「おい健二この山おかしくないか?」
私はこの山に入ってから胸騒ぎがして落ちつかなかった。
この山全体からただならぬ気配を感じていた。
健二と俺は小学校からの同級生で一番の親友だった
「おい健二この山に本当にキノコがあるのか?」
健二は言った。「この山留山だよキノコが無くて何があるのだ」
もう少し中に行こうぜ。
山の斜面を登り、二人は山の奥へと入って行った。
次第に奥に行くにつれて、霧が立ち込めてきた。
「進、キノコだ」と健二が叫んだ。
健二の後方5mほどにいた俺は呼ばれる声に引き寄せられて
近寄った。健二の足元には10m先までキノコの群落があった。
「健二本当だ、お前の言うとおりだ。キノコがあった。しかしこのキノコ食えるのかな?」
と健二に聞いた。
「進、食えようが食えまいが、持って行って俺の爺さんに見せれば一発でわかる。」と言うと
健二はキノコを用意してきた袋に詰め込んだ。
私もそれにつられ袋に入れ始めた。
大きな買い物袋4つには一杯のキノコが詰まった。
二人でキノコの群落の半分は取りつくしたころ、私は前方に「ほこら」がある事に気が着いた。
「健二あの祠何だ?」まるでキノコを守ってるように私には見えた。
健二は「ただのホコラじゃないか?気にするな。また明日も取りに来ようぜ。」
と言うと健二は揚々と山を下り始めた。
私も健二の後について降りて行った。
健二の家に着くと、健二が爺さんを呼んできた。
「じいちゃんキノコ大量に採れたから見てくれ」健二は意気揚々とそのキノコの
入った袋を開けて見せた。
爺さんは、キノコを見ると顔が険しくなってきた。
「お前たち二人どこの山に行った。」とまず聞いてきた。
私は健二より先に「留山入って採ってきた」と言うと爺さんは
怒り始めて「どうしてあの留山のキノコを盗んだ」と言うと「大変な事をしてくれた。」と言い
縁側に置いたキノコをすべて持つと「お前たち二人も一諸に来い」と命令すると
町はずれの山の持ち主であろう家に向かった。
私や健二は泥棒したから謝りに爺さんがつれて行かれるくと思っていた。
健二のじいさんが東郷という大きな表札の付いた門をくぐり大きな家に入ってゆくと
奥さんらしい人が庭に水まきをしていた。
険しい顔を察したのか「すぐ主人を呼んでくるからここで待っていてください」と言うと
家の奥に消えて行った。
1分ぐらいすると主人であろう白髪頭の中年が出てきた。
「どうしたんだ。血相変えて」山の持ち主が言うと爺さんは「東郷さん申し訳ない」と土下座して謝った。
すると「話も聞く前から謝られては話が先に進まない」と言うと健二の爺さんを起こしにかかった。
健二の爺さんは起き上がると話した。
「家の孫と友達がふたりであの留山に入り、事もあろうにほこらの前のキノコを盗んで来てしまった。
申し訳ない。とんでもないことをした。」と謝った。
私と健二は爺さんが謝る姿を後ろで見ていた。
健二は爺さんに後ろからささやいた。「返せばいいんだろ。今全部持ってきたじゃないか?」と言うと
爺さんは次に健二の首根っこをつかむと、「謝れ、謝れ」と言うと頭を地面に押し付けた。
その後ろで見ていた私もただならぬ健二の爺さんの態度に驚き、健二と同じように後ろで
土下座した。
東郷さんはキノコを見ると後ろに居た奥さんに「早くキノコを詰める容器を用意しなさい」と言うと
キノコの袋を取り上げ、「これで、全部か?」と私と健二に聞いてきた。
二人してうなずいた。
キノコはその場で奥さんが用意したアルミ箔のような袋に移し替え、全て庭の隅の
ゴミ焼き用焼却炉に石油を掛けて焼かれた。
東郷さんは顔をしかめて話した。
「御隠居。ま、食わなくて良かったが、しかしこの子供たちが今度は危ない」と言うと
家の中に案内された。浴室に案内されて服を全て脱がされた。
二人は裸になると奥さんがカッパにゴム手袋姿で、散布機を用意して白い液を頭から
全身に渡り散布して液がなじむと水をホースで掛けて洗い流した。
タオルを渡された後、東郷さんの指示で、別の部屋に案内されている間に
健二の爺さんが代わりの服を用意すべく家を出た。
健二と私はその物々しさに驚き、東郷さんの奥さんのなすがままになっていた。
二人の服はパンツまで全て、焼却炉で焼かれた。
健二のおじいさんが内の親にも連絡をして、おばあさんとお母さんが
服を持ち駆けつけた。
お婆さんはすごい顔で私を怒った。
「留山と分かっていてどうして入った。お前たち二人死ぬ所だったんだよ。」
と言うと涙目になり、お母さんは東吾さんに泣いて土下座をして謝っていた。
私たち二人はなにか大それたことをした意識を植え付けられて
自然と親と同じように土下座して東郷さんに謝っていた。
東郷さんは「ま、子供のしでかしたことだから仕方ないですよ。」と言うと
土下座をしている親やお婆さんに起きるように手を差し伸べていた。
奥さんは「お子さんたちは大丈夫ですよ。すぐに消毒して
関連したものは、燃やしましたから」と言うと苦笑いをした。
二人に持ってきた服を着せると、お婆さんと健二の爺さんが残り
東郷さんと家の中に消えて行った。
「東郷さん今回は本当に申し訳ないことしでかしました。もう2度とあの山には
近付かないように言い聞かせますから」とお婆さんは言った。
健二の爺さんも脇でうなずいた。
東郷さんは「私も今回子供が入って、ホコラの周りのキノコが採られたという事がわかり
驚きました。だれも入れないようにホコラまでの道を迷路にしてホコラを守っていたのに。」と言うと
「時代は変わった」と付け加えるとお婆さんとおじいさんに頭を下げた。
健二の爺さんは「あの蔵の中の病液菌は大丈夫ですかね。もしあれが世間にばれてたり
感染したらとんでもないことになる。」そういうと頭を下に項垂れた
お婆さんは「あの菌が日本に来て、この地区のあの場所に貯蔵してあるという事が
問題でいずれは自衛隊か政府に知らせなければいけない。」というと東郷さんの顔を見た。
「私が731部隊の生き残りで、あの菌を守っていることは、政府や自衛隊は知らない。」と言うと
「届けるのは私の役目だ。」と言って東郷さんはうっすらと靄がかかる留山を見た。
「もう30年もなるか?この地区に越してきたのは?この事を知る人間は、ずいぶん少なくなって
もう御隠居二人とその親戚以外は居なくなった。そろそろかたずける時ですな」と言うと
「もう迷惑はかけられない。時代は変わる。」と言うと東郷さんは、二人の老人を見て決意したようだった。
「ほこらに出向く準備をしましょうか」と言うとおもむろに奥に消えて行った。
お婆さんと健二の爺さんも家に戻り待つことにした。
私はお父さんとお母さんお婆さんが話しているのを聞いてしまった。
父は「あのほこらは静かに私たちが死んで居なくなりあの菌を死滅させる
手だてが出来るまでに残しておきたかった」と言うと
父もカッパやどこに隠していたか防毒マスクや手袋を出してきた。
それを持ち東郷さんの家に向かった。
二人は話し合い高温で焼くほかないと結論づけた。
焼くときに細菌の粉が飛ぶ恐れもあるので十分な火力が必要と言う事で
ガソリンと焼却炉を運び、ひと瓶、ひと瓶焼くことにした。
「東郷さん最後の時が来ましたね」父はささやくように言った。
「そうですね。この日を待っていたような気がします。長かった。」と言う
セリフの後東郷さんは深いため息をついた。
人の目を逃れ、政府や警察、自衛隊から逃れて今まで隠されていた
戦争の汚点を今処理して、消し去ろうとしている。
炭素菌の入った容器はほこらの奥深く貯蔵されている。
その数は50kgとも100kgとも言われている。
確かな数を確かめたわけではなく、戦後のどさくさとGHQの手を
逃れる事に通やされた。
そんなことを思い浮かべながら、二人はほこらの前の鉄の扉の
鍵を外し大きな鋼鉄製の扉を開けた。
中は暗く、コンクリートの壁は20年以上の歴史に剥がれかけている
個所も多数あった。
防護服と防毒マスクをかぶりその闇の中に二人は消えて行った。
懐中電機の明かりだけが頼りである。
10mほど行くと、最終の扉が真っ赤に錆びてそびえていた。
その扉の向こうには、何万人をも殺傷出来る炭素菌が貯蔵されている。
二人は扉を開けるのはためらったがもう遅い。
何十年もの間、隠し続けた、罪悪感が襲い、そこから解放されるであろう
日が目の前にある。それを思うとためらっている時がもったいない。
二人は思い切り、鋼鉄製の扉を開けた。
中は20年という年月を感じさせないくらいに保存状態が
良かった。
中央には、鉛製の30cm四方の四角い容器が10個ほど並べられていた。
どれも、鍵が錆びて朽ちかけていた。
鍵に触れるたびに、ぼろぼろと鍵が崩れて地面に落ちた。
二人は防毒マスクのグラス越しに無言で合図して、
ホコラからこの容器を外に持ち出した。
ホコラの外に歩き始めたが10mの距離が
100mいや200mぐらいに長く感じていた。
外に出ると、用意していた焼却炉に灯油とガソリンを入れた。
炭素菌の入っている鉛の箱から本体の炭素菌の容器を出しビンのまま入れた。
焼却炉の戸を閉め火がつけられた。
ビンは熱により炉の中で割れて菌は燃えていた石油を3回ほど補給して
10分、いや15分長い時間が流れた。
二人は、最初の容器の燃えカスと中の菌の燃後を確かめた。
菌は燃え尽きて、黒い塊になり燃えカスとして下に降り注いでいた。
その燃えカスをまた鉛の箱に詰めなおすとまた新たな箱を持ち込むべく
ほこらに向かった。
そうして6時間その作業を繰り返した。
最後の一つを燃やすと燃えカスの全てを集めて
炉も壊しその破片は全てホコラの中に入れた。
最後に東郷さんが、3本用意していたダイナマイトをホコラの中、中間、外に
仕掛けて導火線に火をつけた。「ドカーン」と言う音と共に
shake
shake
shake
まず、奥の部分が崩れ、次に中間、そして入り口が崩れて
完全にほこらの影すら無くなった。
あとは着ていたカッパと防毒マスクを燃やし
二人は引き揚げてきた。
わたしたちは、色々父や東郷さんに聞いたが
言葉少なく「長く続いた戦争は終わった」と一言しゃべって終わった
しかし炭素菌は動物に感染していれば必ず2次感染、やがては人間に感染する。
その事を忘れてはいけないと、念を押すようにつぶやいていた。
作者退会会員