「ねぇ、私、貴方に食べて欲しいな」
ある日、愛奈は突然そう言った。
僕は、唐揚げを口に入れようとした格好で、数秒ほど硬直していた。この子は何を言っているのだろうか。何か悪いものでも食べたのか?
「な、何言ってんだよ突然…第一、昨日『した』ばっかりじゃ……」
「そういう意味じゃないよ、スケベ!」
彼女は顔を赤らめながら僕に怒鳴りつけた。そして、手にしていた箸を置き、言葉を続けた。
「そうじゃなくて、いつかは私も死んじゃうわけでしょ?そうなったとき、もし貴方の方が長生きだったりしたら、私の事を食べて欲しいの。そしたら貴方の中でずっと生きていられる気がするから」
そう言って微笑んだ彼女はどこか悲しげで、僕は何と言えばいいのか分からなくなった。
普段の愛奈からは想像できない、思い詰めたような表情に、僕は少なからず動揺していた。
「…お前、そんな暗い事考えんなって!第一、俺みたいにガンガン煙草吸ってるような男が長生きできるワケないじゃん」
精一杯明るく言ったその言葉は、何のフォローにもなっていないとそのとき僕は気付かなかった。
「それにさ、そういう…人肉を食べるとかって、カニバリズムって言って立派な犯罪なんだぜ。別にお前の体だったら気持ち悪いとかでもないけどさ」
馬鹿みたいに明るい口調で話す僕を見て、彼女はしばらく黙り込み……そして笑いながらこう言った。
「冗談に決まってるでしょ、私みたいに健康体な女の子がそんな簡単に死ぬわけないじゃない」
僕は、予想外の返事に、半開きの口を閉じるのも忘れて愛奈を見た。彼女はそんな僕の表情を見てクスクスと笑う。
少しだけ頭に来た僕は、頬杖をついて、ふてくされたようにこう呟いた。
「冗談でよくそういう事が言えるよ…」
それを聞いた彼女は、笑い声を止めて、しかし相変わらずおどけた笑顔で「あれ?おこらせちゃった?」などと僕の顔を覗き込んできた。
それでも僕が目を会わせないようにしていると、そのうち申し訳なさそうな表情になり、サラダを自分の取り皿によそいながら謝罪の言葉を口にした。
「ごめんね、ちょっと思い付いちゃっただけ」
その後はお互いにひとことも喋ることなく、沈黙の食卓にバラエティー番組の笑い声が虚しく響いていた。
なんとなく気まずい雰囲気のまま、その日の夜は背を向けあって寝た。
* * *
翌朝、目が覚めると彼女の姿は無く、ラップされた朝食と書き置きがあった。
『昨夜はごめんね。実は就職の事とかで悩んでて、少し落ち込んでたの。だからあんな暗い事考えちゃって…。でももう大丈夫。あなたの寝顔見てたら元気出たから。
君は今日の講義は昼からでしょ?先に大学行ってるね。じゃあ、また後で。
p.s.
お昼は一緒に食べようね!この前できたレストラン行ってみようよ♪』
眠い目をこすりながらその手紙を読んだ僕は、愛奈が朝食に作ってくれた目玉焼きと味噌汁を食べて、学校に行く準備を整えた。
そして、玄関で靴を履いている時、携帯が鳴った。
知らない番号だった。出るかどうか少し迷ったが、なかなか鳴りやまないので仕方なく電話に応対した。
「私、愛奈の友達です。愛奈が…車に轢かれて…、今、病院で……っ」
受話器の向こうの泣き声が、やたら遠く聞こえた。
* * *
僕が救急病院に着いた頃には、愛奈は既に息を引き取っていた。
顔には傷一つ無く、寝ているだけにしか見えなかった。
けれど、彼女は、もう息をしていなかった。
二度と目を覚ますことのない眠り。
それが…死。全ての生き物が辿り着くべき終着点。
それはなんと美しく、残酷なものなのだろう。
僕は、愛奈の遺体の顔を見て、美しいと感じてしまった。
この瞬間にそれを感じてしまった自分を、一生忘れることは出来ないだろう。
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一時間後、彼女の両親が駆け付けた。
母親は、愛奈の遺体を見た途端、操り人形の糸が切れたようにその場に座り込み、父親は僕の胸ぐらを掴んで、僕を責め立てた。
愛奈の友人の女の子が、必死で彼をおさえようとした。私が彼女を止められなかったのが悪いんですと…泣きながら。
彼女の話によると、講義の空き時間に二人で学外のコンビニに向かったとき、本当に突然、車道に飛び出したらしい。
何かを落としたのか、逆に何かを見つけたのか、はたまた…自殺なのか…
今となっては、推測することしか出来ない。
ただ、結果のみがベッドに横たわっている状態で。
頭では理解できても、責める対象がほしかったのだろう、父親は先ほどより声色が弱くなりながらも、「お前がもっとちゃんとしていれば」と僕の胸ぐらに皺を刻みながら、涙を流していた。
僕は、そんな三人に、ただ「すみません」としか言えなかった。
* * *
葬儀には、多くの人が集まった。
大勢の友達や、親戚の面々、ゼミで愛奈に教えていた講師も来ている。
彼女の遺影は、今も明るい笑顔を振りまいていた。
二度と消えることのない笑顔。変わることのない遺影の表情に、人を悲しくさせる笑顔があることを教えられた。
参列した人の多くは、そんな彼女の遺影を見て、涙を零した。
彼女は、こんなに多くの人に愛されていたんだ。
僕は、この場にいる誰よりも愛奈のことを愛している自信があった。
けれど、まるでずっと昔から涸渇しているかのように、涙は出なかった。
* * *
火葬の時、彼女の家族や、彼女に近しい何人かの人が立ち会った。
棺が、炉の中へと収まってゆく。
僕は、深く後悔していた。
ゆうべ話した最後の言葉は何だったっけ。
ゆうべの愛奈の笑顔は、いつもより元気がなく、作り笑いだった気がする。
だとしたら、最後に彼女の心からの笑顔を見たのはいつだったろう。
なんですぐに気付いてやれなかったんだろう。もっと親身になって愛奈の話に耳を傾けてやればよかった。もし自殺だったなら、そうすれば愛奈は飛び出して轢かれることもなかったかもしれない。
そうじゃなかったとしても、気付いてやって、一緒に学校に行っていれば、愛奈を守ってやることができたかもしれない。
今更どうにもならないということはわかっていた。けれど、愛奈の父親に言われた台詞がその通りだと実感した僕の胸は、張り裂けんばかりの痛みを訴えていた。
僕は悔やみ、考えた末、ご両親にひとつ頼みごとをした。
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「愛奈さんの遺灰を分けていただけませんか」
* * *
僕が、愛奈をそばに置いていたいと言うと、ご両親は遺灰を分けてくれた。
これで、愛奈とずっと一緒にいられる。これが、僕が彼女と親しかった人やご両親にできる唯一の償いだった。
葬式の帰り、僕は近所のスーパーに寄って、夕食の買い物をした。
彼女が死んでから今日まで、料理や買い物をする気になれなかった僕は、ろくに食べ物を口にしていなかった。
豚肉、ジャガ芋、人参、玉葱…
愛奈は、僕が作るカレーが大好きだった。具が大きくて、男らしい感じが好きだったそうだ。
あんな不格好なカレーのどこがよかったのだろう。時々生煮えな具があったことを覚えている。
家に帰り着くと、僕は久しぶりに台所に立った。
久々の料理に、僕は随分手間取っていた。
指に切り傷を負ったり、跳ねた油で火傷したり…玉葱を炒めるだけで満身創痍だった。
「ふう、なんとか出来た…さて、後は煮込むだけだ」
そこで僕は、遺灰が入ったペンダント型のカプセルを見て、彼女の言葉を思い出した。
『私、あなたに食べてほしいな』
「……隠し味に、愛奈を少々」
カプセルの中身を、半分だけ鍋に入れ、かき混ぜた。
カレーが出来上がったときには、時刻は午前0時をまわっていた。
「我ながら、うまそうだ」
そう呟いて、味見もせずに皿にご飯とカレーをよそう。
テーブルについて、一人で手を合わせ、「いただきます」を言った。
ひとくち、カレーを口に運ぶ。
愛奈は、この味が好きだった。
完全に火の通ってなかった人参が、僕の口の中でガリッと音を立てるのを聞いて、頭の中の彼女はコロコロと表情を崩して笑っていた。
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このカレーの中に、彼女はいた。
そして今、テーブルを挟んだ向かい側で笑っている。
それは、ただの幻覚かもしれない。あるいは、僕の願いが、彼女を現世に縛りつけてしまっているのだろうか。
その時の僕には、そんなことはどうでもよかった。
写真の静止画像ではない、見ていて飽きることのない笑顔がそこにはあった。
見ていると、こちらもつられて笑ってしまうような、屈託のない、幸せそうな、笑顔。
その表情を見て、僕はその時も、頬を緩ませた。
一瞬のまばたきをした瞬間、
目の前にいたはずの彼女は、その姿を消した。
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「…うん、美味しい。
美味しいよ、愛奈…」
僕は少しだけ、泣いた。
作者しいたけ
初投稿です。
10年ほど前に作った話を、大幅に加筆、修正しました。
タイトル通りのグロテスクな展開を期待していた方には申し訳ないのですが、まったくグロくないです。
もっというと、まったく、怖くないです(笑
そんな作品ですが、暇なときにでも読んでいただければ幸いです。
そして、読んでくださった方の心を少しでも動かすことができたら、これほどの幸せはありません。