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中編7
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幽霊の日常 毛玉(下)

毛玉に変化が現れるのに そんなに時間はかからなかった。

きっかけは、ここへ肝試しに来た連中だった。

毛玉が耳をピクリと動かし、辺りを伺うような仕種をする。

続いて車が停まる音がし、いつものようにガチャガチャと門をよじ登る音も聞こえてくる。

これはお客さんが来たな。

そう思った俺は毛玉に声をかけた。

『おい、毛玉。お前にとっては初めての客だな。

一緒に見に行くか?』

毛玉は なぁに?とでも言うように、首をかしげ俺を見上げていた。

ここへ来る奴らは、たいてい肝試しと称して面白半分に騒いで帰って行くだけだが、たまに質の悪い連中もいる。

何が楽しいのか、暴れ回ったりガラスを割っていったりと破壊を目的として来る奴もいるのだ。

もし今日来た奴らがそんなタイプだったら、毛玉を連れてどこかの部屋へ隠れていればいい。

死んでからまで 怖い思いをさせる必要はないんだから。

そんな風に俺は考えていた。

窓から外を覗いてみると、今夜来た客は男二人と女二人のグループのようだった。

まぁ、これなら大丈夫だろ。

『よし、毛玉。お前の好きにしていいんだぜ。なにせここは心霊スポットなんだからな。

足元に纏わり付いて転ばせたりするくらいなら……。』

言いながら毛玉の方を振り向いて、俺ははっとした。

毛玉の様子がおかしい。

連中のキャーキャーと甲高い声が聞こえるたびに、鼻にシワを寄せ唸っている。

『なんだ、どうした毛玉?』

俺が話しかけても まるで聞こえていないようだ。

低く唸り、廊下の奥を睨みつけている。

その時 一際甲高い声が階下から聞こえてきた。

すると毛玉は突然ギャンギャンと吠え、走り出した。

『待て!どこに行くんだ!』

慌てて俺も後を追う。

下に着くと 四人の男女が怯えながら診察室から出てくるところを、毛玉が足元で激しく吠えたてていた。

『お、おい!お前何してんだ!』

今にも飛び掛かろうとしそうな毛玉を押さえこむ。

しかしそれが困難なくらいに激しく暴れる毛玉は、同じ犬とは思えないくらいに目は血走り 歯を剥き出して唸り声をあげている。

毛玉の変貌ぶりは、連中がここを去るまで続いた。

もしかして、こいつの飼い主だった奴がこの中にいるのか!?

一瞬そう思ったが、それは違ったようだ。

コイツは特定の人間と言うよりは、『女』だけを襲おうとしている。

その後何回か客が来たが、いずれも女にだけ狂ったように襲い掛かる。

はっきり言って見境無しだ。

今では人間の女が来なくても、日に何度もまるで発作を起こすように豹変するようになってしまった。

そしてそのたびに、何故自分がそうなってしまうのかがわからない毛玉は、変わってしまう自分に怯え 辛そうに鳴くのだ。

俺、どうしたらいいんだ?お前の恨みを果たしてやれば、お前は元に戻るのか……?

疲れはてたように そばに横たわる毛玉をなでながら、俺は途方にくれていた。

その時、背後から

「一体何があったんですか!? こんな短期間で、どうしてこんな……!」

と、颯太の声がした。

颯太は、毛玉の変わりように驚いているようだ。

それはそうだろう。

今の毛玉には 愛らしかった頃の面影はあまり残されていないからな。

目をつぶり 俺の足に乗せているその横顔は、可愛いままの毛玉なのに……。

俺は颯太に、毛玉がどういう経緯でこうなったのか全て話した。

「……そうだったんですか。もしかしたらこの子は、女性に虐待されていたのかもしれないですね。

だから……。」

そこまで言って、颯太はぎょっとした顔で俺の後ろを見た。

振り返るとそこには、颯太を睨みつけ 今にも飛び掛かろうとしている毛玉がいた。

鋭い歯は 自らの口を切り、血が滴っている。

『け、毛玉!?お前……颯太の事がわからないのか!?』

目は真っ赤な血の色に染まり、口からもれる低い唸り声は、生きている人間全てが憎いと言っているように聞こえた。

『早く逃げろ、颯太。もうあいつはお前の事もわからないんだ。』

「……でも!」

『早く!俺はなんの力も持たないただの霊体なんだから、お前を守る事なんてできないんだぞ!早く行け!』

ダダン!と床を蹴る音が聞こえ、毛玉が俺の頭上を飛び越え颯太に襲い掛かる。

『や、やめろ!毛玉!!』

「あぁ…うわあぁぁ!」

間に合わない!そう思った瞬間、颯太の体に毛玉の爪が届くより早く、颯太の体が激しく光り輝き 俺と毛玉は廊下の端まで吹き飛ばされた。

なんだ?一体何が起きたんだ?

理解できないまま起き上がると、横に転がっていた毛玉がクークーと俺を見て近づいてきた。

『お前……元に戻ってるじゃないか!』

その姿は、中庭で出会った時のままだった。

『良かったな、毛玉!ホントに良かっ……。』

毛玉を抱き上げようとして、初めて俺は 自分の右手がない事に気がついた。

手首から上が、きれいさっぱりなくなっている。

は……?何これ……。

「だ、大丈夫ですか!?すみません!

でも、この犬の生前の記憶が見えました、この…犬は……。」

慌てて走ってきた颯太の顔色が、みるみる青くなっていく。

「それ……その手……僕が……?」

『は、颯太……。』

「……ぅぅあああ゛ーーー!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

『颯太!』

「嫌だ!こんな力いらなかったのに!何も聞きたくないし何も見たくないのにぃ!

ごめんなさい僕のせいで…ごめんなさい、どうしよう!皆が僕から離れて行く……ごめんなさいごめんなさいごめんなさ」

『颯太!落ち着け!……お願いだから落ち着いてくれ。

こんなの痛くも痒くもないんだから平気だ。

それより見てみろ、毛玉が元に戻ったぞ!

な?可愛い顔になってるだろ!?』

「あ……で、でも……。」

『大丈夫だ。俺は大丈夫。それより颯太、お前が見えたものを聞かせてくれ。

一体何が見えたんだ?』

颯太はこくこくと頷くと、二度三度と深呼吸をした。

体はまだ震えているが、颯太の目に光が戻ってきたのがわかる。

こいつもギリギリのとこで、いつも踏ん張っていたんだろう。

気の弱いフリ、何も見えないフリ、目立たないように気を使って。

でも俺にはわかる。

こいつは誰よりも強い。

『颯太…。』

「大丈夫です。ごめんなさい、取り乱して。」

颯太はぐいっと袖で涙を拭うと、静かに話し始めた。

「この子は……確かに虐待されていました。

飼い主の機嫌によって殴られたり蹴られたり。

餌もまともにもらえない事が多かった。

しかしそれでも、この子はその飼い主を信じ……愛していたんです。

ある事が起きるまでは。」

『ある事……?』

「この子は……目の前で生まれたばかりの自分の仔犬を……いらないからと飼い主に殺されたんです。

その時初めて、飼い主の事を噛みました。

それが飼い主の怒りに触れ、暴力によってこの子は死んだようです。」

……そんな、なんて事を……!

「そして気づいてしまったんです。自分が愛されていなかった事を。」

『俺はどうすればいいんだ……?

あいつの為に復讐をすれば、あいつは救われるのか?』

「いいえ。」

颯太は一呼吸おくと、力強く言った。

「抱きしめてあげて下さい。

そして、お前が大好きだと。

お前が大事だと伝えてあげて下さい。

あの子が心を開いているあなたにしか、出来ない事なんです。」

俺は、足元に擦り寄る毛玉を見つめた。

お前は……それを求めて、あんなに暴れていたのか。

自分の姿形を変えてまで。

だとしたら悲し過ぎる……。

俺は座り 毛玉を膝の上に乗せた。

『あのな、毛玉。その…なんだ…。』

毛玉、はクリクリとした丸い目で俺の顔を覗きこんだ。

『お前が天国へ行って生まれ変わって……俺もいつになるかわからないが……成仏して、もしまた生まれる事が出来たなら……。』

不思議だ。毛玉は俺の言う事を理解しているとわかる。

一言も聞き逃さないようにしているかのように、俺の目をまっすぐに見つめてくる。

『そしてもし出会う事が出来たなら……そしたら俺達、絶対にお互いすぐにわかると思わないか?』

俺は毛玉の背中を何度もなでた。

『その時は俺達、一緒に暮らそうぜ。

俺が一緒に生きてやる。

お前の最後の時まで、俺が一緒に生きてやるから。

だからもう……逝きな?』

毛玉はまるで、わかったというように目をつぶり 俺の頬をペロっと舐めた。

次の瞬間 毛玉の体は淡く輝き始め、次第にその体は光に同化するように薄れていき 消えていった。

『ちゃんと逝けたのかな、あいつ。』

「たぶん……。あの、あなたの右手、本当にごめんなさい……。」

『これさ、いい目印になると思わないか?』

「は?」

『だからさ〜、もし俺があいつに気づかなくても、あっちが俺に気づいてくれるかもしれないじゃん!

この右手のおかげでさ。』

俺がそう言うと、やっと少し颯太が笑った。

『俺も早く成仏しないとな。』

「え!?そ、そうですね……。」

『だけど それには条件がある!』

「条件って?」

『颯太に心から信頼できる友達ができる事だ。

もちろん生きてる奴だぜ?俺がいつまでも成仏できなかったら、それはお前のせいだからな。

わかったか?』

颯太は、頑張りますと小さな声で笑いながら言った。

颯太が帰った後、俺はいつもと同じく窓から月を見ていた。

今夜も月は綺麗だ。

寂しいなんて絶対に言わないぜ。死んでも絶対に。

あ、俺 もう死んでるんだった。

なら 言ってもいいかな。

今夜の月は 一人で見るのはもったいないくらい綺麗だぞ。

お前と見たかったよ、毛玉。

怖い話投稿:ホラーテラー 桜雪さん  

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