中編7
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「だいじょうぶ?」

実体験を語ります。

13歳の夏。

夜いつものようにベッドに入り、眠りかけたところで前日のクローゼットから大量の幽霊が出てくる夢を思い出して怖くなりました。いつもは、怖くなると両親の部屋に行ってベッドにもぐりこんで一緒に寝ますが、その日は連日続いていたこともあり怒られた日でした。

「あんた、いい加減に自分の部屋で寝ねや。そんな寝られんのやったら数珠付けて寝な。」

私は、幼少期から霊感が凄く強いこともあって一度隣町の神社で霊感を弱めたことがあります。数十万のお金を支払って、霊感を弱めたのは訳がありました。

家を建てたのですが、家にはベランダがあり、それを一言も話してはいないのにズバリと当てられたからです。

家にベランダがあること、幼い私は霊と生きている人間の区別がつかず、そのベランダから落とされたりする可能性があることを。

当時住んでいた家は、アパートの1階でベランダはありませんでした。それを聞いた両親は、すぐに霊力を弱めることができるのであればと依頼しました。当時、私はテレビで霊媒師として映るような人くらい力があると言われていました。

霊力を弱める際、「13歳から14歳の間に、また霊を見るようになって霊力が再発したら、もう弱めることはできません」と言われたそうです。

それから6年、私は13歳の中学1年生でした。母親に、「学ランの男の子がついてくる」と、体操着登校時期の6月に相談したのが始まりです。

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霊力を弱める際、両親は一人一つずつ数珠を購入しました。

一人分の数珠じゃなくて二人分つけたほうが効果ありそうだな...と考えた私は、母親の数珠と自分の数珠を片腕ずつ付けてその日は眠りました。

寝苦しくて目が覚めた夜中。

部屋の中は真っ暗ですが、どこかで赤ちゃんの泣き声が聞こえました。”隣の人、引っ越してきたし小さい子でもおるんかなぁ...”なんてのんきなことを考えてたら、声が大きく聞こえるような...

”これ...私の部屋ん中で泣いとる...”

気づいた時にはもう遅かったようで、足のつま先からゾゾゾ...ッと金縛りになりました。

目は開けてしまったらもう閉じれないことを知っていたので、目はギュウッと瞑って開けないように力を入れていました。いつもは、金縛りに合うと何が起きたか分からないまま、ハッと目を開けたりすると朝、みたいに夢みたいな感覚が多かったので、そんないつもと変わらないだろうと思っていたんです。

腕は両方とも手のひらを上に向けて寝ていたのですが、その両腕をガッツリつかまれました。ベッドに押し付けるような感じです。

自分の胸の上に重みを感じるので、馬乗りになって両腕を押さえつけているんだと理解することができました。ですが、目を開けられそうになるんです。上まぶたを上に引っ張る、下まぶたを下に引っ張るというように片目に対して腕が二本。結果、私の両腕に霊の腕二本、私の両目に霊の腕四本という形になります。必死にお経を唱えて唱えて...ハッといつも金縛りが解ける感覚になりました。

急いで電気をつけると、両腕に数珠が食い込んで跡がついていました。

そして、妙なことに最後に寝る前に時計の時間を確認してから3分しか経っていませんでした。

怖くなって、怒られるのを覚悟で両親のベッドに潜りこみ、眠りにつきました。

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翌日、予想通り母親に怒られました。

「ほんまにいい加減にせんと鍵閉めるで。」

「ちゃうんやって!昨日ほんま怖くて寝られんかったんやって。」

母親に1から説明するも、聞く耳を持たず、「はよ学校行け」と追い出されました。朝から数珠が腕につきっぱなしだったので、セーラー服の内側のポケットにしまいました。

清掃時間中、雑巾がけをしてるとポロポロ...と玉が転がりました。

何かと思って確認すると、2つあったうちの私がいつも使っていた数珠がちぎれていました。

子供ながらに良くないことは分かったので、全部拾い集めて、帰りも一人にならないように友達に家まで来てもらい、帰宅早々母親に話しました。

「あんたが派手な動きしとるからちぎれたんやろ。」とやっぱり聞いてくれませんでしたが、私はそんなにはっちゃけて動きまくる生徒ではありませんでした。

ですが、その夜は特に金縛りに起きることもなく、毎日数珠はとりあえず寝る日々が続いて1ヵ月。

数珠をつけて寝ることは習慣化されましたが、これといって怖い感覚はありませんでした。

次に金縛りに合ったときは、睡魔を感じる前にいつの間にか仰向けで携帯電話を握りしめたまま眠っていました。今だったら、スマートフォンなので、画面は消えるだけですが、当時私が使用していた携帯電話は画面スライド式のガラパゴス携帯でした。睡魔感じてきたから寝ようかななんて考える時間があれば、スライド携帯をスライドしていない状態に戻して眠るはずですが、その日は開いたまま、あたかもさっきまで触っていていきなり意識が途切れたみたいな感じでした。

小さい女の子の声がキャッキャっと聞こえました。足の裏にスカートの裾でしょうか、フワッと何かが当たる。

前回のように怖くて身構えて、目をギュウーッと閉じます。

「こんにちはぁ」

その声が聞こえた瞬間、金縛りが解けました。嫌ったらしいわけでもなく、ただの挨拶。霊は何かを求めて訴えてくるために金縛りを起こしたり、目の前に現れるといいます。彼女は何をしたかったのか、はたまた、挨拶だけでよかったのか。

その日も、金縛りになってから3分しか経っていませんでした。

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特別怖い金縛りだったわけじゃなかったので、翌朝母親に「また、金縛りなったわー」とだけ話して学校へ向かいました。

その日の夕食後、母が父、2つ上の姉、私の前で話し始めました。

「夜野の話を聞いてから忘れたらアカンかったことを思い出した。ホンマは、あんたらの下に子供が居ったんや。」

母の話はこうでした。

私が生まれて、1年経った頃、母は妊娠をしました。ですが、家計は家族4人で精一杯。子供の性別が分かる前に中絶しました。その子が亡くなった日は、両親2人だけの胸の内に止め、お参りに行こうと決めたそうです。命日もずっと忘れてなかったはずでした。

日が、年が、経つに連れて姉や私は育っていきます。現に、私は、祖母が母と叔母(母妹)との間に1度子供ができましたが、その子を中絶した経験があり、その水子霊と遊んでいました。水子霊は、霊になってからも、何歳か育つそうです。私は、遊んでいる最中を祖父に見つけられお祓いをした後、祖父は「儂が、この子を連れて帰る」と言い、そのまま御寺にてお経をあげにいったそうです。

いつの間にか、自分の子供の命日を、存在を忘れていた両親。水子霊は、何歳か育つことを自分の目で確認もしていたのに、自分の子供のことが頭になかったことに気づいた両親。

母は、祖父母から気配を感じるくらいの霊力は遺伝していますが、父親は全く持ってありません。

そのころ、母は精神病を患っており毎晩泥酔して眠っていたので、母に気づいてもらいたくとも気づいてもらえなかったのでしょう。そこで、周波数が合う、母よりも高い霊力を持つ私のもとに来たんだと思うという話でした。

それから、一度お参りに行き、リビングの壁面棚の片隅に、ちょこんと人形を置きました。両親からの、気づいているのメッセージになればという思いもあったんだと思います。

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壁の方を向いて寝ていました。夜中、目が覚めた途端、足のつま先からゾゾゾ...ッと金縛りになりました。

背中の方が騒がしいのです。

例えるなら、東京のスクランブル交差点、混雑した駅...たくさんの人が居て皆が揃って喋っていて歩いている感じでした。

その中で、一人、同い年くらいの女の子の声で、

「だいじょうぶ?」

と聞こえ、金縛りがまた解けました。何を訴えたかったのか分かりません。ですが、一度自分を弱めてくれた霊能者に話を聞いたところ、霊というものは常日頃から移動しているそうです。地縛霊ならその場に佇みますが、全ての霊がそういうわけでありません。そういう霊は、例えるとマリオに出てくるドカンのようなもので瞬間的に移動を繰り返します。そのドカンは霊道にいくつも存在し、ドカンからドカンへ移動するらしいのです。

私の実家の土地は、戦後死体を留置する地域だったと聞きました。だからこそ、いくつもの霊道が交わって通っています。ドカンは、家の中に2か所かぶっています。

また、いつかお話しできればと思う、”服の部屋の足”に関わるウォークインクローゼットと、私の部屋です。

丁度、その日の金縛りは霊道の周波数と合う金縛りだったんでしょう。何人もの霊が私に気づいて立ち止まったのかもしれません。そこで、「だいじょうぶ?」と声をかけてくれた女の子のおかげで金縛りがとけました。

お気づきの方もいますね。

赤ちゃんの泣き声から始まって、小さな女の子、そして同じ年の女の子。

気づいてほしかった私の妹だったのかもしれませんね。

今はもう、金縛りにあうことはありません。私も姉も、両親も、妹が生きていたら”また女の子かぁ”と笑い話になるくらい、彼女のことを頭の片隅に置いています。

みんな覚えてるから、ちゃんと成仏して、あの世で楽しく過ごしてください。

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