中編5
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後藤さんちの拓海くん

久しぶりに後藤さんの姿を見た。

後藤さんは、いつも優しそうな微笑みをたたえたご近所でも評判の美人の奥様で、長く後藤さん夫婦には子供がおらず、ようやくご懐妊になり、つい最近まで大きなお腹を抱えて幸せそうにしていたのだが、ここ一か月くらい姿を見なかった。

「お久しぶりです、後藤さん。」

ふっくらしていたお腹は、見事に元のスレンダーな体に戻っていたのだ。

「もしかして、産まれたの?」

私は期待を込めてたずねると後藤さんは嬉しそうに頷いた。

「ええ、一か月前に。里帰りしてたんですよ。」

なるほど、それで姿を見なかったのだ。

「うわぁ、おめでとうございます。で?男の子?女の子?」

「男の子です。拓海と名付けました。」

「男の子!今度ぜひ見たいなあ、赤ちゃん。」

そう言うと後藤さんは少し寂しそうな顔をした。

「それが、未熟児だったので、まだ保育器の中なんです・・・。」

「そうだったの。まあでも、最近は医療が進んでるから。すぐに育ちますよ。うちの子も未熟児だったんだけどね、家に連れて帰ったとたんにミルクをたくさん飲んでプクプク太っちゃって。」

私は自分の子育て期を思い出していた。後藤さんも未熟児で子供が出て来たのは不安だろうけど、保育器を出てしまえばあとは子供って勝手に成長するものなのだ。私はあの頃の自分と後藤さんを重ねて見ていた。

きっと大丈夫。今は不安でいっぱいだろうけど、子供は成長とともに幸せをいっぱいくれるものなのだから。

私は暖かい目で後藤さんを見守った。

「困ったことがあったら、何でも言ってね。これでも子育てでは先輩だから。」

「ありがとうございます。心強いわ。」

しかし、数か月経っても、後藤さんが子供を抱いている姿を見ることは無かった。

近所でも、ちょっとした噂になった。

もしかして、後藤さんちの子供は重い病気なのではないかと。

あまり立ち入ったことを聞くのも心苦しいのだが、私は思い切って彼女に聞いた。

「お子さん、見かけないけど、ご病気なの?」

すると、後藤さんは困ったような悲しいような顔をした。

「ええ、少し重い病気で。まだ入院してるんです。」

せっかく授かった子供が重い病気だなんて。私は彼女を気の毒に思い、彼女を励ました。

「大丈夫よ。最近の医療は進んでいるから。私に協力できることがあったら何でも言って。」

「ありがとう。」

一年経っても二年経っても後藤さんの家には子供の気配が無かった。

それどころか、最近後藤さんの家に異変が起きた。

後藤さんの家から、昼夜問わず奇声が聞えてくるようになったのだ。

近所では、どうやら後藤さんちの拓海くんは重病というより、重度の発達障害を持って生まれて来たのではないかという噂が広まった。一向に姿を見せない子供、家の中から聞こえてくる子供の奇声。

後藤さんは日に日にやつれて行き、追い打ちをかけるように、ご主人が亡くなってしまった。

ご主人のご葬儀も、親族だけで執り行われ、私達は彼女に何も力になることはできなかった。

ご主人が亡くなってからも、後藤家からの奇声は相変わらず聞こえてくる。

美しかった後藤さんの肌も髪も、日に日に衰えて行き、体はやせ細って行った。

それと共に徐々に後藤さんは、外に出ることもめったになくなり、ご近所付き合いも疎遠になってきた。

そんな日々が十年も続いた頃、後藤さんの家が火事になり、全焼してしまった。

後藤さんは逃げ遅れて焼死、不思議なことにそこに拓海君の焼死体は出てこなかったのだ。

私は拓海君はきっとどこかの施設にでも預けて無事だったのだろうと、不幸中の幸いだと安堵したのだ。

後藤さんの葬儀はやはり親族だけで執り行われたようで、私は結局彼女に何もしてあげられなかったことを申し訳なく思った。私に何かできることがあったのではないか。でも、一体私に何ができたというのか。

私は全焼した後藤さんの家にそっと花を手向けた。

「ごめんね。何も力になってあげられなくて。」

私が手を合わせていると、後ろに人の気配を感じて振り向いた。

するとそこには、30代くらいの美しい女性が立っていた。

彼女の手にも白い花が握られている。

女性は一礼すると、私に話しかけて来た。

「私、後藤華子の妹で、亜紀と言います。」

「ああ、妹さんですか?道理で似てらっしゃると思ったわ。私、近所に住んでいる宮里と言います。この度はこんなことになって。お悔み申し上げます。」

「いいえ、こちらこそ。姉がご迷惑をおかけしまして。」

「とんでもない。火事は仕方ないですよ。後藤さんちは離れていてどこにも燃え移ってないですし。」

「いえ、たぶんそれだけではなく、姉が生前さぞご迷惑をかけていたのではないでしょうか。本当にすみません。」

「とんでもない。後藤さんはいつも穏やかで温和な方でしたわ。ところで、拓海君は元気?」

「・・・拓海・・・ですか?」

亜紀さんはキョトンとした顔をしていた。

「あなたからしたら甥っ子になるのかしら?後藤さんの息子さん。」

亜紀さんは明らかに困惑していた。

「姉に子供はいません。」

「えっ?」

「死産だったんです。男の子だったんですけど。」

私はわけがわからなくなった。確かに拓海君は存在したのだ。

後藤さんも、男の子が生まれたと幸せそうに報告したではないか。

「で、でも・・・。時々、家の中から声が・・・。」

「それって、もしかして、奇声ですか?」

亜紀さんからそう言われて、ドキっとしたが頷いた。

「きっと子育て、大変だったでしょうね・・・。」

私がそう言うと、亜紀さんが唇を噛んだ。

「それは、姉の声です。」

「えっ?」

亜紀さんの話によると、産まれる前から男の子だとわかっていたので、拓海と早くから名付けて、後藤さんはその誕生を楽しみにしていたのだと言う。しかし、結果死産だった。その日から、後藤さんは精神を病んでしまったのだと言うのだ。死産を認めず、拓海君は存在しているものとして生活をしていたそうだ。

だが、時に現実に戻ることがあって、その時に耐え切れず、彼女は奇声を発するのだと言う。

それを私達近所の人間が、勝手に拓海君の声だと勘違いして噂していただけなのだ。

初めから拓海君は存在していなかった。

私は、その事実を聞かされて、胸が痛んだ。

どうして後藤さんが、あんな穏やかで美しい人がそんな目に。

私があらためて、手を合わせて彼女の死を悼んだ時に、突然叫び声が響いた。

驚いて顔を上げると、目の前に黒い影がユラユラと揺れていた。

その腕の中には、黒く焦げた塊が抱かれている。

「ご、後藤さん?」

私は直感的に、それが彼女だと感じて、そう口に出していた。

「きゃあああああああああああああ」

その影が黒い塊を抱きしめて叫ぶと、空から冷たい雨が降り注いできた。

「姉さん・・・。」

亜紀さんにも見えているのだろう。聞こえているのだろう。

彼女の悲しみが。

Concrete
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