酒が好きだ。
この世の中に、これ程旨い物はない。
アルコールが入っていれば何でも好きだ。
好きなだけで強い訳じゃない。
ビール一杯で限界だ。
自分の体質に合わないのは解ってる。
一日の終わりに飲む。
そしてベッドに入る。
幸せだ。
友人のつてで年代物のワインを手に入れた。
ボトルワイン。
赤白の計2本。
ラベルがそれぞれ違っている。
年代を感じさせる汚れで字は読めない。
どっちみち英語やフランス語は読めないから気にもならない。
ワインの年代がどうとか友人のメールが来ていたが後回しだ。
さっそく一本の赤ワインの封を開けた。
開けた瞬間に香りが鼻に届いた。
グラスに注ぐのも待ちきれず、ラッパ飲みした。
旨い。
旨すぎる。
瓶を傾け飲み続けた。
結局、1本の赤ワインを空けた。
自分の酒の弱さを考えれば信じられない事だ。
ふらふらとベッドに行き幸せな気分で眠りに着いた。
起きると昼だった。
目覚ましを止めたのは誰だと考え自分が嫌になる。
会社に電話をかけ今日は休む事にした。
久しぶりの休み。
暇だ。やる事がない。
たまに街をぶらつこうと思い、財布を持ち家を出た。
目的もなく歩いていると、派手な格好のおばさんが悲鳴を上げた。
何故か俺を指差している。
「あ、あんた。馬鹿じゃないの? 死ぬなら一人で死ね」
見ず知らずのおばさんに何故そこまで言われなきゃならない。
カチンときた。
「はあ? おばさん何言ってんの?」
おばさんの顔は青ざめている。
「死ね、ほいど野郎」
おばさんは凄い勢いで逃げて行った。
意味が解らない。
通行人の視線が気になり足早にその場所を移動した。
公園を見つけベンチに腰を降ろした。
おばさんの言葉と態度の意味を考える。
死ね?
ほいど野郎?
答えが出ない。
ほいど野郎とはなんだ?
野郎って事はやっぱ俺の事か?
考えていると、ある事が気になった。
猫が多い。それも黒猫ばかり。
しかも俺を見ている気がする。
気味が悪くなり立ち上がった時、猫が一斉に鳴いた。その瞬間、動けなくなった。猫の視線が突き刺さる。舌舐めずりしながら近付いてくる沢山の猫。
対して俺は脂汗を垂らし動けない。
一匹の猫が器用に俺の服に爪をかけ登ってきた。
肩に乗って耳元で囁いた。
許さない……
返せ……
呪ってやる……
猫が喋ったとか金縛りとかもうどうでもいい。
ただ、怖くて涙が出た。
車のクラクションが鳴った。金縛りが解けた。
自分の横スレスレに車が通った。
いつの間にか道路の真ん中に立っていた。
猫は居なくなっている。
轢かれていたかもしれない恐怖にぞっとした。
猫の事は白昼夢でも見たんだと自分を落ち着かせ帰る事にした。
帰り道、近くのコンビニに寄った。
本当は昨日のワインを飲みたかったが、また飲み過ぎて泥酔するのはまずい。
あのワインは旨すぎる。
途中で止めるのは自分には無理だ。
連チャンで仕事をサボる訳には行かない。
ビールで我慢する事にして帰宅した。
晩酌の時間。
一日で一番の幸せな時。
ワインの強烈な誘惑に耐えビールで我慢した。
夢を見た。
無数の蛇が体に巻き付いている。
蛇が喋っている。
許さない……
返せ……
呪ってやる……
少しづつ絞まってきて呼吸が出来なくなる寸前で目が覚めた。
いつもの習慣で時計を見る。完全に遅刻だ。
仕方なく会社に電話をかける。
怒鳴られ説教をくらった。体調が悪いと嘘をつき、少し休暇をもらった。
顔を洗おうと立ち上がった時、全身に鈍い痛みを感じた。
夢を思い出す。
同時に昨日の猫を思い出した。
言ってた事が同じだ。
俺が何をしたよ……
返せって何を?
なんで呪われなきゃいけない?
考えているとベランダの手摺にカラスが止まった。
嫌な予感がした。
次々と増えるカラス。
動けない俺。
喋るカラス。
許さない……
返せ……
呪ってやる……
だから何を?
理由が解らない。
携帯が鳴った。
カラスが消えた。
動けるようになった。
震える手で通話ボタンを押した。
「もしー、こないだのワイン飲んだか?」
金縛りを解いてくれた救世主には悪いが、間延びした声にイラっとした。
「それ所じゃねえよ。もう金縛りだわ猫だ蛇だカラスと最悪なんだよ」
「いや、何言ってっか解んないから」
それはそうだと思い、一から説明した。
「へー。薬をやってるんじゃなかったら、あのワインじゃね?」
「なんで酒でこんな状況になんだよ?」
苛立った。
酒はそんな物じゃない。
俺を幸せにしてくれる物だ。断じて酒は関係ない。
「いや、メールしただろ。見てないのか? まぁ頑張って」
電話が切れた。
何を頑張ればいいんだよ?苛立ちながらメールを確認する為にパソコンのスイッチを入れた。
メールは簡潔だった。
なんか古い。
曰くがあるっぽい。
警察が来たらごめん。
なんの説明にもなってない。というか、警察ってなんだ?
友人に電話をかける。
出ない。
警察という言葉が気になった。
ストーカーのように電話をかけまくり、事情を聞き出した。
あのワインは、あるコレクターから黙って拝借した物だった。
変な逸話があるらしいが友人は知らないらしい。
コレクターの住所と電話番号を聞き出した。
友人は最後に金は返さんと言って電話を切った。
盗品を売り付けやがった。金は後回しだ。
まず考えなければいけないのは、捕まるかもしれないという事だ。
仕方なくコレクターに謝罪の電話をかけた。
驚く程あっさりと許してくれた。
処分に困っていたから、丁度いいと言ってワインの話を教えてくれた。
あのワインはフランスの片田舎の小さな村で作られた物だった。
作られたのは戦争をやっている時代。
村の男が戦争に行った。
待っている女達は大事な男の帰りを悲しみに暮れながら待った。
悲しみを紛らわす為に赤白のワインを作った。
ワインに思いを込めようと、古くからいる魔女の家系の者に教えを受けた。
既に大事な男が死んでいる場合は自分の血、猫の血、蛇の血、カラスの血、それにたっぷりの恨みを込めて赤ワインを作った。
大事な男がまだ無事な場合は涙と、たっぷりの愛を込めて白ワインを作った。
そして長い年月が恨みと愛を熟成させた。
そこまで聞いて体が震えた。大量の恨みを飲んでしまった事に唖然とした。
恐る恐る飲んでしまった事を伝えると、受話器から溜め息が聞こえた。
「まさか、赤じゃないですよね?」
そのまさかなんですけど。汗の量が尋常じゃない。
どうすればいいか聞いたが答えはなかった。
仕方なく電話を切った。
やばい事になった。
変な事が起こったのはワインのせいだと確信した。
自分に起こった事を思い出す。
最初に猫。
次いで蛇。
さっきはカラス。
聞いた話と全て当てはまる。
ちょっと待て、最後は確か人間の……
最悪のチャンポンだ。
吐き気と恐怖が込み上げた。
次に来るのは女だ。
洒落にならない。
混乱して赤ワインの空瓶に土下座して謝ってみたりした。
意味がないのは解っているが、何かをやらずには居られなかった。
一通り謝り少し落ち着いた。女が来たら、とにかく謝り許して貰おうと覚悟を決めた。
少しでも誠意を見せようと正座して待った。
どれくらい待ったか解らないが暗くなり始めた。
電気を付けようと立ち上がろうとした。
足が痺れている。
足を崩し力を抜いた。
その瞬間だった。
前に猫がいる。
左には蛇が。
右にはカラス。
後ろは見えないが何かの気配がある。
当然、体は動かない。
今までのパターンから、来るのは女だけだと思っていたが、まさかの勢揃い。
このパターンは考えてない。
自分の意志とは関係なく涙と汗が流れる。
すいません。とにかく、すいません。
心の中で必死に謝る俺。
全く通じず近付いてくる猫と蛇とカラス。
震えから奥歯が、ガチガチと鳴る。
恐怖を煽るように、ゆっくりと猫と蛇が首に噛み付きカラスが胸をついばむ。
凄まじい痛みで意識が薄れそうになる。
猫と蛇がチュウチュウと音を出している。
血を吸われる気持ち悪さに吐き気が込み上げる。
酸っぱい物が喉の奥から上がってきてる。
吐き気と闘いながら必死に謝った。
いきなり後ろから髪を捕まれ上を向かされた。
俺を見下ろす女がいる。
マジで息が止まりそうなくらい怖い。
何が怖いって、真っ白な顔色でもなければ、赤い涙を流してる事でもない。
無表情な事が死ぬ程、怖い。
すいません、本当にすいません。
口の中に手を入れてきた。異常なくらい冷たい。
手首まで入った。
堪えていた物が限界にきて凄まじい勢いで吐いた。
胃の中の物は直ぐになくなったが、止まらない。
息が出来ない苦しさと、吐くという解放感が同時に来て訳が解らない。
気絶する寸前まで噴水のように吐き続けた。
途中から赤い色が混ざってきて最後には血のように赤かった。
やっと吐き終わった。
はあはあと、酸素を求めて喘ぐ。
猫と蛇とカラスの姿が見えない。
終わったのかと思って安心しかけたと、同時に目の前に女の顔があった。
「ヒッ」
息が止まった。
目が逸らせない。
女が目を細め、何かを呟き消えて行った。
恐怖と震えが止まらない。なんて言った?
何処の国の言葉だ?
恐怖に震えながら考え続け、意識が途切れた。
次の日、ゲロの海の中で目を覚ました。
酷い有り様だ。
ゲロと涙と涎にまみれて最悪の目覚め。
そして昨日の事を思い出し震えた。
恐怖を忘れる為に、何かしようとゲロを掃除してシャワーに入った。
少しだけマシな気分になった。
なんとなく終わった気がする。
あと、やる事は馬鹿に文句を言う事だけだ。
友人に電話をかける。
直ぐに出ない事に腹がたった。早く出ろ馬鹿。
「もしー、なしたー?」
声を聞いた瞬間にキレた。昨日あった事をぶちまけた。
どれだけ怖かったか。
お前のお陰でマーライオンの気持ちが解ったとか、最後の方は自分でも何を言ってるか解らなかった。
「へー、生きてて良かったな。おめでとう」
こんな馬鹿と友達だった事がムカついた。
女の最後の言葉は聞いてみたが、俺にも聞き取れなくて説明が上手く出来ず解らず仕舞い。
もう一つだけ気になっていた事を聞いた。
「ほいど野郎って何か知ってるか?」
「あー、確か俺の地元の方言だったかな」
正確には、ほいどっこ。
意味は欲張りとか、何でもありという意味。
ほいど野郎で、何でもアリの馬鹿という意味らしい。最後に金は返さんと言われ電話が切れた。
あの時のおばさんは、俺を見て色んな者を引き連れて歩いてる馬鹿に見えたんだと思った。
まぁいい、とにかく疲れた。起きたばかりなのに、またベッドに入り寝た。
次の日には恐怖が殆ど薄れていた。
そして、いつもの晩酌の時間。
もう一本の白ワインは、どんな味がするか考え、飲むか迷っている懲りない酒好きがいた。
完
怖い話投稿:ホラーテラー 月凪さん
作者怖話