北海道旭川市在住です。
私が社会人になりたての頃の話
高校を卒業し人口よりも牛の方が多い様な田舎から出て来た私は共同トイレ&風呂無しのボロアパートで社会人生活をスタートさせた。
毎日の殆どを仕事に費やし一生懸命働いていたのだが たまの休みになると学生の頃を思い出しては数字や実績に縛られない楽しかった友との思い出に浸っていた。
みんなに会いたかったが 私以外の仲の良かった同級生は全員札幌に就職した為、中々会うことが出来なかった。
そんな時、職場に先輩が訪ねてきてくれた。
高校時代は良く呼ばれて夜な夜な悪さをした仲の良かった先輩だ。
「お前、旭川に出て来たって聞いたから顔見に来たぞ~」
先輩も旭川で美容師として働いていることは知っていたが職場もアパートも判らなかったので連絡も取れずにいた為、訪ねてくれて本当に嬉しかった。
それからというもの・・・・
この街の1年先輩として色々な所に連れて行ってもらったし飯も良くご馳走になった。
私も車を買い先輩とツルんで走るようになった。
そうなれば若い男の子がやることは決まっている。
そう「ナンパ」である。
どこの街にもメッカと呼ばれる場所はあるが旭川にも当然存在した。
今でこそそんな面影すら無いが当時はどんな日であってもソコに行けばお気に入りのカセットBOXを持った女の子達が釣られるのを待っていた。
まあ、誰でもOKと言う訳ではないのだが・・・・・
そんな中でも私達コンビはかなり確立が高かった。
なにせ美容師の先輩とデパートマンの私だ!
女性と話をすることが商売なのだから当然と言えば当然だった。
その日の夜も難無く女子短大生3人グループをゲットしてミスドでだべりながら今晩の遊び場所を決めていた。
先輩が「中国人墓地に行こう」と言い出した。
「中国人墓地」とは道内でも有数の心霊スポットで隣町にある。
女子短大生達は「面白そー行こー行こー」と口を揃えた。
私が反対する理由はどこにも無かった。
私は先輩に気を使い「一番可愛い子」を先輩の車に乗せ「そこそこ可愛い子」と「そうでもない子」を自分の車に乗せた。
現地までは30分程掛かるのだが道中の私は女の子達と会話をしつつも「そうでもない子」をどのタイミングで降ろすか懸命にシュミレーションしていた。
そうこうしながら入り口に着き「中国人墓地」と書かれた立看板が見えた。
ここからは1Km程砂利の山道を登って到着である。
墓地の通路に車を停めた。
街灯ひとつ無い真っ暗闇の中で先に上がった先輩のスモールライトだけが辺りを照らした。
全員車から降りスモールライトが届く範囲内だけ見て廻った。
普段は他の同類客にも出くわすことが多いのだがこの日は私達だけだ。
山の湿気と気温の為かうっすらと靄が掛かりさすがに夜の墓地はそれなりの恐怖感が襲ってくる。
先輩はそもそもビビリであったが女の子がいた為に結構頑張ってはしゃいでいた。
よせばいいのに墓に抱き付いたり墓標や卒塔婆を他所の墓に移動させたりして女の子達の笑いを誘っていた。
だが私は聞いてしまった・・・・・
女の子達の笑いに紛れて
「う・る・さ・い」と・・・・・
私は悪さをしている先輩を止めようとしたが一瞬の笑い声の隙間で今度ははっきりと
「うるさい!」
と聞こえた。
今度はみんなにも聞こえた様だ。
ビビリの先輩は一目散で車に乗り込みUターンをしている。
自分も残された女の子3人を車に乗せた。
先にUターンをした先輩は後ろにいた私の車を避けて一目散に逃げたのだが その際、墓に車をぶつけてしまい右フロントを損傷、ヘッドライトも割れて片目のまま走り去っていった。
残された私たちではあったが、こんな時こそ冷静にと若葉マークの私はゆっくりとUターン。
その間も集中ドアロックではない私の車のロックが4枚共に…
「ガチャン!ガチャン!」
と上がったり下がったりを繰り返している。
「うるさい!」だった声も
「帰れ帰れ」に変っていた。
目には見えないのだが沢山の人にボンネットやトランク、天井などを叩かれている様な音も
「バン!バン!」としていた。
女の子達は発狂寸前!
というより発狂していた。
「一番可愛い子」は大泣きしながら手で顔を覆い「そこそこ可愛い子」は「帰ります帰ります」と大声で繰り返し「そうでもない子」は放心状態で泣きながら笑っていた。
私はというと一人とても冷静だった。
そういった現象に慣れていたと言えばそれまでなのだが「帰れ!」と聞こえた時点でこれ以上の危害は無いと確信したからである。
砂利道を下り舗装道路に出て街の灯りが見えてきた頃にやっと無言だった女の子達が口を開いた。
「彼・・・・・大丈夫かな・・・・」
携帯などあるはずも無い時代であった為、連絡の取りようが無かった。
運良く「そうでもない子」が具合悪いと言い出したので先に家まで送り届けた。
あんなことがあった後にも関わらず私はまだ
「そんなこと」を考えていたのだった。
とりあえず先輩を探したいと2人に言うと付き合うと言うのでアパートや行きそうな場所をグルグル廻った。
しかし先輩は見つからない・・・・・
夏場の午前4時・・・・朝日が昇り始め空が紫色になってきた。
そろそろタイムリミットだ。
学生さんは休んでもイイが私はそんな訳には行かない。
少し仮眠も取りたいし先輩のことは仕事が終わってから探すことにして解散しようということになった。
「一番可愛い子」と「そこそこ可愛い子」は2人で一緒に住んでいるらしくアパートに着くと寝る時間が勿体無いからと彼女達のアパートで仮眠を取る様に言ってくれた。
私に断る理由など無い。
3時間程、爆睡しシャワーを借りて仕事が終わったらまた彼女達のアパートに戻ることを約束して家に帰った。
仕事中も先輩からの連絡は無く仕事が終わったその足で先輩のアパートに向かった。
先輩の車は無い。
一応、ピンポンを鳴らしたらめちゃくちゃ具合悪そうな顔で先輩が出てきた。
「先輩何やってるんすか?!」「あの後探したのに!どこ行ってたんっすか?!」
「おお悪ィ」「知り合いの修理工場に行ってそのまま泊めてもらった」
「・・・・・・・・心配したんすよ!」
「修理に1週間掛かるって言うから遊べないわ」
「って!遊びに来たんじゃないっすよ!」
私は散々心配していたのでノー天気なことを言う先輩に腹が立ってタイヤをスピンさせながら車をスタートさせた。
帰る途中にやっと彼女達のことを思い出す。
「あ!約束してたんだった!心配してるべなぁ・・・・」
私は2人のアパートに急いだ。
2人はやっぱり休んだみたいで晩飯を作って待っていてくれた。
開口一番!
「連絡取れた?」
やはり心配していた。
私は今さっき会って来た事を告げ先輩に聞いた経緯を話した。
「なにそれ~~~」
彼女達も散々心配していたので先輩の自己中心的な行動に頭に来たようだった。
それでも何だかんだ言いながら 何事も無かったことに安心してある種の友情の様なものを感じながら3人で散々呑みその晩も泊めてもらった。
1週間が経ち先輩の車も復活しただろうと思い仕事が終わってから先輩の勤める美容院に行った。
店長さんに「先輩は?」と聞くと大変なことになっていた!
日中、修理工場から電話が来て車が直ったからと取りに行った帰りに橋の欄干に激突して重体なのだと言う。
すぐに病院を聞いたのだが面会謝絶で会えないどころかかなり危険な状態らしかった。
私は呆然として自分のアパートに帰り取り合えずTVを点けた。
気を紛らわす何かが欲しかったからだ。
ちょうどニュースが入っていて昼間の先輩の事故の模様が映し出されていた。
右フロント部分がグチャグチャだった。
私は次の瞬間体中に電流が走り青ざめた!
墓石をブッ倒した右フロントからの事故だったのもあったが何よりもニュースの映像!
オシャカになった車の中に4体の霊が映り込んでいたからだ。
よく「心霊スポットに行く時は定員満車で行け」と言われている。
先輩は一人で逃げたので空席分の4体を連れて帰ってしまったことになる。
となれば自分の車にも1体憑いて来たのでは!
私は彼女達の元へ急いだ!
あれ以来会っていない「そうでもない子」のことが一番心配になったので彼女の所にも寄った。
そして4人で私の知り合いのお不動様まで行き診てもらった。
やはり「そうでもない子」に憑いていた。
一通り除霊してもらい私だけ住職さんにガッツリ怒られ帰って来た。
先輩は何とか一命を取り留め半月後には面会も出来るようになった。
私は女子短大生3人を連れてお見舞いに行きみんなで痛々しいギプスに悪戯書きをした。
右足にデカデカと「この罰当たりがぁ~!!!」と書いてやった。
先輩が無事に退院する日、車の無い先輩を迎えに行った。
勿論女子短大生の3人も一緒だ。
そして私たちは「中国人墓地」に向かった。
日中の墓地は怖さを感じることも無く逆に清々しい位だった。
私達は一つ一つの墓に手を合わせ悪戯してそのままになっている墓標や卒塔婆を元通りにして帰って来た。
そんな先輩も3年後には札幌の大きな美容室に引き抜かれて疎遠になった。
風の噂で聞いたのだが例の「そうでもない子」と結婚したらしい。
短大生だった他の2人とは今でも仲のイイ親友であるがすっかり四十路の奥様になってしまった。
旦那さん公認の仲なので年に何度か夜通し酒盛りをする。
そして毎回アノ時の話になり大いに盛り上がるのだが最終的な結末はいつも
「先輩の一番の罰はあの子と結婚したことだよね」で締めくくられる。
作者andy