中編6
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けへへ(前編)

町中で、おばあちゃんとお孫さんが手をつないで歩いているのを見ると、なんだか羨ましく感じる。

僕の場合、ばあちゃんに会ったのは小学二年生の冬。

それが最初であり、最後だった。

それ以来、親戚一同の集まりの席でも、ばあちゃんにだけは会わせてもらっていない。

ばあちゃんはもう亡くなったのか、あるいはまだ生きているのか、親や親戚の誰に聞いてもはぐらかされてしまう。

なんだか、僕の前でばあちゃんの話をするのが禁忌にふれるとでもいうかのように。

一方で、なぜこういうことになってしまったのかは、僕にも一応の心当たりがある。

ここで語る出来事がその直接の理由なのか、確かなことはわからないけれど、とにかくそのいきさつを話そうと思う。

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小学二年生の冬休み、ある連休のときのこと。

ちょうど両親の仕事が重なり、二人とも遠くへ出張に出ることになった。

僕は当時八歳。三人暮らしの家庭なので、家に一人になってしまう。

そこで両親が話し合った結果、僕は県境の向こうにある、ばあちゃんの家に預けられることになった。

両親は仕事が終わり次第、僕と合流して、三人で帰るという計画だった。

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出発前日、夜中に手洗い場へ立った時、リビングの方から両親の会話が聞こえてきた。

「…でも、本当に大丈夫かしら?」

「大丈夫も何も、仕方がないよ。ご近所にはご厄介になれないし、親戚の中でも、預けられるのはあそこしかなかったんだから」

「だけど、もしものことがあったら…」

「心配したって仕方がない。それに、向こうにはタカシ(叔父さん)だっているんだ。そこはなんとかうまくやってくれるよ」

二人のこの緊迫したやり取りが、妙に心に引っかかり、その後は日を跨ぐころまで寝付けなかった。

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出発当日。

まだ夜が明けきらない、朝のうちに電車に乗る。

それから1時間ほど、窓の外の景色が、ビル街から地方都市、田園へと移っていく様子を眺めていた。

目的の駅に到着すると、タカシおじさんが車で迎えに来てくれていた。

荷物を後ろに乗せて、助手席に座り、おじさんの運転でだだっ広い畑道をひたすら進んでいく。

その間、お互いに会話もなく。

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「・・・」

「・・・」

…変だな。

おじさんは、僕が物心ついたときからの顔なじみだ。

運送の仕事をしている都合上、うちの近くを通ることもあり、その時にはよく顔を見せに来てくれた。

親戚中でも明るく元気な人柄で通っており、とにかくおしゃべり。大きな目を見開いて、大きな声で話す。

そんなおじさんがだんまりをしている様子を見て、子供ながらに違和感を憶えた。

――――もしかして、何か心配なことでもあるのかな。

思い出すのは昨夜の両親の会話。

父も母も、僕がばあちゃんの家へ行くことをやたらと心配していた。

もしかしたら、僕がこれから会うことになる「ばあちゃん」なる人物は、とてつもなく恐い人なんじゃないだろうか。

記憶にある限り、ばあちゃんに会うのはこれが初めてだ。どんな人かなんて詳しく知らない。

車の中にいる間、僕のばあちゃんへのイメージは、恐怖そのものだった。

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「さあ、ついたぞ」

その日はじめてきいたおじさんの言葉は、ひどくあっさりしたものだった。

目の前に現れたそれは、山のふもとに建てられた平屋の日本家屋。

土むき出しの広い庭と、長い縁側をそなえた、いかにも昔ながらの家という印象だ。

荷物を降ろして上着を脱ぐと、早速おじさんに連れられて縁側の奥の部屋へと通された。

「ばあちゃんにも、一応あいさつしとかにゃなぁ」

ああ、ついに鬼婆と対面か。

鬼婆がいるであろう部屋の障子の前まで来ると、おじさんが手のひらを僕の顔の前に突き出した。

「ストップ」の合図だ。

続いて、人差し指を下に向ける。「ここで待て」と言っているらしい。

一連の動作を終えると、おじさんは障子に耳をそばだてる。中の様子を確認しているのだろうか。

それからゆっくりと障子を開け、中に声をかける。

中にいる人物がそれに答えたようで、二人で一言二言ことばを交わしていた。

おじさんの声は慎重そのものだが、中の人物の声はいたって朗らかな調子だった。

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一呼吸の間を置いた後、「よし、いいぞ」と言って、手招きするおじさん。

障子から中をのぞくと、背中の曲がった、白髪の老婆がいた。

たった今布団から身を起こしたところのようだ。分厚い掛け布団がとても重そうだった。

「こ・・・、こんにちは」

僕が挨拶をすると、老婆は柔らかな笑顔を見せてくれた。

「あらま、○○(僕の名前)かい?こんにちはぁ」

予想とは正反対の、ばあちゃんの反応の明るさに、なんだか拍子抜けした気分だった。

「前に会ったときは、まだこんなに小っさかったっけねぇ...。まあ、覚えてないかねぇ」

ばあちゃんは赤ちゃんを抱くような仕草をしながら話を続けた。

この人が、僕が恐れていた鬼婆?いや、それは単なる僕の妄想だったんだけど。

…お父さんは元気か?お母さんは?何年生になった?お小遣いやろうか?…相変わらず明るい調子で質問を重ねまくるばあちゃんに適当に相槌を打ちながら、僕はチラッと、傍らに立っているおじさんの顔を覗いた。

ホッとしているような、でもまだどこか緊張しているような、どうしてこんな顔をするんだろう。そんな微妙な表情をしていた。

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挨拶を済ませて廊下へ出ると、おじさんが、ふー、と息を漏らした。

「タイミングが良かったな」

「どういうこと?」

発言の意味が分からない。

見上げる僕に、おじさんがすっと目線を合わせて答える。

「さっきのは”いつものばあちゃん”だった。子供が好きで、もちろんお前のこともかわいがってくれる良い人だ。

だけどな、ばあちゃんは時折、まるっきり別の人間に変わっちまうことがあるんだ」

いきなりそんな話をされて要領を得ず、頭の上に疑問符を漂わせている僕を見て、おじさんは強調するように続けた。

「ばあちゃんはいい人だ。それだけは言っておく。

だけどな、もし、もしもだぞ?ばあちゃんの様子がいつもと違ったら...

例えば、”へんな笑い方”をしているようなことがあったら、そいつはばあちゃんじゃない。無視してそこから離れろ」

「ムシってなーに?」

「相手にしないってことだ。とにかく、今言ったことだけは約束してくれ」

そう言ってその大きな手で僕の両肩をがっしりとつかむ。ギュッと力がこもっていて、ちょっと痛い。

大きな目をさらにカッと見開いている。四の五言わさず相手を従わせるほどの目力だ。

その勢いに気おされて僕はただ無言で頷くことしかできなかった。

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昼食後。

ここへきて気になることがあり、茶の間で寝転ぶおじさんに聞いた。

「ねえ、おじちゃん。この家には子供がいるの?」

「ん?いや。ここには大人しかいないが」

この家に住んでいるのは、寝たきりで体の動かないばあちゃんと、それを世話するおじさんだけだ。

おじさんはずっと独身で、子供ができたことはない。だから当然この家に、僕と同じような子供なんているはずがないのだけれど…。

「どうした?何かあったのか」

うん、

さっきから聞こえるんだ。

縁側の奥の方で、誰かが走り回っている…。

ぱたぱたぱた。

どたどたどた。

足音のせわしなさからして、小さな子供が駆けまわっているようだ。

そいつはしばらくの間一定のルートを転げまわっているようだったが、やがて移動を開始した。

どたどた、、、スーっ、、、ぱたんっ

どたどた、、、スーっ、、、ぱたんっ

「!!」

おじさんもその音を聞き取ったらしく、上半身をはね上げる。

スーっ、、、ぱたんっ

この音はもしかして、家じゅうの襖をあけて回っているのか?

部屋の中を確認して、何かを探している…?

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そして、

聞こえてしまった。その声が。

「ケヘヘ...ド...ニ..ルゥ...ケヘヘ...」

(後編に続く)

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