今井さんのお宅の屋根裏に、大きなハチの巣があるという。
なんでも、この家では屋根裏で物音がしていたらしい。動物でも棲みついたか、と考え調べにいったところ、ハチの巣を発見した。
ところが、様子がおかしい。
肝心のハチが見当たらないのだ。
普通だったらたくさんのハチが巣を取り巻いているはず。しかし、一匹も見当たらない。
もう使われていないのだろうか、ならば撤去してしまおう
ということで巣を除きに近寄ると、なんとハチの子がびっしりと巣に詰まっていたそうで、しかも生きている。さらに本来クリーム色をしているはずが、どす黒い。
親は子を見捨ててどこに行ってしまったのか
ハチの育児放棄などあり得るのか。
どのような理由か見当がつかないものの、今井さんはあるものを発見した。
ハチの巣に、深々と埋め込まれていた黒石。
妖しく光を放つそれを親指と人差し指ではさみながら、今井さんは言った。
「こんなもの、自然に埋まるはずがないだろ。かといって誰かが故意に埋めたとしても、なんのためかさっぱりわからないし、立派な不法侵入だ」
近隣住民のよしみでそんな話に付き合わされていたのだが、正直気味が悪かった。
今井さんが巣から石を取り除くと、ハチの子はそれを待っていたかのように一斉に息絶えた。
死後硬直というものは虫にはないのだろうが、こつこつと音を立てながら雨のように床に落ちたそうだ。
「もともと死んでいたのではないですか」
「いやあ、それはないよ。たしかに一匹一匹動いてた。それに石を除いたのを皮切りに子がぼろぼろ落ちるのだって説明がつかないだろ」
「はあ…」
とりあえずはそんな石捨ててしまったほうがいい、と言っておいた。本心からだった。
宝石のように美しく輝いているのだが、それがどうしても気持ち悪い。
「捨てるったって、綺麗だしなあ…」
「やめたほうがいいですよ。これはほんとうに」
「そうか…わかった。ハチの巣と一緒に捨てるよ」
その日の夕刻。
今井さんが青い顔をして話した内容はにわかには信じ難いものだった。
「風呂に入ろうと服を脱いでたら、ズボンのポケットにこの石が入ってたんだよ」
僅かに輝きが増しているように見えた。
「同じものですか」
「間違いない」
確かに、その石は他のものとは異なる特殊な形状をしていた。
上から見れば菱形、横から見れば先端が尖った楕円形。たとえるならサーフボード。
手のひらサイズで卵一個分くらいの重さ、表面は滑らかでつるつるしている。
外見以外の情報を直接触ってではなく今井さんから訊き出したのは、本能によるものとしか言えない。
死というのは思いのほか身近で、だからこそ些細なことでも動物的本能を優先させた。
触ってはいけない。
その予感が杞憂だとしてもそれならそれでいい。
だが、ハチの巣の一件がこの石の危険性を示しているとするならば。
「お祓いしてもらったらどうでしょう」
「本気で言ってるのか」
「はい。今朝から思っていたんですが、その石気味が悪いです。あのハチの子だって…」
言いかけて止めた。話している途中の今井さんの顔を見ると、どうしてもその先は言えなかった。
「…わかった。さっそく今から行ってみる」
「私もご一緒します」
ということで訪れた神社は、村から車で二時間ほどの山中にあるのだが、そこの神主が予想外の言葉を突きつけてきた。
「私には扱いかねます。お引き取り下さい」
有無を言わさぬ口調だった。呆気にとられて言葉を失った。
「なんとか、お祓いだけでもしていただけないでしょうか」
「無意味です。しかしこのまま放っておくこともできない。そこで私から紹介するのが、こちらのお寺です」
渡された紙には神主の言うお寺の名と、詳しい住所が記されていた。
「ここからだと少々遠出になりますが、これはあなたの命に関わることです」
「命に」
「そうです。あなたからは既に死の気配がする。できれば今日中に、一刻も早く訪ねてください。
その石をこちらの麻の布でくるみ、お寺に持っていくのです」
血の気が引いた今井さんの顔を横から見ると、唇が妙に赤い。鮮やか過ぎるといったら変に聞こえるが、口紅でもしているようだ。
神社をあとにし、そのまま紹介されたお寺へ赴くことに。
すでに外は真っ暗で、目的地に今日中に着けるかどうかは怪しいところだった。
ハンドルを握る今井さんの横顔が緊張で強張っている気がした。心ここにあらず、という感じで目も泳いでいる。
思索に耽っている自分自身に気付いたのか、はっとした表情をして、ちらりとこちらに目をやる。
「すまないな。こんなところまでつき合わせてしまって」
「いいですよ。明日は仕事休みですし」
「それにしてもあの石は何だ。まるで心当たりヴォウウ…ボガァ!!ぐぼッ…オエェッ」
「どうし…!!」
今井さんの口から飛び出てきたのは、黒々となめらかに光るあの石だった。麻布にくるんで鞄にしまったはずだった。
「今井さん!!」
車がぐらぐらと揺れる。後ろからクラクションの音がけたたましく鳴り響いた。
助手席から必死にハンドルを操作する。
「今井さんアクセル!!」
どんどんスピードが増す。前方に一台の車が見えてきた。このままでは衝突する。
左手でハンドルを捌き、右手で今井さんの肩を揺すり、右脚でブレーキを探っている状態。
するとハンドルを握る今井さんの手に力が入り、同時にスピードも落ちた。
「ハア…すまない。ぶッ!!ぐふッはあ…う」
「大丈夫ですか!!」
無言で頷いた。今井さんの足元に転がる黒石が街灯に照っていた。
今井さんが死んだのはその二時間後だった。あと少しでお寺に着くというところだった。
例のお寺は奥深い山中にあるため、山に入る前に飲み物でも買おうとコンビニに寄ったわずかな時間に。
会計を済ませ車に戻ると、今井さんは絶命していた。
眼球が黒く変色していた。アゴが外れていた。
巨大なハチの巣さえ、呑みこめてしまいそうな口の大きさだった。
開いたドアに手をかけた状態でどれほど時間が経ったかは定かではない。
車内にともるランプに照らされた今井さんの顔は、何者かの歪んだ悪意に染まっていた。
黒石は、その姿を忽然とくらませていた。
今まで意志をもち、多少なりとも思いを交わしていた、というのが信じられなかった。
死体に声をかけても、言葉はない。言葉だけでなく、思いも、所作も。彼が生きている証となる一切のものが理不尽に奪われた。
だからこそ、人は死にとめどない恐怖(クフ)を抱くのだろう。彼の顔を見れば、それがどれほどのものか、痛いほどよくわかった。
今井さんの葬式が終わった二日後、彼の妻が震える声で言った。
「夫の胃の中でね…黒い石が見つかったそうなの」
死因を調べた警察からの情報のようだ。
吐き気がした。今井さんの命をたったの一日で奪ったもの。
「これ…そうよね」
今井夫人が懐から取り出したのは間違いなくあの石だった。
「…どうして持ってるんですか」
「玄関に落ちてたから…見たときはぞっとしたけど、すごく綺麗で思わず手に取っちゃった」
今すぐあの寺に行かねば。まず考えたのがそれだった。
「その石は呪われています。今井さんが亡くなられたのはその石が原因かもしれないんです」
「でも…じゃあどうしたら」
「お祓いを受けに行きましょう。今すぐです」
了承してもらうと支度をしにすぐさま家に駆け戻る。仕事終りで日は完全に暮れていたが、そんなこと気にしている場合ではなかった。
しかし事態は急転する。
上着のポケットから例の石が出てきたのだ。
「なんで…」
思わず口に出てしまった。次は俺の番ということか。
全身から力が抜けて、立っていられなくなった。へたりこんだまま呆然と自分の命のタイムリミットを呟く。
「一日…一日で俺は」
俺が死んだら、次は今井夫人なのか。そもそも今井夫人は無事なのか。
跳ねあがって急いで今井宅に駆け付けた。
呼びかけると、中から夫人の返事があった。ほっと胸をなでおろす。
このとき時刻は午後7時。不吉な予感がまとわりつく。あの車内での出来事がフラッシュバックした。
とにかく急がねばならない、あっという間に命を刈られる
この石は捨てたところで戻ってくる。今最も大事なことは、いち早くお寺に辿り着くこと。
助手席に今井夫人を乗せ猛スピードで車を走らせる。
道中、常に背後に気配を感じた。恐ろしくてミラーを覗くことができなかった。
隣で眠りこむ今井夫人も、奇声を発していた。悪夢でも見ているのだろうか。キキキキ…と鋭利な音が後部座席から聞こえてくる。
お寺に着いたのは午前1時。驚くべきことに、住職は明かりを点けて待っていてくれた。
目がしらが熱くなった。一縷をつかんだような気がした。
「話は聞いています。早くこちらへ」
一連の出来事のあらましを述べたあと案内されたのは裏山だった。闇に包まれた山中では、懐中電灯の光が心細い。
先頭に住職、後方に三人の従者(ズサ)。
「石を持っておられるのはどちらですか」
上着のポケットから石を取り出し住職に見せた。今井夫人が驚きの声を発する。
「どうしてあなたが…突然なくなったのよ」
「その石は人を呪い殺すためだけにつくられたものです。おそらく触れた者に祟りをもたらす」
「しかし、私は一度も触れませんでした。…どうして」
「直接触れなくとも、祟られている者に触れれば同じこと。その点は製作者の意図でしょう。わざと時間をかけて殺すことで祟りに触れる者を増やす」
まさか、あの車内で今井さんの肩に触れたときか。
「製作者って誰なのですか」
「もう生きてはいないでしょう。その石に魂を囚われているはずです」
背後でざざっ、と何かが動く音がした。同時にキキキ、と鋭い音がした。
「もうかなり近くまで来ている。その石を口に入れてください」
「……は?」
「その石を、口に含めと言っている」
「なぜです」
「のんきに説明するほどあなたに時間は残されていない。呑みこまず、口に含むのだ。早くしろ」
住職の気迫に圧されすぐさま石を口に放り込む。飴を食べているようだ。甘かった。
しばらくすると、草庵が姿を現した。そこだけ周りの木々がなく、ちょっとした空間ができていた。
草庵は石畳の上に据え置かれている。
「このなかに入るのです。さあ早く」
一辺5m、正方形の草庵だ。
室内の蝋燭の火を灯すと、厖大な数の小さな桐箱が積み重ねられている。
薄暗い室内で住職が淡々と喋り始める。
「石に囚われている者が間もなく現れます。石を奪いに、です。まずは、石を発見されないこと。口内にあるそれは簡単には見つかりません。
しかし時間の問題でしょう。あなたの口を力づくで開けようとするはずです。そのときは」
すると住職は俺の右手小指に紐を括りつけた。
「この紐を強く、引っ張りなさい。…聞こえますか」
はああああ…とん、とん、…こつ、こつ、こつ…
こつこつこつこつこつこつ…
草庵を豆が打つような音がし始めた。迫りくる恐怖に身震いする。
「はい。聞こえます」
隣では今井夫人が首をかしげている。
そこで住職が驚くべき言葉を発した。
「必ず助ける。そのために我々は生きている」
背後に控える三人の従者も微笑んでいる。この状況にまったくそぐわない強い言葉だった。
何度も何度も頷いた。
「では、こちらへ…おい」
背後の従者が黒布を住職に差し出した。
「これを被ってください。…そして、今井さんはこちらへ」
布を被った俺の前に、今井夫人が腰を下ろす。
「声を出さず、必ず危うくなったら紐を引くこと。今井さん、あなたも」
「…はあ」
「きいているのか!!」
いきなりの怒声に今井夫人が激しくびくついた。
「は、はい…わかりました」
「…お二人は互いの命を握り合っている。どちらか一方でも気を抜いたら、…わかりますね」
「はい」
「声を出さないこと。今井さんはこちらだけでよろしい」
「わかりました」
すす、と四隅に控える四人。桐箱の山でその姿は覆い隠された。小指に括られた紐は、住職の元へ繋がっている。
どうやら箱の配置はでたらめというわけではなく、考えられているようだ。
長い、長い夜が幕を開ける。
怖い話投稿:ホラーテラー 1100さん
作者怖話