長くなりそうなので何回かに分けて書きます(一応三回で完結する予定。書いてみないとわからないのですみません)
①八十歳の男性が自宅でいきなり苦しみだし死亡。咽喉部より孫の所有物である人形の一部が出てきたが、なぜそんなものを飲もうとしたのかは不明。
②水深30cmほどの用水路で成人女性の溺死体が発見される。
③小学生が野良犬に石などを投げつけいじめていたところ、たまたま通りがかった主婦が興奮した犬に噛みつかれ重傷。
④マンションの自転車置き場周辺で一輪車に乗っていた小学女児が転倒。助け起こそうとかがんだ母親の足元にスズメバチがおり、足首を刺されて重傷。
⑤中学校の課外活動中、生徒どうしのふざけ合いに巻き込まれて男性教諭が転倒。手をついた場所にあった古板に打ち付けられた釘が手首を貫通し重傷。
②のケースでは死亡したのは成人女性だが、三人の小学男児が女性を押さえつけていたという目撃情報があった。(警察の捜査ではそのような事実は確認できず、事故として処理された)
2009年10月から11月にかけて、私の住む町で上記の事故が立て続けに起きた。
狭い町内で短期間に子供がらみの事故が相次ぎ、祟りではないかとの不穏な噂が流れた。
立証されなかったとはいえ「男児が女性を押さえつけていた」という証言は、不気味な風評を広める要因になった。
ここは関東某県の田舎町である、とだけ書いておく。
私はこの町の自治会の青年部のリーダーをしている。
自治会の寄り合い(ざっくばらんな会議のようなもの)で、当然この問題が議題に上った。
いいトシをした大人が公民館の一室で顔を付き合わせ「祟りだ呪いだ」と騒いでいるのにはそれなりの理由があった。
毎年8月の第2土曜、日曜に市の夏祭りが催される。
各町内会が持ち回りで祭りの運営に尽力することになっており、2009年は私たちの町の番だった。
無事に祭りを終え、運営委員や商店会の有志と打ち上げをする。祭り本番よりもこのときに酔っぱらってわいわいやるのが、実はいちばん楽しい。
掃除や片付けを終えたあと、公園に張ったテントの下でみんなで飲んでいた。
そこへ中年の女性が手提げの紙袋を持って現れた。
以下、女性の言ったことを要約して記す。
自分はある仏教系の新興宗教団体に所属していた。
先日その団体を脱退したのだが、手元にご本尊のミニチュアである仏像が残ってしまった。
捨てたりするのは気がひけるので、町内の神社の神主さんに託したい。
夜分ゆえ神主さん宅を訪ねるのは申し訳ないので、預かってほしい。
大略このようなことを言って紙袋を置いていったのだが、酔っぱらいの集まりなので深く詮索もせず引き受けてしまった。
仏像だったら託すのは寺じゃないのか…などという疑問は酔いがさめてから初めてうかんだ。
ともあれ私が責任を持って預かるということになり、女性は礼を言って立ち去った。
翌日神主さんのところに紙袋を持っていく前に、何度か中身を見た。
木彫りの仏像で、少し汚れてはいるがそんなに古いものではない。
大きさのわりに重くて、けっこういい木を使っているように思えた。
神主さんはやはり、お寺に持っていくのがすじでしょうとおっしゃった。
一応寺に電話してご住職の在宅を確認し、また車を走らせた。
ご住職は
「こりゃ厄介な物を持ってきた」
と、あからさまに顔を曇らせた。
「ともかく預かるが俺の手にはおえないだろう」
との言葉に、そんなたいそうなもんでもないだろにと思いながら私は寺をあとにした。
ところが「1」の冒頭に書いたようなことが現実に起こり、「これは呪いだ」と騒ぎになる。
そしてその仏像の処遇をめぐり話し合いが行われるのだが、私たちの意見は割れた。
寄り合いにはご住職も参加してくれた。
なんとあの仏像持参で…
みんな気味悪がっていたが、すでに触ったり撫でたりしていた私はさして怖いとも思わなかった。
ご住職いわく、最近町内で起きている事故はこの仏像のせいに違いない。親戚すじに優れた霊能家(霊能者とは違うらしい)の女性がいるので相談してみようとのこと。
週刊誌にも取り上げられた有名な人だという。
それはいいのだが、相談料をとると言われみんな戸惑った。
除霊するにはさらにお金がかかると聞いて、自治会長が怒った。
町の貴重な金を霊を祓うなどという下らないことには使えないと。
20人の参加者がほぼ真っ二つに別れ、ケンカに近い罵り合いになってしまった。
結論の出ないまま散会となったのだが、興奮冷めやらない会長が仏像をたたいて床に落とした。
ご住職はあわてて仏像を拾い上げたが、会長はそのまま出ていった。
ちなみに私は反対派で、理由はやはりお金がもったいないからだった。
ところが翌日、自治会長の孫娘(他県在住)が通り魔に腕を刺されるという事件が起こった。
あれほど強硬に反対していた会長が、次の寄り合いでは「霊能家さんにお願いしよう。金は俺が払ってもいい」などと言い出した。
会長一人に金を出させるわけにもいかないので、会計係の人の発案で災害時のためにプールしている町のへそくりとも言うべき金を充てることになった。
私も含め数人はしぶしぶ従うという感じだったが、ともあれ「除霊依頼に関する決議」はまとまり、年が明けたら霊能家先生に来てもらえるようご住職にお願いした。
明けて2010年1月6日、その人はやってきた。
髪を薄い茶色に染めていたが化粧はしておらず、小柄でおだやかな感じの人だった。
服はごく普通の私服で、まずは下見ということらしかった。
私と自治会長が立ち会ってご住職が運んできた仏像を見てもらった。
触れもせず黙って仏像を見ていた霊能家先生だったが、ふいにご住職に向かって
「ほんとだね。これはいけないね」
とつぶやいた。ご住職は渋い表情でうなずく。
先生は
「とりあえず今日は帰ります。明日さっそくやりましょう」
と言って帰った。
明日とはまた急な…と思ったが、仕方ない。私も結果を見届けるため、翌日も仕事をキャンセルした(言い忘れたが、私は比較的時間に制約されにくい職業に就いている)
明けて1月7日。
前日はタクシーを手配して来てもらったのだが、その日はご住職の奥さんが車で迎えに行ってくれた。
予定の午前8時より少し早く奥さんの運転する車は寺に戻ってきた。
車から降りてきた先生は昨日とはうってかわり、袈裟を身につけ威厳をまとっていた。
三人のお弟子さん(30〜40才くらい、全員女性)も怒ったような気合いの入った表情をしていた。
一行はそれぞれトイレだけ済ませると、寺のご本尊の前で頭を下げたりしていた。
その後、本堂の横の座敷に必要なセッティングをした。
道具はすべて先生たちの持参品で、こちらで用意したのは清酒だけだった。
本堂に向かう方向を正面とし、木箱を置く。
なにやら高価な風呂敷みたいなものを敷き、その上に例の仏像をちょこんと載せる。
座布団は無い方が良いということで、全員が畳に直に座っている。
先生は私たち(ご住職、奥さん、自治会長、私、他見届け人2名)の方を向いて説明を始めた。
私は好奇心が強く、心霊番組やUFO特番、ここのようなホラーサイトをよく見る。
だが霊の存在に関してはどちらかというと懐疑的だった。
そんな私にとって、先生の説明はあまりに現実離れしたものだった。
「おおよそ本来の宗教からは遠いものですが」
表情は厳しいが、先生の口調は相変わらず穏やかだった。
「西洋でいう悪魔崇拝のようなものが日本にもあり…」
つまり、仏教やキリスト教から派生した邪宗、邪教が現代にも細々とではあるが継がれているのだという。
「呪い」を信教の軸とし、人間の持つ善の部分を完全否定する闇の宗教。
先生が把握しているのは、そのうちの二団体だが、まだ他にもあるかもしれないという。
その話が事実だとして、そんな邪悪な連中がなんのために私たちの小さな町に狙いをつけたのか。
「多額の金銭で誰かに依頼されたんでしょうね」
個人的な怨みではなく、地域全体が滅びれば良いというような強い怨念を感じるという。
「詳しい事情まではわかりません。依頼した人間がどのように邪教の存在を知ったのか、それが大きな問題ですが、それもわかりません」
そんな話を聞くと、あの小さな仏像がとてつもなく恐ろしい物に思えてきた。
その仏像を作る大まかな過程が先生の口から語られるに及んで、その場の空気が完全に固まった。
ご住職さえ青ざめているように見えた。
母が子を想う心は美しい。その「無償の愛」の真逆、母による子殺しにより呪いをこめたのがその仏像だという。
つまり母が我が子を「殺しながら」仏像を彫るのだという。
教団専属の術者あるいは教祖本人に強力な悪の念を送られながら、少し子供を傷つけては少し木を彫りこんでゆく。
それを根気よく続け、何日もかけて仏像は彫られてゆくのだという。
…何日もかけてって…
つまりその間子供は死ぬこともなく、ずっと苦しみ続けることになる。
「少なくとも3〜4人の子供が犠牲になってますね、この仏像は。しかもわりと最近作られたものです」
気分がわるくなってきた。こんな話を聞いてしまって、私たちは大丈夫なんだろうか。
そんなに恐ろしい話を聞いた後だったせいか、儀式は意外にあっさりと感じられた。
先生は左手に小さな数珠、右手に半紙を折り畳んだような白い紙を持って仏像に向かって経を唱えるだけだった。
お弟子さんたちも声を合わせて一斉に読経を始めた。
ご住職と奥さんは手を合わせて目をつぶっているだけ。
かなりの迫力ではあったが、とくに何が起こるというわけでもなく一時間ほど経過した。
突如として読経を中断した先生は
「んー」
と言って何か考えていたが、
「これは私が持ち帰ります」
と言った。
お弟子さんたちは先生のその言葉を予期していたようで、動揺した様子もなく黙っていた。
「ここで完全に祓うのは無理ですし、こちらのお寺に迷惑をかけてもいけないので」
この時点で私は疑っていた。いいかげんなこと言って、結局は金目当てなんじゃないかと。
奇妙な事故が続いたのは事実だが、現代日本で邪教がどうこう言われても。
しかし先生は仏像をさっさと風呂敷に包んで木箱にしまい、お弟子さんに後片付けの指示をはじめた。
自治会長や見届け人の顔にも、不満な思いがありありと表れていた。
昼食を食べていくようすすめた奥さんに
「帰って対策を講じます」
と言い、今すぐにでも帰りたいような素振りを見せた先生を私が送っていくことになった。
奥さんが用意してくれた食事を断ってでも、聞いておきたいことがあったから。
今後事故は起こらなくなるのか。わが町が呪いを受けることは二度とないのか。
それらのことを確認してしっかり説明しないと、町内の人々は納得しないだろう。
挨拶もそこそこに、先生とお弟子さんは荷物を奥さんのワンボックスカーに積みはじめた。
すでに助手席に座っている先生の膝の上には仏像が入った木箱がある。
大まかな道順を教わり、どの道を行けば早く着くかの見当をつけた。ナビは使わず、話しながら走るつもりだった。
出発してしばらくして神社の前を通るとき信号が赤になった。
信号待ちしている最中、お弟子さんの一人が「あっ」と声を上げた。
先生も何かに気づいたようで、車を神社の倉庫の横につけるように言った。
いぶかしく思ったが、言われるまま神社の方に入れた。
先生は木箱を持ったまま車を降り、お弟子さんたちも後に続く。
運転席に残り彼女たちの向かう先に目をやった私は見てしまった。
建物の陰で薄暗くなった場所に二本の古木がある。その木と木の間に子供がいる。
坊主頭の男の子の体は半透明だった。
先生たちが近づいて右手を動かしながら大きな叱責のような声を上げると、すっと消えた。
この時の体験を誰かに話すとき、いつも苦労する。
男の子はたしかに前に進む動きをしているのだが、まったく前進しない。
実にゆっくりとした動作で右のひざと左のひざを交互に上げている。
苦しげな表情で、必死にじたばたしている10才くらいの男の子。
わかりにくいとは思うが、この説明で理解してもらうしかない。
車に戻った先生は私に「見えました?」と尋ねた。
私は短く「ええ」とだけ答えた。
神社のそばということが気になり「やっぱり神主さんに関係あるんですかね」と尋ねた私に、先生も短く「わかりません」と答えた。
後部座席から「かわいそう」というつぶやきが聞こえた。「子供がかわいそう」という意味だと思う。泣いているお弟子さんもいた。
再び車を発進させた私は、今後どうすれば呪いを避けられるのか訊いてみた。
「もう大丈夫です。私が引き受けますから」
それ以上は何も訊く気になれず、道を教わる以外にほぼ会話ないまま目的地に着いた。
別れぎわ、実は疑っていたことを告白し非礼を詫びた。
「気にしなくていいですよ」
先生は寂しく笑った。いく度となく懐疑の眼差しを浴びてきたであろう人の、あきらめたような笑顔だった。
なんだかすごく申し訳なくなって、私は頭を下げた。
地元に帰った私は、先生がお弟子さんたちの分しか礼金を受け取らなかったかとを知らされた。
「親戚だからまけてくれたんだろう」
とご住職は笑っていたが、私はまた申し訳ない気持ちになった。
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あれから一年、わが田舎町ではとりたてて大きな事件や事故は起きていない。少なくとも私の知る範囲では。
神主さんもとくに変わりはないようだ。
あの日以来、私は霊の存在を信じざるをえなくなった。
人智を超えた恐怖や怪異が意外なほど身近にあることを思い知らされた。
その後先生たちの身の上に起こった出来事についてはまたの機会に。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話