今日も暑い。
窓を閉めていても蝉の声が聞こえる。
暑いのは苦手。だるくて、眠くて、ボンヤリする。
子供たちはもう出掛けちゃったのね。
自転車置き場になってるガレージの隅、窓から見たらもう子供の自転車はなかった。
いいわね、子供は夏休みで。
今日も夫は帰りが遅いのかしら。あら、昨日はいつ帰ってきたっけ…朝もいつ出掛けたのか…はっきり思い出せない。
なんだか暑さのせいか、とにかくだるくて朦朧として、記憶がボンヤリしている。
家の中は空調が効いてるはずなんだけど、蒸し暑いような冷えるような。だから夏は嫌いなのよ。
何だかまたウトウトしてしまっていた。
目が覚めたら家の中がすごく臭い。
何なの、この鼻につく嫌な匂い。頭が割れそうに痛い。
子供たちは大丈夫かしら。部屋を見ると二人ともいない。自転車もない。
ああそうだ、夏休みだもの、外に遊びに行っているんだわ。
それにしても何かしらこの匂い。家の中から?外から? そう思って家の中を点検していると、今度はものすごい騒音が家の中に響いた。
嫌な声で何か喚いてるように聞こえる…作業員のがなり声?いいえ違うわ。
割れ鐘みたいな音。何の音かしら。
おまけに時々耳障りな金属音もまじって、うるさいったらありゃしない。
家の中から聞こえるみたいに感じるけど、反響しているだけね、きっと。
だって家の中でそんな音を出すようなものなんてないんだもの。
町内会長に苦情を言っておこうかしら。
近所で何か工事でもあるなら事前に言ってくれなくちゃ。
だけど、あの町内会長、私を見る目がなんだかイヤらしくて嫌いなのよね。いつも人の体を上から下まで舐めるように見てくる。私の事を嘲っているのよ。バカにしているんだわ。どうせ旦那#☆@*☆●¥$@と思って。
――今、何を考えていたのだっけ。
頭がぼんやりしてよく思い出せない。何か大事なことを忘れているような気がする。
やっぱり疲れているのね。夏バテかしら。
ああ、頭が痛い。気分が悪い。
寝室でちょっと休みましょう。
玄関先でがちゃがちゃと音がして目が覚めた。目が覚めると音も匂いも消えていた。
子供の賑やかな声が聞こえるので、2階の吹き抜けから玄関を見下ろす。
小学生ぐらいの男の子が何人か家に上り込んできた。
ああ、雄太の友達なのね。
そうだわ。子供の友達が来たのなら、ジュースぐらい出した方がいいかしら。
そうよね。どこの家でもそうしてるはず。
「佳代さん、佳代さん」
お手伝いさんを呼んだけど返事がない。
今日はもう帰ってしまったのかしら。
一言、声ぐらい掛けていけばいいのに。
通いの家政婦さんはこういう時に不便ね。
だけど住み込みの家政婦は二度とイヤ。
前に一度、雇ってみたら、私の大切な指輪やネックレス…宝物を盗まれて。
絶対に許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さ――
――ジュース。私が持っていってあげましょう。
だけどジュースの買置きなんかあったかしら。そう思いながら冷蔵庫を開けるとジュースが入っていた。いつ買ったのか覚えていないけど、封は切ってないしまだ新しい。
何人いたかしら。確か5人ぐらいいたような。じゃあ雄太もいれて6人分、コップに注いでトレイに乗せて、雄太の部屋まで持っていく。
「いらっしゃい」
ドアを開けた瞬間に、子供たちが私の脇をすり抜けるようにして駆け出していった。
危ないわね。私はトレイを落としそうになって思わず身構えた。
子供たちは何か口々に叫びながら家を飛び出していった。
子供は元気でいいわね。
だけど挨拶ぐらいするものよ。
最近の子供ときたら…その点、ウチの雄太は。
あら?さっき雄太も一緒にいたかしら。
まさか仲間外れ。いいえ、そんな事ないわ。
だったら何故ウチに遊びに来るのって話じゃない。(すぐ帰ってしまったけど)
それにしても、夫はまだかしら。今日は出張から帰ってくるはず。
その時、外から車の音がした。
南に面した窓からガレージを見てみたらそれは夫の車ではなく、
家の前を通り過ぎた余所の車だったみたいで私はがっかりした。
夫はウチの車かどうかエンジン音ですぐに分かるだろうなんて笑っていたけど、
私には車のエンジン音なんてみんな同じに聞こえる。
夫の車…車は詳しくないけど、広くて乗り心地は良かった。
いつも私が助手席で子供たちは後ろ。
『僕の車の助手席は一生、君だけの専用シートだよ』
夫はプロポーズの時にそんな事を言ったっけ。ふふふ。
今思うとちょっとクサいけど、あの頃は私も若かったから、
そんな言葉にのぼせ上がったのよね。
そう、今でも彼の隣は私だけの指定席。
それにしてもだるい。頭は痛いし、ぼんやりするし。夏バテだわきっと。
夫が帰ってきたら今年の避暑はどこに行くか相談しなくちゃ。
軽井沢は人が多くて…那須はどうかしら。スイスも悪くないわね。
夫はまだ帰らない。
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閑静な住宅地にあって一際目立つ豪奢な邸宅に面した道を、3人の女が歩いていた。
この辺りに住む主婦仲間らしく、各々買い物袋を提げて、ぺちゃくちゃと喋りながら歩いてくる。
「うわあ、すごい豪邸。ここ、どちらの御宅?」
一番若く見える主婦が邸宅を見上げて歓声を上げた。
隣を歩いていた少し年上らしい主婦が買い物袋を肘にかけ、
両手を胸の前でだらりと垂らし、わざとらしく眉をひそめて答える。
「ここ、近所で有名な幽霊屋敷なんだよ」
「ええ~?ウソでしょ~?」
苦笑いを浮かべる若い主婦に、もっとも年長らしい中年主婦も頷いた。
最近この町に越してきたばかりの若い新参者の主婦に、古参の主婦二人は何かと情報通を気取って教えたがる。
邸宅の前を通り過ぎた突き当たりが小さな公園になっていて、
そこのベンチに腰を下ろすと、古参主婦二人が自分の知っている事をこぞって披瀝し始めた。
「あそこの旦那さんね、交通事故で亡くなったのよ。高速道路で。車はメチャクチャ、旦那さんは即死だったって」
「その時、助手席に乗ってたのが家政婦の若い女でさ、どうも旦那の愛人だったみたい。もちろん女の方も即死」
若い主婦は神妙な面持ちで小さく頷きながら聞き入っている。
「それから奥さん、おかしくなっちゃってさ、二人の息子を殺して自分も首吊ったのよ」
「うわ…」
若い主婦は顔をしかめて絶句した。
「ほら、何年か前のニュースでやってたの覚えてない?ワイドショーとか毎日すごかったよね」
と中年主婦。
「ああ、ああ、それ覚えてる」
と年上主婦も相槌を打った。
「あの事件の現場がさっきの家」
まるで後ろめたい事でもささやくように中年主婦が声をひそめて家の方に目配せした。
「もともと近所付き合いの少ない奥さんだったんだけど…旦那さんが死んでからますます閉じこもっちゃって」
当時を知る古株の主婦二人が、競い合うように交互に話す。
「新聞がどんどん溜まっていって…最初は旅行にでも出たのかって思ってたんだけど、子供の学校にも連絡ないし」
「その内、家の周りがすっごい臭いするようになってきて」
「こりゃおかしいって言うんで町内会長さんが警察に連絡したんだよね」
「で、警察が鍵を壊して家の中に入ったら」
古参主婦の二人が苦々しい顔で互いを見合った。新参主婦はもどかしそうに先を急かす。
「で?で?家の中に入ったら?」
「…蠅がすごかったんだって。もうすっごい臭いで、蠅がわんわん飛び交ってて」
「真夏だったしね」
「子供二人は…毒殺?っていうか…ジュースに青酸カリ入れて飲ませたとか」
若い主婦が苦々しい表情を浮かべる。
「奥さんは寝室で首吊ってたんだって。なんかもう凄い状態だったらしいよ。
原型留めてないっていうか、ウジ虫が」
中年主婦が大袈裟に顔をしかめて耳を塞ぎながら、その先を遮った。
「やめてえー!あたしグロいのダメ」
そこで一呼吸おくと、気を取り直したようにまた古参主婦ら二人が話し始めた。
「それからが大変だったのよね」
曰く、連日マスコミが押しかけて、地方都市の呑気な田舎町は大騒ぎだったらしい。
家は業者が後片付けをして空家になったが、しばらくしてから不動産屋が来るようになった、と。
「でも、そんな曰くつきの家、売れないんじゃないですか?」
と若い主婦がもっともな疑問を口にする。
「まあねえ…。でも、あれだけの土地と家だもの。不動産屋としては放っておけないんじゃない?」
「お寺に来てもらってお祓いだか供養だか知らないけど、お経あげてもらってたみたい」
「一日中お経の声とか木魚とかお鈴の音がしてて、なんか本格的にやってたよね」
「そうそう、あの時、家の周りまですごい線香の匂いしてたもの」
若い主婦は、先輩主婦二人のやりとりを聞いて納得したように頷いてはみたが、
自分が越してきた町の不吉な話に、不安と不快が混じった表情を浮かべ、
肩をすくめて両腕を掻き抱いた。
「でも…同じ町内にそういう家があるのって…なんか…気持ち悪いですよね」
そこでまた、話好きの古参主婦らはもっとも大事な部分を話していない事に気付いた。
「そうそう!それなのよ。窓から女の顔が覗いていたのを見たって人が何人も出てきてね。それだけなんだけど、幽霊屋敷だって噂が立っちゃって。もちろん、殆どの大人は信じていないけどさ」
「でも子供たちはねえ…」
中年主婦が諦めの混じった苦笑いで年上主婦の方を見る。
「そうなのよね。今年の夏も肝試しとか言って子供らだけで家に入ってね、ドアが勝手に開いたとか、女の人の声がしたとか言って、ぎゃあぎゃあ喚きながら半泣きで帰って来たのよ。」
中年主婦が若い主婦に水を向ける。
「お宅のお子さんも小学生だっけ」
「うん、1年生と3年生」
「じゃあ注意しとかないとね」
古参主婦二人が顔を見合わせる。
「そうよねえ、何かあったら」
その言葉に続く不吉な想像を掻き消すように、中年主婦が素っ頓狂な声を上げた
「えー?幽霊とか信じるタイプう?」
そう言われた年上主婦は心外そうに頭を振って否定しながらも、
それでも心配そうな顔で続けた。
「ううん、そういう事じゃなくて…子供だけで集団ヒステリー?とかパニック?とか起こして怪我でもしたら大変でしょ」
幽霊の心配などではなく、あくまで現実的な心配なのよと無理やり納得させるように、
年上主婦は聞きかじりの心理学用語を並べたてた。
その意見に同感だと言わんばかりに残りの二人もうんうんと頷く。
家政婦に夫を寝取られた妻が、子供を道連れに無理心中した家。
子を持つ主婦らにしてみれば後味の悪い話だ。
重い空気を払拭しようとしてか、若い主婦がわざと冗談めいた口調で言った。
「なんかもう絵にかいたような修羅場ですよねー…最近の昼ドラでもそこまで酷くないですよ!」
その言葉に3人が、あはははは…と無理やり声を出して笑いあう。
「昼ドラといえばさ」
あっという間に、話題はテレビドラマに関する内容にシフトしていった。
公園のベンチで飽きずにしゃべり続ける主婦らの足元を、木枯らしが舞った。
秋の風が、色褪せた木々に残った葉を吹き飛ばしていく。
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ああ、暑い。蝉の声がうるさい。
子供たちはまた出掛けてるのね。
夏休みだもの、仕方ないわね。
早く夫が帰ってこないかしら。
ああ、あなた。愛するあなた。
私は待ってる。この家で。
あなたと私と子供たちの、この家で。
私は待ってるわ。
いつまでも。
作者退会会員
こんにちは。2作目です。もう背景画もBGMも諦めましたorz
どんだけ編集しても上手く出来ず。皆様の想像力に委ねます。
どうぞ宜しくですm(_ _)m