私が4歳の時の体験です。
仕事が忙しく、親も祖母や祖父も一緒に店で働いて降り
4才の私には構う事や食事すら与える事も出来ない状態が何週間も続き
父と母は相談して父の山梨県の従兄の家に
「忙しく無くなるまで」と言う条件で私を預けた。
従兄の家にはすでに、3人の子供が居て最初は生活費を貰って居たので
私もほれほれの扱いだった。しかし私の親が1カ月生活費を怠ると
私に従兄は暴力や食事を抜くことが増えて来た。
ある日。
私が従兄の二男と喧嘩した。二男が私の大切な親の写真を破いた事がきっ掛けだった。
二男は長男とふたりで、私をけとばしたり頭をたたいたりした。
それを見ていた、従兄と叔母は止めようともしないで
私がやられるのをほほ笑んで見ていた。
私が抵抗して、長男や次男が泣きだすと従兄や叔母が私を怒鳴りつけて
私を家の柱に縛り何時間も放置した。
毎日毎日このようなことが当たり前になり私は青あざや腫れが
引かない状態が続いた。
2ヶ月目。
私はこの家を何とか出ないと大変なことになると
子供心に思い,家を出ることにした。
破かれた親の写真とお婆さんがよこしたお守りを首にかけ逃げ出した。
当時の山梨県は過疎村が多くひともあまり住んでいなかったので何処に隠れても
見つけだすことが出来なかった。
従兄や叔母は私が居なくなったことで探し回ったが、
わたしは近くに居る従兄や叔母を逃れるように身延山の山の中に逃げ込んだ。
身延山は4才の私にとって険しく危険な山だった。
山の中に入り1日。
もう父の従兄や叔母が探しに来ることは無かった。
私は獣道を上り、途中で沢の水を飲み空腹感をおぎなった。
夜はフクロウやモモンガが飛びまわりその林の中を当ても無く歩いた。
いつの間にか疲れがたまり、私は大きな木の祠の中で寝てしまった。
目が覚めたのは何時ごろかわからないが、どこかでご飯を炊く臭いに
目が覚めた。丸2日水だけしか飲んでおらず従兄の家でも
お金の滞納を理由にご飯を食わせてもらえなかった。
空腹感はご飯を炊く臭いだけで、私を炊いてる場所へと案内してくれた。
4才の私は炊事場の近くまで行くと木の陰で様子を伺った。
そこは、お寺の炊事場だった。
お坊さんが5人ほど食事の支度をしていて忙しそうに中と外を往復していた。
私はその5人が中に消えるのを待っていた。
待つこと20分.
ようやくだれもいなくなった。
私は物陰に隠れながら炊事場へ向かい
だれもいないのをもう一度確かめると炊事場の戸をソーと開けた。
中には今炊いたであろうご飯と味噌汁の鍋が湯気を出していた。
私はそのご飯とみそ汁を脇に有ったどんぶりに盛ると急いで裏口を抜け
森の中に持ち込み食らった。熱さなど問題ではなかった指を箸かわりに
周りに気を配り見つかったらまた痛い目にあう事が頭から離れなかった。
座る足の脇に置かれた父や母お婆さんやおじいさんの映る写真を見ると
自然と涙があふれてきた。
私は涙を汚れて真っ黒になった袖で拭いドンブリの最後の一粒のコメまで食べた。
疲労と満腹感から、眠くなりその場で眠った。
何分寝たかわからない炊事場の裏で「ドロボー」と言う声が聞こえた。
私は、自分の事だと思い大きな杉の木のホコラに入り隠れた。
私の前を僧侶の足が通り過ぎた。
ホコラの中は暖かく、空風を防いでくれた。
私はこれからどうやって山形まで帰ろうか考えていた。
しかし、また眠気が襲いホコラの中で眠った。
寒くなり目が覚めると周りは真っ暗だった。
野犬や獣の鳴き声やフクロウの鳴き声が寂しく闇の中で響いた。
私はお婆さんやおじいさん、父と母と寝た時の事を思い出すと叫んだ。
「お婆さん,お爺さん」「お父さん、お母さん」と
しかし闇はその声さえ包んでしまい静けさが襲ってきた。
独りでホコラをでると、お寺の方の明かりに向かい走った。
お寺の様子をうかがうためにまた、お寺のそばの木の陰に隠れて見ていた。
提灯の光がやけにユラユラ揺れているのが見えた。
ボーと提灯を見つめていると今度はおじいさんの顔が目に浮かんだ。
泣いた「おーいおーい」とその声は獣の雄たけびのように周りに響いた。
私はまた両親と映る写真を見ると、月がその写真を照らしてくれた。
その月明かりに見入っていると後ろからおおきな影が写真を覆った。
後ろを振り返ると得体のしれない人が私を見下していた。
見下ろす姿を下から見ると熊のように見えたが、確かに人である。
私は先ほど寺から盗んだどんぶりをその人に向けて差し出した。
その大きな人はしゃがみこみ、私の差し出すどんぶりをやさしく取ると
下に置いた。その人の髪は長く後ろに結い、顔はあごひげが見えていたが
後は暗くてわからなかった。
着物は、昔の羽織、はかまで裾は私の着てる服と同じで
ぼろぼろだった。何も言わず立ち上がると、お寺を指差した。
私はお婆さんが作り、持たせてくれたお守りを思い出した。
「このお守りは、怖いことや辛いことがあったら相手にお見せ。そうすると
きっと助けてくれる」と言った事を思い出した。
私はお守りをその人に首から外して見せた。手に取るとまたお寺を指差し
そっと、私の首にお守りを掛けてくれた。
私はその人が指差す方に向けてなぜか自然に歩き出していた。
振り返りながら歩くいて行く私を
見届けるように私を見て手を振っていたが5mほど行くと私の目の前で消えた。
私はまた怖くなり一目散にお寺目指して走った。
お寺ではお坊様が10人ほど座禅を組んでいた。
その座禅している前を走りぬけると中央に別のお坊様が立っていた。
私はその坊様にしがみついた。
「人が、人が」その言葉しか出なかった。
私が落ち着くのを待って、お坊様は私の目線に合わせるようにしゃがみ
「人がどうかしたか?お前は一体誰だい?」と話してきた。
私は今先あった人の話をした。
「その人の話だけじゃ判らん。どうしてここに来たかじゃ?」と言うと
にこりと笑い黙って私を見ていた。
私は夢中で破かれた祖父母が映る写真を見せた。
「お前の親とおじいさんお婆さんだね。」と言うとまたほほ笑んだ。
「名前は」と言われ「進」と答えると
「進、今日はこの奥に泊まり明日家にお帰り」と言うと
お坊様は奥に引き上げていった。
直ぐ別の若い坊様が来て私の汚れた手をつかむとお堂を抜け
外の井戸に連れて行かれた。
若いお坊様は「これから、きれいにして明日までゆっくりお休み」と言うと
服を脱がせた途端、背中や腹、太もも、すね、腕、全てに紫色の痕が見えた。
それを見ると「少しここで待ってなさい」と言うと和尚様を呼びに行った。
和尚様は私の様子を見ると「明日警察に届けなさい。」と言うと
「お前は、よっぽどひどい目に合って逃げ出したのだね。これからは
そういう目に合わせないようにご両親に報告するから安心してお休み。」
と言うと、私の手を握りお経を拝んだ。
私はそれにつられるように「お婆さんから教わったお経を一緒に唱えた。」
和尚は「年も行かない小僧が、お経を全部読める。
よほど教え込まれたか、一緒に拝んでいたんだね」と言うと
奥に引き上げて行った。
私の体の汚れを流すお坊様は、手や足、背中を流すたびに
私の後ろですすり泣いていた。
洗い終ると
坊様は「今日は大人の袈裟しか無い。明日は子供の袈裟を探すからね」
と言うと大きな袈裟を私に合わせて腕や裾を折り着せてくれた。
ぼろぼろの服はすぐに捨てられた。
お坊様が案内する部屋に入り3日ぶりの布団に寝かされぐっすり休んだ。
次の朝。
私が起きると地元の警察が来ていた。
私は警察の前に連れて行かれた。「住所や名前、所持品」等を調べられたが
名前は言えたが住所は判らなかった。
警察は「これじゃー探しようが無い。当分お寺で預かってくれないか?そうしないと
孤児院に預けることになる。それにも色々手続きがあり、簡単ではない。」
と言うと、引き上げて行った。
和尚さまは「やれやれ、大変なものが寺に来たものだ」と言うと
奥に引き上げて行った。他の坊様は一番したが15歳だった。
15歳の坊さんは、私を弟のように色々教えてくれた。
10日が過ぎた。何の手がかりもなかった。
あるのは破られた写真だけだった。
托鉢にも着いて行った。しかし、髪の毛がぼうぼうで、托鉢の時に布施を貰うのに
どうもよくないとのことで、頭を剃られた。
20日目
私の袈裟が縫いあがりお寺の檀家である呉服屋さんが持ってきてくれた。
その他にも、私を哀れみ色々なものをくれた。
呉服屋さんが仕立てた私の新しい袈裟を着せようと今までのものを脱がせた時だ
首からぶら下げたお守りの袋に眼が止まった。
「和尚様。この子が身につけているお守りの布地は本物の友禅織ですよ。」
と言うと呉服屋の主人は、私の首からお守りを外し布を見始めた。
「これはすごい。友禅でも50年以上前の柄で、今はもう出回って無い。
すごいものを、着けてる小僧ですね。」と言うと和尚にお守りを差し出した。
和尚は「そんなにすごい布なのか?」と手に取り紐をほどき
片手で拝むと中を開けた。
中には、表には経文がびっしり書かれた紙が入っていた。
紙の裏には、子供の名前、親の名前、住所が書き記されていた。
最後に底には当時の紙幣で1万円が小さく折られ出てきた。
呉服屋と和尚は驚いた。「進お前はいい育ちのところの子供だったんだな」
そう言うと「すぐ、お前の両親や祖父母に連絡を取るからな」と言うと
和尚は私を残し出掛けた。
23日目
和尚の連絡を受けた両親やお爺さんお婆さんがお寺に駆け付けた。
門前で掃除をしているわたしを見ると,駆け寄り父が、そして母が、私を抱きしめた。
父は泣きながら謝った。「辛い思いをさせて私がばかだった。もう一人には
させないからな」
母は「ごめんね、お母さんも悪かったね」と泣いて謝り私を抱きしめた。
後からお婆さんとお爺さんが来た。
私は「お婆さんこれ」と言って、お守り袋をお婆さんの手に渡した。
お婆さんは「ズート持っててくれたんだね」と言うと私を抱き寄せた。
お爺さんも「死ぬまで一緒だよ。」と言うと
私を両親と同じように抱きしめた。
おばあさんに森の中で逢った人のことを話すとおばあさんは、
山の方向に向かい合掌した後
「その人は、お前のご先祖で、お前の守護霊かもしれない」と私の後ろに向かい
拝み始めた。
本堂でお経をあげている和尚の後ろに回り一家五人が一緒にお経をあげた。
お経の響きは、家族の絆を深めるよう本堂全体に響いた。
間もなく、家に戻りお婆さんとお爺さんは、私の事だけを見るようになった。
仕事は日中の畑仕事だけになった。
私はまたお婆さんの小泉八雲や浜田廣介の話を聞きながら眠った。
幸せだった。
あの身延での出来事は一生忘れられない。あの守護霊も私の胸に残って離れない。
作者退会会員
この話は、怖くないので怖い話の好きな方は
読まないでください。
私が57年間忘れたこの無い思い出です。