「今度の休みは鬼子母神トンネルに行こう」
Aがそう切り出して、Bの表情が曇った。
「あそこは・・・やめたほうがいいよ。あそこ以外なら」
いつもならホラースポット巡りに乗り気のBが珍しく消極的だ。
会社の同僚である俺とAとBの3人は、今度の休みに霊にまつわる名所に行こうと決めていた。
鬼子母神トンネルというのは、最近になってあちこちで噂を聞く様になった新名所だ。
正式な名前は分からないが、近くに鬼子母神(きしもじん)という神様を祀ってる寺があって、トンネルの名前もそう呼ばれる様になったそうだ。
山の中腹くらいにあるトンネルで、ふもとに都道が完成して交通の便が良くなってからは使われなくなり、今は山自体が立ち入り禁止になっている。
「なんでやめたほうがいいんだ?」俺はBの不安げな顔を見ながら聞いた。
「あそこは、ほんとに人が死んでるんだ。
2ヶ月くらい前にM大学の学生3人があそこに肝試しに行ったんだけど、帰ってきたのは1人だけ。
そいつの話だと、あとの2人はトンネルに入ったら、いきなり出口の先まで走り出して行ったらしい。
3日経っても2人は家に帰らなくて、警察が捜索したらトンネルの中で死んでたって。体中アザだらけで」
「そんなのよくあるただの噂だろ?」Aは、信じてない様子だった。
「その生き残った1人は、俺の家のすぐ隣に住んでる知り合いなんだ。これは本人から直接聞いたんだよ」
「・・・・・」俺もAもしばらく沈黙してしまった。
重苦しい空気をかき消そうとするようにAが声の調子を上げて言った。
「その2人は幽霊に殺されたってのか?ばかばかしい。
普通に考えたら2人でケンカにでもなったか、別の誰かに殺されたんだろ。
そんなのいちいち霊のせいにしてたら、日本中の殺人事件が迷宮入りになっちまう」
俺もAの考えと同じだった。日本で1日何千件の人為的事件が起きてるだろうか。
それがたまたま心霊スポットで起きたと考えるのが自然だろう。
「わかったよ・・・じゃあ俺も行く」Bは、うつむきながらもそう答えた。
期待を膨らませる俺とAは当日のスケジュールについてあれやこれやと話し合ったが、
その間もBの表情が晴れることはなかった。
当日は天気も良く、8月のわりに涼しくて心地いい日和だった。
一旦俺の家に集合したメンバーは、電車に2時間ほど揺られて郊外の駅まで行った。
そこから、さらに都道を2時間くらい歩いたところで鬼子母神トンネルのある山のふもとまでたどり着いた。
山の周りはフェンスで囲まれていたが、フェンスの門扉には鍵もかかっていないので楽に入れた。
ブナの木に挟まれた山道を20分ほど登っただろうか、鬼子母神トンネルと思われる場所についた。
時間はまだ昼頃だ。
トンネルは、一見なんの変哲もない外観で、少し汚れているくらいでこれと言った特徴がなかった。
どこにでもあるコンクリートのトンネルだ。向こう側の出口からの光がもれてこちらまで届いて見える。思ったより全長は短いようだ。
「なんでこんな平凡なトンネルが心霊スポットなんだ?」Aが拍子抜けした声で言う。
「やっぱりトンネルの中まで入るのか?」Bは、まだ決心がつかない様子だった。
「怖いんだったら残ってもいいぞ。俺達は2人でも行くから」Aは笑って余裕を見せた。
俺達3人は、早速トンネルの中に入ってみることにした。
トンネルの中はとても静かだった。車4台通れるほどの幅はあるだろうか。
一応懐中電灯を持ってきたのだが、このトンネルでは必要なかった。
入り口と出口、両方から射す光で足元は十分見えた。ところどころに水たまりがある。
長年使ってないわりに、側面や上部は綺麗だった。落書きも1つもない。
「こりゃ期待はずれだな」Aは、心底つまらなそうに言った。
ゆっくり歩いたつもりだったが、それでも2、3分で出口まで出てきた。
出口の外は、かなり広い範囲が平地になっていて、一面背の低い植物が生い茂っていた。
舗装された道は、トンネルの出口までで途切れていて、これ以上先に進むのは苦労しそうだ。
すぐ右手には、二階建ての民家が1つだけ建ってるのが見える。
玄関の扉は取り外されていて、窓もついてない。どうやら空き家の様だ。
外壁全体が白く塗られた、街中でもよく見かける普通の一軒家だった。
「おいあれ見てみろ」Aが前方を指差しながらつぶやいた。
植物が生い茂ってるずーっと先、200mくらい先だろうか。ブランコやすべり台が見える。
「公園があるのか?」俺が目を細めながらそう聞くと、Aがやや声を強めた。
「いや、あれは人だ。誰かいるぞ」
目を凝らしてみると、確かに砂場の辺りに人間が見えた。
青いワンピースのような服を着た女が砂場の端に腰掛けて体をこっちへ向けている。
顔までは良く見えない。
「なぁ、帰らないか?」Bは、少し声が震えてた。
「ここに住んでる人間がいるってことかぁ?」Aが視線を民家に向けた。
その直後Aの動きが突然止まった。顔がこわばっている。
俺もAの視線の先を見てみて体が固まった。民家の屋根の上に人が立っていた。
日差しが逆光になって姿まではよく見えないが、人には間違いない。
呆然とその光景を見つめるしかない俺達3人の前で、その人影は腕を回し出した。
いや、腕を回すというより両肩だけを力いっぱい動かしているようで、
両腕の上腕や前腕、手首は、まるでかざりの様に肩の力によってブラブラと振り回されてるだけに見えた。
上半身の激しい動きとは対照的に足元は、ふらふらと右へ行ったり左へ行ったり、屋根から落ちそうだった。
3人とも声が出なかった。逃げる事もできず、ただただ立ち尽くしてその光景を見ているしかなかった。
その時、どこかで「ギャーーーー」という女性の叫び声が聞こえた。かなり近くだ。
一瞬、さっきの女を思い出し、目だけを公園のほうに向けたが、女は変わらない様子でこちらを向いて座っている。
不自然なほど動きがないと言うか、さっき見た公園の風景と同じ写真でも見せられてる感じがした。
すると、また近くで声がした。今度は「いたい・・・痛い!!!」と聞こえた。
Bは、がたがた震えて腰を抜かしそうになっていた。Aも口を開けたまま、動けないでいる。
屋根の上に目を戻すと、人影の腕の動きはいっそう激しくなっていた。
手首がちぎれるまでそれを続けるのかと思うくらい、上下左右かまわずあちこち振り回している。
最後は腕全体を風車の様にものすごい速さで回して、その勢いにひっぱられるように人影は屋根から飛んだ。
ドスン!という鈍い音を立てて、それは俺達の数メートル先に落ちた。
口から血を流して倒れていたのは、40代くらいのおばさんだった。顔をみれば誰でも即死だと分かる。
だが、おばさんの腕だけは、もぞもぞと円を描くようにまだうねっていた。腕中アザだらけだった。
目を見開いたままのその死に顔は、この世の全てに絶望しきったかのように、苦悶に満ちたものだった。
俺は、あまりの惨状に目をそむけたくなって、もう一度公園のほうへ目をやった。
女は、ただこちらを向いているだけだった。
何かおかしいと思った。
山奥のこんな空き家に人が住んでるはずもない。
第一あそこからでも、今起こった事は全て見えていたはずだ。なのになぜ・・・・
俺は、そこまで考えてから、ふとさっきの悲鳴は目の前のおばさんのものだったんじゃないかと思った。
おばさんは、自分の意思とは無関係に体が動き、そして屋根の上から落ちたんじゃないかと。
―――だとしたらアイツは何だ??―――
さっきまでとは別の恐怖が俺の頭を支配してきた。とにかくここから逃げ出さなければいけない。
小声でAとBに「逃げるぞ」とささやき、もっていた荷物を地面に降ろした。AもBもうなづいた。
「今だ!」俺の合図で、3人同時に振り返って、トンネルの中をひた走った。
数分が何時間にも感じられた。途中心臓が破れそうになっても止まらなかった。
気が遠くなりかけたところで山の入り口のフェンスまで戻ってくることができた。
「なんだったんだよアレ・・・」Aがぜぇぜぇ息を切らしながら、そう吐き捨てた。
3人とも無事だった事に安堵しつつ、俺はBに携帯を借りて警察に連絡を入れた。
2日後、朝のテレビ番組で『幽霊トンネルで、連続怪死!?』と取り上げられていた。
あのあと、警察が遺体を運びだし、身元を確認したようだ。
あのおばさんは、2ヶ月前にトンネルで亡くなった大学生の母親だった。
子供の供養のために、近くの鬼子母神の寺に参拝してから、あの場所へ来たらしい。
司法解剖の結果、おばさんの両腕の骨は粉々になっていて、何度も硬いものにぶつかった跡があった。
だが医者が一番首をかしげたのは、両腕の神経までズタズタに千切れていた事だった。
通常、どんなに強い衝撃を受けても、神経がここまで細切れにされる事などありえないという。
激痛に悲鳴をあげながら腕を家中の壁にぶつけ続けるおばさんの姿を想像して背筋が凍る思いだった。
俺はどうしても気になって、あの鬼子母神を祀ってるという寺に電話して、住職に話を聞かせてもらった。
それによると、鬼子母神というのはインドの伝承が元になっている神様らしい。
鬼子母神には、何百もの子供がいたが、他人の子供をさらってきては食べるという凶暴な気性があった。
それをいさめるためお釈迦様が、鬼子母神が一番かわいがっていた末っ子を隠してしまった。
子を奪われる親の気持ちを身にしみて理解した鬼子母神は自分の過ちを悟り、釈迦の元で心を入れ替えた。
その後は、安産・子育ての神として広く大衆に慕われるようになったということだ。
俺は、思い切って俺達が見た出来事を一部始終住職に話してみた。
すると住職曰く、あのトンネルは鬼子母神を祀ってある本堂の入り口からまっすぐ延長線上の位置にあり、通り道になりやすいのではないかという事らしい。
安産祈願の神様だけに、特に子を持つ親や女性に対しては影響が働きやすいのではないかとの事だった。
そういえば、亡くなった大学生は2人とも女性だった。
本来人々の信仰の対象であるはずの鬼子母神が、あの場所では人間に良からぬ影響を与えているのだとしたら、なにが原因でそうなってしまったのだろうか。
住職は、それについては分からないと言ったが、最後に「実は私の家内も半年前に突然苦しみだし、あっという間に死んでしまったのです。考えたくないのですが、もしかしたらうちの鬼子母神の本堂に、何か似て非なるものが入り込んでいるのかも知れません」
疲れきった様な声で、そうつぶやいた。
作者soya