駅を出ると、ポツポツとアスファルトを黒い点が覆った。
風が変わるのを合図に、一斉に黒点が道路を多い尽くす。
ぱたぱたと冷たい雨が、私の頭といい背中といい、容赦なく叩く。
やれやれ、ついていない。いつもはカバンの中に折りたたみの傘を入れているのに今日に限って、別のカバンで出社してしまった。
私は、カバンを傘代わりに建物の軒のあるところを渡り歩いた。田舎はこれだから嫌だ。街中の駅であれば、なんとかアーケードや地下を通り、濡れずに移動できるのに。雨宿りをするコンビニすらない。こんな田舎に転勤になった自分の身を呪う。
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割と軒の出ている古い民家を見つけて、私は走りこむ。
小降りになるまで、しばらく雨宿りするか。暗鬱な気分で後ろを振り向いた。どうやら、この民家には誰も住んでいないらしい。日にやけて、破れたままのカーテンの裂け目から覗く、空っぽの家の中がそれを物語る。
ふと、古い引き違い戸の端を見ると、まだ真新しい、黒い傘が立てかけてあった。誰か、ここに忘れて行ったのだろうか。それとも落し物か。
私は魔がさした。
まわりには誰もいない。誰も見ていないのだ。私はそっとその傘を手に取る。こんな黒い傘は誰もが持っている。たとえ、私が今これを、さして歩いたとしても全く違和感はないのだ。私は何食わぬ顔で、その傘をさしてその場を去った。
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一人アパートに帰っても、何も食べるものはない。しばらく歩くと、定食屋があったはずだ。定食でも食べて帰るか。私は、そこで夕食をとることにした。店先で傘を折りたたみ、傘たてに立てる。のれんをくぐって、真ん中あたりの席に落ち着く。すると、すぐにお冷が
運ばれてきた。私のテーブルの上には、コップが二つ置かれたのだ。私は違和感を感じ、その女性店員の顔を見た。
「あの、お冷、一つでいいんですけど。」
女性店員はキョトンとした顔で言った。
「あの、お連れ様は?」
「いや、一人だけど?」
私がそう言うと、さかんに首をかしげながら、一応オーダーを聞いて厨房へ入っていった。何か見間違えたんだろう。
雨の所為で店には客は私一人だった。私が注文した親子丼セットを作ると暇をもてあました店主が私にこんな話をしてきたのだ。
「ここいらには、妖怪の話が伝わってましてね。」
さして興味もないので、私は目だけで相槌を打った。
「こういう大雨の日に出るらしいんですよね。雨宿りしている人に憑いていっちゃうらしいですよ。その妖怪は女らしいんですけどね。名前はズバリ、アマヤドリなんですけどね。」
店主は何がおかしいのか、声を立てて笑う。
「何か悪さをするんですか?」
私は興味は無いけど、一応社交辞令として、言葉を発した。
「さぁ〜。悪さするかどうかまではわかんないんですけどね?ただ、あまり良い妖怪ではないようで。アマヤドリは雨のあまと女のあまを掛けているようなんでさ。」
つまらない。オチも何も無い話だ。私は、注文した親子丼セットをたいらげ、その店を後にした。
あの傘はまだ、傘たてに収まっていた。私は、自分の中だけで苦笑した。私は、泥棒のくせに、その盗んだ傘を盗まれないかと心配したのだ。私は、誰の物ともわからない傘に守られて帰宅した。
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次の朝、私はいつもの時間に起床し、真っ先にコーヒーを淹れ、コーヒーが入る間に食パンにバターを塗って、トースターに放り込んだ。簡単な朝食をテーブルに運び、
椅子に座ったとたんに私は飛び上がった。尻を触ると濡れている。
椅子の上がびしょびしょに濡れていたのだ。こんなところに水をこぼしたっけ?
私は濡れた下着とズボンをはきかえて、椅子を乾いたタオルで拭いた。その時までは、そんな些細な出来事は全く気にしなかったのだ。
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ところが、私の生活の違和感を決定付ける言葉を同僚から聞くことになる。
「おい、お前、いつの間に彼女作ったんだよ、この〜裏切り者〜!」
同僚が朝、私の顔を見るなり、ニヤニヤしながら肩を揉んで来たのだ。
「彼女?なんのことだ?」
「まったまたぁ、惚けちゃって!俺見たんだよ、昨日。お前がさぁ、女の子と相合傘で帰ってるところー。ちくしょう、羨ましいな。あのあとどこ行ったんだよぉ。」
「昨日は、ずっと一人だった。一人で、定食食って、一人でアパートに帰ったけど?」
「あくまで惚ける気だなぁ?わかったよ。今度ちゃんと紹介しろよな。」
同僚は私の肩を、ぽんと叩いて自分のデスクについた。
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昨日の定食屋と言い、今朝の椅子のことと言い、何かが変だ。
傘、相合傘?さっぱりわけがわからない。私はあの定食屋の店主の話を思い出してぞっとした。まさか。あれはあの店主が暇をもてあまして、私にした創作話だ。私に似た人間などごまんといる。友人が私と見間違えたのだろう。そう自分に言い聞かせたのだ。
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その日の夜、眠りについてすぐに、部屋に違和感を感じて目が覚めた。目が暗闇に慣れると、私の足元に青白い女が立っていた。幽霊?私は怯えた。しかし、マジマジと見ると、足がある。私は勇気を出して、聞いてみた。
「だ、誰だ!」
女からは水が滴っていた。髪の毛、ワンピース、細い腕、真っ白な顔。全身ずぶぬれだった。私はもう一度、勇気を振り絞った。
「いったい誰なんだ。ずぶ濡れじゃないか。どこから入ってきたんだ!」
「私は、アマヤドリ。昨日からずっとここに居る。」
女はそう言った。アマヤドリ、嘘だろう?私は昨日の定食屋店主の話を思い出した。まさか。私は昨日からずっと一人だった。
そして女は虚ろな目で、私を見た。
「どうして、私がずぶ濡れかわかる?」
私にそう聞いてきた。
「し、知るもんか、そんなこと。警察呼ぶぞ?出て行けよ!」
私は女を威嚇した。すると、私の布団にいつの間にか女がするりと入ってきた。
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私は、心臓が止まりそうなほど驚いて、女のような悲鳴をあげた。女の体はずぶ濡れで氷のように冷たかった。
「あなたがね、私の傘を、盗んだからよ。」
あの傘?女がずっしりと、女とは思えないほど重くなって、私は動けなくなった。女は私の目の前に、顔を近づけてきた。
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その瞬間、女の顔がドロドロと溶けてきた。
「うわあああああああ!」
私は、今まで出したことのないような叫び声をあげた。その瞬間に、叫んだ私の口から溶け出した女が流れ込んできた。苦しい。
息ができない。
助けて・・・・。助けて・・・・。
私は意識が遠くなっていった。
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「出社してこないし、電話にも出ないので、心配になって、アパートに来て見たら・・・。」
アパートの入り口には、同僚と警察官が二人、救急隊員は動かなくなった男を担架に乗せた。
その時、誰も気付かなかった。玄関の黒い傘を、白い女の手が握って、どこかへ行ってしまったことを。
数日後、驚くべき事実が、同僚や彼の親族に伝えられる。
「彼の死因は、溺死です。不思議なんですが、肺には水が大量に入っていたんです。お風呂にも、水は張っていなかったし、肺疾患も見られませんでした。何者かが肺に直接水を流し込んだとしか、思えないような状態でして。」
今日も、あの民家の軒先に、黒い傘は立てかけてある。
雨宿りを待って。
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作者よもつひらさか