18年07月怖話アワード受賞作品
長編10
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赤い傘

 晴れの日の夕暮れに、赤い傘の女に声をかけてはならない。

声をかけると、魅入られて黄泉の国に連れて行かれるとか、取り憑かれるだとか噂されているが、本当のところは定かではない。

 いわゆる、都市伝説というやつだ。

俺は、今、オカルト記事ばかりをネットサーフィンしていて、この記事に目が留まった。

魔物には、影が無い。それを誤魔化すために、晴れの日でも赤い傘をさしているのだという。

もし、影が無いことに気づいてしまうと、魔物は言うことを聞かなければならないというのだ。

「へえ、魔物を傅かせることができるなんて。無敵じゃないか。」

俺は、くだらない都市伝説を鼻で笑った。

 それは、あくまで誰かの作った都市伝説のはずであった。だが、次の日、俺の目の前に、それは現れた。

雨上がりの強い日差しの中、誰もが傘を畳んで泥交じりの水を跳ねながら歩いているのに、一人だけ赤い傘を差して、バスターミナルに佇んでいる女がいた。

 赤い傘のせいか、顔は紅潮しているように見え、透き通るような白い肌までも赤く染め上げて、幻想的に佇んでいた。

 晴れの日の夕暮れに、赤い傘の女に声をかけてはならない。いや、これは、声をかけるべきだろう。絶世の美女。ちょうど俺と同じくらいの年齢だ。都市伝説など、誰か発祥のハッタリの戯言だ。

「雨、止んでますよ?」

俺は、思わず声をかけていた。

女は、驚いたように、顔を上げた。大きく見開かれた瞳が美しい。まるで吸い込まれそうな、綺麗な薄茶と黒のコントラスト。

「あ、本当ですね。」

女は、恥ずかしそうに傘を畳んで微笑んだ。天使だ。傘を畳んでも、その肌色は、夕日に照らされて赤く火照っている。

すぐにバスが来て、俺は本当は用もないのに、彼女を追って、そのバスに乗り込んだ。

黙っていれば、俺も同じ方向に帰る乗客に間違いないのだから。

これは、決してストーカー行為ではない。しかも、都合の良いことに、バスは程よく混んでいて、俺は彼女と並んで座ることができた。

「教えていただいて、ありがとうございます。あのまま、傘を差していたら恥をかくところでした。」

美しい上に、礼儀正しい。俺は、ますます彼女に惹かれた。

「いえいえ、大したことじゃありませんから。」

それに、あのままでも恥をかくというより、赤い傘がよりいっそうあなたの美しさを引き立てていました、と言いたかったところだが、ナンパ男と思われそうで、その言葉は飲み込んだ。

「雨が止んでよかったですね。」

俺は、何とか話を続けたくて、どうでも良い天気の話題を彼女に振った。

「ええ。でも、私、雨も好きなんですよ。」

「そうなんですか?」

「ええ。私、小さいころから変わった子でね。傘が大好きなんです。」

「傘が、ですか?」

「そう、傘。初めて買ってもらった傘が大好きで、子供の頃、嬉しくて晴れの日も傘を差して行くって聞かなかったらしいんですよ。」

そう彼女は言い、少し恥ずかしそうに笑った。そのしぐさが、また俺の心をぐいぐいと引き寄せた。

「へえ、そういえば、今日の赤い傘、すごく似合ってました。」

「ありがとうございます。これ、すごくお気に入りなんです。私、色が白すぎて顔色が良くないから、この傘を差せば、なんとなく血色がよく見えるでしょう?」

 いや、傘を差さなくても、十分美しいけど。一通り世間話をすると、彼女は自分の家の最寄りのバス停で降りて行った。俺は、美女と話ができた高揚感で、すっかり彼女の情報を得ることを忘れてしまった。下心があると、彼女に思われるのが嫌だった。

 ああ、こんなだから俺にはいつまでたっても彼女ができないのか。ふがいない自分にため息をつきつつも、バスを降りた彼女の後姿を見送ると、また雨が降っていた。彼女は赤い傘を差して、嬉しそうに振り向き、俺に手を振った。俺は、それだけでも、今日はついてるなと幸せな気分になった。

 愚かにも、美女につられて、逆方向のバスに乗ってしまった俺は、次のバス停で降り、やむなく引き返すということに時間を費やしてしまったが、まったくその時間を無駄だとは思わなかった。

 家に帰ると、俺はまた、気になってあの都市伝説のサイトを覗いた。

「もし、影が無いことに気づいてしまうと、魔物は言うことを聞かなければならない。」

そういえば、彼女に影があることを確認したっけ?俺はそんなことを一瞬考えてしまって、すぐにバカな考えを一蹴した。魔物なんているわけがない。まあしかし、彼女が魔物であれば、それはそれであんなに綺麗な魔物ならぜひ、黄泉の国だろうがどこだろうが着いて行くな。

 もしも、この都市伝説が本当なら。俺はあらぬ妄想をした。彼女に影が無いことを俺が指摘すれば、気付かれた彼女は、俺の言うことをきかなければならない。不謹慎だが、俺は彼女で嫌らしい妄想をしてしまった。

 数日後、奇跡は起こった。俺は、また彼女に出会ってしまったのだ。これは、もう、運命だろう?

彼女は相変わらず、あのお気に入りの赤い傘を差していた。夕暮れ、雨は降っていない。よほどあの傘がお気に入りらしい。晴れた日に日傘でもなく、赤い傘を差していれば、嫌でも目立つ。

 バカな想像が俺の頭を支配した。彼女は俺に会いたがっている。俺は、慌てて人込みの中、彼女の赤い傘を追った。そして、彼女は、俺に気付く。彼女は少し驚いた顔をしたが、まっすぐに俺を見つめると、妖艶に微笑んだ。そして、ゆっくりとお気に入りの赤い傘を閉じた。

 やっぱり!俺を待っていてくれたんだ。彼女は、俺の運命の人。彼女が細い腕を俺に振る。長い黒髪、白い肌、白いフレアーのロングスカートが風に揺れ、美しい細い脛がちらりと見えた。その瞬間、俺はあることに気付いてしまった。

 道行く人の影が、細く伸びて一方向に行儀よく並んで歩いているのに、彼女の足元には、それが無かった。影が無い。俺は、彼女の足元から、ゆっくりと顔へと視線を移した。

「よお!時田!久しぶり!」

後ろから、俺の肩を叩くものが居た。

振り返ると、そこには、学生時代の悪友、行谷が立っていた。

行谷は、大学在学中、オカルト研究会というサークルの仲間で、よく心霊スポットまわりや、廃墟巡りをして、立ち入り禁止の場所に立ち入って、その土地の管理者に追いかけられたりもした。

「おお!行谷じゃないか。元気だったか?」

俺は彼女が気になったが、声をかけられ無視するわけにも行かず、答えたのだ。

俺は、彼女が気になってすぐに、振り返ったがそこに彼女はもういなかった。

「どうした?誰かと待ち合わせか?」

行谷に言われ、

「い、いや、別に。」

と取り繕った。

「いやあ、ほんと久しぶりだな。どう?今時間あるんなら、どこか飲みにいかね?」

「いいね!時間なら腐るほどあるぜ。彼女いねえから。」

「右に同じ!じゃあ、行こうか!」

俺と行谷は、駅から歩いてほど近い居酒屋へ向かった。

「ま、とりあえず、久しぶりの再会に、乾杯といきますか!」

行谷と俺は、生ビールをジョッキで頼むと、乾杯をして、乾いたのどを潤した。

「なあ、本当に大丈夫だったのか?」

「え?何が?」

「いや、時田、お前に、声かけた時に誰かを見つけたみたいに歩いてたから。待ち合わせじゃなかったのか?」

「うーん、待ち合わせってわけじゃあないんだけど。」

「ん?待ち合わせじゃあないけど?」

「笑わないで聞いてくれるか?」

「何だよ。」

俺は、今までの彼女との経緯について、行谷に話した。

「へえ~、運命の女かあ。赤い傘の女ねえ。どこかで聞いたことのある話だなあ。」

「ああ、偶然ネットサーフィンで見つけた都市伝説でさ。晴れの日の夕暮れに、赤い傘の女に声をかけてはならない、ってやつ。」

「あはは。」

「おい、笑わないって言っただろ!」

「ああ、すまんすまん。でも、その都市伝説さあ、ガセだぜ。」

「まあ、都市伝説のほとんどがガセだろうけど。でも、俺は運命を信じたい!」

「だってさあ、その都市伝説、俺が書いたんだもの。」

「はぁ?」

「だからあ、俺が在学中、オカケンでふざけて都市伝説でっち上げたっての。」

「マジか!」

「ああ、確か、もし、影が無いことに気づいてしまうと、魔物の言うことを聞かなければならないというやつだろ?思い出したわ。」

「え、ちょっと待って。言う事を聞くのは、魔物の方だろう?」

「ちげーよ、魔物の言うことを聞くって書いたんだよ。本人が言うんだから間違いない。」

「でも、このサイト、見てくれよ。」

「あー、これ、俺のサイトみて、無断転用してるんだな。お粗末だな。魔物の言うことを聞かなければならないってのを、打ちミスって魔物は言うことをきかなければならないってなったのかな。いや、故意にやってるのか。」

「なんだ、そうだったのか。」

俺はこんなやつのでっち上げの都市伝説に、勝手に自分で解釈してロマンチックな展開を想像していただけなのか。今更ながら恥ずかしい。

「まあ、でも、俺の書いた都市伝説が、お前にとってそんなふうに影響を与えていたなんて、感慨深いなあ。」

「ふざけんなよ、お前。俺は信じちゃったじゃないか。」

「お前、ちょろいな。でも、良かったじゃないか。俺も、そんな絶世の美女に出会ってみたいものだ。」

「すげえ、美人なんだぜ。本当に、今まであんな美人見たことない。」

「がぜん興味が湧いてきたな。で、お前は魔物を傅かせて何をしようとしてたんだよ。このスケベ。」

「もうその話はやめてくれよ。」

「とりあえずさ、俺もそんな美人なら見てみたいな。」

「駅周辺に居たら出会えるかも。二回とも駅周辺だったから。」

「マジか!俺にも会わせろよ、その絶世の美女。」

「ああ、でも、どこに住んでるのかは知らないぜ。」

「駅で待ってれば現れるかもしれないんだろ?じゃあ、今度の土曜日、俺と駅で待ち合わせしない?」

「正気かよ。現れないかもしれないんだぜ?」

「まあ、現れなければそれはそれでいいじゃんね。どこかパーッと遊びに行こうぜ。」

「まあ、暇だからいいけど。だいたい彼女は夕方現れる。」

「そっかあ、今度の土曜日、楽しみにしてるぜ。」

その日は、平日ということもあり、俺と行谷は居酒屋一軒で早々に飲みをお開きにし、その週の土曜日の夕方に駅で待ち合わせをした。

 そして、俺と行谷は、彼女を見つけた。彼女は相変わらず、晴れの日にも関わらず、赤い傘を差して人込みの中に佇んでいた。そして、俺を見つけると、彼女は遠くからまっすぐに俺を見つめた。

「信じられん。本当に俺の都市伝説そっくりの女が現れた。」

行谷は、茫然と立ち尽くし、彼女のほうを見つめた。すると、行谷は突然青ざめて、

「おい、あの女、ヤバいぞ。」

と俺の肩を掴んだ。その瞬間に俺のシャツの胸ポケットの携帯が鳴った。

俺は、慌てて携帯を開くが、それは見知らぬ番号からだった。

彼女は赤い傘を畳んでおり、彼女も携帯電話を耳にあてて、こちらをじっと見つめていた。

もしかしたら、この電話は彼女からか?いや、電話番号を教えた覚えはない。

ずっと鳴り続ける着信音。彼女は、携帯を耳に当ててゆっくりとこちらに近づいてくる。

「も、もしもし?」

俺は、思い切ってその電話に出た。

「ねえ、どうしてかわってくれないの?」

「は?」

その声はまぎれもない、今こちらに向かって歩いている彼女の声だった。

「か、かわるって?」

「だから、どうしてかわってくれないの?私に影が無いの、気付いてたんでしょう?」

「おい、時田、ヤバいって。逃げろ!」

近づいてくるにつれ、彼女の顔がはっきりと見える位置まで来た時に、俺の口から細い情けない悲鳴が出た。

彼女の美しかった瞳は、そこには無く、二つの真っ暗な空洞の闇がこちらを見据えていた。

「あなたがかわってくれないから、わたしはずっとこの傘を差して彷徨わなければならないのよ?影が無いのに気づいたのにずるいじゃない。私のいう事聞いてくれるんじゃないの?」

「うわああああ!」

俺はようやく事態に気付いて、携帯の電源をあわてて落として、行谷と人込みの中を走った。

「なああああああ、かわってよおおおおおお、かわれよおおおおおお!」

女は叫びながら、赤い傘をめちゃくちゃに振り回して俺たちを追いかけて来た。

驚いた人々の波が、モーセの十戒のごとく俺たちを避けていく。

ほどなくして、警察が呼ばれ、いつの間にか、女は消えていた。

警察にいろいろ聞かれたが、見知らぬ女に追いかけられたとしか言いようがない。

だが、俺はそれなりにショックだった。密かに好意を寄せていた女が化け物だったなんて。

「あれ、なんだったんだろうな。」

行谷がポツリとつぶやいた。

「さあ、なんだろう。だいたい、産みの親はお前だろ。」

「気味が悪いこと言うなよー。俺は関係ねーってば。」

「だって、お前がでっち上げた都市伝説そっくりの恰好してたじゃん。」

小競り合いをしていると、今度は行谷の携帯が鳴った。

行谷は恐る恐る、その携帯の番号を確かめる。

「なんだ、おふくろかよ。ビビらせやがって。もしもーし、ナニ?」

「・・・かわって・・・」

「うわあああああ」

行谷は、携帯を放り出した。

俺たちはお互いに、すぐに携帯ショップに行き、電話を変えた。

俺たちは、お互いに新しい電話番号を交換し、その日は別れた。

数日後、行谷から連絡があり、俺は待ち合わせ場所に車を走らせていた。

あのことがあって、もうあまり駅周辺には近づきたくない。

雨の中ワイパーをフル稼働して、目的地に着いた頃にはすっかり雨は上がっていた。

「なんだって、こんなうら寂しい漁港なんだよ、まったくあいつ。」

俺は、車を降りると、夕闇せまる漁港の波止場に、行谷は立っていた。

「おーい、お待たせ。なんだってこんな場所に呼び出したんだよ。」

行谷は、ゆっくりと振り返る。

手には、赤い傘を持っている。

俺はそれを見たとたんに、足を止めた。

行谷の目は黒い闇。

「なあ、時田・・・・カワッテ・・・」

行谷の足元に影は無かった。

Concrete
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話の長さも丁度良くて、なおかつめちゃ怖い・・・。
購読中になって正解でしたw。

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