「君。君は《本の虫》を知っているか?」
ある雨の日、唐突にバイト先の店長がそう聞いて来た。
僕は《いきなり何を言い出すんだ此の人は》と思いながらも答えた。
「ええ。本が大好きな人の事を、そう言いますよね。」
しかし、店長は何時も通りの気だるげな表情で静かに首を横に振る。
「違うよ。比喩では無く、一種の生き物としての方だ。」
一種の生き物として・・・。
僕の頭に、ある生き物の名が浮かんだ。
「所謂、《紙魚》と言う奴ですか?」
だが、店長はまた首を横に振る。
「少し違う。親類とは言えるかも知れないが。」
比喩でも無く、紙魚とも違う一種の生き物・・・。
僕はもう一度考えてみたが、もう何も頭に浮かんで来なかった。
「ごめんなさい。分からないです。」
僕は軽く頭を下げ、改めて聞いた。
「何なんですか?《本の虫》って。」
店長はゆっくりと瞬きをしながら答えた。
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「何なんだって・・・人の眼球に住まう、あの《本の虫》だよ。君。」
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さて、此処で少しだけ、店長こと《小宮寺 春》の説明をしよう。
彼は兄達の友人で、町外れの小さな古書店・・・《蜩堂》の店主をしている。
序でに書いて置くならば、彼の名前の読み方は《こみやでら はる》である。
間違っても《しょうぐうじ》ではない。
其処んとこ宜しくなのだ。
・・・さて。
抑、僕が此の店でアルバイトを始めた切っ掛けも兄が《人生経験》の四文字で僕を丸め込み、此の店に放り込んだのが始まりだ。
年齢は恐らく二十代の前半。
色素が薄く、身長は少し低め。
兄と負けず劣らずのモヤシっぷりだ。
基本的に何時も気だるそうにしていて、骨が粉砕骨折しようが家が燃えようがパンデミックが発生しようが日本が沈没しようが宇宙人が襲来しようが世界が滅ぼうが我関せず、と言わんばかりだ。
・・・さて、こんな物だろうか?
此れで一応の説明は終えた。
本編に戻らせて貰おう。
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「《本の虫》は、物語を生きる糧としている。」
店長は頬杖を付きながら説明を始めた。
「彼等が生息するのは、主に図書館や古書店。普通の書店には先ず現れない。古い本・・・中でも、沢山の人に読まれた本を好むからだ。どんな物語を好むかは、個体に因ってまた違うらしい。」
僕は思わず口を挟んだ。
「人の眼球に住まうんじゃないんですか?」
店長は小さく溜め息を吐いて、頬杖を付いていない方の手をヒラヒラと振った。
「ああ。眼球にも住まう。・・・そう急かすな。順を追って説明するから。」
そう言って、店長は一冊の本を本棚から抜き取った。
「・・・さて、君は、此の地球上で文字を用いて本を書く生物を、幾つ知っている?」
「え?幾つって・・・。人間だけでしょう?」
「正解だ。」
店長が本を閉じ、また違う本を取り出す。
「《本の虫》は、基本的に自分の居る場所から離れる事は無い。然し、身の回りに読むべき物語が無くなってしまった時だけは別だ。彼等は人間の眼球に移り、また新たな住みかを探し始める。」
「移られた方は、気が付かないんですか?」
「彼等は物語に紛れて目に入り込んで来るから、大抵の人間は気が付かない。」
物語に紛れる・・・・・・。
一体、どう言う事なのだろうか。
僕が訝しく思っていると、店長は頬杖を解き、緩慢に立ち上がった。
「大抵の《本の虫》は、新しい場所に着くと自然と離れて行く。然し、中には離れて行かず人間の眼球に住み着いてしまう者も居る。」
「住み着いて・・・?」
僕は言葉の意味が分からずに、間の抜けた調子で繰り返した。
店長が大きく頷く。
「多くは、入り込んだ相手と、好む物語の種類が似通っていた時だな。自分で本を探すより、相手に寄生していた方が楽だからだ。」
・・・と、言う事は《住み着かれる》と言うのは現実にそうなる訳で、比喩等では無いらしい。
然し、眼球に住み着くとは・・・。
「・・・寄生されると、何か身に危険は?」
「本を読んでも物足りなくなる。・・・まぁ、当たり前だろう。知らない間に物語の一部を掠め取られているのだから。・・・物足りなく感じるから、寄生主はまた新たに本を求める。そうなると虫としては万々歳だから、益々離れなくなる。虫が離れないから、本を読んでも物足りない・・・・・・。と言う風に、どんどん悪循環して行く。此れが、人の眼球に住まう《本の虫》だ。」
そう言って店長は、もうすっかり冷めてしまった茶を飲んだ。
「まぁ、そうなってしまった人は往々にして大量の本を購入してくれるから、此方としては良い客となるのだけどな。」
外を見ると、雨が一段と激しくなっている。
店長はポツリと呟いた。
「《本の虫》は、光を嫌う。だから滅多に昼間には来ないのだが・・・。」
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ガラガラガラ
硝子の引き戸が開き、一人の男性が入って来た。
「嗚呼、山中さん。いらっしゃいませ。お久し振りですね。」
店長がニッコリと微笑み、山中さんとやらに駆け寄った。
「久しぶり。何か、面白い本は入っていないかな?」
山中さんはそう言って、薄く微笑んだ。
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其の後、山中さんは暫く店長と話し、十数冊の本を一気に買い求めた。
「最近、何を読んでも物足りなくてね。歳の所為かな。」
山中さんは恐らく四十代程だろうか。
僕の見た事の無いお客様だ。
と言っても、バイトを始めたのはつい此の間なのだが。
「仕事も手に付かない程なんだよ。困っているんだ。」
山中さんは笑いながら話している。
僕は、さっき店長が話してくれた事を思い出していた。
「其れにしても、此の子は?」
山中さんが此方に視線を向けた。
僕は軽く頭を下げ、自己紹介をした。
「《僕》と言います。先日から此の店でアルバイトをさせて頂いています。」
「へぇ・・・。」
山中さんがまじまじと此方を見ている。
右目の端の辺りに、黒い物が見えた気がした。
此れはもしかして・・・虫の足?
思わず顔が強張った。
「・・・・・・ん。此れは失礼。」
僕の表情の変化に気付いたのだろう。
山中さんが目を逸らした。
「そろそろ御暇しようかな。」
財布から千円札を取り出し、僕の方に突き出す。
僕は少なからず困惑した。
「取って置きなさい。」
「え、でも、何で・・・。」
返そうとすると、無理矢理押し返され、御札を握らされた。
「別に深い意味は無いよ。単なる小遣いだ。」
「・・・・・・ありがとうございます。」
深く礼をし、エプロンのポケットに御札をしまう。
山中さんが満足そうに微笑んだ。
外の雨は何時の間にか止んでいた。
「其れでは、また来るよ。」
山中さんが一礼して硝子戸を開ける。
「・・・あ、少々御待ちを。」
「え?」
店長が山中さんを呼び止め、硝子戸の方へと駆け寄った。
「目に塵が付いています。」
山中さんが目を擦ろうとすると、店長は其れをそっと手で制した。
「擦らないでください。奥の方へと逃げてしまいます。目を開けたまま、じっとしていてください。」
右目の部分へと手を伸ばし、虫の足らしき何かへと手を伸ばす。
「取りますよ。動かないでくださいね。」
店長が其の黒い何かを掴み、一気に引っ張った。
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ずるり
目の中から引き摺り出されたのは、魚の骨の様な、何とも奇妙な見た目の虫だった。
「はい、取れましたよ。」
店長は素早く虫を掌に隠し、持っていた糸屑を山中さんに見せた。
山中さんは、
「そうか。ありがとう。」
と言って、ニコニコしながら帰って行った。
自分の目から大きな虫が出て来た事には、全く気付いていない様だった。
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・・・・・・。
山中さんが帰ると、店長は何時も通りの気だるげな感じに戻ってしまった。
「声を張るのは疲れるな。」
そして、手の中の虫を無造作にボトリと床に落とす。
「しかし、彼に此れからも良い御客でもらう為だ。本にのめり込み過ぎて仕事をサボり、万が一にでもクビにされては困るからな。本を買って頂けなくなる。」
グシャリ
床に落ちて痙攣する様に動いていた《本の虫》が、店長に踏み潰されて、無惨に潰れた。
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~~~~~~~
例えば、こんな事は無いだろうか。
・幾ら本を読んでも物足りない。
・本以外の事を考えられない。
・目が痒い。
・最近、気が付くと本を衝動買いしてしまっている。
・日の光が疎ましい。
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全部当て填まっているとしたら、貴方の目には・・・。
作者紺野-2
どうも。紺野です。
一応オリジナルタグ付けておきます。
次回も宜しければお付き合いください。