路氷(ろひょう)に転べば(現代怪談)

中編5
  • 表示切替
  • 使い方

路氷(ろひょう)に転べば(現代怪談)

1

 凍てた夜の空気のせいで、木枯らしの風に戯れる月光までが冷たく感じられる。

 雲間からの半月の明かりは薄く、こんな山道を淡い影絵のように浮かび上がらせる。

 暗くさんざめく、森と木立のシルエット。目の前に続く白い石と砂利の一本道に、揺れる枝葉の影が彷徨い踊る。さながらスクリーンの役者のように、パントマイムするみたく。

 帰りのバスを数分遅れで逃がしてしまった。

 どうせ時間どうりでないだろうなどと思って。

 朝まで無人のバス停に突っ立っているのはウンザリだったし、じっとしていれば寒くなる。歩けばちょうど良くなるのだから。

 あまり山道で考えなしに歩き回れば、遭難リスクもあるだろう。こんな深夜ではなおさら。

 けれど、バス停に明らかな地図と案内標識があり、「徒歩一時間あまり」と出ていた(遠く町明かりも)。きっと私のような人間がしばしばいて、歩いて人里と往来した方がバス待ちより手っ取り早いのかもしれない。

 山道や林道の類とはいえ、それは簡易とはいえ道だった。あのバス停付近で分岐していて、別方向には林業事務所の案内があった。アスファルト舗装でこそなくても、軽トラックや自転車でもあれば、歩きのように一時間もかからないのだろう。

nextpage

2

 足元の砂利と土は、さっき降った雨のせいなのか、シャリシャリとしていた。こんなことになったのは、にわか雨が土砂降りのようだったせいだ。

 つまり寂しいハイキングコースの休憩用の東屋で、バス停の一歩手前の自販機の缶コーヒーなど飲んで、待ち時間が長かったせいでもある。

 一見は山の中のようでも、ちゃんと電気と明かりがある(さらには雨風が避けられる)時点で「人間のテリトリー」だったし、わざわざ大雨になった中を歩きたくないのは心理だった。

 おかげで、こんな歩く度にシャリシャリ感のある森の小道を散歩する羽目になったのだが。

(こんなにも早く、雨水が凍るものなのか?)

 踏み歩く感触は砂利道や霜柱に似てもいた。

 ただ、月明かりに白っぽく浮かび上がる道の感じは、砂利道舗装というよりも、泥土混じりな大量の小石という風に見える。たとえ切り拓かれてこそいても、律儀にちゃんとした砂利を敷き詰めているようには思えないのだ。

 雰囲気はなんとなく河原に近い。

 ただ場所柄が山や林の真ん中であるし、半分くらい土や泥なのだ。

 ひょっとしたら、大昔に川でもあって、水が涸れたのを道にしているのだろうか。それならこんな風に土が溜まっているのも説明できるだろう。

 左右の木立の投げかける影絵が、今はたいして顔や身体に風を感じないのに、盛んに踊っているようだった。どうやら自然の防風林のようになっているらしい。

 冷たい冷気の中に、一抹の菊の花の香りを嗅いだ気がした。

 きっと何かの偶然で、匂いを思い出したか。

 どうしてなのかわからない。

 色々と考え巡らせながら歩いていたら、大きめの石に蹴躓いてしまった。転けそうになって、危うかった。どうにかよろけただけで済む。

「転べば良かったのに」

 どこかで誰かに言われた気がした。

 とりあえず、危なくもあるので足で道の端に蹴り転がす。これが自転車だったら転倒していただろうし、車であっても心地よくはあるまい。

 足触りはそのサイズの石としては妙に軽く、髑髏のように見えた。

 それからさらに歩いていくと、林の暗がりにチラチラと光が見えた。

 まるで蛍でも飛んでいるかのように。

 だが季節柄からして、不自然だ。

 獣の目のようにも見えたが、それにしては高さと動きがおかしいだろう。

 あるいは雪が月光に反射したのか。

 だが歩いていく道に雪は降っていない。

 ならば目の錯覚だろう。

 相変わらずに足元は小石混じりの霜柱のようだった。シャリシャリとして、どこか微かな音に錫杖の音色を連想してしまう。

(転べ、転べ、転べ、転べ、転べ)

 ずっと頭の中で「転べ」と誰かが囁き続けるようだった。きっとさっきの出来事が強迫観念のようになっていたのだろう。

 墓場で転けると縁起が悪いそうだが。

 町中だろうが山だろうが、嫌に決まっている。

「嫌だね」

 誰にともなく、返事を呟いてしまう。

 どことなく非現実的で夢見心地だった。

 こんな夜の山道を一人でトボトボ歩いているものだから、感覚がおかしくなるのもあったか。時間的にも頭の働きが落ちて、無自覚に寝ぼけて、知らぬ間に認識に夢が混ざり込んだのだろうか。

 吹き抜けていった風は、血と腐肉臭いを運んで、後方の山奥へと消え去っていくようだった。それからお香の煙のような風味が。

nextpage

3

 やがて、町が間近く見えてきたところで、道が二股に分かれていた。

 片方はアスファルト。

 もう一方は神社のような砂利道で、先を見渡せば朱色の鳥居が建っている。

 どうやら、山そのものへの信仰なのか。

「転んだら連れて行けたのに」

「足や腕でも置いていけばいいのに」

 残念そうな声だった。

 少しばかり恨めしげで、忍び笑うような気配。

 しかも一人ではない大勢の。

「お前は気の利かない奴だ。日本人のくせに、洋学にでもかぶれたか」

 すぐ背後で溜息のように囁かれた気がした。

 あまりにその声音がはっきりしていたものだから、ふっと振り返る。

 誰もいない。闇。

 ここまで歩いていた道が白蛇のように浮かび上がって見える。足元で霜柱か砂利のような何かが、鱗のような音と感触を伝えて。

 半月にかかった雲が流れ晴れたのだろうか。

 急に妖しげに輝きだした暗闇の山道には、無数の砕けた白骨が敷き詰められているように見えた。さながら蠢くようで、無数の白い蛇がヌラヌラ這い回っているかのようでもあった。

 ほんの一瞬の幻惑のようで。

 一陣の菊の香りの風が山の方に吹き抜けて、すぐに今さっき垣間見た、白蛇と無数の骨の妖しげな景色はただの山道に還ってしまう。

 闇の無は郷愁と寂寥感に似ていた。

(もう一度この道を戻ろうか?)

 ふとそんなことを考えたが、きっとガッカリさせられるようにも思う。下らない徒労というものだ。

 山の死霊たちの気まぐれな悪戯だったのだろう。きっと悠久の暇を持て余して。

 なにせ、ここは日本の山で、自分は日本人なのだから、全く「赤の他人」というわけでもないのかもしれない。ひょっとしたら遠い昔の先祖の誰かや、知り合いの知り合いの知り合いやら、ずっと遠縁の縁者でも混ざっていたっておかしくあるまい。

 朱色の鳥居を潜って町へ出るときには、何故か深い満足感が胸を満たしていた。

「おい、怖かったぞ」

 鳥居の先を振り返り、ニヤリと軽く笑顔でご挨拶に、砕けた態度で敬礼してやる。

 そうでもせねばまた「気の利かない奴」なぞと愚痴を言われかねないから、これもご愛想というもの。

 それでも「怖かった」は一応は本心である。完全に無視では少し可哀想だし、いささか白状な気がしたので。「ちゃんと怖かったから! 大丈夫だから!」と重ねて言ってやろうかと思ったが、かえって慇懃無礼や挑発と同じになりそうなのでやめておく。

 蛇足でいい気分や雰囲気を壊したくもなかった。

 またと得がたい、幽玄の風情であった(了)

Normal
コメント怖い
0
2
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ