これは「ナイトゴーントへようこそ」というお話の続きで、ショートストーリーに仕上がっています。
でも「ナイトゴーントへようこそ」を読まずに、こっちから読み始めても全然オッケーです。
すっかり夜が暮れ、「谷村内科」は通常業務を終えようとしていた。
そしてスタッフがほとんど出払い、残ったのは院長の谷村、そして大塚だけとなった。
大塚は二十代後半と聞いていたが、下手をすると中学生にも見えるぐらい幼い顔立ちだった。
谷村には二つの顔がある。
一つは「谷村内科」の院長であり、地元の住人からも信用の厚い医師
そしてもう一つは、「ナイトゴーント」の二つ名を持ち、ヤクザから悪魔まで、あらゆる患者を診察する闇医者。
この日は昼間の業務を滞りなく終え、静かに夜を過ごしていた。
「美野里って可愛いですよね、それに歌もうまいし」
大塚はテレビの前で、音楽番組に見入っていた。
美野里とは最近売り出し中のアイドルだ。
「俺たちとは別の世界の人だね」
谷村は煙草に火をつけ、テレビの方に視線を落とした。
「いつか来ないっすかね、うちの病院に」
大塚は、つぶやくとも独り言ともつかないような口調で言った。
「来るって、どっちに?」
「そりゃもちろん、内科の方ですよ。
『ナイトゴーント』に来るのはヤバい連中ばっかりじゃないですか」
谷村は数週間前からこのクリニックに勤めているが、「ナイトゴーント」に用がある連中はほとんどが悪魔だった。
そして傍らにいる大塚もまた、悪魔だった。
「なんかさ、喉乾かない?」
谷村はおもむろに聞いた。
「そうっすね、無性に乾きます」
「だろ?だからさ、なんか買いに行ってきて」
「僕がですか?むしろ院長行ってきてくださいよ」
「ええー、めんどい」
「だったらこうしませんか?トントン相撲で決着付けましょう」
「トントン相撲?」
大塚が取り出したのは、紙で作った土俵と、折り紙で作られた力士だった。
「これで決着付けましょうよ」
「どうやんだ?これ」
「まず、紙の部分があるでしょ?」
「全部紙じゃん」
「チッ、だからね、この土俵の部分があるでしょ、ここをトントンするんですよ」
「お前今舌打ちしただろ」
「してないですって、ホラ、早くトントンしましょうよ」
「さっきからトントン、トントンって、トントンすることによって俺に何のメリットがあるわけ?」
「そんなことこのゲーム考えた人に聞いて下さいよ」
二人は土俵を間に向かい合い、人差し指で紙の土俵を叩き始めた。
振動によって、紙の力士が小刻みに動く。
「おい、この機体、操作性悪いぞ」
「そりゃ、まぁ、トントン相撲ですからね」
「ああ、あ、あ、駄目だ、これ以上耐えきれない・・・・あああ!!」
谷村は紙の土俵をひったくると、無造作に破り始めた。
「ああっ、何するんですか!」
「耐えきれないんだよ、全てに!!大体こんなスペック低いマシンでやりあおうっていうのが無謀なんだよ」
二人が不毛なやりとりを繰り広げていると、インターホンの音が飛び込んだ。
「急患ですかね」
大塚が腰を上げた。
大塚はスリッパをはくと、受付の方へ向かった。
大塚の目に飛び込んだのは、必死の形相でたたずむ一組の男女だった。
女は男に抱えられる様にして、肩で息をしている。
その額には大粒の脂汗が浮かんでいた。
谷村はいつものように、決まり文句を述べた。
「合言葉を」
「ナイトゴーント」
男はそれどころじゃない、と言った様子で、早口に言いきった。
そこで大塚が、妙な声を上げた。
「あっ・・・・!」
「どうした?」
谷村は片方の眉を上げた。
「先輩、この人ってもしかして・・・・」
大塚は震える声で、女を指さした。
谷村は覗きこむようにして女を見た。
その女は、アイドルの美野里だった。
美野里は数ヶ月前から、身体の異常を感じていた。
ことあるごとに吐き気を催し、月経が遅れ、軽いむかつきを慢性的に続いた。
そして市販されているキットで調べると、妊娠反応は陽性だった。
美野里は既に自立し、妊娠そのものには何の問題もなかった。
ただ一つ、父親が修司であることを除いては。
修司はかつての同級生であり、上京して再び巡り合った美野里は再会を喜んだ。
それから間もなく二人は恋に落ち、同じころプロダクションからスカウトの声がかかった。
美野里はその美貌から瞬く間に人気となり、全国にその名は知れ渡った。
デビュー曲は人気を博し、音楽番組にも頻繁に呼ばれるようになった。
そしてその日は、収録前にトイレで化粧を直していた。
突然腹部を襲う痛みから、美野里はパニックになった。
本来ならマネージャーや関係者を呼ぶべきなのだろうが、美野里にはそうできない理由があった。
美野里は修司を携帯電話で呼ぶと、すぐに病院へと向かった。
しかし普通の病院では駄目だった。
そこでこの「ナイトゴーント」へ足を運んだのだ。
「なるほど、それで、妊娠を周囲に知られてならない理由って?」
谷村は尋問するような口調になっていた。
「私の父はとても厳格で、アイドルになるのを許してくれたのさえ不思議なくらいなの。
修司とは正式な結婚をしたわけじゃないし、こんな事父に知られたら・・・・」
美野里は痛みをこらえながら答えた。
「じゃあ、ナイトゴーントをどこで知ったの?普通の人は知らないはずだけど」
谷村は一つの疑問を口にした。
「父がこの病院の運営に関わっているらしいの。ここを紹介してくれたのも父よ」
「運営に・・・・?もしかして・・・・」
この「ナイトゴーント」の運営に関わっている人間と言えば・・・・。
「そう、私の父、そして私は、悪魔なの」
美野里の父親・千原惣一は、構成員全員が悪魔の暴力団「籤瓜組」の組長であった。
組長はかつて谷村に命を救われ、その恩に、谷村を院長とするクリニックを開業させた。
「父が来れば私たち、無事じゃ済まないわ」
美野里は切迫した口調だった。
美野里をストレッチャーで運びながら、谷村は聞き返した。
「無事じゃ済まないって?」
「修司は人間なの、悪魔じゃない」
美野里は痛みに顔をゆがめながら言った。
悪魔の掟で、「混血」は禁忌とされている。
人間と交配を繰り返せば、やがて悪魔の血筋は薄れ、やがて人間の側に取り込まれてしまうと考えられていたのだ。
故に美野里に子供をはらませた修司、そして「混血」である腹の子供も、組長に始末されてしまうかもしれないのだ。
「『純潔』の子供は卵で生まれるけど、『混血』の場合、普通の人間と同じように、臍の尾につながれた状態で生まれてくる。
一度赤ん坊を取り上げてしまえば、後はどうにでもなるわ。臍の緒を隠せば見分けはつかない。
だけどもうじき、父がここに来る」
「?」
美野里の断定口調が、谷村には分からなかった。
「どうしてここに来ると言い切れるんだ?」
「父には万が一の事があった時、ここに来るように言われているの。
私が倒れていることは父の耳にも入ってるはず。
今頃父は、ここを目指しているわ」
「それはまずいな・・・・」
美野里を乗せたストレッチャーは、手術室の奥へ進んだ。
「これはタイムトライアルよ。父が来る前に赤ん坊を取り上げなければアウト。
修司も赤ん坊もただじゃ済まない。頼んだわよ」
美野里は痛みをこらえながら、気丈さを保っていた。
「・・・・手術を始めます」
産婦人科は専門外だったが、谷村は素早く準備に取り掛かった。
大塚は手際よく、美野里の腕にチューブを繋ぐ。
「美野里さんの体は本来、人間との子供を産むようにできていません。
正常分娩によって取り上げるのは難しいでしょう。
よって麻酔後、帝王切開を試みます」
谷村は緊張した面持ちで、修司に説明した。
「院長、組長から電話です」
大塚が受話器を片手に谷村を呼んだ。
「はい、谷村です」
「おい、そっちにワシの娘がいるんだろう?どんな様子だ」
「・・・・卵を無事取り上げました。このまま順調に孵化すれば、元気な赤ちゃんが生まれるでしょう」
「そうか、それは良かった。ワシも急いで向かってる。せめて孵化の瞬間には立ちあいたいからな」
そこで組長は受話器を置いた。
「やばいっすね、もう少しでここに来るみたいですね」
「その前に赤ん坊を取り上げるんだ・・・・」
麻酔を投与した後、谷村は美野里の腹部に、メスを縦に入れた。
悪魔である美野里の腹直筋は、固い内骨格で覆われている。
まずは、決められたポイントを穿孔する。
数センチでもずれれば、その下にいる赤ん坊に穴を穿つことになる。
手術室には緊張が走った。
迅速に、そして的確に作業を進める。
やがて六つ目の穴を開け終えると、大塚が谷村の額の汗をぬぐう。
次に、先ほど開けられた孔を繋ぐように、内骨格に切れ込みをつける。
電動鋸によってラインをなぞるように骨が削られていく。
そして蓋を開けるように、内骨格を外す。
糸を引きながら、プレートのような骨が上がり、中から卵膜に覆われた赤ん坊が覗く。
その膜を破り、赤ん坊が娩出される。
まさにたった今、生まれたばかりの命が、産声を上げた。
「生まれたか!?」
手術室の扉を勢い良く開け、飛び込んできたのは組長だった。
組長は喜色満面だったが、赤ん坊に繋がっている臍の緒を見て、笑みが消えた。
「美野里、まさか・・・・お前・・・・」
「そう、お父さん、この子は人間との間に生まれた子なの・・・・」
組長は口を閉ざした。
そして修司の方を見ると、怒りを露わにするでもなく、ただ自嘲気味に笑った。
「やはり血は争えんか・・・・」
組長はため息交じりに行った。
やがて赤ん坊の方へ歩み寄ると、組長は自らの孫を抱き上げた。
組長の口元には、微笑みが浮かんでいた。
それは全てを受容するような、慈悲に満ちた笑みだった。
出産後、内骨格と表皮の縫合を終え、後処理を済ませると、美野里は数日で退院した。
修司は人間でありながら、美野里の正式な夫として迎えられ、籤瓜組の次期跡取りを任されるであろうと美野里は話していた。
そして今日は、美野里と修司の披露宴だ。
谷村は念入りに、鏡の前でスピーチの練習をしていた。
「まさか院長がスピーチを任されるとはね。まぁ、組長の命を救った恩人だから、当然と言えば当然だけど」
大塚はソファで寝転びながら、谷村を眺めていた。
「まぁな」
「っていうかそんな念入りに練習する必要があるんですか?」
「当たり前じゃん、結婚式に立ち会うんだから。それにあの連中の前で失態を犯せば、それは死を意味する」
「ははは、それもそうですね」
谷村は靴をはくと、ネクタイを軽く直した。
「あの時」
大塚が唐突に声をかけた。
「あの時、組長が『血は争えない』って言ってたけど、あれってどういう意味ですか?」
大塚は急に思い出したように聞いた。
「ああ、あれか。
実はな、美野里さんは組長と人間の間に生まれた混血児なんだ」
「え・・・・?」
「それじゃ、行ってきます」
谷村がドアを開ると、クリニックの中に光が差し込んだ。
それはまるで、祝福するような光だった。
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作者怖話