中学の時、《屋上先生》と呼ばれている教師が居た。
名前の由来は、ヘビースモーカーで、何時も屋上に居るから。其のままで、捻りの欠片も無い。
然し、其の気さくな人柄と懐の広さから、生徒からは大層慕われていた。
彼は、僕が所属していた美術部の顧問だった。
・・・が、僕は其の頃、中学生活を如何に淡々と終わらせるかに全力を掛けていたので、人気者で、何時も誰彼と楽し気に話をしている先生とは、全くと言っていい程に関わりが無かった。
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二年生の夏休みが始まってから数日後。
僕は一学期中に終わらなかった絵を仕上げる為、学校に来ていた。
同じ様な境遇の人は案外多いが、僕の場合は、授業で終わらなかった物と部活動で終わらなかった物の二枚+美術部夏休みの特別課題なので、三枚の絵を描かなくてはならない。
通常課題のポスターも加えると、計四枚。
僕はかなり焦っていた。
元々、文化部が吹奏楽部と美術部の二択だったから、消去法で此の部に入ったのだ。
絵を描くのは好きでも得意でも速くもない。なのに、此の量。最早拷問とも言えるだろう。
気長に描こうにも、友人と遊ぶ予定がギッシリだ。出来るだけ早く終わらせてしまいたい。
もう残っている宿題は、此の絵達だけなのだ。
グイグイと筆を動かしながら、僕は大きな溜め息を吐いた。
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ふと気付くと、他の生徒が居なくなっていた。
時計を見ると、午後の一時半だった。
成る程、居残りは午前中だけなので、皆帰ってしまったのだろう。
静かな教室。外を見ても、誰も居ない。
何時も、音が溢れている学校が、其の時は完全な無音だった。呼吸をする事さえ躊躇う様な、そんな静けさだった。
「・・・お昼、食べよう。」
何だか怖くなったので、無理矢理声を出した。
リュックからコンビニの袋を取り出すのも、わざと大きな音を立てた。
ガサガサとした音が、静まり返る教室に木霊する。
「頂きます。」
僕は何時もより大きく口を開けて、乱暴にセロファンを剥いたサンドイッチを押し込んだ。
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「うわ、まだ残ってる奴、居たのか。」
僕がサンドイッチを頬張った数秒後、ガラガラと言う音と共に静寂が破られた。
「確か居残りって午前だけ・・・だったよな?」
美術室の管理を担当している、屋上先生だった。
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口一杯のサンドイッチで、話す事が出来ない。
当たり前だ。無理矢理まるごと押し込んだのだから。僕は激しく後悔をした。
「・・・えーと、紺野、だったか?」
必死にサンドイッチを咀嚼している僕に、先生は困り顔で問い掛ける。驚くべき事に、彼は僕の名前を知っているらしい。
ゴクリ、と無理矢理口の中の物を飲み下し、僕は蚊の鳴く様な声で
「はい。」
と答えた。
「どうして僕の名前を?」
続けて聞くと、先生はもう一度困った顔になり、ポリポリと頬を掻いた。
「どうしてって・・・お前、美術部だろ。」
「はい。」
「自分が顧問やってる部の部員位、流石に覚えてるよ。」
そんな物かと納得していると、先生は指先の鍵を器用にクルクルと回しながら、僕に言った。
「此処も鍵を閉めるから、屋上行かないか?流石に道端とか職員室で食わせるのも何だしな。」
ほら、屋上で昼飯って、中学校じゃ滅多に出来ないだろ。
「・・・・・・はぁ。」
断る理由も特に無かったので、僕は小さく頷いた。
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照り付ける陽射しを遮る為か、屋上にはパラソルと、小さなテーブルが設置されていた。
「其処座っていいぞ。」
「先生はいいんですか?」
「生徒熱中症にする訳には行かないからな。日陰に居るから大丈夫だろ。」
「・・・どうもありがとうございます。」
礼を言い、残ったサンドイッチを黙々と食べた。
時折吹き抜ける風が心地好い。
僕がぼんやりとしていると、先生が唐突に話し掛けて来た。
「紺野って、友達居るか?」
「・・・・・・え?」
剰りにもストレートな問だった。
先生は何でもない様な顔をしていた。
「ほら、特定の奴と一緒に居る所、見た事無いからさ。孤独な感じでは無いから、そう心配もしてないんだけどさ。」
僕は些か緊張しながら答えた。
「此の学校には、居ませんね。友人は基本的に○○中学に行っているので。」
先生はニヤリと笑った。
「やっぱりな。他の学校の生徒でちゃんと仲良くい奴居るんだろ。いやー、良かった良かった。」
「・・・それにしても、どうして、そんな事を聞くんです?」
先生は小さく欠伸をすると、人差し指をピンと立てた。
「ほら、学年主任の田辺先生、居るだろ。それとなく聞く様に頼まれてたんだ。大層お前の事を心配してたぞ。何やらかしたんだよ。」
心配?心当たりが全く無い。
「いえ、特には何も・・・。何なんでしょう。」
僕が首を捻ると、先生は少しだけ笑い声を上げた。
「まぁ、そう言う事なら良いんだけどな。まぁ、ピリピリしてんだろ。先例みたいになった面倒だからな。」
「先例?」
「ああ、此の学校、昔、此処から飛び降りた奴が居たんだよ。つっても、俺の同級生何だけどな。そいつ。」
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・・・・・・・・・。
お前に少しだけ似ててな、やっぱり、特定の友人を作らずに、浅く広く周りと付き合ってた奴だったよ。
まぁ、其の中でも俺は結構仲良くやってた方だったんだけどな。
ほら、彼処の角あるだろ。彼処から飛び降りたんだ。
飛び降りる直前に自分で自分の写真を撮って、其のカメラを地面に置いてな。
今お前が此処に滅多に来られないのは、そんな事が有ったからでな。とばっちり、って訳だ。
・・・理由?
其れが無いんだよ。
《急に飛び込みたくなりました。》って殴り書きされたノートが、カメラの直ぐ横に置いてあったんだけどな。
其れでも、其れじゃ理由として不十分だって、周りは随分と騒いだ。
けど、結局見付からなかった。
写真もさ、見せて貰ったんだけど、すげえ笑顔で、空いてる片手でピースとかしてんの。
本当、全然辛そうな感じじゃなくて。其れこそ、どっか遊びに来た時に撮ったみたいな感じで。
本当に楽しそうだった。
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「だから・・・まぁ、あれだ。」
「同じ事にならないか、心配って事ですか?馬鹿げてますよ。」
「そう・・・だよなぁ。俺もそう思う。」
僕が憤慨すると、先生は困った様に笑った。
そして、何処か遠い目をして、呟く様に言う。
「それに、彼奴が死んだのは理由がどうとかじゃないんだよ。」
「・・・・・・知ってるんですか?」
先生は此方をチラリと見て、
「・・・ヤバいな。口が滑った。一応話すけど、此れ、クラスの奴等には言うなよ。不気味がられるからな。」
と頬を掻き、口を開いた。
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「言っただろ。俺、そいつと結構仲良かったって。最後に撮った写真も見せて貰ったって。」
先生の顔から笑いが消える。
「・・・肩にな、白い手が沢山巻き付いてたんだよ。まるで骨の無い様な、細くて、ぐにゃぐにゃした手が、何本もな。まるで、沢山の蛇みたいに。」
「其れって・・・・・・!」
「何なのかは解らない。ただ・・・。高い所とか線路とか道路の車道・・・。危ない所に、思わず飛び込んでしまいたくなる事って、有るだろ。・・・・・・あれはきっと、彼奴等が引っ張ってるからなんだろうなぁ。」
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きっと、彼奴等は何処にでも居て、何時だって、俺達を引き摺り込もうとチャンスを狙ってるに違い無いんだよ。
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ガチャ
屋上を囲むフェンスが、突然大きな音を立てた。
風の音だと思おうとしたが、風はとうの昔に止んでいた。
「ほら。来て欲しい来て欲しい、ってな。」
先生が、ニヤリと笑った。
作者紺野-2