その場所は太宰府天満宮から徒歩五分ほどの場所にある古い喫茶店である。一階は木刀などの修学旅行生を虜にするアイテムを揃える土産物屋、二階は少し大きめの座敷になっており、普段は喫茶店として使用しているが、現在はとある団体が貸しきりで使用している。クリスマスが終わった辺りから、二十人ほどの男女が籠ってなにやらしている。
店主の孫、松戸晶子は年末に帰省した際に二階に出入りしている大人たちを見かけたが、年齢も性別も様々で統一感がなく、なんだか怪しい雰囲気を醸し出していた。
店の店主である祖母に話を聞いてみると、祖母は「怪しい人たちではないから、だいじょうぶ」とふんわりしたことを言った。しかし、祖母は今年で米寿を迎える老人であり、怪しい詐欺集団に騙されていたとしてもおかしくない。今年の帰省は、大学受験を控えた自分だけが前乗りする形で祖母の家に来ており、両親がやってくるのは年が明けてからである。祖母のことは自分が守らねばならない。
怪しい一団の名前は「非営利団体 やおよろず」とある。いかにも怪しい。
代表者の名前は「菅原道真」とある。
晶子の中の警戒レベルが、すぐさま危険域に達したのは言うまでもない。
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太宰府天満宮の参道は美しく整備され、歴史ある趣のある風情を醸しながらも、時代の流行を取り入れた新しさが常にある。とりわけ大晦日の夜ともなれば、全国から我先にと参拝客が訪れ、満足に歩くこともできないほど混雑する。地元の人間は大晦日の夜から出歩かず、三ヶ日が過ぎるまで自宅で貝のように自閉するのだ。勿論、若者であれば喧騒を好んで出歩く者もいる。
しかし、晶子は泣く子も黙る受験生である。
浮かれている場合ではない。志望校の偏差値は高く、今のままでは補欠合格さえ難しい。
祖母の家の客間で文机に座り、参考書と睨み合っていても、煮詰まった頭はうまく働かない。窓の外から聞こえて来る観光客の喧騒や、参道のスピーカーから聞こえてくる雅楽の音に無性にイライラする。
「ショウちゃん」
振り返ると、梅ヶ枝餅と渋い茶を淹れてくれた祖母が柔らかくこちらを見ていた。おっとりとした祖母を前にすると、苛立って尖った気持ちが少し丸くなったような気がした。
「お疲れ様。甘いものでも食べて、少しでも気を抜いてちょうだい」
「ありがとう、おばあちゃん。いただくわ」
焼きたての梅ヶ枝餅はまだ熱いほどで、口に入れると皮目がパリパリと香ばしい。餡子は甘く、渋いお茶で流し込むとなんとも言えない心地よさがあった。
「おいしい。これ、きくちさん?」
「そうよ。ショウちゃんは、きくちさんトコのお餅が一番好きやったでしょう」
「うん、一番好き。飛梅漬けも美味しくて、あそこ以外では食べなかった」
「お父さんも好きやったのよ。お母さんと二人でデートして食べてたわ。わたしも嫁いだ頃から食べているのよ」
くすくす、と祖母と笑い合っていると、不意に傍にある山積みの梅ヶ枝餅に気がついた。
「おばあちゃん、そんなに食べるの?」
「いいや。これはお客様のとこに差し入れで」
晶子は思わず顔をしかめた。
「お客様って、あの貸切で座敷を使ってる人たち?」
「そうよ」
「ねえ、おばあちゃん。あの人たち、何者なの? なにをしているの?」
「心配しなくても大丈夫。あの人たちは、よく知っている人たちだから」
「知っているなら教えてよ。なにしている人たちなの?」
心配を他所に、祖母はニコニコと柔和に微笑んでいる。
「なにをしていてもいいじゃないの。御勤めをしていらっしゃるのだから。こうして、うちをご贔屓にしてくれるだけでも感謝しないといけないわ」
「甘い。騙されてからじゃ遅いのよ?」
「そうかねえ。なら、ショウちゃんに頼むとしようかね」
祖母はどっさりと山積みになった梅ヶ枝餅を押し付けて、ゆっくりと告げた。
「ショウちゃんが差し入れてあげてちょうだい。きちんとご挨拶するんだよ」
私は反論しようとして、胸のなかでむくむくと好奇心が芽生えるのを覚えた。
あの怪しい連中がなにをしているのか、興味はないのか? 勿論ないと言えば嘘になる。けれど、一分一秒を争う受験生にそんな暇があるのか。
「気分転換だと思って、いって来なさいな」
祖母の一言に、晶子は素直に、はい、と答えた。
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自宅から店まで徒歩数分。味噌汁も冷めぬ近さとあって、梅ヶ枝餅もアツアツのまま店へと辿り着いた。表道から行けば観光客に揉まれて踏まれて大変な目に遭うが、自宅から続く裏路地を通ればほんの数分である。
「あら、晶子ちゃん。お久しぶり。大きくなったわねえ」
店番をしながら掃除をしている恰幅の良い女性が、ニカっと笑う。
「ご無沙汰してます。典子さん」
「二年ぶりかしらね! まあまあ、大きくなって。もう受験生よね?」
「はい。合格祈願も兼ねて帰って来ました。典子さんもお変わりなく」
「やあね、肥ったわよ。年々増量してるんだから」
カラカラと笑って、どうしたの?と聞いてきた。
「おばあちゃんに頼まれて、差し入れを上のお客様に」
「ああ、なるほど」
「あの、典子さん。上にいるお客さんのこと、よくご存知ですか?」
「知っているっていうほど話したことはないけど、菅原くんとは世間話くらいするわねえ」
「あの人、菅原道真っていう名前なんですよ? 怪しくないですか?」
「変わった名前よねえ! でも、ここいらじゃめでたい名前よ」
「そうじゃなくて。偽名じゃないんですか?」
「保険証と免許証見たけど、本名みたいよ」
「でも、会社の名前だって変だし」
「今時どんな名前の会社でも驚かないわよ。なに、心配してるの?」
「はい。なにしてるのか、おばあちゃんは知らないって言いますし。そのくせ、大丈夫大丈夫って言ってて」
「なるほどねえ。孫娘としちゃあ、心配なわけだ。まぁ、確かに妙な人たちではあるわね」
「妙ですか。やっぱり」
「何人かでシフトを組んで入れ替わり立ち替わり、なにかをしているみたい。入ってきた時は割と元気なんだけど、終わって出て行く時には死ぬ寸前みたいな顔をしているわ。よっぽど大変なんでしょうね」
「やっぱり怪しい」
「なら、直接見てきたらいいじゃない。見学したいって頼めば少しくらい見せてくれるでしょ」
「そうですね。とりあえず見てきます。それで悪そうな人たちだったら、おばあちゃんが目を覚ますように言います」
「はいはい。いってらっしゃい」
晶子は意を決して、二階への階段を上っていった。
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大晦日前日の忙しさたるや、八百万の神々でも過労死するのではないかと思える程で、昨日の夜には作業の限界を迎えた畳の神がキレてしまい、棚の上にあるミニ達磨を窓から奇声をあげながら投げ続けるという事態となってしまった。タジカラノミコトが背後から羽交い締めにして素早く気絶させてくれたからよかったものの、下手をするとこの作業場から追い出されかねない出来事だった。
この座敷には今、十四人の神々が机に向かって黙々と作業を続けている。私こと菅原道真を祀る太宰府天満宮は「学問の神」としての御神徳を得るべく年間八〇〇万人を超す参拝客のやってくる福岡県屈指の大神社である。
しかし、それはあくまで人間たちの都合である。実際にこの地に住まう私は五条駅にほど近くにある四畳半のアパートに暮らし、市民税を収める一納税者である。どれだけ神社が儲かろうと、私個人の懐は一銭も儲からない。信仰心は顕現に必要なエネルギーではあるが、経済的なエネルギーには全く還元されない。故に、この国に住まう八百万の神々は完全に非営利団体である。
さて、神としての私がなにをするのかと言えば、学問の神として合格を確約する、などというものではない。私の神としての力など知れたもので、その人間の偏差値がわかる、というものだけだ。なので、私がやれるのは願った者が少しでも万全の状況で居られるよう、他の神々と共に天候を調整したり、食あたりにならないよう仕向けたり、事故に遭わないようするなどと言った、学力上昇とは無縁の力である。
そういうわけで、今も神々が自らの御神徳を存分に振りまけるよう、その準備を行っているのである。日本の神々というのは専門職のようなもので、全知全能みたいな神はひとりもいない。なので、それぞれが力を尽くせる分野を互いにフォローし合うようになっているのだ。
勝負は大晦日の夜から三ヶ日まで。この四日間が一年で最も辛く、長い日となる。
文机に座り、筆が走る音だけが響く。どの神々の目の下にもクマがあり、誰もかれもが眠気と戦っている。隣で歯を食いしばっている神功皇后様は、今時にセットした髪を無残にも崩し、懸命になって案件に目を通している。傍には駅前のローソンで買って来た「眠眠打破」が転がっており、痛々しい。
「大丈夫ですか?」
「幻覚が見えてきたわ。身籠っていたのに海に出た時のことを思い出しそう」
言いながら、筆を書く手は全く止まっていない。神功皇后ことオキナガタラシヒメノミコトは私が神に祀られた時には既に宮地嶽神社で祀られていて、大先輩に当たる。そんな彼女に毎年こうして手伝って頂くのは悪い気もするが、お互いに助け合わねば乗り切れないので仕方がない。彼女は交通安全、戦勝、海の安全を司る神で、非常に強い御神徳がある。
「ああ、あの応神天皇を身籠っていらした時に、出産が遅れるように石をお腹につけていた時のことですか」
「そう。あれね、ホントはよくなかったのよね。妊娠中にお腹冷やすとか危険って近所の若いママに怒られちゃって。ホント反省」
「いや、でも戦に出る為だったんだから仕方ないんじゃないでしょうか」
「そうよね。確かに旦那が神様馬鹿にして祟り殺されたから、あたし以外に戦いに出られる人なんかいなかったし。仕方ないっちや、仕方ないか」
「結構ご近所付き合いしているんですね」
「してるわよ。だって一人じゃ寂しいじゃない。夏もみんな友達を呼び合ってBBQしたりして楽しいわよ」
「え? わたし、呼ばれてませんけど」
「夏の海とか似合わないじゃない。インドア派が無理することないわ」
ケラケラと笑い合っていると、コンコン、とドアがノックされた。
「はいはい。ちょっと待ってくださいね」
お呼びしていた宗像三女神がいらしたかな、と思ってドアを開くと、そこには黒髪の可愛らしい女の子が挑むような目つきで私を見ていた。
「げ」
一瞬、その場にいた神々全員が凍りついた。
人間の娘であることもそうだろう。だが、それ以上に私が凍りついてしまったのは、一目で彼女の偏差値が志望校のそれよりも遥かに低いことが分かってしまったからだった。
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「げ」
開口一番、その男はそう口走った。
若い男だった。三十代前半くらいの痩せぎすの男で、垂れ目にメガネ。白いシャツの上からセーターを着ていて、下は地味な綿パンを履いている。地味な男、という印象が強かった。
その男が、私を見て引きつった顔をしている。
初対面の相手にこんな顔をされたことはなかったので面食らったが、晶子は食い下がることなく、中に入って一礼した。
「松戸晶子といいます。店主の孫です。つまらないものですが、差し入れを持参しました」
「あ、ああ。これはどうも。ご親切に」
「あなたが、菅原さんですか?」
「え? あ、はい。私が菅原です」
「菅原、道真さん」
「は、はい。そうです」
「偽名ですか?」
「ええっと、いえ、本名です」
男は思い出したように懐から名刺入れを取り出すと、一枚の名刺を寄越してきた。そこには水引のイラストと共に『非営利団体 やおよろず 福岡支店 学問部 菅原道真』とある。
「ご親切にどうも。あの、少し見学をさせて頂けないでしょうか」
「え? 仕事をですか?」
「はい。祖母が見せてもらえ、と」
「絹代さんが?」
男は少し驚いた顔をした後、それなら、と納得した様子だった。どうやら思っていたよりも古い付き合いなのかもしれない。
座敷の中には男を入れて十四、五人の男女が入り混じっていて、全員が文机に書物のようなものを広げて、そこへ筆で何かを書き記している。なんとなく文化財関係の仕事のようだ。
「あら、あなたもしかして晶子ちゃん?」
気さくに声をかけてきたのは、三十代くらいの綺麗な女性で今時のゆるふわな髪型をしていて、カラーコンタクトをしている。デコネイルまでしていて、およそ文化財とかと無縁そうに見えたが、なんとなく見覚えがある顔をしていた。
「覚えてない? まだ小さい頃に抱っこしたことあるんだけど」
「ええと、すいません。覚えてません」
「沖永っていうの。改めまして。ホントに大きくなったわねえ」
「祖母のお知り合いですか?」
「そりゃあもう。小さい頃から知っているわ」
小さな頃から祖母と知り合いだなんて。この辺りの方なのだろうか。
「菅原くん! ほら、晶子ちゃんよ! 赤橋のとこで鯉に餌をやろうとして池に落ちた、あの!」「ああ! あの子か! うわあ、大きくなったなあ」
なんでそんなことを知っているのだ。あれは自分がまだ幼稚園くらいの話なのに。
「あの、この辺りに昔からお住まいなんですか?」
「そりゃあもう。古いわよ」
晶子はなんだか恥ずかしくなった。なんということもない。この人たちは地元の人で、文化財関係の人間なのだ。祖母とも旧知の間柄であるばかりか、幼い自分のこともよく知っていた。それを自分は勝手に不審者扱いして。なんて恥ずかしいのだろう。
「あの、お邪魔してすいませんでした」
「え? もう帰るの?」
「受験生なので。勉強します。有難うございました」
「ちょっと待ちなさいよ。どうせ、夜にはお詣りに行くんでしょう? なら、ここで済ませちゃいましょう。ほら、菅原くん。出番よ」
「メチャクチャ言いますね」
「いいから、早く」
菅原さんは少し困ったような顔をして、それから私に不思議なことを言った。
「とにかく少しでも長く勉強をするんだ。きちんと1日3食ご飯を食べて、適度に運動をして、空いた時間は全部勉強に当てること。それだけできっと合格できる。お詣りなんか行かなくてもいいから、とにかく勉強しなさい。きっと大丈夫。私がお墨付きをあげよう」
よく言うだろう、と彼は言う。
「人事を尽くして、天命を待て。やれるだけのことをやりなさい。あとは神様がなんとかしてあげられる」
出会ったばかりの人に不思議なことを言われたのに、なんだか急に楽になったような気がした。胸の中にあった苛立ちが溶けて消えていくようだった。
「あの、有難うございます。勉強がんばります」
がんばって、とその場にいる全員が拍手をしながら応援してくれたので、恥ずかしくなってそそくさと退散してしまった。
一階へ降りると、木刀で背中を器用に掻いていた典子さんがニカっと笑う。
「どうだった? 悪い人たちじゃないでしょう?」
確かに。不思議だけど、怪しくはなかった。
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晶子ちゃんが帰った後、その場は彼女のことで持ちきりだった。やんややんやと盛り上がり、調子に乗った神々が自分たちの御神徳を大盤振る舞いしていた。彼女はきっと素晴らしい一年を過ごすに違いない。
「驚いた。あの子がもう受験生か。早いなあ」
あの子は本来、あの池に落ちて亡くなる筈だったのだ。それを予知した神々があの手この手で救ったのだ。あの子は私たちにとっても印象深い子だった。本当によく救えたものだと思う。
「偏差値足りなかったの?」
「ええ。でも、生真面目な子だから落ち着いて勉強できれば大丈夫でしょう。あとは運ですね」
「そう、なら良かったわ。天運の方はこっちでどうとでも出来るもの」
それもそうだ。人事に及ばぬ所を、神が支えず如何とする。
「さて、年越しまであと数時間よ。気合を入れていきましょう」
おーっ!と全員が気声を吐く。
「さて、やりますか」
うちの団体のスローガンは発足当時から変わらない。
『人事を尽くした者に、天命を』である。
私は梅ヶ枝餅を頬張って、気合十分に筆を取った。
作者退会会員
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