今から書くのは私がある寺で坊主見習いをしていた時の出来事です。
私が当時修行していた寺は、少しだけ特別な寺でした。
人によっては信じられないかもしれませんが、悪霊払いを専門にした寺だったのです。
もちろん、葬儀や祭りなどもそれなりにはやりましたがね。
寺には、基本的には私と和尚様の2人だけでした。2人で真面目に管理していたこともあり、小さいながらも綺麗で凛とした良い寺でした。
私の仕事といえば、ただひたすらに掃除や給仕などの雑用をやるだけでした。けれども温厚で情に深い和尚様の役に立てると思えば、それだけで十分すぎるやりがいだったのです。
悪霊払いや祈祷などは、いつも和尚様がお一人でされていたようです。
和尚様の実力は、相当のものだったようです。寺に参拝に来られる方皆様が和尚様の武勇伝を話されるのです。私は惚れ惚れしながらそのお話に耳を傾けたものでした。和尚様の高尚なご性格も、ご自身の評判をさらに高められていたことでしょう。
ある時から、私も和尚様に同行させていただけるようになりました。
最も、初めは悪霊払いの現場に直に入らせてはいただけませんでしたが、勉強になる事ばかりで大変有難い経験になりました。
何回目の同行の時だったでしょうか。
和尚様がこう仰りました。
「そろそろ、○○○(私の名前)さんも良い時期かもしれませんね。どうでしょう。お祓いを見て見ますか」
私はようやく認めて頂いた気がして、すぐに快諾しました。
現場に着いた時、和尚様の顔色ががらりと変わりました。
「○○○さん。すみませんが、見学して頂くのは次の機会にしましょう。ここはあまりにも禍々しい」
和尚様があんなに険しいお顔をされたのを、私は初めて見ました。笑顔以外の表情を知らないのではないかと思うほど、いつもにこやかな方だったのです。
その御宅は、廃業した民宿のような所でした。玄関で迎えて下さった奥様は、やつれきってしまっていて生気がまるで感じられませんでした。
「遠いところをありがとうございます。ご相談した部屋は二階になります」
「怖かったでしょう。もう大丈夫ですよ。ご安心なさってください」
和尚様がいつものお天道様のような笑顔を見せると、奥様の顔色も少し良くなったように感じました。
二階に通されるあいだ、奥様が言いました。
「部屋自体は前からあったのです。でも、名のあるお坊さんにお札を貼って頂いてから何年も何もありませんでした。最近!つい最近なんです。夜奇妙な音がしたり、壁がきしんだりするようになったのは!」
取り乱しそうになる奥様の手をとって和尚様が言いました。
「なるほどなるほど。大丈夫。大丈夫ですよ。必ずや清めてみせましょう」
和尚様のお顔がまた真剣そのものになりました。
「あれです」
蚊の泣くような声で言う奥様の指指す先には、お札が何枚か貼られたドアがありました。
階段をあがってすぐの渡り廊下の先にその部屋はありました。
私自身、その異様な雰囲気を感じ取りました。今でも忘れられません。何と表現すればいいのでしょう。とにかくその辺り一帯がこの世のものだとは思えませんでした。
「奥さん。危険ですから此処からは私共にお任せください」
和尚様はそう言うと、奥様を一階に帰らせました。
2人になり、少し間を空けてから和尚様が言いました。
「○○○さん。正直申し上げますが、私もここまで禍々しい気を感じたのは初めてです。しかも。しかもこれは悪霊の気ではない」
私は泣き出しそうになりました。あの和尚様の顔が不安で曇ってしまったのです。
和尚様は続けます。
「いいですか。これは私の持つ中では、最大の強さを持つ結界の札です。私が入ったらすぐに扉に貼るのです。いいですね。私が自分から出てくるまでは、何があっても扉を空けてはいけません。'災厄'が放たれてしまいますから」
和尚様は懐から、和紙で出来た札を出ししっかりと私に握らせました。
「もし私に何かあったら。つまり私が死んだのが分かったなら、この紙に書いてある方全員にすぐ連絡するのです。みな1時間以内には来てくれるでしょう」
和尚様が渡してくださった紙には、いずれも名のある住職様の名がありました。
私は自分が死ぬかもしれないと和尚様が仰られたのが信じられず、ただただ立ち尽くしていました。
和尚様がもともと扉に貼ってあった風化した札を取り、ドアノブに手を掛けてから振り返りました。
「○○○さん。何故私が長くあなたに悪霊払いをさせなかったかお分かりですか。○○○さん。あなたはこの道の素質がある。天性の素晴らしい素質です。しかし、だからこそ危険なのです。鋭利な剣は総じて脆いものです。○○○さん。あなたは悪霊にあまりに狙われやすい。どうか、今言ったことだけは生涯忘れないで頂きたい」
そう言うと、和尚様は部屋の中に入っていかれました。それが、和尚様の生きていられた時の最後に私が見た御姿でした。
私は和尚様の言いつけどおり、直ぐに扉にお札を貼りました。
貼った直後の事です。扉越しに和尚様の声が聞こえました。
「やはり。貴方か。だが人間に危害を及ぼされるようになったからには容赦は致しませぬぞ」
私は自分の心臓が破裂するのでは無いかと思いながら、聞こえてくる音に耳を傾けました。
「うわああああ!!っあああああ!」
悲鳴が上がりました。信じたくありませんでしたがそれは和尚様のものでした。私は涙を流しながら、和尚様から頂いた紙を握りしめました。
「はあはあ。嫌だ。死にたくなっ」
私は和尚様の死を確信致しました。それから直ぐに紙に書いてあった方々に連絡を入れました。
和尚様が仰られた通り、皆様は1時間以内には来てくださいました。しかし待つ時間のなんと残酷な事でしょう。
私は和尚様を殺した何かが居る部屋と、薄い木の扉一枚で隔てられている場所に居たのです。恐怖で気が変になりそうだったのは、言うまでもないでしょう。
3名程集まられた所で、住職様たちは部屋に突入されました。
中にはすでに、'災厄'は居ませんでした。
変わり果てた姿の和尚様と、真っ白な仮面が一枚転がっていただけでした。
私が勇気を振り絞って部屋を覗いた時、気のせいでしょうか。部屋が目が眩むような金色に光ったような気がしました。
「まさかと思うが、これは」
「わしも話しでしか聞いた事がないが。そうじゃろうな」
「うむ。□□□□□(よく聞き取れませんでした)でしょうな」
住職の方が、話している横を私は走り抜け和尚様のご遺体のもとにいきました。
あんまりな御姿でした。
首は折れ、後ろにだらんと頭がぶらさがっています。その頭は、力任せにひきちぎったように右半分がありませんでした。左眼も、衝撃のせいでか、飛び出ていました。
纏われていた琥珀色の袈裟は裂かれ、あばらが露出していました。
これは後から聞いた話しですが、「臓」のつく臓物はきれいになくなっていたそうです。
相当動転していましたから、私が覚えているのはここまでになります。
私はショックから立ち直れず、お寺を去りました。風の噂では、今は和尚様とは全く無関係な方がきりもりされているようです。
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さて、長くなってしまいましたが実は私が皆様に聞いて頂きたいのはこれからなのです。
あれから10年経ちました。当時はショックで心を病んでしまいましたが、今はセラピーのお陰で普通に生活できるくらいには回復しました。一応、定職にも付き家庭も築きました。それなりに幸せだと思っています。
しかし最近夢を見るのです。毎日、同じ夢です。
夢で私は四方八方が金で出来た部屋にいます。するとヤツがでてきます。
黒い布を纏い、細長い首の上の小さな頭には真っ白な仮面を付けています。
ヤツは、私が怯えるのを愉しむようにわざと左右に揺れながら近づいて来ます。
ユラユラと。ユラユラと。
私の前に来ると、異常に細長い腕で仮面に手を掛けて、そして………
作者鯰雲
二作目になります。一作目を読んで頂いた方。この場をお借りして感謝申し上げます。