実体験①~かえらなきゃ~

長編15
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実体験①~かえらなきゃ~

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私が小学校に上がる前の話です。

その頃の私は酷く病弱で、高い熱と嘔吐を頻繁に繰返していました。

吐くものがなく、胃液を吐き続けることもあり、今までで出した最高記録は40.7℃。

処方された薬を飲んだ直後に吐き続ける事も多々。

点滴もワクチンの注射も慣れてしまい、まだ幼稚園児だというのに全く注射を怖がらなくなり、お医者様にはよく驚かれました。

――……そのときも、私は高熱を出していました。

夜中の両親が疲れて寝てしまった後に急激に体調が悪化したのを、うっすらと覚えています。

寝苦しくて目が覚めたのに、指一本動かす事すら億劫なくらい体が重くて重くて仕方ありませんでした。

隣のリビングは明かりがついていて襖が半開きでした。私の様子が見えるようにです。

ですが、起きているつもりだったであろう父は椅子に座ったまま寝てしまっていて、母も私から少し離れたところで熟睡しているようでした。

力を振り絞って呼んでみるのですが、二人とも疲れているのかなかなか起きてくれません。

声も囁くような声しかだせません。

なんとか伸ばした手もぎりぎり届かず、私には体をずらす体力も残っていませんでした。

その頃の私は体を壊す度に、

二口三口何か口にすれば食べたものを全部吐き、

吐いた衝動が治まらずに暫く胃液を吐いたり空吐きを繰り返していたのですから、

栄養がとれず、更に脱水に近い症状も起こしていたのでしょう。

当たり前と言えば当たり前でした。

十数分ほど頑張りましたが、

声をかける元気もなくなり、

半分意識を失うようにして眠りに落ちました……

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――……夢を、見ました。

目を開けると、近くの川の脇にある道路でした。

通っていた幼稚園の脇でもあります。

月だけがやたら明るく青白く存在している以外、

道路を走る車無ければ、

街灯もなく、

民家に電気もついていません。

自動販売機すら、あるはずの所にはありませんでした。

……確かに幼稚園の前の道を少し登ったあたりにある筈なのに。

私は、怖いとは思いませんでしたが、不安になりました。

幼稚園から自宅まで約1.2km。

今でこそ歩いて帰れる距離ですが、幼稚園にはいつも両親が送り迎えをしてくれていたので、自分で帰る道が解らなかったのです。

迷った時は交番か、近くのお店で電話を借りて、自宅にかけること。

当時はピッチや携帯電話も有りませんでしたから、

自宅の電話番号が唯一の連絡手段で、

これだけはしっかりと覚えさせられていました。

閉まっている幼稚園の入り口を起点に、右に左にうろうろしながら交番か、扉の空いているお店を探します。

だけれど、ない。

交番は探すに遠いし、お店もやっていません。

怒られるのを覚悟で、民家のドアホンを鳴らそうとするも、殆どが手の届かない位置にある。

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ジャンプしてやっと届いたドアホンも、カチリと音がするだけで鳴らない。

暫く歩き回ってどうにもならないと悟ると、幼稚園の前まで戻って来ました。

これ以上動き回っていると、幼稚園の場所すら解らなくなりそうで、そうなったら今度こそどうしたらいいか解りません。

それなら誰かが通りかかるまで、或いは両親が探しに来るまでここでじっとしていよう。

そう思って、幼稚園の前にしゃがんで待っていることにしました。

不思議と、悲しかったり寂しかったりという感情はあまり有りませんでした。

これまでにも迷子になる夢を見て悲しくて泣いて自分の泣き声で起きることもあったはずなのですが、このときは周りが馴染み深い景色だったので安心感があったのかもしれません。

ただ、途方にくれて困り果てていました。

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「どうしたの?迷子?」

私の右斜め上から突如声がしました。

幼稚園の目の前にある小さな広場(小さな滑り台と砂場しかない狭い広場でした)を眺めながら、そう言えばいつも幼稚園の中で遊んでるからあそこで遊ばないなぁなんてぼんやり考えていた時でした。

ちょうど、5つ年上の従兄弟のユウキお兄ちゃんに似た声に聞こえて、

私はてっきりユウキお兄ちゃんが来たのかと思い、勢いよく見上げました。

同じ市内とはいえ、すんでいる場所は電車の駅ひとつ分以上離れていますから、

まさかユウキお兄ちゃんが来るとは思っていなくて吃驚したのです。

ですが見上げた先にいたのは、お兄ちゃんよりも少し背の低い男の子でした。

月が明るいとはいえ夜ですから、

顔はよく見えませんでした。

けれどにこにこしてるのは半分照らされて見えましたから、ほっとして頷きました。

「名前は?おうちわかる?」

「なまえ……●●●●●●です!おうちわかんない……◆◆◆ようちえんのね、バラぐみさん!」

いつも親戚とかにあいさつしている感じでした。

男の子は「●●ちゃん、よろしくね」と言いながら頭を撫でてくれました。

「どうしてここにいたの?」

「まよったら、おまわりさんか、おみせやさんに、電話かしてください、するの。

えっとね、XX-XXXX(当時6桁の番号)」

「ふぅん、そうなんだ」

「でも、おまわりさんいないしー……

おみせだれもいないしー……

そこのおうちとね、あっちのおうち、ピンポンしたよ。

でもならないの……なんでかなぁ?」

「だからここにいたの?」

「うん。ママ迎えに来るもん。いつもここだもん」

蛇足ですが、知らない人に電話番号を教えちゃいけないことも、両親は教えるべきだったと思います。

それと別に母は機械じゃないし自動的に午後2時に迎えに来る訳では無かったのに、

居ればその時間に迎えに来ると思ってました。

迷わない、という点で間違いではないのでしょうが……

男の子は「へぇ、そっかぁ」と興味なさそうな声で言いました。

「でも、みんな別のとこに集まってたの、見たよ」

「えっ!?」

「みんなそこにいるよ。

だからここは誰も居ないんだよ」

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ショックでした。

私が四苦八苦しながら皆を探している時には、皆は別の場所に集まっていたのです。

思い当たるのは両親と、同じ幼稚園の子達とその親。

幼稚園の遠足行事でも、大好きな虫を追いかけて迷子になりかけた私です。

ただでさえ鈍臭い私は、男の子達から邪魔扱いされることも多く、

居なくなっても男の子達が心配して先生に私が居なくなったと知らせたりはしません。

置いていかれた、と焦りました。

何せ、自分が勝手に遅れたせいでみんなに迷惑をかけたことがあるのです。

また怒られる!

とここで初めて涙目になりました。

「つ、つれてってあげるから!

ね?

泣かない泣かない!」

男の子は、いきなり私が泣きそうになったので焦ったようでした。

ですが、

つれていってくれる、

という言葉に私の涙はすぐに引っ込みました。

目の前の男の子は、

泣き虫のユウキお兄ちゃんよりずっと頼もしく、

同じ組の男の子みたいに意地悪をしません。

すごく、安心したのです。

「……いこっか?くる?……それともここにいる?」

「いく!」

もう、不安はありませんでした。

だって男の子に付いていけば、きっと両親にも友達にも会えるのです。

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男の子と手を繋いで男の子に案内されながら進みました。

通ったことの無い道を通りながら、男の子に名前を尋ねました。

ですが、答えてくれませんでした。

「おにいちゃん、って呼んで良いよ。

ぼく、今日から●●ちゃんのおにいちゃんになる!」

「ほんと!?あのね、あのね、●●ね、

いちばんおねえちゃんでね、

おねえちゃんもおにいちゃんもいないからね、

ずっとほしかったの!」

長女だから無理だ、と言われた"お兄ちゃん"が出来た!とおおはしゃぎでした。

そこから先は、とりとめの無いことばかり話していたのでよくは覚えていません。

「●●ちゃん好きな子いる?」

「※※※くん!かっこいいから!」

「そう、どこがかっこいい?」

「えっとねー、かっこいいとことー、サッカーじょうずなとことー、あと●●にいじわるいわないとことー……」

みたいな感じだったと思います。

暫くそんなふうにして歩くと、奇妙な場所に着きました。

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正確には見覚えのある景色の筈なのに、変な感じに変わっている場所でした。

川沿いに沿って歩くと、陸橋を潜るような場所があります。

陸橋は大きな川を横断しています。

陸橋の上は線路が走っており、歩行者は陸橋の下を通って反対側に行けるようになっています。

……いえ……なっている、筈でした。

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着いた場所の陸橋は、川に差し掛かった辺りで、ぱっくりとなくなっていました。

川は……よく見えません。

夜なので、真っ黒です。

下を潜る筈の道にも、草木が生い茂って通れなくなっています。

その草木は民家側にも見られ、

進行方向右前全体が草木に覆われているようでした。

月は出ていて明るいのですが、

草木は影になっていて、よく見えません。

足元の近くからは椿に似たまるっこい葉もあれば、

蔦も絡み、

すすきやどくだみなんかが生えているのが確認できました。

「いきどまりだよ?」

「秘密基地だから、かくさないと」

秘密基地、という言葉に心が踊ります。

"お兄ちゃん"は陸橋下を潜る道に私を連れていきました。

そして、少しだけ何かを探す仕種をして、草を掻き分けて進み始めました。

程無く

「ここだ。しゃがんで、そのままついてきて」

と声が聞こえたので、

私はしゃがんで"お兄ちゃん"の手を頼りに進みました。

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ふと、草の感覚がなくなって、私の足音が私の周りに響くようになりました。

どうやら、土管の中のような場所を進んでいるようでした。

"お兄ちゃん"の肩越しに、明かりが見えました。

「ついたよ」と声が聞こえて、土管から出ると、そこは公園でした。

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見たことのない公園です。

幼稚園の目の前の公園よりは広いですが、幼稚園の遊技場よりは狭い。

自宅近くの公園と同じくらいの大きさですが、遊具がブランコしかない。

それに、張りぼての草木やトタンや材木でぐるりと囲まれていて、公園の外に何があるのか見えません。

そこで、たくさんの子どもが遊んでいます。

花いちもんめをしている集団、

ブランコをしている集団、

鬼ごっこをしている集団がいました。

誰も彼もが知らない子ばかりで、

バラ組の子や隣のユリ組の子や

子供会で会う近所の子を目で探すのですが、

誰一人いません。

そして、大人は誰も居ませんでした。

皆いる、と言ったのに。

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「パパとママは?いないよ?」

「遅れてるんだよ」

なんだ、遅れているのか。

納得しました。

「待ってる間、遊んでいようよ!」

「ねーねー!何してるのー?」

「あたしたちこれからかくれんぼするの!

いっしょにやらない?」

遊んでいた子達が話しかけてきました。

相変わらず逆光で顔はよく解りませんでしたが、

すごく楽しそうな声です。

まぁ、そっか。

遊んで待ってれば、その内両親も来るだろう。

そう思い、私はかくれんぼに参加しました。

かくれんぼをしている最中、

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私はいくつかの事に違和感を覚えました。

まず、この公園の周りには

何故かテントのように布が張り巡らされているのです。

布のはりかたは小さなサーカスのようですが、

所々破けて植物の葉やトタンが剥き出しになっています。

触れると植物の葉の感触があったり、

板のような感触があったり、

破けた所から立て掛けた板とコンクリート壁の隙間が見えたりしています。

布がかかっているなら、光源は月ではない筈です。

ですが、ライトなのか月なのかを確認しようと見上げると、目が眩みます。

何となくまるっこい光源であることは理解できるのですが、

見上げるとくらくらして前のめりに倒れてしまい、

うまく顔があげられませんでした。

それから、

私達が入ってきた場所以外に土管は見当たらないのに、

子どもが入れ替わっているのです。

最初に鬼ごっこをしていた男の子の集団がいなくなっていて、

女の子の集団が大縄跳びを始めています。

来たばかりの時は男の子がたくさんいたのに、

気付いたら男の子は"お兄ちゃん"を入れて四人程度に減っているのです。

そして、女の子が急に増えている。

全体的な人数は変わらないのに、

様相がまるで違うのです。

どこに行ったんだろう。

不思議に思いながら茂みのひとつに隠れました。

かくれんぼで隠れているのは四人ほど。

"お兄ちゃん"が鬼でした。

とはいえ、茂み以外に隠れる場所もないので、

あちらこちらで

「あーっ!みつかっちゃったぁ……」

と聞こえました。

私が最後でしたので

"お兄ちゃん"はわざとらしく

「うーん、どこかなー、わかんないなー」

と言いながら私の隠れた茂みの周りを周っていましたが、

あまりのわざとらしさに私が笑ってしまい、

すぐに

「●●ちゃんみっけー!」

と引っ張り出されました。

引っ張り出されて、少しぎょっとしました。

かくれんぼのメンバーは五人でしたが、

さらに三人ほど加えて、

全員が私の隠れていた場所を囲っていたのです。

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「やっぱここせまいよなー」

誰かが言いました。

「あたし、もっといいとこ知ってるよー!」

誰かが言いました。

「ねー、みんなでいこうよ!

川わたってすぐそこだよー!」

先程発言した女の子の隣の誰かが言いました。

「いいね、いこう!

●●ちゃんもくるよね?」

"お兄ちゃん"が言いました。

いく、と言いかけて、

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はたと気付きました。

そうなっては、両親はわからないのではないだろうか。

迷子になったときは動き回ってはいけないのでは、

そこまで考えた瞬間、

私をある言葉が支配しました。

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「かえらなきゃ」

どこか、本能的な感情でした。

つい数秒前までは

"お兄ちゃん"と遊ぶのが楽しくて仕方なかった私です。

危険を感じたわけでも、不安を感じたわけでも、両親が恋しかったわけでも、寂しかったわけでも、つまらなかった訳でもありません。

ただ

「帰らなくてはいけない」

という使命感だけが体を支配していました。

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「え、遊び始めたばっかだよ」

「でもかえらなきゃ」

「えーそんなー!」

「そんなこといわずにあそぼうよ!もう友達でしょ?」

「でも、かえるの。かえらなきゃ」

「●●ちゃん、もしかしたらパパもママも、そっちにいるかもしれないよ」

「べつにいい。おうちにかえらなきゃ」

「なんだよー!さそってやってるんだろー!」

「かえるの!こうえんいかない!」

壊れた機械みたいに「かえらなきゃ」を連呼する私に、

周りで遊んでいた子達も集まってきて

「どうしたの?」

「かえっちゃうんだって」

「えー、うそー」

と話ながら私の周りに集まってきてしまいました。

"お兄ちゃん"はなんだか少し困った顔で(影で顔が下半分しか見えていませんが)、私と目線を合わせました。

「●●ちゃん、本当に帰りたい?」

「うん、かえる。かえらなくちゃ」

「帰ったら、嫌な思いたくさんするよ。いろんな人が●●ちゃんをたくさんいじめるよ。たくさんいじわるいって、たくさん叩くよ。たくさんつらくなるよ。それでも帰りたいの?」

「かえりたい」

「……今来なかったら、ここにはもう戻れないよ?それでもいいの?」

「……だって、かえらなきゃ。これなくて、いい。かえる」

病弱故に甘やかされて育った私には辛いとか苦しいと言われてもピンときません。

使命感の方が強く心にありました。

泣き出してしまう子が居ました。

なんだか私がわがままを言って困らせてしまっているような、そんな雰囲気です。

けれど、何故か折れる気にはなりませんでした。

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「……仕方ないね」

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"お兄ちゃん"は、「こっちにおいで」と私の手を引きました。

集まってきていた子達も、ぞろぞろ付いてきます。

そして、一番トタンやら木材やらごみやらが無造作に置かれている所に来ると、

それらをどかし始めます。

最後に見えた天幕の布を持ち上げると、

コンクリートに錆び崩れたトタンが立て掛けてあり、

その下にまたカーテンのような分厚い布のひだが見えました。

カーテンはちょうど、 排気口ぐらいを隠せるくらいの大きの隙間を隠していようです。

子どもなら余裕ですが大人では通り抜けはきついぐらい の大きさでした。

「ここから帰れるよ。開けてみて。ぼくじゃ開けられないから……」

"お兄ちゃん"にそう言われて、カーテンを開けてみます。

光が差し込みました。

眩しく感じましたが、すぐに慣れました。

ですが、"お兄ちゃん"の後ろにいた子の内二人ぐらいが、無言で走ってはなれていきます。

カーテンの向こうを覗きました。

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そこは、自宅の和室……私が寝ている部屋でした。

眠る前には半分以上閉まっていた襖は全開で、

リビングの様子が見えます。

母が、父のためにコーヒーを入れようとしています。

父は、何処かへ電話をかけたあとなのか

「母さん(祖母)にも連絡しないとなぁ」

と言っています。

私は天井付近からその様子を見ていましたが、

真下を見降ろすと自分が寝ています。

寝巻きが、眠る前と変わっているようでした。

「ここから飛び降りれば、帰れるよ」

"お兄ちゃん"が言います。

とは言え、天井から私が眠っている床までは高さ約2.5mあります。

子どもでしたし、どれだけ高いのかは知りませんでしたが、

それでもかなりの高さがあることはわかりました。

足がすくんで中々飛び降りられません。

「怖かったら無理しなくていいんだよ」

「……むりじゃないもん。

かえらなきゃだめなんだもん」

「……もう一度聞くけど、

帰ったら二度と会えないよ。

本当にいいの?」

"お兄ちゃん"の方を見ました。

お兄ちゃんの後ろには、皆が立っています。

私の答えを待っているようでした。

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「いいの!!

かえる!!

さよなら!!」

飛び降りなくては、帰らなくてはという使命感だけはありました。

ですので、それだけ言って私は飛びました。

真下に眠る私の体があっという間に近くなり、

shake

ドスンッ!!

という衝撃で目が覚めました。

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明らかに敷布団に何かが落下した音でした。

ですが、慌てて飛び起きて周りを見渡しても

何かが落下した形跡はなく、誰も居ません。

寝巻きは、

寝ている間に汗をかいて母が変えたのか、変わっています。

天井から見下ろした時の寝巻きです。

全開になっている襖に近付くと、

母が入れたコーヒーを父のマグカップに注いでいて、

父は祖母と電話をしているようです。

私は、先程までの事が夢であると幼いながらに理解しているだけに……混乱しました。

そして、自分が飛び降りた場所を確認しなくてはと思い至りました。

私が眠っていた所の頭のあった場所。

そこの壁には、

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天井まで壁紙と壁紙の隙間が、1mmほど真っ直ぐ伸びているだけでした。

真っ白な壁に貼られた真っ白な壁紙の隙間など、

今まで気にしたことも有りませんでした。

天井の張り替え部分の端が僅かに埃で黒ずんでいる以外には、特に変わった所はありません。

ぽかん、と見上げていると、

電話を終えた父が私に気が付いて寄ってきました。

「●●ちゃん、もう起きて大丈夫なのか?」

「……うん」

「どれ、熱は……

……ん?あれっ?

●●ちゃん、平熱まで下がったんじゃないか??」

父は、びっくりした声をあげました。

本当に驚いているようでした。

母も「え?本当?」と言いながら来ました。

「お腹は?気持ち悪くない?体痛くない?」

「へいき……」

「病院連絡したけど、必要なかったかなぁ……」

「駄目よ。昨日は高かったんだし、一応見てもらわないと……

後からまた上がるかもしれないじゃない」

「そっか。

……●●ちゃん、8時ちょっと前になったら病院いくからね」

「………パパ……」

「ん?何?」

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「…………おなかすいた」

チン、とパンの焼ける音がしました。

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その後の私と言えば、酷くお腹が減ってしまって

「よく噛んで食べなさい!また吐くよ!」

と怒られた挙げ句、

「そんなにいきなり食べたら胃がびっくりしちゃうでしょ!やめておきなさい!」

と母からパン皿を取り上げられるほどでした。

体が欲していたのでしょう。

結局お医者様(しかも時間外で診てくれたようです)にもかかったのですが

「出した薬を飲めない事が続いたという事でしたが、

今朝は食欲もあって薬も飲めたというのなら……

熱も平熱近くまで下がっていますし峠も越えたと言うことで、一先ず心配はないでしょう。

また吐いちゃうのが続いたら点滴しますので、ご連絡ください」という診断で、

薬も変わりませんでした。

それからも何度か体調を崩すことは有りましたが、

次第に体も強くなり、

小学校を卒業する頃には無遅刻無欠席が当たり前になりました。

あの夢の数ヵ月後に弟が生まれ、

私が小学校3年生、弟が五歳になったとき、

あの壁紙の隙間は2mのタンスで隠されることになり、

以降引っ越すまで見ることは有りませんでした。

ただ、今でも思うのです。

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あの時、"お兄ちゃん"に付いていっていたら、

私はどうなっていたのでしょうか。

ただの夢で、どうもならなかったでしょうか。

"お兄ちゃん"が言った通り、

あれから20余年、

似たような夢を見たことすら有りません。

「帰れば辛い思いをすることになる」

と言われた意味が、

あの時には解らなくても、今なら解る気がします。

そして時々、酷く懐かしくなり、

あの時ついていかなかった自分を恨むのです。

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とても読みやすく、情景が浮かんできました。
私自身は、そのような体験はないのですが、親族に所謂《三途の川》的な経験をしている者が数人いるので、感情移入してしまいました。
次回も楽しみにしております。

返信

りつ様

はじめまして。
うっかり見逃すところでした。
長編ですが、情景がうかんで来て引き込まれるように読みました。

幼いころの実体験に基づくお話なのですね。

文章にも品があり、丁寧な描写には好感が持てました。
(なんて、偉そうなコメントをしてしまってごめんなさい。)

この作品は、①なんですね。
続く②③も読みたいです。
りつ様のペースでよろしいので、楽しみに待っておりますね。

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