「芋虫が見えるんだよ」
芋虫ですか・・・? 後輩の勇太郎は顔を顰めた。
「芋虫だよ」
持っているコップを置き、吐息を吐いた。
「芋虫ってあれでしょう?僕、あれ無理なんですよね。気持ち悪くって」
俺だって無理だよ。――ため息混じりに言う。
「どうしたんですか?はっきり言ってくださいよ」
「最初に言ったとおりだ。芋虫が見えるんだよ」
俺は話しを続けた。
あれは、社長に誘われた酒屋で飲んだ後のことだった。
相当酔っていたんだろう。
俺は芋虫を潰した。
何故、潰したのかは憶えていない。
のっそのっそと気持ち悪く、這いずりまわるように。
その記憶は不思議とある。
今思い出すと気持ち悪い。
それからだ。
時々、見えるんだ。
芋虫が。
後輩はまた顔を顰めた。
「厭な話ですね」
俺も厭だよ。今度は口に出さなかった。
しかも、あれはちゃんと触れる。
這いずりまわっているという感触もある。
そのときにはいつも嗚咽感が充満する。
堪らなく、厭だ。
数回ほど嘔吐した。
「先輩、それは病院に行ったほうがいいんじゃないですか?」
勇太郎は俺の頭が狂ったとでも言いたいのだろう。
でも、俺もそうとしか考えられない。
麻薬をやっているわけじゃないし、そんなものが見えるのは普通はない。
バーのBGMだけがしばらく続いた。
俺は狂っているのか。
そのときだった。
沸いた。
芋虫が。
手にうじうじと。
俺は場所を考慮して、叫ぶのを抑えた。
堪らない。吐きそうだ。
そんな俺を心配したのか、勇太郎は大丈夫ですか?と背中を擦った。
返事ができない。気持ち悪い。
厭だ厭だ厭だ。
嗚呼、最悪だ。厭だ。
気持ち悪い。厭だ。
口元を押さえるので、精一杯だった。
胃液がこみ上げてくる。
「先輩?!先輩!」
近くにいるはずの勇太郎の声が、まるで遠くにいるようだった。
要約、治まった。
だが、この嗚咽感だけはしばらく何処にもいかなかった。
「ダメだ。このままじゃ・・・」
だが、どうする?病院に行くか?
だけど、こんな症状麻薬やっていると疑われるに決まっている。
そうじゃなくっても、こいつは気違いだと思われる。
厭だ。
俺は世間の目を気にするタイプなんだ。
だけど、会社は休めない。
やけに重く感じるドアを開けた。
「うっ」
おもわず声を上げた。
芋虫だ。
俺の頬あたり。
しかも、相当デカい。
「ぐえええ!」
抑えられなかった。玄関にさっき食べた白飯が吐き出された。
この何かが這う感覚。厭だ。途轍もなく。
こんなの、いつこようと慣れるわけない。
その日は結局会社を休んだ。
俺はベットの上で、悶絶してた。
ベットの横にある窓から、見える外灯だけが、真っ暗な部屋に居る俺の身体を照らしてくれる。
また、芋虫だ。
今度は数が多い。
そこら中に居る。
手にも足にも顔にも。
また、吐いてしまった。
寝ている状態なので、吐瀉物が頬を伝った。
厭だ。
厭だ。
厭だ。
我慢できない。だけど、身体が動かない。
身体がぶるぶると震えている。
俺は。
恐ろしいのか、この状況が。
怖いんだ。
結局、今日も会社を休んだ。
今のところ芋虫は現れない。
前例はないが。会社で現れてしまったら、どうする?
しかも、昨日みたいにそこら中に。
そして、やる気が起きなかった。
身体が動かなくなっている気がする。
このまま行けば俺は首だ。
そうはなりたくない。
東京には親に無理を言って、上京してきたのだから。
鬱なのか・・・俺は。
もしかすると、そうなのかもしれない。そんなの、厭だ。
芋虫が現れた。
だが、そんなのどうでもいい。
慣れたとかではない。今でもこの感覚は厭だ。
自然と嘔吐した。
だが、拭くことは出来ない。やる気がわかない。
不思議と四肢が動かない感覚に見舞われた。
そんなはずはない。
俺はただ疲れているだけなんだ。
そうだよ。この悪夢も、この吐瀉物も明日起きればなくなっている。すべては厭な悪夢なんだ。
なくならなかった。
吐瀉物は異臭を放っていたし。
芋虫は朝一番に現れた。
俺はもういつまでもこんななのか?
会社に電話する気にもなれなかった。
もう、どうにでもなってしまえ。
ベットから転げ落ちた。
痛い。感覚はなくなっていないようだ。
何故か、視線が台所に行く。キャベツだ。
そういえば、何も食っていない。
俺はキャベツが苦手だったはずだ。
なのに、なのに。なのに、なんで。
今はこんなにも魅力的なのだろう。
とても、美味そうだ。
涎がでる。はやく食べたい。はやく。はやく。はやく!
俺は地面を這うように、着実に台所に近づいていた。
「はぁ はぁ」
四肢が動かない。だけど、今はそんなことどうでもいい。あの、キャベツが!あのキャベツを!
ふと、鏡が目にとまる。
その風景に俺は驚愕した。
そこには一匹の芋虫がいた。
嘘だろ・・・。
服と身体は黒ずみ、地面を這う。
まさに滑稽だ。
これが俺?
いや、身体は人間だ。だが、いや、だけど。
そこにいるのは。
嗚咽感が身体を蝕んだ。
オエーと吐き出す。
だけど。
吐き出したのは糸だった。何かの液と糸。
何なんだこれは?
嘘だ。
厭だ。信じられない。
俺は芋虫なのか?
だけど、確かに、俺の目の前に映る鏡には。
そう。
一匹の芋虫がいたのだった。
作者なりそこない