私が水木しげるさんにお会いしたのは、1978年(昭和53年)でした。
丁度、大学の講義に着ており、その講義を受ける人は500人ぐらいで、
講堂が埋め尽くされてました。
戦争の始まりから苦労して、左腕は無くしそれでも、
げげげの鬼太郎や昔から伝わる妖怪やお化けを描き続けて
紹介してました。
それとは裏腹に戦争の悲惨さを自分の左腕を失うに至った話が印象的でした。
同じ大学を中退したとの事で、私の少しは簸たし身を覚えました。
一番は、私が書いたお化けの話を読んでくれた事でした。
やはり、お婆さんの話でしたが本当に親身になり考えておりました。
大学では油絵を専攻してましたが、全然関係の無い私にもお声をかけてくれて
専攻を変えようかなと考えた事もありました。
結局、親の意思もあり私も水木先生とおなじ中退の道を選びましたが
今は全然違う職業につき,タイで生活しております。
私の書き始めた話も、水木先生にお願いして漫画にしてもらう事が夢でした。
本当に今思うと惜しい人がまた一人お亡くなりになったなーと思うと
胸が痛いです。
これから私も、水木先生のような怪談を心がけて書いてゆきたいと思います。
絵の世界に挫折しましたが、文の世界でこれから水木先生に近づいて行きたいと
思います。
皆さんも、ひとつや二つは日本の妖怪や水木しげる先生の作品がきっかけで
書かれている方も少なくないと思いますので
一緒に御冥福を祈りましょう。
作者退会会員