中編6
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青い顔の看護師

「どうやらおかしな看護師が見えるようになったら、その患者さんというのはお迎えが間近みたいなんや」

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正面のベッドに横たわり半身を起こした初老の権藤が、したり顔で言った。

白髪交じりの頭に痩せこけた顔。

病院着から覗く胸元からはあばら骨が浮いている。

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「おかしな看護師?何なんですか?」

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今年三十路を迎える弘瀬もベッドで半身を起こしたまま、権藤に尋ねた。

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「この四階フロアーの病室は全部、厄介な病気に冒された人間が放り込まれるところというのは知っとるやろ。

つまりあんたもわしも同じ穴の狢というわけや。

そしてこのフロアー全室二人部屋なんやけどな、現在隣は空き部屋になっとるんや。

というのはな前月と前前月の末に立て続けに、二人亡くなられてな」

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「え!本当ですか?」

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意外な事実を聞かされ弘瀬は驚く。

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「ほんまや。

わし隣部屋の二人とは結構仲良しやったんやけどな、以前から別の機会に各々からおかしな看護師のことを聞かされとったんや。

二人が言うてたのは、なんでもその看護師、最初のうちはチラチラと視界の端に入ってくる程度みたいなんやけど、終いには深夜に病室に入ってきてベッドの傍らに立ってな、その気色の悪い青い顔いっぱいに満面の笑みを浮かべながらじっと顔を覗き込むそうなんや。

そしてその笑みを見た言うてた辺りから不思議なことに二人は容態が急変して、数日で亡くなってしもうた」

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「単なる偶然じゃないんですか?」

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と疑い深けな顔で弘瀬が言うと、権藤は喋り疲れたのか「さあな」と険しい顔で呟くとため息をつき、天井を眺めながら再びベッドに仰向けになった。

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弘瀬がみぞおち辺りに鈍い痛みを感じだしたのは、今年の始めだった。

その後血便や吐き気とかがたまにあり、2月にあった会社の集団健診では「要精密検査」の判定を受け、渋々行った国立病院の診断結果は進行の進んだ大腸ガンということで、即手術、入院ということになったのだ。

一週間前に受けた手術の後は、病院敷地内の病棟四階の二人部屋に入院している。

同室の権藤は今年還暦になる男で、ステージ3の肝臓ガンらしく去年の春くらいから入院している。

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翌日のこと。

その日権藤は精密検査ということで、朝から看護師に担架に乗せられて病室から連れていかれた。

弘瀬は朝食を終えた後、読みかけの文庫本を読みはじめる。

だが昨日の権藤の話が気になり、あまり文章に集中出来ずにいた。

昼前くらいに戻ってきた権藤だったが、どうも様子がおかしい。

ベッドに横たわった後も酷く怯えている感じだ。

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「ああ、わしもうダメやあ、もう死ぬんやあ!」

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叫びながらバタつく権藤を、看護師が懸命に宥めていた。

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「権藤さん、落ち着いてください。

いったいどうしたというんですか?」

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看護師の顔を血走った目で睨みながら権藤が続ける。

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「さっき担架で廊下を運ばれとった時、わし見たんやあの看護師を、、あんたの後ろに立っとってな、肩越しから薄気味悪い青い顔でわしの方を見とった。

だから、わし、もうダメや、いよいよお迎えが来るんや」

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「青い顔の看護師?

誰なんですか、それは?

そんな人なんかいなかったですよ」

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「おった、おったんや!あんたの後ろに、、

だからわし、もう死ぬ、死ぬんやああ!」

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一向に様子が収まらない権藤に、とうとう看護師は安定剤を注射した。

しばらくすると権藤はおとなしくなり終いには眠りに落ちた。

看護師らはホッと一息つくと、担架を押しながら病室を後にした。

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その夜のこと。

消灯後も弘瀬は権藤の言葉が気になり、なかなか寝付けずにいた。

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─権藤さんは廊下で青い顔の看護師を見たと言って、酷く怯えていた。

青い顔の看護師、、、本当にいるんだろうか?

するとカチャリとドアの開く音がし、パタパタと床を歩く音がすると、

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「弘瀬さん、本日最後の検温ですよ」

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と声がして、ベッドを囲む白いカーテンの一ヶ所の隙間から若い看護師が顔を出した。

ベッド横のスタンドライトに灯りを灯し、テキパキと弘瀬の脈拍、体温、血圧の測定を終えると「じゃあ、弘瀬さん、おやすみなさい」と言ってさっさと立ち去ろうとした時、弘瀬は「あの、ちょっと」と声をかける。

振り返った看護師に向かって彼は尋ねた。

「今日権藤さんが言ってた『青い顔の看護師』なんだけど、本当かな?」

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看護師は一瞬顔を曇らせてから、

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「権藤さんって、たまにあんな風になったりするんですよ。多分いろいろ不安なんでしょうね」

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と言うと、さっさと立ち去った。

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それからどれくらい経った頃だろう。

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─カチャリ、、、

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弘瀬は室の入口ドアが開く音で目が覚まされた。

彼はベッドを囲む白いカーテンに視線を動かす。

開かれたドアから漏れる淡い光が、カーテンをぼんやり照らす。

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─看護師さんかな?

でも最後の検温は終わったはずだけど、、、

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などと考えていると、カーテン越しにボンヤリとした人影が移動しているのが見える。

その時弘瀬は違和感を感じた。

普段看護師が室内に入ってきたときはパタパタという忙しない靴音がするのだが、全く聞こえないのだ。

しかもその人影は歩いているというより、背筋を伸ばしたままスーと平行移動しているという感じだったからだ。

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人影はゆっくり右側に動いていくと、スッと消えた。

どうやら権藤のベッドの方に行ったようだ。

弘瀬は起き上がるとベッドの端に座り、カーテンの隙間から覗いてみた。

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白いカーテンに囲まれた権藤のベッドが見える。

彼はベッドから降りると数歩歩き、カーテンの隙間からそっと中を覗いてみた。

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室内は朱色の間接照明になっており明瞭ではないが、ベッドの傍らに女が立っていた。

看護師なのだろうか白衣姿をしており、権藤の顔をじっと覗き込んでいる。

弘瀬は目を凝らす。

そしてその横顔が見えた途端、背筋にゾクリと冷たいものが走った。

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女は死人のような青い横顔にうっすら微笑みを浮かべ、その洞窟のように真っ暗な瞳でじっと権藤の顔を見詰めている。

権藤は恐怖のためか、赤子のような怯えた目で女の顔を見てガタガタ震えていた。

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弘瀬はたまらずカーテンを閉じ再びベッドに戻ると布団を頭から被り、芋虫のように丸くなる。

その日彼は一睡も出来なかった。

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窓際のカーテンから柔らかい朝の陽光が漏れる頃になり、弘瀬はようやく微睡みの沼に浸かろうとしていた。

その時突然声がした。

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「権藤さん!権藤さん!しっかりしてください!」

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前のベッドからだ。

弘瀬は起き上がると眠い目を擦りながら、カーテンの隙間から覗いてみる。

看護師がベッドでぐったりして横たわる権藤に向かって必死に声をかけていた。

やがてドクターがやって来て人口呼吸や心臓マッサージなどを施していたが、最後には看護師の顔を見て静かに首を振った。

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後から看護師に聞いたところによると、朝の検温に行った時、既に権藤の心肺は停止して冷たくなっていたということだった。

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翌日からとうとう弘瀬は、広い二人部屋に一人になってしまった。

心細さと不安から彼は、彼女のN美に連絡をする。

その日はたまたま日曜日だったから、昼過ぎからN美は見舞いに来てくれた。

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彼女が持ってきてくれた観葉植物をベッド横のテーブルに飾った後、互いの近況を話し合う。

N美は気を遣ってくれて出来るだけ明るい話題を話してくれていた。

そして最後に二人窓際に並び、携帯で写真を撮る。

映り具合を確認していたN美が突然声を漏らした。

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「え?これ何だろう?

窓の向こうに変なの映ってるんだけど」

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言われて携帯を受け取り画面を見た弘瀬は、ゾクリとした。

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そこには

笑顔で並ぶ弘瀬とN美。

背後の窓からは雲一つない青空が覗いているのだが、弘瀬の肩越しにおかしなものが映っている。

何故だかそこだけがボヤけているが、よく見ると、それは女の顔だった。

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肩までの黒髪。

不気味なくらいに青い顔。

そしてその二つの目は洞窟のように真っ暗だった。

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弘瀬はこれから起こるかもしれないことに思いを馳せると、再び背筋が凍りついた。

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fin

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Presented by Nekojiro

Concrete
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