がそれを記憶しているという事は、本当の意味では時間が元通りになっていないのでは?」

「どういう事でしょう?」

「確かに世界の時間は巻き戻ったのかもしれない……しかし、あなた自身がそれに含まれていないのでは契約の不履行に当るのでは?男は全てを無かったことにしたかったのでしょう?だとしたら、あなた自身も含めて時間が戻ってないといけないのでは?」

「なるほど、その言い分は分ります。しかし、残念ながら時間は戻っていますよ。ではなぜその記憶が私にあるのか?答えは簡単です、こう見えて私も悪魔ですからね貴方の願いを叶えるとこうなるというのが分るのです、つまり記憶ではなく予感であるということです。と言う説明は卑怯ですか?」

「卑怯かどうかは別として、今が時間を戻した結果であるという客観的証拠はないという事ですか?」

「少なくとも貴方が望む形ではあり得ません。」

「しかし、そうすると私は貴方の言葉だけを材料にその真偽を判断しなくてはならなくなる。」

「まぁ、そうなりますか。そもそも、時間を元に戻した証拠なんて存在し得ませんよ。証拠というのはあくまで時間が一方行にのみ進むから存在し意味を持つのです。未来で何らかの証拠を残したところで時間が過去に戻り始めた瞬間にそれは無くなります。証明不可能な命題ですよ。しかし、それでも何らかの証拠が欲しいと言うならば……」

「ならば?」

「契約の履行条件を少し緩めていただくしかないですね……。」

「いいでしょう、それで私を納得させることが出来るならね」

黒づくめの男は、飲み続ける男の小銭の山を指差した。

そこにはもう残り少なくなった小銭の山があり、山の下には紙幣が『2枚』あった。

「……?」

「どうやらあなたの願いを叶えたもう存在しない未来の私は、貴方がそう言うの見越していたようです。そして、一部の空間の一部の時間だけを戻すのをやめたようです。」

「……。」

「そこにある一枚の紙幣は、おそらく今はもう存在しない私が貴方の願いを叶える時に貴方に話を聞いてもらうために置いた一枚、そしてもう一枚は時間戻した後に今の私が貴方に話を聞いてもらうために置いた一枚。」

「はははは。」

飲み続ける男は、本当に愉快そうに笑った。

「なるほど、なるほど。参りました、よくできた話ですね。ところで貴方はマジシャンか何かですか?それとも本当に……」

黒づくめの男はそれに答える代わりに、にやりと口角を上げた。飲み続ける男もそれ以上深く聞く代わりに質問を代えた。

「そう言えばあなた私の言動が分ると言っていましたね?」

「ええ。」

「私が最終的に納得する事も分っていたのですか?」

「それは質問ですか?3つ目の願い叶えたことを了承してもらった以上、4つ目の願いは叶えられません。」

「……。」

「それに……まぁ、いいじゃないですか。どっちにしろ、貴方は……するつもりだったんでしょ?」

「貴方は本当に……。」

飲み続ける男が最後の一杯を飲むと二人はまだ明けきらぬ夜へと消えて行った。

私はカウンターを片づけると、最後に黒づくめの男が置いて行った金の勘定をした。

それは場末のバーで飲んだ代金として払うにはかなり不釣り合いな金額だ。今回の報酬も含まれているのだろう。

私はこうしてたまに彼ら……黒づくめの男が所属する組織の手伝いをする。

連れて行かれた者が何処に連れて行かれ、何に利用されるのかは正直分らない。

人身売買、臓器売買、変態金持ちが開くパーティの余興など、彼らにニンゲン一体を自由にしてよい権利を与えたらどうするか?

考えるだけで胸糞が悪くなる、それこそ悪魔的な所業も行われているだろう。

私がここで店主兼バーテンダーとして働く傍ら、彼らから請け負っている仕事は主に3つ。

①条件に合いそうな客が現れたら知らせること

②その客にあらかじめ幻覚剤を少量飲ませておくこと

③隙を見て紙幣を一枚置くこと

この界隈で店をやり続けるには彼らの庇護に加わるしかない、また、これによる臨時収入もかなりオイシイ。

「『全て』を終わらそうとしていらっしゃる。」

黒づくめの男が飲み続ける男に声をかけた時の言葉だ。

カマをかけるには上手い言い方だと思う、この場合なにが『全て』かは人によって違う、「今日はこれで飲むのは終い」と言う意味で使う人も居れば、かなり特殊ではあるが今回の飲み続ける男の様に人生で考えている人も居る。

彼らはよく私に聞くことがある。

「どうやって条件に見合う客を見分けてるんだ?」

私が彼らにそれを教えることはないだろう、教えてもどうしようもないからだ。

そもそもこのような場末のバーに、そのような人生に打ち破れた人が集まりやすいっていうのは一つあると思う。

しかしこれは一種の才能だろうと思う、何故か私には死を覚悟した人間、又はそれが近い人間が分るのだ。

誰かから聞いたところによると、少数だが黒い靄がかかったように見える人が世の中には居るらしい。

私の場合は少し見え方が違うが、おそらく同じような原理が働いているのだと思われる。私は少数の更に少数というう所か。

時々思うことがある、彼らはもともと死が確定されているから私にはそう見えるのか?それとも、多少揺れている中、私の店に来ることによってつまり私によって決定的になものとなるのでそう見えるのか?

外が明るくなってきた、もう店じまいをしなくては夜の開店に間に合わない。

いつもの事であるがその事については深くは考えない。

人を一人地獄に送ったようで気分は悪いが、おそらく私は今夜も何食わぬ顔でこのバーの営業するだろう。

肩に悪魔が乗った客が来るのを待ちながら。

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奥の深い話ですね。読み耽ってしまいました。