基本無宗教である日本人は、盛り上がるものであればなんでも国内に取り入れる。
ハロウィンなど、その最たる例だ。近年になって急に街を仮装した人々が闊歩するようになった。
かくいう木菟も先日のハロウィンの日、電車に乗ったところたまたま仮装グループの一団が乗り合わせており、その異様な雰囲気に閉口した覚えがある。
そんなハロウィンが過ぎると、日本人の興味は次のビッグイベント、つまりクリスマスに移る。
街は赤と緑の定番カラーに包まれ、通りは鮮やかなイルミネーションに覆われる。
木菟も美しいイルミネーションは嫌いではなく、寒さを堪えて街の広場で行われるライトアップを見に行ったりするのだが、折角の澄んだ冬空が霞んでしまうのは少し残念に思っている。
「今日は12月20日…。今度の原稿は、聖夜関連にしようかな…。」
相変わらず真っ白な原稿用紙を眺めながら、木菟は独りごちた。
「…あ、でも発売が聖夜に間に合わないか。」
木菟は入浴時以外常に身に付けている腕時計を見た。
「そろそろ行こう。」
今日は日曜日。木菟の愉しみ、喫茶・六花への訪問の日である。
ー
「こんにちは。」
「いらっしゃいませ。」
木菟は店内へ入る足を止めた。
彼を迎えたのは、見たことのない男性店員だったからだ。
「あ…。すみません、間違えました。」
木菟は頭を下げ、店を出た。
しかし看板を確認すると、確かに六花である。
窓から店内を覗くと、美子がグラスを拭いているのが見えた。
「アルバイトの人だったのかなあ…。」
木菟はもう一度店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。」
出迎えたのは、やはり先程の男性店員である。
「あのう…。冬堂美子さんは?」
「え、冬堂…?」
男性店員は首を傾げた。
「僕の苗字は目黒ですし、冬堂という者はおりませんね。」
「そうですか…。」
木菟は辺りを見回した。
机の配置もカウンターも、六花と全く同じだ。
訝りながらも、木菟はいつもの席についた。
「ココアをお願いします。」
「ホットですか、アイスですか?」
「ホットで。」
「かしこまりました。」
ココアのできるのを待つ間、木菟は店内を隅々まで観察していた。
そしてカレンダーに目を留め、首を傾げた。
「1971年…?」
「お待たせ致しました。」
そこに、ココアが運ばれてきた。
「すみません。今、西暦何年でしょうか?」
木菟は目黒に尋ねた。
「え?」
彼は怪訝そうな顔をして、カレンダーを見た。
「えっと…。1971年だと。どうかされましたか?」
「いえ…。」
木菟は湯気を立てるココアを見た。
「1971年…。私は生まれていない。美子さんも…。」
「お客様?」
見上げると、心配そうな顔をした目黒がこちらを見ていた。
「顔色が良くないようですが…。」
「え?いや…、お気になさらず。」
彼はしげしげと木菟の姿を眺めていたが、暫くして口を開いた。
「今の時代にお着物なんて珍しいですよね。まだお若いのに。」
「そうですか?」
「ええ。まるで文豪のようです。」
木菟はココアを口に含み、微笑んだ。
「一応、小説家ではあります。」
「凄い、まさか本当に作家先生だったとは!」
驚きの混じった笑顔を浮かべ、彼はカウンターに肘をついた。
「小説家といえば、この間誰だか亡くなりましたよね。ほら、暗夜行路とか書いた人…。」
「志賀直哉さんですか?」
そうだった、と彼は頷いた。
「読んだ事あります?もしかして、直接会った事があるとか?」
「そんな、恐れ多い!私のような者が小説家を名乗るのも図々しいのに、かの志賀直哉先生と直接お会いするなんて。」
しかし、と木菟は思った。
この人の良さそうな男が自分をからかっているとも思えない。
するとここは本当に1971年なのか?
窓から外を見ると、なるほど人々の服装が少し古いような気もした。
ココアを一口含む。
口の中に広がる甘味は、いつも美子の淹れる物と同じだった。
美子のココアはオリジナルブレンドだったはずだが。
まあ、自分の舌が馬鹿なのだろう。ココアの違いが分かるほど、自分は出来た男ではないという訳か。
「そういえば先生、もうすぐほら、クリスマスですよ。」
目黒は人懐こい笑顔を浮かべ、囁くように言った。
「先生お若いですけど、その、心に決めた方なんかはいらっしゃるんで?」
「私ですか?」
「はい。先程仰っていた美子さんという方は?」
木菟は困ったように笑った。
「まさか。私のようなしょんない男に、美子さんのような女性は勿体ありませんよ。」
「そんなにいい女性なんですか?」
目黒は興味深げに木菟を見た。
木菟は深く頷き、遠い目をした。
「気立てもよく、淑やかで美しい女性です。目立つタイプではありませんが、何というか…。母性を感じさせるのです、あの人の佇まいは。」
「大好きじゃないですかぁ、先生!」
「そりゃあ好きですよ、人間として。」
目黒はくっくと喉を鳴らして笑った。
「…そういうあなたは?私と同じくらいでしょう、気になる方とかいらっしゃるんじゃないですか?」
木菟が尋ねると、目黒はたちまち頰を赤らめた。
「い、いや、別に僕は…。」
「分かりやすいお人だ。」
木菟は冷めたココアを飲んだ。そして少し顔を顰め、目黒に言った。
「スプーンを貸してくれませんか。ココアの粉がこずんでしまって。」
目黒は一瞬戸惑ったように首を傾げ、曖昧に頷いて銀のティースプーンを取り出した。
「ありがとうございます。」
木菟はスプーンを受け取り、ココアを掻き混ぜた。
「あの、よければ淹れ直しましょうか?お代は結構ですので。」
「いや、構いませんよ。」
木菟がココアを飲み干した丁度その時、店の戸が開く音がした。
1971年の人間が入ってきたのか?それとも自分と同じ2015年の?
興味の湧いた木菟は、後ろを振り向いてみた。
入ってきたのは若い女性で、豊かな黒髪を肩の辺りで切り揃えた美しい女性だった。
彼女はカウンター席の一番端に腰掛け、何やら注文した。
注文を受ける声が震えているのを聞いて、木菟は目黒を横目で見上げた。
汗をかいて、顔を赤くしている。こちらにまで鼓動の音が聞こえてくるようだ。
ははあ、彼の片想いのお相手は彼女か。確かに器量の良い女性だ。
「いつからです?」
目黒が近くに来た時に、木菟はこっそり囁くようにして尋ねた。
「もう6年になります。」
彼の方も隠す気はないらしく、恥ずかしそうにネクタイを締め直した。
「6年間も見てるだけで?」
「いえ!親しくなったから常連になってくださったんです。」
「お名前は何と?」
「雪枝さんといいます。」
「苗字は?」
「それが、お名前を聞いた時に外の音で遮られてしまって。聞き返すのも恥ずかしくて、知らないままなんです。」
そう言って、目黒は雪枝の席へとコーヒーを運んでいった。
楽しげに、また恥じらいも見せながら言葉を交わす彼らを見ながら、木菟はラジオの音に耳を傾けた。
『続いてのリクエストは、ジョン・レノンで『イマジン』。お楽しみください。』
木菟はもはや状況を不審に思う事を忘れていた。
もしかして、自分の方がおかしいのか?2015年なんて遠い未来で、小説のネタの考えすぎでおかしな妄想に囚われてしまったのではないか?
そういえば、自分が元々いたと思っている2015年、どんな時代だったかとんと見当がつかない。
その時、懐に何か違和感を感じた。
触れてみると、長方形の箱のような感触がある。
取り出すと、それは和風ラッピングの施された小箱であった。
「これは…。」
「先生!」
突然、目黒が声をかけてきた。
「な、何です?」
目黒は笑って、小箱を指差した。
「やっぱり、それ。クリスマスプレゼントでしょう。」
「え?ど、どうして私が?」
とぼけないでくださいよ、と目黒はまた笑った。
「さっき先生、言ってらしたでしょう。美子さんて方の事。」
「美子…?」
木菟は少し考え、はっとした。
何という事。
美子さんの存在を、彼女の想い出を無くしそうになるとは。
そういえばどうもおかしい、この状況に違和感を感じなくなったり、自分のした事を覚えていなかったり…。
とにかく、元の生活に戻らなくては。
「…失礼します」
「あれっ、先生?」
木菟はココア代を払うのも忘れ、店の戸を開けた。
「‼︎」
途端、猛烈な風に体を押し戻され、彼はその場に尻餅をついた。
「先生、大丈夫ですか⁉︎」
目黒が慌てて駆け寄ってきて、倒れた体を支えた。
「これはひどい吹雪だ、ほら。」
窓の外を見ると、通り一面猛吹雪で何も見えないほどだった。
「そんな、雪の降るような土地じゃないのに…。」
「何仰るんです、ここ東京ですよ?東京の浅草です。たまに降るじゃないですか。」
「え…?浅草…?」
何が何だか分からない。
席に戻りながら、荒くなった呼吸を整える。
カウンターに戻った目黒が、木菟に言った。
「そういえば先生、妙な訛りがありましたよね。ほら、こずんでとか言ってましたけど、僕最初意味が分からなくて。どこのご出身です?」
「お茶の…美味しいところです」
半分惚けたような様子で答える木菟を、目黒は心配そうに見ていた。
普段飄々としている木菟も、流石に参っていた。
深く溜息をつく。もう戻れないのだろうか、美子のいる2015年には。
この包みを渡すはずだった…、彼女のいる年に。
「すみません…。」
かけられた声に振り向くと、雪枝が立っていた。
「目黒さんからお聞きしました。小説家さんなんですって?」
その、独特の懐かしさを感じさせる声は、木菟の心に積もった氷のように冷たい不安を溶かしていった。
「どんなご本を書いていらっしゃるの?」
「え?」
木菟は小説のネタを書き留めているメモ帳を取り出し、雪枝に渡した。
彼女はそのページをぱらぱらと捲ると、にっこりと微笑んだ。
「面白そうですわ。プロットだけでも、あなたの味が伝わってくるよう。」
「宜しければ、差し上げましょうか?」
木菟が言うと、雪枝は嬉しそうにメモ帳を胸に抱いた。
「これも何かのご縁ですわ。1つ頼みがあるのですけれど、いいかしら?」
「え、ええ。なんなりと。」
雪枝は目黒を振り向き、微笑んだ。
「目黒さん、私達の事、小説に書いてもらいましょうよ。ほんの端役でいいから。」
「ええ⁉︎」
目黒は首まで赤くして、頭を掻いた。
「…やっぱり、図々しかったかしら?」
雪枝は恥ずかしそうに木菟を見上げた。
その時、木菟はその目に既視感、その声に感じていた懐かしさを探り当てた。
そして、全てを理解して会心の笑みを浮かべた。
「いえ、書きますよ。必ず。ご縁は大切にしないと、ね。」
雪枝の顔がぱっと輝いた。
「本当ですの⁉︎目黒さん、聞きました?私達、お話になるかもしれないわ!」
嬉しそうな雪枝を、目黒もまた幸せそうに見ていた。
「先生、ありがとうございます。」
「いえ。その代わり、待ってくださいますか。」
「え?」
「せめて、2016年まで。」
木菟の言葉に、目黒は不思議そうな顔をしていたが、雪枝は楽しそうに頷いた。
「待ちますわ。45年後…。私達はどうなっているかしらね。小説の中に今のままの私達がいるなんて、何だかタイムカプセルみたいで素敵ですわね。」
「言われてみれば…そうですね。」
目黒と雪枝は顔を見合わせ、笑い合った。
木菟は窓の外を見た。
いつの間にか雪は収まり、粉雪程度になっていた。
「それでは、私はそろそろ。」
木菟は店の戸に手をかけ、
「あ、それと。」
1971年に生きる2人を振り返り、微笑した。
「お二人、最後にお名前をもう一度宜しいですかな?」
2人は頷いた。
「目黒一博です。今日はお話できて良かった。」
「雪枝です。冬堂雪枝。先生のご本、楽しみにしていますわ。」
木菟は満足気に頷いた。
「そうですか。…2人共、いいお名前で。」
「先生は?」
雪枝が尋ねた。
「先生は、何と仰るの?」
「私ですか?私は…。」
彼は何か言いかけたが、思い留まって少し俯いた。
「…名乗る程の者でも、ありません。」
木菟は店を出た。
視界がホワイト・アウトした。
ー
「…おっさん?おっさん!」
聞き覚えのある少年の声がした。
振り向くと、そこには目付きの良くない学ランの少年。
「…えっと。晴明さん、ですよね?」
晴明は不思議そうな顔をした。
「そうだけど?どしたのおっさん、こんなとこで?」
見ると、そこは六花の玄関前だった。
「良かった、戻れた。」
「何言ってんの?疲れてる?」
訝しげな晴明に、木菟は微笑みかけた。
「ええ。少し、ね。」
「ふうん…。ま、おっさんが変なのは今に始まった話じゃないし。」
行こ、と、晴明は木菟の手を引いて六花に入った。
「いらっしゃい。」
そこでは、いつものように美子が微笑んでいた。
「ケーキ、焼いてあるのよ。クリスマスケーキ。」
「おう!俺、ジュース持ってきた。」
晴明は、ペットボトルの入った袋をカウンターにどしんと置いた。
「あら、飲み物なら沢山あったのに。 」
「いいんだよ、俺の奢り!」
木菟と晴明はいつもの席についた。
「美子さん。」
「何ですの?」
「そういえば昔、このお店は東京にあって、お父様が経営していたとお聞きしたような気がするのですが。」
美子は頷いた。
「ええ、よく覚えてらっしゃるのね。父と母との出会いもお店で、母は父の喫茶店の常連だったんですの。それから父は、少し特殊だけど母の実家に婿入りして、今の土地でまたお店を始めたの。それを私が継いだという訳ですわ。先生の大好きなココアの淹れ方も、父の直伝ですのよ。」
「そういう訳だったのですね。」
木菟は切り分けられたケーキをつついた。
「父と母の馴れ初めで思い出したのですけれど…。プロポーズに踏み切れたのは、直前まで店にいた小説家の先生のお陰だそうですわ。不思議な方で、どこか浮世離れしたような方だったそうよ。」
美子はココアを淹れ、くすっと笑った。
「私の名前も、その時の想い出からなんですって。」
「よっぽど想い出深かったんだな、そいつが。」
晴明はほとんど一口でケーキを平らげ、言った。
その様子を幸せな気持ちで眺めながら、木菟は思う。
縁とはつくづく不思議なものだ。
今回自分が巻き込まれた事件も、人の縁が引き起こした運命の歪み。
次の作品は、来年になってもいいからやはり聖夜ものにしよう。
そして、誰より早く読んでもらいたい。1971年の六花で出会った、あの2人に。
次回作が出来たらすぐ、美子さんに頼んで渡してもらう事にしよう。
窓から見える、聖夜を控えた街並みに、木菟は誓った。
作者コノハズク
聖夜に因んだお話を作ってみました。
怖いというより不思議寄りでしょうか…。