もう、ずいぶん昔の話しで、しかも長い話しになりますが、お時間ある方はお付き合い下さい。
1974年、8月。
僕はもうすぐ7才の誕生日を迎える小学1年生だった。
僕が生まれ育った小さな港町は、遠洋漁業と水産加工が主な産業の、どこにでもある田舎町だった。
幅50mほどの川が町の真ん中を流れ、背後は高く急峻な山々が深い山脈を成していた。
そして昨今よりずっと、子供の多い時代だった。
近所に4人の悪ガキどもがいた。
5年生のノブちゃんを筆頭に、4年が2人、3年が1人。
小学校に入り、やっと仲間に入れてもらえた僕は、まるで末弟のように、海・山・川と彼等の行く所へもれなくついて回った。
ある日、午後から虫採りに行くことになった。
昼食を済ませ、出掛けようとした僕は体の異変に気づいた。
なんだか目が回る、悪寒がする、身体に力が入らない。
祖母に風邪だと診断され、無理やり床に就かされることになってしまった。
未練タラタラだったが、呼びに来たジュンちゃん(3年)に「お前んのも採ってきてやるよ」と言われ、渋々諦めることにした。
「ノコギリ(クワガタ)がいい」と言うのが精一杯で、もう立っていられなかった。
***
母の声に起こされた。
枕元の薄明かりに、母の顔が照らされている。
「今日みんな何処へ行ったの? あんたも一緒に行くはずだったんでしょ?」
はじめ僕は、母が何を言っているのか解らなかった。
ぼんやりした頭で暫く喋れないでいると、母が続ける。
「みんなまだ帰って来ないの、何処へ行ったの?」
母の後ろにみんなの母親達が見えた、外は真っ暗だ。
僕はようやく状況を理解した。
「山…虫採りに行った」
「何処の山?」ノブちゃんの母親が僕を抑える、僕は立ち上がろうとしていたようだ。
「場所だけ教えてくれれば、おばさん達で探すから」
無理だと思った。
途中には、這うように登らなければならない所もある。
それでも僕は出来るだけ詳しく場所を説明した。
山への入口…進む方向…大まかな距離…そしてクヌギ林のこと…
普段、この町は壮年の男が極端に少ない。
僕の父を含め、みんなの父親もまた遠洋漁業の船員だった。
束の間、僕は気を失っていたようだ。
灯りは消え、誰もいなかった。
階下から、隣りのおじいさんの声が聞こえた。
「とにかく、海じゃなくてよかった」
その声を聞きながら、僕はまた深い眠りに墜ちていった。
***
結局、僕が起きられるまでに回復したのは翌々日の昼だった。
母は自宅に併設した理髪店を営んでいて、僕が顔を覗かせると「みんな帰って来たよ」と言った。
僕は祖母を急かせ、急いで御飯をかき込むと走って外へ出た。
隣家の娘で高校生のユリねぇと出くわした。
「あんたもう治ったの?」
返事もせずに駆け出すと、ユリねぇが僕の肩を捕まえる。
「今日はみんな出てこないよ」
「なんで?」
「謹慎」
「キンシンてなに?」
「ん~…心配かけたから罰」
ユリねぇは僕の肩を捕まえたまま、何となく河原の方へ歩き始め、行き場を失った僕も何となくユリねぇについて行った。
河原の太い流木に2人で腰を下ろすとユリねぇが話し始める。
一昨日の夜、警察や消防団の他に、隣町からも沢山の応援が駆けつけ、山を中心に大捜索が始まった。
この町には昔から林業がないせいか、山中には道らしい道が全く無い。
車道はおろか人が歩ける道さえも、麓近くに少しあるだけで、そこから上はすぐに急斜面の原生林になっているのだ。
そのため捜索は難航し、夜明けに持ち越そうかという話しが出始めた深夜、4人の少年達が小学校の職員室にひょっこり現れた。
職員室は捜索本部のような場所になっていたようだ。
何処にいたんだという校長の問いに、少年達は学校の裏山を指差した。
とにかく深夜ということもあり、少年達はそのまま帰宅したが、翌朝、それぞれの家で4人は全く同じ事を話した。
「いつものクヌギ林に虫採りに行ったが方角がわからなくなった…歩き回っているうちに暗くなった…山の中で小屋を見つけた…そこにはおじいさんとお兄さんが住んでいた…二人は着物を着ていた…おじいさんは白髪で、お兄さんは大きかった…おじいさんの指示でお兄さんが送ってくれた…お兄さんとは学校の裏山で別れた…別れる時、お兄さんが『元気でな』と言った」
「あんな山の中に人が住んでるワケないよねぇ~」
ユリねぇは独り言のように行った。
ユリねぇの祖父は町の世話役みたいな人で、その為かユリねぇは、この件について色々よく知っていた。
現在なら、少年達はカウンセリングを受けたりなんてことになったのかもしれない。
しかし当時そんな概念はなく…
(山の住人)など、大人達の誰一人知る者はなく、「まぁ幻覚でも見たんだろう」ということで、早々に終わってしまった。
最年長のノブちゃんは一番叱られたようだ。
ただ、少年達が山に入った場所から学校の裏山まではかなりの距離があり、道もなく真っ暗な山中をどうやって移動したのか、ユリねぇの祖父はしきりに首を傾げていたそうだ。
***
しばらくして、また僕達は一緒に遊ぶようになったが、ノブちゃん達はあの日の話しを一切しなかった。
ある時、学校の昼休み、校庭の片隅に寄り添うノブちゃん達を見た。
4人は裏山を見上げ、真剣な顔で何か話していた。
それを見て僕は、なんだか堪らない寂しさを感じた。
仲間外れ…あの事に関してだけは、大きな壁ができてしまったように思った。
***
やがてノブちゃんが中学生になり、みんな高学年になっていくにつれ、僕達はいつもベッタリではなくなった。
それでも近所なので、顔を合わせれば馬鹿話に興じた。
僕を除く全員が中学生になっていたある日、岸壁で釣りをしているノブちゃんを見つけた。
僕はワケのわからない衝動に駆られ、ずいぶん遠くからノブちゃんを呼んだ。
ノブちゃんが大きく片手を振って笑う。
あんなに大声で呼んだのに、いざノブちゃんの横に座ると何も話す事はなかった。
久しぶりに会ったノブちゃんは、急に大きくなったように思え、声も大人みたいになっていた。
不意にノブちゃんが言った。
「お前も、信じてないだろうなぁ…」
「……………」
「夢だと思ったこともあったよ、でも4人で同じ夢見るワケないしなぁ…ジュンはさぁ、おんぶまでしてもらってんだよ」
「……………」
ノブちゃんの横顔は寂しそうだった、もちろんみんなを信じてないワケじゃない、でも僕は何も言うことができなかった。
また、ワケのわからない衝動に駆られた。
それは、泣き出したいような、叫び声をあげてしまいそうな激しい衝動だった。
***
数年前の事件がもうすっかり忘れ去られた頃、意外な所でそれが話題になっていたことを僕は知った。
僕は小学校でのやんちゃ振りが少々度を超し始め、放課後に罰として寺の境内を掃除させられていた。
いつものように担任がチェックに来る。
その日は老住職が担任と僕をお茶に誘った。
僕は、正座が嫌なのと早く遊びに行きたいのとでソワソワしていたが、老住職が唐突に始めた話しを聞いて、それらは全て吹っ飛んでしまった。
大人達から一笑に付された少年達の証言に、何か引っ掛かりを覚えた老人達がいた。
彼等は寺に集まった。
自分達が幼い頃、そんな二人がいなかったか?
彼等は互いの記憶を補い合うように、70年ほど前…明治後期の事を話した。
何処からともなく炭を売りに来ていた…夏祭りの様子を、離れた所から楽しそうに眺めていた…遠い昔の光景…そんな二人が確かにいた…少年達は多くを語ったわけじゃない、しかし老人達は、あの二人が思い出されて仕方がないと…
そして、老住職も思い出していた。
まだ小僧だった頃、月に一度位の割合で炭を運んで来る若者がいた。
いつも何処から来るのですか?と尋ねると、山の方を指差しニッコリ笑った。
山で炭を焼いている、別の方向に山を降りればもっと近い山村もあるが、自分はこの村の人達や海が好きなのだと言った。
そして若者は寺に泊まるのが常で、翌朝、米俵や味噌や干物などを大量に背負い、山へ帰って行った。
時々おじいさんも一緒に来た。
そんな時おじいさんは、当時の住職と長い時間話し込んでいた。
若者が来た時は、しばらく朝の粥に山菜が入るので、小僧はそれが楽しみだった。
ある時、若者が大きな桶を背負ってやって来た。
桶には目を閉じたおじいさんが入っていた。
小僧も一緒にお経をあげた。
若者は弔いが済むと深々と一礼し、そのまま何処かへいなくなった。
担任が興味津々といった感じで、色々質問を挟む。
事件の時はいなかったが、大まかは知っているようだった。
この担任はユリねぇと大して変わらない齢の青年教師だったので僕はナメきっていた。
今思えば、担任は僕にも解るように質問してくれていたのかもしれない。
住職の話しは所々難解だったのだ。
最後に住職は、こんな意味の事を言っていた。
「人の思いは場所に遺る、気付くか気付かないかだ」
僕は思った、この話しをノブちゃん達に教えたい、みんなはその二人に会ったんだ、でも僕に話しを再現するのは無理だ。
またあの衝動に駆られた。
僕は住職に一生懸命頼んだ、途中で制御が効かなくなった。
凄い勢いだったようで、担任が止めに入った。
住職は「わかった!わかったから」と笑った。
僕は、あの時のノブちゃんと同じ歳になっていた。
***
高校卒業を間近に控えたある日の夕刻、遠くを歩いているノブちゃん達を見つけた、あの4人が一緒にいる、港近くの食堂に入っていくところだった。
僕はいつの間にか走り出していた。
県内外への就職や進学で、今ではみんなバラバラだ、それが4人一緒にいる、僕は走りながら少1に戻っていた、(僕も連れてって!)…
血相を変えて食堂に飛び込んだ僕を見て、みんなが一斉に笑った。
「あービックリした!なんだお前!」「なんだなんだ!? 襲撃か?」「まぁとにかく一回座れ(笑)」
ワイワイしながら食事が始まる、誰かが僕にもビールを注いでくれた。
あまり喋らず、みんなの話しを微笑みながら聞いていたノブちゃんが、いつかのように不意に言った。
「アキ!(アキオ=僕)俺ら炭焼き小屋を探しに行ってきたよ」
「えっ!?」
「 和尚さんから話し聞いたよ、お前が話せって言ったんだろ?お前、ずいぶんと頑張ったそうじゃねぇか、お前の先生が俺んちに来てさ、小学校の先生が何の用だ?って思ってたら、みんなで寺に集まれって…」
ぜんぜん知らなかった、先生は僕が6年生になるとき転勤して行った、するとあの後すぐにノブちゃん達は話しを聞いたのか…?。
僕は叫んだ「見つけたの!?」
「ああ見つけた、とんでもねぇ山奥だったよ、あそこに比べりゃ俺らが迷った所なんてほんの裏庭だ」
クヌギ林の遥か奥、深い山脈の中にその場所はあるという、鬱蒼とした山中に突然開けたわずかな平地が現れ、明らかに人が居た痕跡があったと…
「小屋は無かった、でも石組みの土台があった、廃材の中から錆びた鉄鍋を見つけた、炭焼き窯らしき物もあったよ、これも石組みで半分崩れてた」
ノブちゃんは陸上自衛官だ。
山岳での戦闘訓練を行う部隊に希望配属され、日夜厳しい訓練をこなしているという、そして、険しい山中を自由に動き回れる能力を身に付けたとき、探索を決行したのだ。
この一年、僅かな休暇の度に独り山中を駆け回り、そしてようやく見つけた。
「ノブちゃん、まさかその為に自衛隊入ったの?」僕が尋ねるとノブちゃんは「悪いか?」と笑った。
ノブちゃんだけなら登り4時間の行程が、他の3人を連れて行くことで3日の旅になり、荷物もフル装備になった、ノブちゃん独りなら何日間だろうが水・食料や寝袋など不要なんだそうだ。
「ジュンがおんぶって言わないかヒヤヒヤしたよ(笑)」ジュンちゃんが情けない顔をしたのでみんなで笑った。
誰かが言った「あんな所から、わざわざ降りて来てくれたんだよ…そして助けてくれた」
みんな晴れ晴れとしていた。
みんなの中で、あの日は終わっていなかったのだ。
そして陳腐な言い方だが、みんなあの夏に決着をつけたのだと思った。
ノブちゃんが僕に向かって静かに話し始める。
「アキ、俺はなぁ、あん時お前がいなくて正直よかったと思ってる、いたらお前に可哀想な事をしたかもしれない、俺だってもう泣きそうだったんだよ」
その後を拾うようにツネちゃん(当時4年)が言う。
「みんな、チビ助の面倒をみる余裕はなかったってコトだよ!…まぁ今じゃお前が一番のノッポだけどな(笑)」
みんなが笑う、ノブちゃんが続ける。
「アキ、卒業式終わったら俺と一緒に来い!お前の仕事も残してある、崩れた石を拾い集めて塔を造ろう、慰霊碑だ」
最高の気分だった。
みんなも笑っている、食堂のおっちゃんも笑っている「この野郎!飲むんなら学ランぐらい脱ぎやがれ(笑)」
もう僕は、仲間外れなんかじゃなかった。
作者feroz