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中編6
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明けと共に来たる夜

時は1943年、ここはオーストリアの首都ヴィエナの北東に在する町である。

フリードリヒ・カルハイム伯爵は、枢軸国の侵攻に備え、家の財産を山間部に疎開させることにした。そこで、伯爵の実弟と館の使用人9名は、ある夜中、金銀宝石その他のカルハイム家の家宝を運び出した。

私はその使用人の中のひとりだった。

10人と馬2頭の一団は、全く明かりの無い山道を黙々とランプも持たずに上ってゆく。あたりは一面モミの木の林だった。

風は冷たいが、それは単に夜中のせいで、季節は春か秋だったのだろう。

虫や鳥の鳴き声は聞こえなかったが。

カルハイム邸から25マイルほど離れた小高い山の中腹に、伯爵家の別荘がある。

伯爵の弟と我々の10人は、ここで戦争が終わるまで暮らし、家宝を守ることになっていた。市内の館には伯爵と夫人、一部の使用人だけが残ることになった。

伯爵の息子と娘たちは、既に従者と共にスイスに逃げていた。

25マイルといっても、地図の上の距離で、大半は上り坂だ。しかも、馬に乗っている伯爵の弟以外は皆徒歩で(もう一頭の馬には荷物を満載していた)、それぞれ重い荷物を背負っている。疎開する宝飾品は金属や陶器、額縁付きの絵画や書物ばかりなので当然重く、その他に食料や日用品も運ばなければならなかった。戦争が終わるまで、一切の連絡を断つことになっている。我々が大量の宝飾品を持って別荘に滞在していることがばれては、かえって疎開の意味が無いので、後で街に下りて食料を調達するということはできなかった。

足が棒になり、肩が痛み始め、ふもとの町が朝日に照らされ出した頃、ようやく林の中にイングランド風のこじんまりとした別荘が見えてきた。

私は歩きながら、何度も「そのこと」に思いを巡らせた。

いや、何度もというのは嘘だ。

そのことしか頭になかった。

私が背負う大ぶりの軍用背嚢には、主に夫人の宝飾品が積み込まれていた。それはゆうに50ポンドはあっただろう。それでも、私は力自慢なタイプではなかったから、荷物は軽い方だった。金の延べ棒を背負っている者もいたのだから。

私が「そのこと」を考えずにいられなかった理由は、約5カラットのダイヤの指輪がその中に含まれていたからだけではない。社交界でも有名な宝石好きの夫人が所有する中で、おそらく最も高価なアクセサリーではあろう。しかし理由はそれだけではない。

万が一途中で夜盗などに襲撃された場合に備えて、荷物の軽い私が主力の武器を持たされていたのだ。もちろん他の使用人も護衛のための武器を持ってはいたが、それはせいぜい拳銃かナイフだった。

一方、

私が肩から提げていたのは、ソ連製の旧式の自動小銃だった。それは、巨大なカステラにバウムクーヘンと銃把を付けたようなものだといえば大体形状の想像がつくだろうか。

別荘は目前に迫っていた。

太陽が平野の向こうから完全に顔を出すまでにはあと1分もなかっただろう。

夜通し歩いた体の疲れと、

闇夜にむしばまれた精神と、

夜明けのカタルシスが、

私に唐突に決断をさせた。

隊列の後ろから2番目を歩いていた私は、自動小銃の銃把に右手をかけるとそのまま体をひねり、斜め後ろにいた使用人の男のこめかみを、全力を込めた鋼鉄の銃身で打った。

男は声も出さないまま倒れ、私はそれを見届ける間もなく前方の8人に向き直り、引き金を引いた。

旧式の自動小銃には、バースト(引き金を引きっぱなしにしても特定の弾数だけ連射される仕組み。弾を使い果たすのを防ぐ機構)が搭載されておらず、5秒もしないうちに全員が地に倒れ込んだ。

いうまでもなく、単なる家事使用人である私は、それまで猟銃はおろかピストルさえ撃ったことが無かったが、もはや誰一人として微動だにしなかった。

馬だけが無傷で、銃声に驚いたのがおさまると、道端の草をのんきに食べ始めた。

私は銃声を覚えていない。そしてあたりは全く静かだった。

私はしばらくそのまま茫然と立ち尽くしていた。何も聴こえず、何も考えていなかった。私はここに立ちつくしたまま、何十年も経ったような気がした。

その時、足元から声が聞こえた。

「アル…ド……こ…の野郎……

最初に銃身で殴った男の声だった。彼は死んでいなかったのだ。

私は何も考えないまま、服に付いたほこりを払うように、全く当然のことのようにスムーズにしゃがみ込むと男の腰からナイフを抜き取り、彼の眼に突っ込んだ。ナイフからは、濡れた抵抗感と同時に、骨が割れる硬い衝撃が手首に伝わった。

それでやっと私は我に返った。

あたりに人影が無いのを確かめると、私は大急ぎで全員の荷物を運びにかかった。別荘の裏手には崖があり、それを回り込むと、木こりも入らないほど深い森が延々と広がっている。

丸一日かけて私は金目の物を森の中に見つけたほら穴に隠すと、入口を土で固め、雑草を土ごと持ってきてその上に植えた。

金目の物以外の荷物は別荘に運び込んだ。

そして別荘の玄関を斧で叩き壊してから、火を放った。

8人の使用人と伯爵の弟の遺体は、崖から投げ捨てた。

最後に、私はナイフを左手で持つと背後に回し、自分の右の肩甲骨から左の腰骨までを深く切り裂いた。

それからの事は予想通りだ。私は山を降りると、ふもとの町の病院に駆け込み、玄関で倒れた。そして、盗賊に襲われたと言った。嘘は言っていない。

カルハイム伯爵は、私に多めの退職金を払った上で暇を出した。伯爵やその家族がその後どうなったのかは知らない。カルハイムという名が、少なくとも戦後は聞かないものだったことは確かだ。

戦争が終わると、私はオーストリアを離れてアメリカに渡った。

そこで貴金属を輸入する海運会社を設立し、莫大な利益を上げた。

ずっと、あの時私のしたことは許されないことだと思っていた。

しかしある時、新聞の片隅の小さなニュースに目を奪われた。

オーストリアの山村で、猟師の子供が白骨化した大量の死体と、目もくらむような両手いっぱいの財宝を見つけたというのだ。

白黒の写真には、田舎くさい毛皮の帽子をかぶった少年が、両手に山盛りの指輪やイヤリング、ペンダントトップ、切手ほどの大きさの金塊などを捧げ持って笑っている様子が写っていた。

それらの品は、骨の周りに多少散らばっていたほかは、丁度あばら骨に囲まれるような格好で落ちていたのだという。野次馬(というより宝探しの人々)が押し寄せるのを心配してか、どこの山とは書いていなかったが、ウィーン北東部の山林というだけで私には充分だった。

そして、なぜ財宝がそこにあったのか、私には分かった。

私が持ち出したのは、財宝の全部ではなかったのだった。

5カラットのダイヤのリングをはじめとして、スターサファイアのイヤリング、アレキサンドライトのブレスレット、ピジョンブラッド(最上級のルビー)のネックレス、そして金の延べ棒。その他もろもろ、馬車一台に入らないほどの宝飾品。

それらを私は自分のものにした。

私は盗んだ。

しかし、他の者も、そう、おそらく全員が、宝飾品のうち小さな物を呑みこんで隠していたのだ。

そのまま逃げるか、他の者を皆殺しにして残りも盗ろうと企んでいたに違いなかった。伯爵の弟を除いて。

私は揺り椅子に腰かけると、20年分の安堵のため息をつき、そしてカルハイム伯爵夫妻とその弟君のために、心の中で謝罪した。

私の海運会社は残念なことに今もって好調である。

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