中編6
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 千の位が一である最後の年。8月です。晴れていました。雲もなかったとおもいます。

 地元である市の名前を冠する駅。その前の広場です。周囲をうすら高く、突起もないビルの壁面にかこまれた穴でした。

 私は穴の片隅でバスを待っていました。半透明な屋根が2本の柱に支えられ、背中合わせに置かれたベンチをドドメ色に染めているバス停です。

 バスが来るまでまだ幾分かの時間があります。

 バス停には他に待っている人も居ませんし、灰皿もありました。しかし私はタバコを吸いたいと思いませんでした。ただ広場と正対するベンチで壁の下を流れ、動き続けている人と車の残像を白目で眺めていたのです。

 煙草の箱はわきに置いてあるスーツの上に、腕時計と一緒にのっています。時計の針は午後1時半でした。

 左手を自分の喉元へ持っていき、ネクタイを緩めます。背もたれへ背中をあずけ、その上に右の肘を置いた姿勢です。

 耳のすぐ近くを汗が流れていきました。

 目の前に広がる敷地を2画で表せる形が横断して行きます。駅は私の左側にあるので、そこから出ていく方達は『人』の形を、入っていく方達は『入』の形をしています。『入』の多くは足早に駅へと向かい、『人』はあまりの日差しに手や眉間で日よけを作って、私の前ですれ違い、別の人の流れへと消えていきます。

 真昼の空を眺めることも、それを反射し熱気を発する地面を見下ろすこともできず、逃げ水の中を視線が泳ぐうつろな目をした人々。ドドメ色の影にいる私だけがそうではなかったのです。

 もし、私のほうを向く通行人がいたとすれば、私の風体を見て就職活動中の大学生だと勘違いしていたのかもしれません。普段の私ならそれに気づいて、影を落とし所在のつかめない人々の視線を気にしはじめ、童顔と小さな背筋に汗を浮かべ、平静を装った顔で煙草をふかしていたと思います。

 まばたきをした拍子に汗が転がりました。私の眼はしっかりと開いて正面を見ています。

 遠く対面ににある壁の1階から木桶と柄杓をもった老人が出てくるのが、人と車の間から見えました。ラーメン屋の店主でした。平らなコンクリートの壁に冷やし中華はじめました、と常套句を掲げる建物は私が初めて訪れた時よりも、3.4階高さが増していました。

 店主が遠慮がちにまいた水は陽炎の中に溶けました。

 その日の気温は37度だそうですが、嘘だと思います。

 店主のはるか頭上を見上げると壁の上にはずらりと並ぶ大きな看板があります。○○ホテル、不動産、アコム、コカ・コーラ、保険会社、駅前に飾られるポピュラーなものばかりで、同じものもいくつかありました。

 仕事で列車を使うことの多い私はこの駅前の看板に地酒など、その地方の特色が現れることを知っていました。この場所にそういったものはありません。壁の高さを伸ばし、空を遠ざけ、夜の間だけ看板を照らすライトで空のふりをするのです。

 それらを見ているのにも飽きてきていました。

 いい加減タクシーをひらおうかと考えだしていました。その頃私は車を買うため、節制の日々を送っていたのです。ケータイにもカメラが付いていませんでした。

 かたわらにある腕時計を見ると1時45分まで後17分です。

 しかしベンチから腰を上げないのには、けち臭い事情以外にも理由がありました。

 ビルの縁に人が立っているからだ。

 白い服。若い男だ。青空とビルの境界、群青色の手前である。

 彼の影はビルの壁面にかかっている。よほどの淵にに立っているせいだろう。

 汗が頬を伝う。眩暈がしそうだ。男に陰影はあまりなかった。彼はあんなに太陽に近づいて暑くはないのだろうか?よろめいてしまったら最後だ。落ちるときはさぞ涼しいだろう。地面に着いて以降も体温が上ることはない。

 ときおり風が吹き、男の白い服をはためかし、私の顔に打ち付け汗の温度を下げた。このままだと彼は間違いなく地上で打ち水をする店主に冷や水をぶっかけることになるだろう。

 太陽は穴の頭上にある。今のところ自分以外に上を見上げている人はいない。私は周囲へ上を見上げるよう声をかけるようなことはしなかった。めんどくさかったのかもしれない。暑さでぼーっとしていたのかもしれない。別に特別な性格だったわけではない。結局のところ、この偶然を日常にない刺激だと感じ、その思いを形として残す手段がなかっただけのことである。もしも使っていたケータイに写真機能が付いていたとしたら、だれにも邪魔されずにただ見ていたいという情動に駆られることもなかったかもしれない。

 自分の網膜だけにでも焼き付けておきたいと思い、よく見た。

 男は両手を背にまわしうつむいている。前屈しているわりには姿勢がいい。ビルに初めからついている設備の1つに見えた。

 以前にテレビ番組で見たことがあった。ビルの3階から飛び降りた女性が全身骨折と脳挫傷で死んだというニュースだ。その時の時速は50キロ、高さは10メートル程らしい。男の立つビルの階数を数えてみると15階あった。ということは、50メートルだ。煮えそうな頭で計算してみると時速は113キロだった。私は休日バイクでツーリングに行くことがあったが、その速度域では向かってくる風で呼吸がしずらくなった。とても涼しいなんてものではない。

 生還例のほとんどない高さは45メートル。そう書いてあるポスターをどこかで見たことがあった。実際に見るとうなずける高さだ。あの高さから人間が落ちるとどういった形になるのか。まじかで見た人はしばらく高いビルのある道路は歩けなくなりそうだった。

___白い尾を引く飛行機が見えます。雑踏にまざって、飛んでいく音も聞こえます。

 『幸せな人生の土台作り』○○生命。そう書かれた大きな看板があった。男が立つ場所よりも低い場所だ。男に気付かないということは看板も見られていないということだろう。彼の仲間だった。少なくとも屋上にいる彼は、幸せを知ってしまった不幸な一人に見えた。

 男はもしかすると保険会社に恨みがあるのかもしれない。初めは保険会社の入り口で砕け散ろうとしたが、部外者である彼は建物に入ることができず、代案として確実に死ねる高さを持つ、隣のビルを選んだのである。筋は通ると思えた。

 その時分、全日空のハイジャックや海外で起きた着陸失敗の話にまぎれ、死亡保障を目当てにした自殺が増えているというニュースもよく聞いた。そういうことが本当に、多く起きていた時期だった。

 輝く確信に満ちた夢のため、幸せな家族を包む家を買うため、地方の人間に要求されていたのは生命保険の多重加入だった。そして地方へバブル崩壊が浸透した。膨大な命の価値は背中を押す手になり、夢や家庭は首に巻き付く縄と足場に変わった。自殺の季節だった。

 しかし遠めに見ても男は若く私とそう変わらないほどに見える。多くの死んでいった中高年には届きそうにない。ではなぜか。

___ばさばさばさ、と鳩が横切りました。

 ウェルテル効果というのを聞いたことがあった。多感な若年者が影響を受けるに値すると感じた行動はたとえそれが自殺であっても模倣することがあるらしい。たしかに社会全体の自殺を行うことに対する抵抗は弱まっていたと思う。だが、少し考えるとこの可能性も低いように思えてくる。失敗した中年の末路を若者が模倣するとは考え難かった。それがたとえ肉親だったとしてもだ。私は屋上の縁に立つ男を見ていても人物を想像できなかった。

___後ろで高校生が笑っています。

 目を閉じてみる。足の裏には穴の淵である固いコンクリートの角が感じられる。落としている目線を上げれば、いっぱいに遮るもののない広大な世界が広がり、そこを自由に吹きまわる風が自分を連れていきそうになるのだ。私なら穴の中に身を投げてしまおうとは思いそうになかった。

 目を開ける。そもそも穴の淵は何のためにあるのだろうか。10数分前私は膝ほどの高さに地面から離れた板へ直角にもう1枚の板が据え付けられている物に腰を下ろした。それは座るものだからだ。広場は無数の固いタイルで平たんにされ人々はその上を歩く。それは歩くために用意されているからだ。

 では、ビルの縁は何のために存在して、どのような用途を要求しているのか。

___どうしてでしょうね?

 ネクタイを外すと首の筋が鳴いた。おいてあるスーツの上にそれを垂らす。時計を見ると1時43分だった。

___赤い靴の女性が歩いています。

 ふたたび見上げると白い男は後ろにまわしていた手を左右に広げた。深呼吸をするときのような自然な動作だった。

 飛んだ。

___屋上からハトが飛びました。

 男はそれに続いた。

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