Dさんは、私の大学の2年先輩である。
彼は、英語とスペイン語が堪能で、某大手貿易会社へ入社3年目にスペインのバルセロナへ赴任、6年間を過ごした。更にその後、ロンドンへ5年間派遣された。この話は、そのロンドン滞在中に起こった出来事である。
彼は、幽霊を始め心霊現象の一切を信じていない。明るく社交的な人だが、頑固な一面もあった。
ロンドンに着いた彼は、家を探した。なかなか思わしい物件がなく疲れ果てた頃、ハムステッドに1軒の家を見つけた。
この家は築200年の1戸建てで、1人住まいには広すぎる感があったが、家賃の安さと環境の良さが魅力で、すぐに入居した。
古さは否めないが、それはそれなりに落ち着ける空間である。
彼がベッドルームに決めた部屋は1階で、長い廊下の途中にあった。
入居して1週間くらいたった頃から、彼はある物音で目を覚ますようになった。
毎晩深夜2時から3時頃になると、その音は聞こえ出すのだ。廊下の玄関よりから、コツコツと足音がだんだん近づいて来る。
その足音は、明らかに彼の部屋の前を通り、廊下の終わりまで行った辺りで消える。
足音に混じって、ゴトンゴトン、ズーズーと何かを引きずるような音と、ガシャガシャと金属の擦れ合う音も聞こえた。
彼は、始めはストレスや疲れのせいだと、気にしないようにしたが、あまり毎晩決まった時間に起こる出来事に我慢できなくなって、ある夜その物音の原因を確めることにした。
彼は、ベッドの中で起きていた。
眠いのを我慢して、息を殺していると、時計が午前2時15分を指した時、急にまわりの空気がざわめき出した。
それと同時に、コツン、コツン…あの足音が聞こえて来た。
ゴトン、ゴトン、ガシャガシャ…それらの音はゆっくり近づいて来る。
彼は、ドアの前に立って、ドアを少し開けて目だけで廊下を覗いた。
何故か廊下が、薄ぼんやりと明るい。
間近に聞こえるその「音」…。
彼の心臓は、早鐘のように打っていた。
そして、彼は一生涯忘れられない光景を見た。
彼の目の前を女が通り過ぎた。引きずる白いドレスの胸と袖は、血で真っ赤に染まり、女のブロンドの長い髪にも、血が飛び散っていた。
女は左手に鍵の束を握り、右手には…その右手には…男の生首が掴まれていた!
女は生首の髪を掴んで、無造作に引きずっていた。ゴトンゴトンと床にぶつかる度に、生首の顔がこちらを向いたり、向こう側に向いたりした。
女は真正面を向いて、その顔は薄笑いを浮かべているようにさえ見えた。
女はゆっくりと歩いて廊下の端まで行くと、突き当たりのドアを鍵で開けて、その部屋の中に入って行った。
辺りは元通りに静かになった…。
彼は、悲鳴を飲み込んで耐えていたが、その後のことは覚えていない。
「幽霊っているんだな。」
彼は今ではそう言っている。
あの家では、1800年代に殺人事件があったそうだ。
彼は、すぐにこの家を引き払い、ワットフォードのアパートへ引っ越した。
今はパプアニューギニアのポートモレスビに住んでいる。
そして、あの家は今も静かに佇んでいるそうである。
終わり
作者クロミちゅわん