今日の飲み会は庶務課の女の子たちと。可愛い子がいるといいなー。
会場に指定された居酒屋に入ると、もう女の子たちは揃っている。
うーん…まあ…可もなく不可もなく…いや、一人スッゲエのがいる。まさにディープ・インパクト。
トイレに行った時に、居合わせた同僚が隣で用を足しながら話しかけてきた。
「どうよ、今日のメンツ」
「うーん…まあ…」
曖昧に言葉を濁すと、からかうように笑いながら俺の脇をつついてきた。
「あの真ん中に座ってるのは?」
俺はおおきく頭を振って
「いやいやいや無理っしょ」と笑った。
あくまで親睦会という名目だけど実態は合コンだ。とは言え、真ん中の女だけは絶対に無理だと思った。
だけど、その強烈な存在感に圧倒され、ついチラ見してしまう。
他の連中もチラチラ見ては、こっちを窺うように目線を送ってくる。
分かってるよ、お前らの言いたい事は。俺も同じだ。
だけど、これだけ目が合ってしまうのは俺だけみたいだ。気になってちょっと視線を向けると、大抵は向こうもこっちを見ている。
うわ、やべえ。目を合わさないようにしよう。なんか誤解されても困る。
だけど、外へ出てもつい見てしまって、しかしそういう時に限ってあっちも俺を振り返って見るもんだから結果として目が合ってしまう。
参ったなあ…。変な風に思われていないだろうか。
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一応、合コンもどきの親睦会は無事に終わって、また通常業務の日々が始まった。
忙しさにかまけて、あの女(確か寺本とか名乗っていた)の事も半分忘れかけた頃に、突然、女が営業部にやってきた。
え、なんだ?俺の方に来る?
女は俺の机に何やら小箱をバン!と叩きつけて、さらに早口で何か言ってまたずかずかと出て行った。
なに今の。何か言ってた? これは受け取れません…とか言ってたような。何だ?
とりあえず置いていった小箱を開けると、おもちゃみたいなチャチな指輪が入っていた。
なんだこれ。
呆然としていると同僚の松崎がにやにやしながら近づいてきた。こいつは合コンの時、さっきの女を俺にオススメしてきたタチの悪い冗談野郎だ。
俺は咄嗟に手の中の小箱を隠そうとしたが遅かった。こいつに見られた。
松崎は「へえ~浅田ってああいうのがタイプだったんだあー」とわざと周囲に聞こえるような声を上げた。
やめてくれよ。冗談にしても迷惑だ。あっちが本気にしたらどーすんの。
「いやあ…いろんな意味でハードル高いよお? 奇特な人だねえ」
「ぅるっせえ! やめろよ!」
俺はつい声を荒げてしまった。周囲が俺を見る。松崎は大袈裟に肩をすくめて「くわばらくわばら」などと呟きながら撥ねるような足取りで逃げて行った。
俺は身を縮こまらせて周囲にちょっと頭を下げ、忌々しい指輪の入った小箱を傍らのゴミ箱に思い切り投げ捨てた。
一体、なんだってんだ? 受け取れないって、俺、知らねえよこんなもん。
なんか誤解があるんだ。もし他の人間と間違われてるんだったら、その奇特なヤツが気の毒だ。
ちゃんと話した方がいいかな。
そう考えたら本来の送り主に指輪を返さなくてはと思い直し、俺はゴミ箱から指輪の入った箱を拾い上げた。
なんか胸糞悪いけど、まあ何かの間違いだろうし、話せばすぐに解決する程度の事だろう。
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俺は帰り道、そう言えば寺本と同じ路線だったことを思い出した。
たまに朝の通勤電車でかち合う。期せずしてほぼ同時に出社する事もあるけど、同じ路線で通勤してりゃそういう事もあるわな。
そんな時は、朝の挨拶ぐらいはする。寺本から挨拶を返された事はないが、社会人としてどうなのかねと思う。
寺本が毎朝乗ってくる駅を思い出して、俺はその駅で降りた。改札辺りで待ってりゃその内に来るだろう。
電車から吐き出される雑踏の群れをぼんやり見ていたら、当の寺本が現れた。両脇を女友達に挟まれて歩いてくる。
一瞬こっちを見た。しかし寺本は顔を伏せて、まるで逃げるように足早に通り過ぎていく。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。今、確かに俺の顔はっきり見たよね? ガン無視?
俺は3人が俺の前を通り過ぎる寸前に、声を掛けた。
「あの、ちょっと、寺本さん、待って、話が」
言い終わる前に、女たちはさらに歩みを速めて改札を過ぎていってしまった。
何なんだよ。なんで逃げんの?
何だか俺は無性に腹が立ってきて、返そうと思っていた指輪を駅のゴミ箱に叩きつけた。
しかし冷静になって考えると、向こうも何か怯えていたみたいだった。
そうだよな。お互いあんまり知らない間柄なのに、駅で待ち伏せとか変だよ。だから逃げたのかもしれない。
よし、会社で直接話してみよう。でもなあ…。またさっきみたいに逃げられても気分が悪いし。
仕方ない、一度ちゃんと呼び出して…うん、そうだ。誰かに伝言を頼もう。手紙かメモで。
下手な奴に頼んで余計な詮索されるのも困るが…そうだ、守衛さんに頼もう。
帰る時は必ず通用口を通るからな。守衛がウチの社員の顔と名前まで覚えているわきゃないけど、あの外見なら口で説明したって一発で分かるだろ。
念のため、守衛がちゃんと手紙を渡してくれるかだけ見張っておこう。
俺が直接渡そうとしたってどうせ逃げるだろうし、俺が付近でうろうろしてたらあいつら来ないだろうから、少し離れた場所から見張る事にした。
その内、寺本だけが降りてきた。守衛の爺さんが近づく。
ほら、やっぱりね。あのルックス、聞いただけで誰でも分かるよな。
守衛が手紙を渡したようなので俺は安心して帰路についた。
明日は昼休みになったら会議室に来てもらって…あんなひと気のない場所で密会みたいな真似したら、それこそ誤解されそうだけど、人目があると余計に落ち着いて話せない。
松崎が無責任に噂を流したおかげで、俺は周囲から寺本とイイ仲みたい思われているらしい。冗談じゃないぞ。
とにかく話は短時間で済むはずだ。指輪を贈ったのは俺じゃありませんと。
他の誰かと勘違いしてると思うんで、それはそっちで確かめてください。俺はこれ以上、関わる気はありません…
…ほら、簡単じゃないか。これだけで終わる話だ。
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しかし、翌日、寺本は来なかった。
俺は第3会議室でバカみたいに待ちぼうけをくらって、昼飯の時間を無駄にした。
なんなんだ一体。どういうつもりなんだ。あのクソアマ。何を勘違いしてやがるんだ。何がマリリンだ。マリリンってツラか!
もうこうなったら実力行使だ。ビビられようが避けられようが、逃げようのない場所で捕まえてやる。
このままじゃ課の連中にも不愉快な誤解されたままになっちまうし。さっさと身の潔白を証明したい。
ちょっとムキになっていた俺は、寺本の住所をデータベースから引っ張り出した。
俺は定時できっちり仕事を上げると、飲みに行かないかという声を背に、大急ぎで会社を出た。
どうせ女たちは着替えだの何だので業務後もダラダラしている。急げば俺の方が早く着くだろう。
駅に着くと雨が本降りになっていて、俺はいつも持っている折り畳み傘を差して、アプリの地図を見ながら寺本のアパートに向かった。
ここらへんは商店街から離れていて静かな住宅街だから、夜にもなれば閑散としている。
俺はどこで女を待とうか考えた。連中からすぐに見える場所だと逃げるかもしれない。道路から死角になるような場所がいいな。
近づいてきたら姿を見せて、なるべく穏便に、優しく。
もし逃げようとしても、人目がないからちょっと強引に引き留めるのも止むなし…ぐらいの考えで、俺は電柱の陰に身を寄せた。
俺は外回りだから待たされるのは慣れている。顧客に会うためなら朝でも夜でも根気よく待った。だから寺本を待つのもそう苦にならなかった。
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夜になって、ようやく寺本が姿を見せた。今日は珍しく、いつもつるんでる二人の片割れがいない。
まあいい。俺は電柱の陰から姿を見せ、声を掛けた。
「寺本さん」
少しでも警戒を解いてもらいたくて、俺は研修期間中に叩き込まれた営業スマイルを繰り出した。
女の片割れがなんか叫んで逃げて行った。
なんだかなあ。これじゃまるで俺は不審者じゃないか。同じ会社の人間なのに。
とにかく寺本に話をして誤解を解かないと…そこで俺はぎくりとした。
なんと寺本、いつの間にかカッターナイフを握ってやがる。しかもえらくデカいヤツ。
おいおい、なんでそんなもん持ち歩いてんの。
うわっ、刃を出したぞ。ちょっとこれは…なんかヤバイ?
「え、ちょ…寺本さん」
とりあえず、その物騒なカッターナイフ、引っ込めてよ。そう思いながら俺はちょっと手を伸ばして踏み出した。
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その途端、寺本がすげえ悲鳴を上げて、カッターナイフを振り回し始めた。
うわ、おい、ちょっとマジで危ないって。何とか落ち着かせないと…寺本は完全にパニクって目を瞑ったまま何か金切声で叫びながらカッターナイフを振り回している。
とにかく腕を捕まえて押さえて…そう思って手を伸ばした瞬間、俺の右腕に鋭い痛みが走った。
思わず「痛っ」って声が出た。見ると、右腕の肘の下辺りがシャツごと切られていた。マジかよ…結構ざっくりいってる。
い…ってえ~…血が…ハンパなく出やがる…。
傘が落ちて俺は雨に濡れるがままになった。けどそれどころじゃない。
この女、マジで切りつけてきたぞ。とにかくあの凶器を取り上げて落ち着かせないと…その時、寺本の動きが止まった。
凶器を取り上げるなら今しかない。
「ちょ…それ…危な…」危ないからこっちに渡してって言おうと思ったけど痛くて言葉が続かない。
とにかくカッターナイフを取り上げようと手を伸ばしたら、寺本がそれを遮るように再びカッターナイフを振り上げた。
「があっ」
経験した事がないほどの痛みに俺は呻いた。
手の平をまともに切られたようだ。余りの痛みに俺は膝を折った。ズボンの膝が雨水を吸い上げたけど、そんなの構っていられないほど痛い。
ブルブルと痙攣して力が全く入らなくなった右手の手首を、俺は左手で掴んで震えを押さえた。
野放しになった腕の傷からはダラダラ血が流れている。雨で傷口が流されて血が固まらないんだ。
切られた手の平を見ると、俺は卒倒しそうになった。
真ん中がぱっくりと割れていた。ちょっと皮膚の上っ面を裂いた程度の傷じゃない。
ハッキリと肉と肉が断ち切られ、大きく口を開けていた。
もう痛いなんてもんじゃなくて、これ神経いっちゃってたら俺の右手、動かなくなんじゃねえの。
俺は思わずカッとなった。何をしてくれるんだ、このクソアマ。俺が何をしたっていうんだ。
くそっ、もう穏便にとか言ってる場合じゃねえ。この女を殴り倒してでも止めないと。まだカッターナイフ構えてやがる。ちくしょう。
頭に血がのぼるって言うのはああいう感じを言うんだろうな。俺はカッとなった勢いに任せて、前のめりになるぐらい思い切り立ち上がった。
「この…っ!」
しかし、女は再びカッターナイフを振り回し始めた。また目を瞑っている。
落ち着いてくれ。止めてくれ。目を開けて俺を見ろ。
刃が俺の頬を斜めに切り裂いた。ピリピリと神経を震わせたような痛みが顔全体に走り、思わず左手で頬を押さえる。
そこへまた刃が飛んできて、俺の左肘の近くを切り裂いた。もう傷口をいちいち庇う余裕もない。
やめてくれ、誰か止めてくれ。
構えていた右腕も左腕も無数に切り裂かれて、俺は腕を上げていられなくなった。
完全に無防備状態になった俺に向けて、女はまだ刃物を振り回す。
これはもう逃げるしか…だが俺の足は地面に張り付いたみたいになって動いてくれなかった。
その間にも女の振り回す刃物が俺の体を何度も何度も舐める。
待ってくれ、振り回すのをやめてくれ。
刃が俺の額を真横に裂いた。鼻の先が削がれる。
ザグッという嫌な音がして鼻の孔いっぱいに溢れた血が、喉の奥から口の中に流れ込んでくる。
もう痛いという感覚が分からなくなってきた。そう思ったら今度は首筋に熱いものが流れた。
何か噴き出している。首が…首から…すげえ量の血が…俺はそこで初めて死を意識した。
鉄サビみたいな味が口の中に湧き上がってきて、喉の方でゴボゴボいってる。
思わずむせて口から吐いたら、今度は喉がヒューヒュー鳴った。
顎から首まで生温かい血が流れるのが分かる。と思ったら胸元にいきなり冷気を感じた。
よろよろしながら俯いてみたら、肩から脇までシャツが切られていた。
…シャツだけじゃねえや。肉まで切られてるじゃねーか…血糊でナマクラになったような刃でも滅多矢鱈に切り付けりゃ切れるもんなんだな…。
まるで他人事みたいにそんな事を考えながら、俺は膝を折り、地面に倒れた。
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首から溢れる血は止まりそうもない。
流れる血は熱いと感じるのに、雨は冷たくて気持ちいいような気もする。
もう刃は飛んでこない。
痛いとか言うより、全身が脈打ってるようだ。自分の心臓の音が聞こえる。
ほっぺたの傷は痕に残るかな…漫画のヤクザじゃん…ははは…
手の平ざっくりいっちゃってんの、これちゃんと治るかなあ…右手使えねーと不便だよなあ…。
なんか頭がボーっとする。
そばに誰か立ってる。誰だろう。
なんでこんな事になったんだっけか。
…あ、そうだ、思い出した。
指輪だよ指輪。
あれは俺じゃねえよ…。
頼むから話聞いてくれよ…。
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◇◇◇◇◇
幾分か雨足の弱まった夜の道を、麗美が傘を差して歩いていた。
彩子がビールを買っていくと言って寄り道したコンビニに入ると、彼女は隅の飲食コーナーで煙草片手にコーヒーをすすっていた。
彩子は麗美の姿を認めると、
「どうなった?」
と興味津々の顔でかぶり寄った。
麗美は、彩子の向かいに腰を下ろし、脚を組んで自分も煙草に火をつけた。そしてふーっと大きく煙を吐くと、眉をちょっと上げて肩を竦めて見せた。
「いやもう、これが予想外の展開でさあ」
もったいぶった麗美の言葉に、彩子が焦れったそうに身を乗り出し、先を促した。
麗美はそんな相棒に顔を寄せるようにして自分が見てきた一部始終を話す。
逃げるフリして物陰からずっと見ていた光景を。
話し終えると、彩子は驚嘆の表情を浮かべて身震いする真似をした。
「真里子、逮捕されちゃったみたい。パトカー乗せられてった」
「ちょっとした冗談だったのに…ホント、真里子って冗談通じないわー」
「冗談通じないって言えば合コンの時よ」
彩子がブッと吹きだす真似をした。
「マジであのカッコで来るとは…笑い死にするかと思ったわよ」
「ほんと、超ウケた」
「デブスの上にアタマ悪いってもう終わってるよね、真里子」
彩子と麗美は意地の悪そうな上目使いで互いを見遣り、クスクスと忍び笑いを漏らした。
ややあって、麗美が煙を燻らせながら視線を宙に泳がせた。
「ま、浅田には可哀想な事しちゃったかな」
「それも想定外って事で…しょーがないじゃん?」
「そうよね、ソーテーガイ、ソーテーガイ」
二人は、口の端を吊り上げて眉間に皺を寄せ、ケラケラと黄色い笑い声を上げた。
作者退会会員
「ストーカー事件:A面」の続きでございます。
ひとつの物事の、もう一つの側面つまり「B面」です。
A面の方からお読みいただくと、分かりやすいかと思います。
胸クソ悪いオチですみません。
げに恐ろしき者、汝の名は女なり…ですね。