一人の女性が、暗い夜道を足早に歩いている。
周囲に人気は無い。
聞こえる音と言えば、女性の靴音と、身に付けた貴金属が揺れて鳴る金属音。そして、遠くの国道を走る車の騒音と、木々の騒めく音だけ。
同窓会帰りの、その女性はイラついていた。
周りの女性は皆、人生のパートナーと出会い、結婚し、子供を産み、側から見れば幸せに見える家庭を築いている。
それに比べて私と言えば…。
三十代半ばだというのに、彼氏の一人もいない。
仕事に明け暮れ、気が付けば一人ぼっち。
会社でも無愛想な上司だと呼ばれ、若い人達の話には加われない。
イラついた女性は足を止め、足元の石を蹴飛ばす。
蹴飛ばされた石は、道沿いの草むらに転がり込む。
ふん!
心なしかすっきりした女性は、鼻息を鳴らし、再び歩き出す。
その瞬間!
ゾクリ。
女性は背後に、何かの気配を感じた。
巨大なモノが醸し出す圧迫感。
それでいて、生き物がいるような特有の熱感も息遣いも聞こえない。
代わりに漂う、塩臭い悪臭。
草むらがざわめく音。
振り返ろうとする女性。
その時、女性は違和感を感じる。
突然の息苦しさ。
いや、息が、呼吸が出来ない!
胸が苦しい!
苦しみ悶える人生。
視界が狭まる。
直後、女性は、闇に包まれた。
…数日後。
その女性の身に付けていた貴金属だけが、発見された。
…
…
…
街の公園。
遊具やベンチが設置され、周囲は木々で囲われている。
その公園の端、草葉の陰に隠れた目立たない場所で、制服を着た二人の男子高校生が煙草を吸っていた。
勉学の強制と校則の規律に飽き、
細やかな開放感と背徳感を満喫する二人の男子。
ザワ…ザワ…。
ふと、一人がの男子が、頭上に何かの気配を感じ、上方に視線を向ける。
視線の先には、青空と、枝の隙間から溢れ出る木漏れ日があるだけ。
その時、
「ぐわーーー!」
突然の大声が、空を見上げる男子の隣から聞こえた。
もう一人の男子が叫び声を上げ、地面に倒れこんだのだ。
その男子は、倒れたまま、身体を震わせ、口から泡を吐き、白目を剥いている。
突然倒れた友人の姿を見た男子は、驚き、助けを求めるため、その場を離れた。
…数分後。
その男子は、もう一度、驚くことになる。
公園にいた大人を連れて男子が戻った時。
奇怪な事に、倒れていたはずの男子が、
その場所から、消えていたのだ。
…
…
…
老人が、犬を連れて散歩をしていた。
足腰の弱い老人は、木々が秋の紅葉で赤く染まる遊歩道をゆっくりと歩いていた。
「ワン! ワン!」
突然、老人の持つロープの先に繋がれた犬が、道の外れにある木に向かって吠え出す。
「どうしたんだい、ポチや、珍しく吠え始めて。」
老人の静止も聞かず、犬の鳴き声は、続く。
「あそこに何かあるのかい?」
老人は、犬の吠えた先にゆっくりと向かう。
木の根元に着いた時、先ほどまで五月蝿いほどに吠えていた犬の鳴き声が止んだ。
「ありゃ、今度は急に声を出すのをやめて…。一体どうしたんじゃ?」
鳴き声を止めた犬は、今度は、その場から逃げ出そうとするかのように、老人の持つロープを引っ張る。
「おかしなヤツだな。解ったよ、行こうかね。」
その場から離れようとする老人。
その時、老人は、あるモノを見つけた。
直後、叫び声を上げた老人は、警察を呼んだ。
…老人の見つけたものは、…人の死体と思しきモノだった。
なぜ、『思しきモノ』かというと、
その死体は、右腕、しかなかったからだった。
右腕前腕の中頃から、その腕は切断されていた。
他の部位…体に位置する部分は、見つからない。
現在、身元調査をおこなている最中である。
そして、奇妙な事が一つあった。
…その右腕の切断面が、強力な酸性の液体で、溶けていたのだ…。
つまり、その腕は、切り落とされたのではなく、何者かの手によって、溶かしながら千切られたのだ。
…
…
…
『生物学研究室』
とある大学の、その研究室の扉が開く。
老朽化の進んだ古い扉が、ギイ音を立てた。
開いた扉の隙間から、健康的に浅黒く焼けた肌と筋骨逞しい体格を持つ男性が現れた。
「よう、サクマ。邪魔するぜ。」
「やあ、ツトム。」
ツトムは対照的に、ヒョロリとした色白の男…サクマが返事を返す。
「あ、いらっしゃい、ツトムさん!」
サクマの奥から、白衣を着た小柄の女性が声を上げる。
「今、お茶でも入れますね。」
「ああ、ハルカくん。よろしく頼む。」
「はい、先生。ツトムさん、少しお待たせしますね。」
サクマからハルカと呼ばれた女性は、ツトムに丁寧に頭を下げると、研究室の奥に消えて行った。
「で、用事とはなんだい、ツトム。」
「ああ。ちょっとお前の知恵を借りたくてな。…おい、ヒロシ!」
「はい、先輩!」
研究室に、ヒロシと呼ばれたもう一人の男性が現れる。
「先輩じゃない! 准尉だ!」
「あ、すいませんっす! 先輩!」
「…まあ、いい。資料を出してくれ。」
溜息をつくツトム。
ツトムの溜息を気にすることなく、ヒロシは手に持つ鞄から幾枚かの書類を取り出し、サクマに渡した。
と、そこに3人分のお茶を盆に乗せたハルカが戻ってきた。
「あ、ヒロシさんもいらしてたんですね。すぐにもう一人分、用意します。」
そういって、ハルカは再び奥の間に消える。
「ハルカちゃん、ありがとっす!」
「まったく、お前は…。」
ヒロシの口調に、ツトムはもう一度溜息をつく。
お茶を追加したハルカが戻ってきた。
四人が研究室内の椅子に腰掛ける。
ツトムとハルカと仲良く談笑をする傍ら、ツトムは資料を読み漁るサクマを見つめていた。
ツトムとヒロシは、自衛隊員であり、上司(准尉)と部下の関係である。
今日、二人は、この大学で生物学助教授を担っているサクマに会いに来たのだ。
なぜ軍人であるツトムがサクマを尋ねるかと言うと…
サクマとツトムが学生時代からの旧友という関係でもあるのだが、それ以上の理由として…、
サクマは数年前に起こった、国家を揺るがす大事件…通称『黒い弾丸』事件の真相を突き止め、ツトムと共に自衛隊の迅速な対応を促し、その被害を最低限に抑えた。
その功績を買われ、サクマはその分野の特別アドバイザーとして、本来の研究の傍ら、知識提供という形で自衛隊に協力しているのだった。
基地内にも何度か入り、研究を行わせてもらっている。
資料を読み終え、サクマが顔を上げる。
「…数年前の起こった『黒い弾丸』事件…。
謎の死傷事件から始まった、あの事件のせいで、自然の生態系は大きく崩れた。
…人類の手により、崩された。』
「ああ。なんせ、鳥類を危険な存在だと認定した国が、その駆逐を実行して、その結果、全ての鳥類が絶滅危惧種扱いになったからな。」
「自然の中になる鳥類は、ネズミや虫などの害獣を捕食する。また、動物の死骸を啄ばみ、土に返す役割も持っている。その鳥類が激減した結果…、」
「…疫病が流行り、特に健康管理に乏しい貧困に喘ぐ国がその被害を受けています。」
サクマの言葉の続きを、ハルカが受け継ぐ。
「ああ、ハルカくん。その通りだ。他にも鳥類は植物の受粉を促し、種を離れた各地に運搬する役目も兼ねている。…まあ、植物に関する被害は予想に反してそれほどでもなかったが…、」
「…鳥類がいなくなった自然のダメージは、計り知れない…。でも…。」
「…ハルカくん…。」
サクマがハルカの言葉を止めようとする。だが、ハルカの言葉は続く。
「私は、姉を奪った鳥を、許せません。」
ハルカの姉の名は、ミチル。
『黒い弾丸事件』の、被害者だ。
数年前、ハルカがミチルの無残な亡骸の前で泣きじゃくる姿が、サクマとツトムの脳裏に浮かぶ。
サクマも、自分の胸に手を当てる。
ミチルの形見となったハンカチは、今でもサクマの白衣のポケットの中に、大切にしまわれていた。
「…すみません、大切なお話の最中に私情を挟んで…。」
「いや、いいんだ。話を続けよう。
資料は読まさせてもらった。
つまり、君たちは、こう言いたんんだな。
『原因不明の連続行方不明事件が起きている』
『その事件には、奇妙な類似性がある』
『だが、その真相が解らない』
だから、俺の知恵を借りに来た、という事かな?」
「はい、その通りっす! お願いします!」
「コラ!」
サクマがヒロシの頭を叩いた。
「すまんな、無礼な後輩で。だが、言いたいことは、その通りだ。力を貸してくれないか?」
「…正直なところ、協力はしたくない。なんせ、俺のせいで、空から鳥が、消えたんだ。」
「それは、お前のせいじゃない。ミチルさんを失って傷を負ったのは、ハルカちゃんだけじゃ無いことも、わかっている…。だが…。」
「それだけじゃない。俺は軍部での研究の結果、あの『黒い弾丸事件』の真相を知ってしまった。人類の罪は、…重い。」
「それは…。」
ツトムの顔が曇る。
「だが、この事件が普通じゃ無いことも、資料を見て理解したつもりだ。…強力するよ。」
「すなない、サクマ。ありがとう。」
ツトムは、サクマに深々と頭を下げる。
…
…
ツトムは、サクマに事件の概要を改めて説明する。
ヒロシは、資料による補足を行い、サクマの傍にいるハルカも話に耳を傾ける。
一軒目の事件。
何の前触れもなく、一人の女性が消えた。
疾走する様な要因もなく、家族は捜索願いを出した。
その数日後、女性の私物と思しきアクセサリーが見つかった。
それ以外、女性の痕跡は発見されず、今だに行方不明のまま。
二軒目の事件。
煙草を吸っていた学生が、突然倒れた。
近くにいたもう一人の学生によると、倒れた学生は、全身の痙攣と意識不明な状態が見られ、まるで何かの中毒症状のようだったらしい。
その際、毒物を混入できるような他の人間も、生き物もいなかった。
数分後、学生が大人を連れて戻ると、倒れた学生の姿が、消えていた。
ひと気が少なかったといえ、白昼堂々、数分間目を離した隙に、人間が一人、消えたのだ。
三軒目。
老人が散歩中、腕を発見した。右腕だ。
奇妙な事に、切断面は、何かの酸性の液体で、溶かされていた。
腕の持ち主は、今だに見つかっていない。
その後も、似たような事件が続いている。
周囲に何もなく、近づくものもいないのに、人が突然意識を失う。
急死することもあれば、身体中を痙攣させながら意識を失うこともある。
そして、僅かな時間目を離した隙に、その人物は跡形もなく姿を消すんだ。
死体が見つからないから、突然の昏倒の理由も解らない。
そんな事件が、何件も続いている。
…
…
ツトムの説明が終わった。
「もしかしたら、この事件も、『黒い弾丸事件』と同じく、何か人外の生物によるものじゃないと考えられ、サクマに助言を貰いに来たんだ。どうだ? 何かの思う所はあるか?」
サクマの代わりに、ハルカが口を開いた。
「まるで毒物を混入されたような中毒症状、
でも、その毒物を注入したような生物の目撃情報は、無い。
そして、人間を跡形もなく消せる、
もしくは攫えるほどの力を持ち、
それでいて、近くにいた人が気付かない程の隠密性、
まさか、透明な生物?
人を攫えるほどの巨体の?
しかも、陸上で?
それが何度も起こっている?
…確かに、クラゲのような半透明な生物はいます。
けれど、あれは筋肉組織を然程必要としない水中であり、かつ小型だから持てる特性です。
陸上では、絶対にあり得ません。
自然の生物が、どれほど進化しようとも、
そんな特性を持つ生物は、
あり得ません!」
サクマに代わり、ハルカが断言した。
「…そうだよな。俺にも、想像がつかない。」
ハルカの言葉に、溜息を漏らすツトム。
「いや、毒性を持つ生物は数多く存在するし、その毒をまるで飛び道具のように扱える生物は、存在している。」
サクマの言葉に、ハルカは、
「自然界に、飛び道具を持つ生物がいるんですか?」
「ああ。しかも、割と有名な生物だ。」
「そうなんですか…。」
肩を落とすハルカ。
「じゃあ、その生物が、また異常な進化を遂げて…、」
興奮するツトムの言葉を、サクマが遮る。
「いや、今ハルカ君が述べた通り、その特性全て兼ね備えた生物など、存在しない。
特に、『透明』という要素は、かなり希少だ。やはり、
…あり得ない。」
…
…
…
数日後、新たな事件が大学を訪れたツトム達からサクマに伝えられた。
被害者には申し訳ないが、運良く、突然昏倒した人の遺体を確保できたのだ。
発見者が、二人一組で巡回に回っていた警察官であったことが幸いした。
一名の警官が応援を呼びに行った間、もう一名の警察官が見張りに立ち、周囲を警戒していたのだ。
その話を聞いた時、サクマの脳裏に嫌な予感が走った。
…まるで、『見つからないように』しているようだったからだ。
それは、何かの目的意識が働いてるかのようであり、または機会をまっているかのようでもあるような、不気味な感覚をサクマは覚えた。
「で、その遺体から発見された毒物なんだがな。コノトキシンという毒物だった。」
「コトノキシン…。神経の様々な機能を阻害するα、δ、k、μ、ωコノトキシンの総称で、神経阻害薬のカクテルと呼ばれている程の猛毒だ。」
「さすが。で…」
「…いくつだ?」
「え?」
「どれぐらいの量が、注入されていたんだ?」
「え、っと、はっきりしないが、おそらく僅か1㎎/kgだ。」
「僅かだと! 馬鹿な! コノトキシンの致死量は0.013㎎/kgだぞ! その百倍近い量を体内に注射されたら、絶対に助からない。しかも、この毒には、血清も存在しない。」
サクマが声を荒たげる。
「なん…だと…。」
「だが、コノトキシンを持つ生物は少ない。これで、この事件の真相に近づいた。」
「本当か?」
「ああ。だが…、だが、もう二つ、解らないことがある。これが解らなければ、事件の真相は掴めない。」
「ハルカちゃんが言っていた、『透明』という要素か?」
「ああ。現場を捜索しても、毒の持ち主は発見されなかったんだろ? 」
ツトムは頷く。
「そうだろう。そして、もう一つの問題は、…機動力だ。」
「機動力?」
「このコノトキシンを持つ生物の大半は、圧倒的に移動速度が遅いんだ。毒を注入する瞬間、目撃されないはずが無いんだ…。」
…
…
行き詰まったサクマとツトムの二人は、研究室から離れ、学内の庭を歩く。
ふと、コンクリートで固められた道から外れた場所で、ヒロシとハルカが古びた灯油缶を使って焚き火をしていた。
「何をしてるんだい?」
「あ、先生、廃棄する資料を焼いているんです。」
「それにしては、枝とか葉っぱとか入ってるな?」
「ついでに、芋でも焼こうかと。」
ヒロシが答える。
「もう、ヒロシさん、言わないでよ…。」
「先生も食べますか? 芋。」
サクマは、顔をしかめる。
「芋か…。今日はやめとくよ。」
「嫌いでしたっけ?」
「うん? まあ、気分的な問題だ。」
そう言いながら、サクマは、気無しに灯油缶の炎を見つめた。
…灯油缶から、橙赤や橙緑色をした炎が、ユラリと見え隠れする。
その瞬間。
まさか、
あり得ない!
サクマは、呆然とした。
…真相が解ったのだ。
一連の事件を起こした、ある生物の正体を。
サクマは、ツトムに告げる。
「…見せたいものがある。」
サクマは3人をいざない、研究室に向かった。
研究室に向かいながら、サクマは三人に言う。
「なるべく静かに…ついて来てくれ。」
と。
…
…
「今から、一連の行方不明・毒殺事件に関わる生物の正体を見せる。」
そう言って、サクマは映像を流した。
映像の中で、
大きさ大体10~20cm前後の貝が映し出された。
貝殻の形は分銅を横にしたような円錐型の形状で、螺塔があまりない。
美しい紋様が貝の表面に刻まれている。
「先生、これは…?」
「イモガイ科のうちのイモガイ亜科の貝類の総称、
もしくはイモガイ上科のうち“イモガイ型”の貝殻をもつ貝類の総称。
別名ミナシガイ(身無貝)。
…イモガイだ。」
「イモ…ガイ。」
「これから、イモガイの特性たる捕食のシーンを流す。」
映像を流しながら、サクマはイモガイの生態について解説する。
「イモガイは、
移動速度は極めて遅く、カタツムリが地面を這うようにゆっくりとしか進むことができない。
普段は岩場に隠れたり、砂の中に潜ったりして、獲物を待ち伏せする狩りのスタイルをとっている。
口の中には吻があり、自分の体長と同じぐらいの長さまで伸ばすことができる。
その先端には毒を含んだ銛のような武器を持っている。
イモガイはこれを獲物に向けて飛び道具にように突き刺し、
毒を送り込んだ上で獲物を引き寄せる。
そして大きな口で丸呑みにする。」
映像では、待ち伏せするイモガイが、
目の前を通る魚に向けて吻を突き出し、猛毒の銛…コノトキシンの銛を突き刺す姿が映し出される。
硬い鱗を軽々と貫き、魚の胴体に文字通り風穴が空く。
銛を戻しながら獲物を引き寄せるイモガイ。
直後、イモガイの甲羅が上下に開き、本体である軟体の生物が姿を表す。
本体が、チューブの様な口を伸ばす。
そして、自分と同じほどの身の丈を持つ魚に向かって、そのチューブの先が花の様に開く。
開いたチューブが、魚を丸呑みする。
驚く程の速度で、魚の体がチューブの中に消えていく。
その中で、獲物となる生物は、ゆっくりと、溶かされ、食べられる。
…
映像が終わる。
人体からかけ離れた海生の生物の怖気を催すような捕食の光景に、3人は息を飲んだ。
「この生物が、陸上生物を飲み込む程の巨体を有したら、どうなる?」
再度息を飲む3人。
「こいつが、
毒物を混入されたような中毒症状を引き起こし、
丸呑みという捕食行動で人間を跡形もなく消し去る、
世界で最も強力な攻撃力と強固な外郭を兼ね備えた、
一連の事件に関わる生物だ。」
…
「で、でも先生。か、仮に、この…イモガイが巨大化したとしたって、透明になるなんて、貝類ができるはずありません!」
ハルカが叫ぶ。
「そ、そうだ。それに、言ってたじゃないか、こいつらは、機動力がカタツムリ並みだって!」
「そうすっよ、先生。こんな鈍重な奴らが人知れず人間様の社会に紛れ込めるはずがないっすよ!」
「そう、その通りだ。そこが問題であり、もっとも警戒すべきことなんだ。」
「? どういうことだ?」
「『見えていたけど、見えていなかった』ということだ。」
「ますますわからねえよ!」
「…こいつらは、『擬態』してるんだ。」
「擬態?」
声を上げるヒロシ。
ハルカが擬態について解説する。
擬態とは、
小さな動物や虫類が、攻撃や自衛などのために、からだの色や形などを、周囲の物や植物・動物に似せること。カメレオンやカエルの保護色などが代表的だろう。
「だ、だが、その…イモガイは、何に擬態しているんだ? もともと擬態ってのは、力の弱い生物が行うものだろ?
仮に巨大な貝類が擬態するにしたって、それでも、奴らの姿は目立つはずだ。」
「そう、それが問題なんだ。」
「え?」
「俺の予想が当たっているなら、これは、擬態なんてレベルのものじゃない。恐ろしいことになっている。」
…
…
ツトム、お前も知っているだろう?
数年前に起きた『黒い弾丸事件』で発生した生物は、あの『鳥』は、
人類が引き起こしたものだと。
あの『鳥』達を創り上げたのは、
遺伝子を弄くり、操作し、
品種改良をしたのは、
軍の秘密研究の結果だったと。
だが、今からおよそ30年前、1991年。研究は頓挫した。
世界でクローン実験が発表され、形となり、規制が強まり、
生物兵器を作る計画は頓挫した。
その時、研究を秘密裏に抹消しようとした研究員は、
品種改良された『鳥』を、世に放ってしまった。
数年前、数を増やした『群』がこの国に来たのは、偶然じゃ無い。
帰省本能だったんだ。
だが、俺はその研究の足跡を追ううちに、
もう一つの実験の存在を知ってしまった。
それは、
『異種交配』だ。
人類は、自然の様々な生物を、
人の都合で、我儘で、掛け合わせて来た。
ライオンとトラの混合種、ライガー。
ヤクと牛の混合種、Dzo。
ヤギと羊の混合種、ギープ。
全ては、膨大な生物実験の成果だ。
そして、
人は遺伝子にも、その実験のメスを入れた。
そのメスで、自然本来なら交配など不可能な筈の生物同士を異種交配させた。
強固な外郭を持ち、最強の毒の銛を持つ、生物界の戦車と呼ばれるイモガイと、ある種の生物の混合種を生み出した。
…しかし、この混合種…ハイブリット生物も、例の『鳥』と一緒に廃棄された。
最悪だったのは、
その『鳥』が、皮肉にも自然界での自身の役割を全うし、
ハイブリット生物の『種子』を、文字通り世界中にばら撒いてしまった可能性があることだ。
…
…
「『種子』…。まさか、そのハイブリッド生物の正体は…。」
「そう。『植物』だ。それも、繁殖力を強化された、な。」
「植物とイモガイの混合種…。」
「周りを見てみろ。俺達は、いや、世界は、植物に囲まれている。
当たり前すぎて、見えていなかった。」
「そんな…。」
「恐らく、地面の下に巨大な本体がいるんだ。
普段は、どこにでもあるような草木に擬態して、
木々の隙間から、
草葉の陰から、
奴らは吻を出し、
毒の銛を飛ばす。
人を毒殺した後、
巨大なチューブを地面から出して、
人を捕食する。
捕食された人間は、
地面の中で溶かされ、吸収され、
見つからない。
それが、一連の事件の生物の、真の正体だ。
だが、真に恐ろしいのは、そこではない。
恐ろしいのは、奴らには、植物の特性があることだ。」
…
どこにでもある植物。
捜索でも発見できない程の擬態性能。
それはそうだ。奴らは植物そのものなのだから。
見分けがつく筈がない。
そう、どこに潜んでいるのか把握できないということだ。
種子は世界にばら撒かれた。
世界には、1ヶ月で10m伸びる植物もある。
芽を出す際には、コンクリートすら砕くパワーを持つ。
大地は、巨木が巡らした根っこで支えられている。
30年間の間、どれほどの規模で、奴らが根を張り巡らしているか、解らないんだ。
しかも、だ。
奴らは、酸素を生み出す。生物が生きるのに必要な空気の循環を作り出す。
花を咲かせ、実を設け、生物の貴重な栄養源にもなっている。
それら全ての植物が、
人類に仇なす敵だとしたら…。
遺伝子に刻まれたイモガイの捕食性を最大限に発揮させ、獲物を狙うかのように人類を高純度の栄養源だと認識したら。
世界は、
人類は、
どうなる?
…
…
「…そんな荒唐無稽な話、信じらんねえっすよ…。それに、軍がそんな事をしてたなんて…。」
ヒロシが呟く。
「いや、そのハイブリッド生物が存在する証拠は、あるんだ。」
サクマは返事を返す。
「さっき、ハルカ君と焚き火をやっていただろ?」
「おう。」
「その時の炎の色を覚えているか?」
「え?」
「橙赤とか、橙緑色だった…。」
代わりにハルカが答える。
「! まさか…。炎色反応…。」
「気付いたか。貝類の殻はチキン質だ。カルシウムを多分に含む。」
「…カルシウムは燃焼させると、橙赤や橙緑の炎が発生する。」
「そう。君達が燃やした木々や葉の中にはチキン質が含まれているということだ。」
「じゃ、じゃあ、」
…
…
music:6
その時。
窓の外がざわめいた。
草木が音を立てて揺れる。
その瞬間。
バリン!!
窓が割れる。
窓の先には、校舎に隣接する木があった。
その木の枝が、まるでウネウネと蛇の如く蠢いていた。
嫌な予感が的中した。
ここはもう、奴らの巣窟だったのだ。
「逃げるぞ!」
そう言いながら、電話を手にする。
緊急時のツトムの行動は早い。
「ヘリコプターを呼んだ。ここから避難するぞ!」
「本校舎の屋上なら、ヘリコプターを降ろすスペースがある。」
「わかった。そこまで行くぞ!」
四人は、研究室棟の外に出る。
そこには、阿鼻叫喚の光景があった。
庭中の木々が枝をくねらせ、獲物を飲み込もうと蠢いている。
逃げ惑う人々が、毒の銛を受け、倒れこむ。
彼らはもう助からない。
枝に扮した吻が、生徒を飲み込む。
芝生の上で、血だらけの生徒が転がっている。
よく見れば、芝生の草は、ナイフのようにささくれ立っている。
触れれば足を割かれる程に。
芝生の下の地面が動き、背中に芝生を埋め込んだような奇妙な貝が大量に現れた。
そして芝生の上に倒れる生徒に向かって行った。
校舎の壁に絡まる蔦が動き始める。
そして、鞭のようにしなる蔦は、人を捉え、壁に縛り付ける。
縛り付けられた人間の首に蔓が巻きつき、意識を奪う。
ヒロシは、胸元から拳銃を取り出した。
「奴らの硬い外郭には、銃弾は通じない。狙うなら吻か本体だ!」
ヒロシが頷く。
「木には近づくな! アスファルトの部分を通るぞ!」
サクマの指示で、4人は、アスファルトの上を駆ける。
本校舎まで、あと少しだ。
突然、アスファルトが盛り上がる。
地面の下で、何か巨大なモノが蠢いているのだ。
ハルカが躓き、地面に倒れる。
幸い、アスファルトの上だ。芝生ではない。
木の枝が、ハルカに迫る。
「危ないっす!」
ヒロシがハルカの前に躍り出る。
そして、拳銃を構え、吻に向けて発砲する。
チキン質の外郭には効かないが、枝に擬態する吻には効果があったようだ。
「早く立つっす!」
「あ、ありがとうございます!」
その瞬間。
ヒロシの足に、蔦が絡みついた。
「ヒロシさん!」
「俺の事はいいから、早くに逃げるっす!」
ヒロシはハルカを、ツトムに向かって押し出す。
「馬鹿野郎! 置いて行けるか!」
その時。4人の後方の地面が盛り上がり、巨大な貝殻が姿を見せる。
そして、枝に扮した吻を巧みに操りながら、ヒロシに迫る。
「ダメっす。准尉、早く行って下さい!」
貝殻の口が大きく開く。
中には、おぞましい程巨大な軟体の生物が蠢いている。
ヒロシは、その本体に銃を向ける。
「俺達のせいで、ハルカちゃんは、お姉さんを失ったんです! だから、ハルカちゃんだけは、助けなきゃ行けないんです。だから、行って下さい!」
ヒロシの両足に、蔦が絡みつく。
「馬鹿野郎! こんな時だけ、真面目になるんじゃねえ!」
ツトムが叫ぶ。
ヒロシの打ち込んだ銃弾で、本体が怯む。
だが、怯んだのは一瞬だった。
すぐに体勢を直し、ヒロシに迫る本体。巨大なチューブの先が開く。
「ヒロシさん!!」
ツトムは、ハルカの手を取った。
「逃げるぞ。」
「で、でも、ヒロシさんが!」
「逃げるんだ!」
唇を噛み締めながらツトムは、ハルカの手を強引に引っ張り、本校舎を目指した。
…
…
…
…
music:5
…
…
…
…
ローター音を上げながら、空を進むヘリコプター。
奴らも、空までは追ってこない。
ヘリの中で、
ハルカが泣いている。
その姿を見つめるツトムの表情は硬い。
ツトムが、ボソリと呟いた。
「根絶やしにしてやる。」
小さな呟きだったが、その言葉には、固い決意と、そして憎悪が篭っていた。
だが。
奴らを根絶やしにした先には、どんな世界が待っているのだろうか?
ヘリから見下ろすと、町中の至る所から火の手が上がっている。
町中に、いや、世界中で、奴らが動き始めたのだ。
奴らは恐らく、『待っていた』。
世界に、奴らが満ちるのを。
文字通り、根を張るのを。
そして、捕食性という生存本能を大義名分に、人類を襲い始めた。
…
…
…
…
…
…
…
人類は、人に仇なす『鳥』を、絶滅に追い込んだ。
結果、人類は救われた。
…そして、次は、植物を絶滅させるのか?
植物は、大地あるところ、必ず存在しているんだ。
それを滅ぼして、根絶やしにして、
その世界で、人は生きていけるのか?
それを勝利と言えるのか?
生存したと言えるのか?
サクマの足の底に、ヘリの振動が響く。
今、俺は空にいる。
けど、いつか地面に降りなければならない。
人は空では生きられない。
海底でも生きられない。
俺達は、大地なくして、生きられないのだ。
…
サクマは、ヘリの窓から外を眺める。
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見渡す限りに広がる大地。
夕日に照らし出された遥か彼方の地平線。
地球の総面積509,949,000km²。
509,949,000km²全ての大地が、
人類の、
敵、
なのか?
作者yuki
『1.25 million species』の続編です。